109、アブドゥルマリク(1)
文字数 943文字
アブドゥルマリクはイスラーム教徒として生まれ育った世代としては最初の世代に属し、マディーナでの幼少期には敬虔な生活を送った。その後、ウマイヤ朝の創始者であるムアーウィヤ1世や父親のマルワーン1世の下で軍事や行政の経験を積み、父親の死後に当初予定されていた後継者であるヤズウィード1世の息子のハーリドを差し置いてカリフに即位した。即位当時のイスラーム国家は第二次内乱として知られる混乱期にあり、ウマイヤ朝の支配地はシリアとエジプトに限定されていた。
686年にイラクの支配権の奪回に失敗したアブドゥルマリクはシリアの支配権を固めることに注力し、ウマイヤ朝に対抗してメッカでカリフを称していた最大の敵対者であるアブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルの打倒を目指した。
アブドゥルマリクは反乱を鎮圧すると691年にジャズィーラ(メソポタミア北部)でウマイヤ朝の支配に抵抗していたカイス族を帰順させ、自軍へ組み入れることに成功した。そして同年にイラクを統治していたアブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルの弟のムスアブ・ブン・アッ=ズバイルを破ってイラクの支配権を回復すると、将軍のアル・ハッジャージュ・ブン・ユーフスをメッカへ派遣して692年末にアブドゥッラー・ブン・アッ・ズバイルを殺害し、イスラーム国家をウマイヤ朝の下で再統一した。