117、アブドゥルマリク(9)

文字数 976文字

アブドゥルマリクについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
イブン・ズィヤードはアブドゥルマリクの父であるマルワーンからイラクの再征服の任務を与えられていた。当時イラクとその属領は、クーファを拠点とするアリ一家支持派の指導者であるムフタール・アッ=サカフィーが支配する勢力と、バスラを拠点とするイブン・アッ=ズバイルの弟のムスアブ・ブン・アッ=ズバイルが支配するイブン・アッ=ズバイル派の勢力に二分されていた。
複雑な勢力争いが続いていたのですね。
しかし、686年8月に起こったハーズィルの戦いで、総勢60,000人のイブン・ズィヤードの軍隊が遥かに小規模であったイブラーヒーム・ブン・アル=アシュタルの率いるムフタールのアリー家支持派の軍隊の前に大敗を喫し、イブン・ズィヤードはほとんどの配下の指揮官とともに戦死した。
それだけ大人数の軍隊であっても負けてしまうのですね。
この決定的な敗北とイブン・ズィヤードの死はイラクに対するアブドゥルマリクの野心にとって大きな後退を意味した。アブドゥルマリクはその後の5年間イラクにおけるさらなる大規模な軍事活動を控えたが、その間にムスアブ・ブン・アッ=ズバイルがムフタールをその支持者とともに倒して殺害し、イラク唯一の支配者となった。
勢力争いで怖ろしいことになっていますね。
アブドゥルマリクはシリアの支配を強化することに焦点を移した。ハーズィルの戦いでイブン・ズィヤード配下のカイス族の将軍であったウマイル・ブン・アル=フバーブ・アッ=スラミーがズファル・ブン・アル=ハーリス・アル=キラービーの反乱に加わるために戦闘中に配下の部隊とともに離脱するという出来事に見られるように、イラクに対するアブドゥルマリクの努力はカイス族とヤマン族の分裂の影響によって傷つけられていた。
ウマイヤ朝の部族の争いは複雑すぎてよくわからない。
この出来事に続くジャズィーラの大規模なキリスト教徒の部族であるタグリブ族に対するウマイルの軍事行動は相次ぐ報復攻撃の連鎖を引き起こし、アラブ部族の間の対立をさらに深めることになった。それまで中立的であったタグリブ族はヤマン族とウマイヤ朝の下に加わった。そしてタグリブ族は689年にウマイルを殺害し、その首をアブドゥルマリクの下へ送った。
報復の連鎖が続いて怖ろしいことになっています。
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