65、キンディー(2)

文字数 931文字

キンディーについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
百科全書的に広範な分野に知識を持っており、当時は一級の学者としてその名が知られていた。特にキンディーはこの翻訳活動を通じて、イスラム世界にギリシャ哲学、特にアリストテレスの哲学を移入させた功績は大きい。ギリシア思想などの外来の学問の浸透に批判的なアラブの保守層に対抗して真理の探究とその普遍性について説いた。
僕たちの時代はギリシャ思想、特にアリストテレスについてはかなり知られて研究されていましたが、このようにイスラム世界の学者が紹介し伝えたからこそ後の時代にも伝えられたのですよね。
また、彼の思想的特徴としては、神による無からの創造や啓示の優位性など、「完全なる一者」から創造がはじまったとするプロティノス系の流出説が優位となる後世の哲学者たちには見られないものがある。マアムーンに続くカリフ・ムウタスィムのもとでも活躍し、当時のヨーロッパのキリスト教文明圏で哲学が表舞台から退いていったのと対照的に、イスラームが哲学を継承していく機縁を作った。
イスラーム社会がギリシャ哲学を受け継いだからこそ優れた学者が何人も出て医学も発展したのですね。
特にキンディーの知性論の考え方は、後のイスラームの哲学者たちに引き継がれ、それは後のヨーロッパの中世哲学にも影響を与えたものになる。また彼はフワーリズミーに先駆けて数学に暗号論を初めて導入した。
私は数学は苦手ですが、なんかすごい人のようです。
しかし、やがてカリフが変わりワースィク、ムタワッキルの代になると、キンディーとの不和が生じた。さらに知恵の館に多くのライバルができ、さらには合理主義的なムウタズィラ派神学との親和性を持つキンディーの哲学は正統派イスラーム神学者たちから激しい迫害を受け、一時期著作も没収された。こうして不遇のうちに873年(866年という説もある)に没した。
正統派は宗教の違いや時代とは関係なく、違う考えを持つ者を激しく攻撃してしまうのですね。
キンディーの著書「知性に関する書簡」が『中世思想原典集成11 イスラーム哲学』(平凡社、2000年)に日本語訳されていると書いてありました。次回からムゥタズィラ派神学について調べてみます。
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