100、ヤズィード1世(10)

文字数 937文字

ヤズィード1世についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
イブン・アキールの手紙に促されたフサインはアブドゥッラー・ブン・ウマルとアブドゥッラー・ブン・アッバースの警告を無視してクーファへ向かった。アブドゥッラー・ブン・アッバースはクーファの人々が以前に父親のアリーと兄のハサンを見捨てたことを思い出させたが、フサインを思い留まらせることはできなかった。
もしここでフサインが思い留まったならば、結果はかなり違っていたと思います。
そしてフサインはクーファへ向かう途上でイブン・アキールの死の知らせを受けたにもかかわらず、クーファへの行進を続けた。しかしイブン・ズィヤードの総勢4,000人の部隊がクーファへの到着を阻み、フサインはカルバラーの砂漠での野営を余儀なくされた。
イブン・ズィヤードはまた随分たくさんの兵を持っているではないか。
この時イブン・ズィヤードがたくさんの兵を持っていたことが悲劇につながっていると思います。
イブン・ズィヤードは服従を認めることなしにフサインの通過を認めようとしなかったが、フサインは服従を拒否した。1週間にわたる交渉は失敗に終わり、その後の680年10月10日に起こった戦闘でフサインと72人の男性の同行者が殺害され、フサインの家族は捕虜となった。
フサインは預言者ムハンマドの血を引いているのです。それなのに殺害されてしまうなんて・・・このことは後の時代にも大きな問題になると思います。
捕虜とフサインの首はヤズィードの下に送られた。歴史家の(773年もしくは774年没)とアンマール・アッ・ドゥフニー(750年もしくは751年没)の説明によれば、ヤズィードはフサインの頭部を自分の杖で突いたとしているが、他の説明ではこの行為をイブン・ズィヤードに帰している。ヤズィードは捕虜を適切に扱い、数日後にマディーナへ送り返した。
ヤズィードはフサインがムハンマドの血を引いている重要人物であるとよくわかっていたのだから、フサインの頭部に対してそのようなことをするとは考えられません。フサインの死も望んではいなかったと思います。それでもフサインは殺害されてしまい、そして歴史は違った形で伝えられ、後の時代に繋がる争いの種を作ってしまいました。
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