79、ラクダの戦い(4)

文字数 789文字

ラクダの戦いについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
戦利品はバスラの会衆モスクに集められ、アリーは自己の衣服と判別できるものは持ち帰ってもよいと告げた。アリーは戦死したズバイルとタルハに対して哀悼を奉げ、手厚い葬儀を行った。ズバイルを殺害した兵士は処刑され、自分の元に届けられたズバイルの剣を見てアリーは嘆息したと言われる。アーイシャは叱責を受け、40人の侍女と従兄弟のムハンマドを付けられてメディナに送り返された。
アリーは勝ったけどこのような結果を望んではいなかったのですね。
クーファに拠点を置いたアリーは敵対勢力の不満を解消するため、公庫を開いて現金を支給する。ウスマーン時代に任命された地方総督の大部分は解任され、あるいはアリーにバイアを行ったが、シリア総督のムアーウィヤはウスマーン暗殺の犯人の処罰を求めてバイアを拒絶した。メディナのアーイシャは「信者の母」としてムハンマドの言行を語り伝える平穏な余生を過ごした。またズバイルの子の一人であるウルワはアーイシャに師事し、学究に身を捧げた。タルハの墓はバスラに置かれ、多くの市民の信仰の対象となった。
アーイシャやズバイルの子が平穏に暮らせてよかったです。
ラクダの戦いは初めて起きたイスラム教徒同士の戦闘(ファトナ)であり、高位の教友たちの抗争は後世のイスラーム思想史における争点となる。この戦闘は単純にアリー派とアーイシャ派の派閥抗争と解する事はできず、カリフの役割、ウンマ(イスラーム共同体)の有様についての意見の違いも武力衝突の背景にあったと考えられている。後世ではシーア派に対するスンナ派の戦いの象徴とも捉えられ、ブワイフ朝時代にはバグダードのスンナ派の住民がシーア派の住民を挑発するためにラクダの戦いを演じたこともあった。
次回からアリーとムアーウィヤの争い、スィッフーンの戦いについて調べていきます。
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