70、イブン・ハンバル(1)
文字数 1,070文字
イブン・ハンバル(780年ー855年)はムスリムの神学者、法学者。預言者ムハンマドの言行(ハディース)を収集、編纂し、ハンバリー派法学の基礎を築いた。伝承した級友の順にハディースを配列した伝承集『ムスナド・アフマド』は主要著作とみなされる。
イブン・ハンバルの思想の影響は後代に及び、例えば、13-14世紀の神学者イブン・タイミーヤ、18世紀アラビアのワッハーブ派の運動、19世紀エジプトの伝統回帰的運動であるサラフィー主義などにその影響がみられる。
イブン・ハンバルの父系の家系は、アラブ=イスラームによるイラク、ホラーサーン方面での征服に大きく関わった、アラブ部族のラビーア族のひとつ、バヌー・シャイバーンに属する。「ハンバル」は父系祖父の名前であり、祖父ハンバル・ブン・ヒラールはウマイヤ朝下でサフラスを治め、アッバース家を奉じる革命運動に最初期から関わった人物である。イブン・ハンバルの父ムハンマド・ブン・ハンバルはホラーサーン軍に属し、軍命に従ってホラーサーン地方からバグダードへ移住し、移住から数か月後のヒジュラ暦164年第2ラビー月(西暦780年12月)に「イブン・ハンバル」ことアフマドが生まれた。なお、父ムハンマドはアフマドが3歳ぐらいのときに亡くなった。
イブン・ハンバルはバグダードで教育を受け、諸学の中でもハディース伝承の研究に一生を捧げると決心して、ヒジュラ暦179年(西暦795年頃)に旅に出た。「イブン・ハンバル」は青年期にイラク、ヒジャーズ、イエメン、シリア、シリア、イラン、ホラーサーン、マグレブと遍歴して学問を続けた」と言われる。しかし、イラン、ホラーサーン、マグレブへの遍歴はほぼ間違いなく伝説の類である。イブン・ハンバルはイラク、ヒジャーズ、イエメン、シリアを訪れ、特にバスラには何度も立ち寄った。さらに訪問の頻度が高かったのはメッカで、計5回、巡礼のために訪問している。