94、ヤズィード1世(4)

文字数 772文字

ヤズィード1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
第3代の正統カリフであるウスマーンは、地方の問題への干渉と縁故主義的であると多くの人々から見なされた議論を呼ぶ政策を実施した結果、征服された土地に住むイスラーム教徒の入植者の怒りを引き起こした。そして656年に当時のイスラーム国家の首都であったマディーナで地方の叛乱勢力の手によって殺害され、イスラームの開祖ムハンマドの従兄弟で娘婿のアリー・ブン・アビー・ターリブがマディーナの住民とこれらの叛乱勢力からカリフとして認められた。しかし、カリフに即位したアリーがウスマーンの暗殺に関与したすべての人間に恩赦を与え、多くのウマイヤ家出身の総督を更迭したことでウマイヤ家の人々は不満を募らせ、アリーにウスマーン殺害の責任を問う運動を起こした。
大変なことになっていますね。
この結果として勃発したイスラーム世界の最初の内戦である第一次内乱において、ムアーウィヤは本拠地のシリアからアリーに抵抗したものの、657年に起こったスィッフィーンの戦いで両者は膠着状態に陥った。その後、661年1月にアリーがハワーリジュ派(アリーとムアーウィヤの双方に反抗したアリーの陣営を離脱した一派)の人物によって暗殺され、アリーの息子のハサン・ブン・アリーが後継者となった。しかし、すでにシリアにおいて自身の支持者からカリフとして認められていたムアーウィヤは、同年8月に軍隊を率いてアリーとハサンが首都としていたイラクのクーファへ侵攻し、ハサンと和平を結んでイスラーム国家の残りの領域に対する支配権を獲得した。この時に結ばれた和平の条件にはムアーウィヤが後継者を指名しないという規定が含まれていた。
後継者を指名しないことが和平条約の条件に入っていたのに、ムアーウィヤはヤズィードを後継者に指名したのですか?
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