29、四体液説(2)

文字数 1,723文字

四体液説についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
これは壁画に描かれたヒポクラテスとガレノスで12世紀のイタリアのアナーニのものです。
アナーニというのは聞いたことがある地名です。
アナーニ事件というのは1303年にフランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件です。
古代ギリシアの医学はヒポクラテスの死後100年ほどたってから、ヒポクラテス(紀元前460年頃ー紀元前370年頃)の名のもとに『ヒポクラテス全集』にまとめられた。そこでは、人間の身体の構成要素として、臨床経験から2~4種類の体液が挙げられている。
体液についてはそんなに昔から知られていたのか。
ローマのガレノス(129年ー199年)は、ヒポクラテス医学をベースに当時の医学をまとめ、人間の体液は血液を基本に「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4つから成り、そのバランスが崩れると病気になるとする四体液説を継承し発展させた。ガレノス以後、体液病理説(四体液説)は、西洋文化圏で行われたギリシャ・アラビア医学の基本をなしており、19世紀の病理解剖学の誕生まで支持されていた。
ヒポクラテスなどの古代ギリシャの医師たちは、患者の体から出てくる液体を観察し、人間の体内には栄養摂取による物質代謝の産物であるいくつかの体液があると考えていた。
患者の体から出てくる液体を観察したというのはわかりやすいです。
血液は体内の熱が適当で、食べ物が完全に調理(消化)された時に生成され、生命維持にとって重要であるとされた。一方粘液と胆汁は悪い体液と考えられた。
赤い血は人間だけでなく動物の体にもあるので、血液が重要だということはわかります。
体内の熱の過少によって生じる粘液は、ギリシャ語の燃えるという動詞からきている。古代ギリシャでは体の中で燃えるのは「炎症」または「消化」であると考えられたことから、冬に起こる炎症の産物が粘液と呼ばれた。
確かに寒い時期は鼻水がよく出ます。
また、脳は粘液による保護が必要で、脳に達して適度な冷えと潤いを与える。脳からあふれた粘液は鼻汁となって出てくる。
粘液は体にとって必要な体液であると考えられているのですね。
体内の熱の過剰によって胆汁が生じるが、数合わせのために黒胆汁が加えられ、黄胆汁、黒胆汁となったという。黄胆汁は血液の泡状のもので、軽く熱い。黒胆汁は、鬱状態の人の排泄物の色から名付けられたと言われる。黒胆汁には酸味があり、体を腐食させるとされた。
なんかよくわからなくなってきた。
体液の種類は、最初から4種類で統一されていたわけではない。『ヒポクラテス全集』に収録された論文「人間の自然性について」の中では四大元素説の影響を受けて、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つからできていると述べられており、これが主流の分類である。
四大元素説まで出てますますわからなくなってきた。
大丈夫です。ここにいるみんなも四大元素説はよくわかっていません。
しかし「疾病について」の中では血液、粘液、胆汁、水、また「疾患について」で、病気はすべて胆汁と粘液の作用とあるとしており、定まっていない。
同じ『ヒポクラテス全集』の本でも、ヒポクラテスの死後に編集されたものだから、本によって内容が違うということもあるのですね。
どちらを採用するかは学派によって異なり、ヒポクラテスのコス派は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の四体液説で、クニドス派は胆汁・粘液説であった。ローマのガレノスが四体液説を継承しギリシャ医学をまとめ上げたため、後世に残ったのは四体液説だった。
また、フォーレウス・リンドクヴィスト効果の発見者の一人である病理学者ロビン・フォーレウス(1888ー1968)は、四体液説は血液の観察に由来すると示唆した。血液を容器に入れ、空気にさらし室温で放置すると、上澄みと凝固部分に分かれる。この血清、白血球、赤血球、血餅が、黄胆汁、粘液、血液、黒胆汁の由来ではないかと推測した。
現代の私達は血液の成分についてはよく知っていますが、それが知られていない古代でも血液の観察から体液について考えたかもしれないと想像すると興味深いです。
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