91、ヤズィード1世(1)
文字数 834文字
ヤズィードは第3代の正統カリフであるウスマーンの治世下でシリアの総督を務めていたウマイヤ家出身のムアーウィヤの息子として生まれた。その後、内戦に打ち勝ってカリフとなった父親から676年に後継者として指名された。しかし、それまで前例のなかった世襲による継承は反発を招くことになり、ヒジャーズの一部のイスラーム教徒の指導者からは反対を受けた。最終的にムアーウィヤはこれらの一部の指導者を除くイスラーム国家の全域からヤズィードの継承に対する承認を取り付け、ヤズィードは680年のムアーウィヤの死去を受けてカリフに即位した。
しかし、イスラームの預言者ムハンマドの孫にあたるフサイン・ブン・アリーと初代の正統カリフであるアブー・バクルの孫にあたるアブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルの両者はヤズィードの即位後も承認を拒否し続け、両者はメッカへ逃れた。
その後フサインはヤズィードに対する反乱を率いるためにイラクのクーファへ向かったものの、カルバラーの戦いでヤズィードの軍隊によって少数の支持者の一団とともに殺害された。フサインの死は広範囲にわたる抗議を引き起こし、アブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルは新しいカリフを選出するための会議の場(シューラー)を要求した。