84、アリー・イブン・アビー・ターリブ(1)

文字数 1,163文字

アリー・イブン・アビー・ターリブについて調べてみました。作品集は下の画像から入って下さい。
これはイラク、ナジャフにあるアリーの廟です。
アリー・イブン・アビー・ターリブ(600年頃ー661年)は、イスラーム教の第4代正統カリフ。同教シーア派の初代イマーム。
アリーは預言者ムハンマドの父方の従弟で、母もムハンマドの父の従姉妹である。後にムハンマドの養子となり、ムハンマドの娘ファーティマを娶った。ムハンマドがイスラム教の布教を開始した時、最初に入信した人々のひとり。直情の人で人望厚く、武勇に優れていたと言われる。早くからムハンマドの後継者と見做され、第3代正統カリフのウスマーンが暗殺された後、第4代カリフとなったが、対抗するムアーウィヤとの戦いに追われ、661年にハワーリジュ派によって暗殺された。
アリーは預言者ムハンマドに近い立場の人だったのですね。
のちにアリーの支持派はシーア派となり、アリーはシーア派によって初代イマームとしてムハンマドに勝るとも劣らない尊崇を受けることとなった。アリーとファーティマの間の息子ハサンとフサインはそれぞれ第2代、第3代のイマームとされている。また、彼等の子孫はファーティマを通じて預言者の血を引くことから、スンナ派にとってもサイイドとして尊崇されている。

アリーの墓廟はイラクのナジャフにあり、カルバラーとともにシーア派の重要な聖地となっている。

イスラム教徒にとって極めて重要な人物のようです。
アリーは預言者ムハンマド同様、マッカ(メッカ)のクライシュ族のハーシム家に属す。祖父はムハンマドと同じくアブドゥル=ムッタリブで、父のアブー・ターリブはムハンマドの父アブドゥッラーの同母弟である。つまり、アリーはムハンマドの父方の従弟にあたる。また母もムハンマドの祖父の姪であった。
血筋から見ても後継者にふさわしい人ですね。
アリーは西暦600年ないし602年頃にマッカ(メッカ)で誕生した。場所は父アブー・ターリブの家であったという説と、カアバ神殿内であったという説がある。日付はラジャブ月(イスラーム暦の7月)の13日と伝えられる。伝承によれば母のファーティマ・ビント・アサドは初め彼の名を「ハイダラ」(獅子)と名付けようとしたが、父のアブー・ターリブがそれを退けて「アリー」(高貴な人)という名をつけたとされる。また別伝によれば、ファーティマは「ハイダラ」、アブー・ターリブは「ザイド」という名を考えていたが、誕生を祝いに訪れていたムハンマドが「アリー」と命名したという。
ヨーロッパでは父や祖先の名前をつけることが多いけど、イスラム社会は違うのですね。
アリーが5歳の時にアブー・ターリブー家が窮乏に陥ったため、彼はムハンマドとハディージャの夫婦に引き取られて養子として育てられることになった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色