103、マルワーン1世(1)

文字数 950文字

ウマイヤ朝第4代カリフのマルワーン1世についてです。マルワーン1世についての家系図や記述もかなり複雑で長くなるので、カリフになった時を中心に書いていきます。作品集は下の画像から入ってください。
マルワーン1世(623年もしくは626年ー685年)にかけて一年に満たない期間在位した第4代のウマイヤ朝のカリフである。マルワーン1世は、イスラーム世界の第二次内乱期にカリフの地位を失ったスフヤーン家に代わりウマイヤ朝の王家となったマルワーン家を興し、マルワーン家は750年まで政権を維持した。
マルワーン1世がカリフでいたのは1年未満だったけど、以後750年までマルワーン家が政権を維持しているのですね。
マルワーンは684年の初頭までにシリアのパルミラかヤズィードの若い息子で後継者となったムアーウィヤ2世の宮廷が存在するダマスカスのいずれかの場所に滞在していた。しかしながら、ムアーウィヤ2世は即位後数週間で後継者を指名することなく死去した。
ムアーウィヤ2世の死でウマイヤ朝は危機的な状況になりますね。
その後、シリアの軍事区(ジュンドと呼ばれる)のジュンド・フィラスティーン(現代のパレスチナ一帯)ジュンド・ヒムス(現代のホムス周辺)、そしてジュンド・キンナスリーン(現代のアレッポ周辺)の総督は、ウマイヤ朝ではなくイブン・アッ=ズバイルへの忠誠を誓った。その結果、ボズワースによれば、マルワーンは「統治者としてのウマイヤ家の将来に絶望」し、イブン・アッ=ズバイルの正統性を認める用意ができていた。
イブン・アッ=ズバイルの父は656年のラクダの戦いで戦死したハディージャの甥の子ズバイル・イブン・アウワームで、母は初代正統カリフであるアブー・バクルの長女アスマーであった為、彼はクライシュ族の血を引く者(ムハンマドの近親とその子孫)というカリフの条件を満たしており、最も有力なカリフ位の継承者であるとされていた、と書いてありました。
しかし、マルワーンはイラクを追放された総督のウバイドゥッラー・ブン・ズィヤードからシャービヤで開かれたウマイヤ朝を支持するシリアのアラブ部族の族長との会議中にムアーウィヤ2世の後継者として志願するように勧められた。
マルワーン1世は最初はカリフになるつもりはなかったようです。
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