91、ヤズィード1世(1)

文字数 834文字

第2代のウマイヤ朝のカリフであるヤズィード1世について紹介します。作品集は下の画像から入って下さい。
この画像は、カルバラーの戦いが起こったヒジュラ暦61年(西暦680/681年)にバスラで鋳造されたヤズィード1世のディルハム銀貨と書いてありました。
ヤズィード1世(646年頃ー683年)は、第2代のウマイヤ朝のカリフである(在位680年ー683年)また、イスラーム史上初めて世襲によってカリフの地位を継承した人物として知られている。
ヤズィードは第3代の正統カリフであるウスマーンの治世下でシリアの総督を務めていたウマイヤ家出身のムアーウィヤの息子として生まれた。その後、内戦に打ち勝ってカリフとなった父親から676年に後継者として指名された。しかし、それまで前例のなかった世襲による継承は反発を招くことになり、ヒジャーズの一部のイスラーム教徒の指導者からは反対を受けた。最終的にムアーウィヤはこれらの一部の指導者を除くイスラーム国家の全域からヤズィードの継承に対する承認を取り付け、ヤズィードは680年のムアーウィヤの死去を受けてカリフに即位した。
ムアーウィヤはかなり用心深く世襲をしていますね。
しかし、イスラームの預言者ムハンマドの孫にあたるフサイン・ブン・アリーと初代の正統カリフであるアブー・バクルの孫にあたるアブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルの両者はヤズィードの即位後も承認を拒否し続け、両者はメッカへ逃れた。
預言者ムハンマドの孫と初代正統カリフの孫にあたる人がヤズィードを認めなかったのですね。
その後フサインはヤズィードに対する反乱を率いるためにイラクのクーファへ向かったものの、カルバラーの戦いでヤズィードの軍隊によって少数の支持者の一団とともに殺害された。フサインの死は広範囲にわたる抗議を引き起こし、アブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイルは新しいカリフを選出するための会議の場(シューラー)を要求した。
こうした出来事は後の時代にまで尾を引いていますね。
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