34、四体液説(9)

文字数 991文字

四体液説についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
中世ヨーロッパでは、四体液説はキリスト教に取り入れられた。教会は、アダムとイブは完璧な体液のバランスを保っていたが、楽園追放によってそのバランスが崩れ、病気がこの世に誕生したと説いた。
私は中世の時代に生まれキリスト教社会である修道院で暮らしていたが、病気についてのキリスト教の考えには疑問を持っていた。なぜならば、アヴィセンナなどイスラム教徒の書いた優れた医学の本を読んでいたからだ。私が生きた時代、医学はイスラム社会の方がはるかに進んでいた。私はアヴィセンナの本を全て手に入れて読みたいと考えたが、それは叶わなかった。
ニコラさんは禁じられていたイスラム教徒の本もかなり持っていました。
原罪を負った人間の体液のバランスは崩れているが、キリストのそれは完璧であり、拠ってキリストに倣う生き方が奨励された。
原罪という考え方をして、キリストに倣う生き方を勧めたのはキリスト教徒だけですよね。
四体液説はキリスト教にうまく取り入れられたからこそ、キリスト教社会で長い間信じられてきた。
ガレノスの医学や四体液説を含むギリシャ、ローマの医学はヨーロッパでは失われて、イスラム教社会でアラビア語に翻訳されて伝えられてきました。その知識がもう1度ヨーロッパに入った時、今度は医学での権威となったのですね。
肉やホットワインのような「熱く湿った」食品は血液と精液のもととなるプネウマを生成すると考えられ、性欲や肉欲が高まるためキリスト教徒にはふさわしくないとされた。
ヨーロッパでも特に海から離れた北の方の寒さが厳しい地域に住む者にとっては、冬の寒さを乗り越えるためにも肉やホットワインのような食品が必要と思うのだが、そうではなかった。
初期には断食機関には肉と魚を摂ることは禁じられていたが、次第に「冷たい」魚は性欲を抑えるとされ、食べることが許されるようになった。
私は30歳から60歳までの30年間シチリアで暮らしたが、シチリアではいろいろな種類の魚介類が普通に食べられ、修道士もそれに倣っていた。だが、カタルーニャで海から離れた場所にある修道院で暮らすようになってからは、魚介類を食べることはほとんどなかった。食生活は場所によって大きく違ってくる。それを宗教によって禁じてはその地域の住民の健康によくない影響を及ぼすのではないかと思う。
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