106、マルワーン1世(4)

文字数 953文字

マルワーン1世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
一方でマルワーンはカルブ族とその同盟部族による支援を受け、自軍より大規模であったダッハークの軍隊に向けて進軍した。同時にダマスクスではガッサーン族の有力者がダッハークの支持者を追放し、都市をマルワーンの支配下に置いた。そして684年8月に起こったマルジュ・ラーヒトの戦いで両軍は激突した。結果はマルワーン軍がカイス軍を完全に打ち破り、ダッハークは戦死した。
マルジュ・ラーヒトの戦いは、戦力がマルワーン側が6,000人、もしくは13,000人(主に歩兵)、ダッハーク側が30,000人もしくは60,000人(主に騎兵)で戦力にはかなり差がありました。
この結果、シリアでマルワーンが台頭するとともにカルブ族が属するクダーア族の部族同盟の力が認められることになり、戦いの後にはホムスの同盟部族であるカフターン族と同盟を結び、「ヤマン」の名で知られる新しい大部族を形成した。しかしながら、マルジュ・ラーヒトの戦いにおけるウマイヤ朝とヤマン族の圧倒的な勝利は、長期にわたるカイス族とヤマン族の確執という負の遺産も残した。カイス族の残軍はジャズィーラ(メソポタミア北部)のカルキースィヤーの要塞を奪ったズファル・ブン・アル=ハーリス・アル=キラービーの下に逃れ、ズファルはそこからウマイヤ朝と対立する部族を率いた。
このような結果になったことで恨みが生まれて対立は深まってしまったのですね。
マルワーンの作とされる詩の中で、マルワーンはマルジュ・ラーヒトの戦いにおけるヤマン族の支援に感謝の意を示した。「それが略奪品の一つとなるであろうことを理解した時、彼ら(カイス族)に対抗するためにガッサーン族とカルブ族を配した、さらにはサクサク族(キンダ族)、勝利を収めるであろう者たち。タイイ族、一撃を加えることを求める者たち。そして困難で高く聳え立つタヌーフ族、その力にカイス族は打ちひしがれ、倒されるであろう。敵は力ずくでなければカリフの地位を奪い取ることはないであろう。そしてカイス族が近寄ってきたなら、こう言え、近寄るな!」
カリフの地位が部族間の争いや戦争によってもたらされるものになっています。ムハンマドはこのような状況は望んではいなかったはずです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色