71、イブン・ハンバル(2)

文字数 819文字

イブン・ハンバルについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
イブン・ハンバルはイスラームの歴史の中で特に精力的に活動した人物であると評され、彼が交流し、教えを受けた先達の人数は極めて多い。ヒジュラ暦179年から183年まで、バグダードで彼を日常的に教え導いたのは、フシャイム・ブン・バシールである。同地には法官長(カーディー)アブー・ユースフがおり、イブン・ハンバルもその講義に参加したが、深く影響を受けるには至らなかった。


当時のイスラム社会にはたくさんの学者がいて勉強をする施設も整っていたのですね。
183年以後は当時のヒジャーズ派の法学の重鎮、スフヤーン・ブン・ウヤイナが主にイブン・ハンバルを導いた。自著によるとそのほかにも、クーファ、バスラ、それぞれに重要な師匠を持った。しかし、イブン・タイミーヤが指摘するところによると、イブン・ハンバルの法学の形成には、これらイラク学派よりもはるかにヒジャーズ学派、ハディース派の思想が決定的に影響を与えている。
たくさんの学派や学者の名前が出てきて複雑になっています。
なお、ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイーはイブン・ハンバルより年上の同時代人であるため、後者が前者の弟子であると言われることがよくある。確かにイブン・ハンバルはシャーフィイーの教説の内容をある程度は知っていたとみられ、ヒジュラ暦195年にはバグダードで彼らの生涯でただ一度だけとなる直接の面会も果たしている。しかしながら、Lausto(1960)によると、「イブン・ハンバルはヒジャーズの伝承重視の思想に他の何よりも強い影響を受けている」というイブン・タイミーヤの指摘に鑑みれば「イブン・ハンバルはシャーフィイーの弟子であった」という言説は不適当であり、事実を単純化しすぎた言説ということになる。
2人が直接会ったのは1度だけだから、その教説の内容をある程度知ってはいても弟子とは言えないということですね。
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