66、ムゥタズィラ学派(1)

文字数 890文字

キンディーのところに書いてあったムゥタズィラ学派について調べてみました。作品集は下の画像から入って下さい。
この絵は知恵の館を調べた時に出てきたハリーリーの『マカーマート』に描かれたバスラの公立図書館の挿絵(1237年画)です。
ムゥタズィラ学派とは、イスラム教の神学の学派である。9世紀初頭から10世紀にかけてのイスラーム世界で大きな影響力を持ち、分散して少数派となった後も思想の一部はシーア派に継承された。
ムゥタズィラ学派という名前を聞くのは初めてです。
ムゥタズィラ学派は8世紀前半にイラクのバスラで創始された。ワースィル・イブン・アター(699年ー748年)が創始者とされているが、独自の学説が確立されたのはアブー・フザイル(751年ー849年)の時代以降だと考えられている。
古い歴史があるのですね。
アッバース朝のカリフ・マアムーンが設立した知恵の館での翻訳活動などの異文化の思考法の積極的な摂取、体系的思考を求める時代を背景にムゥタズィラ学派の思想が確立された。アリストテレスなどのイスラーム世界外の思考法を部分的に借用したムゥタズィラ学派は思弁による解釈を進めていった。
宗教を異なる学問、世界観や文化で合理的に解釈するというのはとてもよいことだと思います。宗教は不寛容で他の宗教に対して攻撃的になりやすい、合理的な解釈を取り入れることで他の宗教に対して寛大になって欲しいです。
827年にマアムーンがムゥタズィラ学派が主張する「クルアーン(コーラン)創造説」を公認すると宮廷で権勢を振るうようになり、833年にミフナ(異端審問)を開いた。
新しい宗派は権力と結びつくことで成功するようです。
ムゥタズィラ学派が初期アッバース朝の保護を受けて繁栄した一因として、四代目の正統カリフ・アリーの即位に対して曖昧な立場を取ったアッバース家を擁護し、ウマイヤ家を弾劾した点が挙げられている。ワースィルはアリーを三代目の正統カリフ・ウスマーンより上の立場においたが、アリーの至上論を認めず、4人の正統カリフに優劣を付けることを避けていた。
政治的にどのような立場を取るかが重要になってきますね。
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