16、ガレノス(1)

文字数 1,209文字

今回からガレノスについて学んでいくことにしよう。ガレノスの名前は聞いたことあるかな。
もちろんです。ヒポクラテスとガレノスは医学の歴史の中で1番有名です。
作品集には下の画像から入ってください。
ガレノス(129頃ー200頃)はローマ帝国時代のギリシャの医学者。臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした。彼の学説はその後ルネサンスまでの1500年以上にわたり、ヨーロッパの医学およびイスラームの医学において支配的なものとなった。
この時代はハンニバルの活躍した時代よりもかなり後になるのか。
ハンニバルがアルプスを越えたのが紀元前218年、カエサルが独裁官になったのが紀元前48年、オクタヴィアヌスがアウグストゥスの称号を受けるのは紀元前27年、ネルウァが即位して五賢帝時代が始まるのが紀元後96年、ハドリアヌスの即位が117年、マルクス・アウレリウス帝の死で五賢帝時代が終わるのが180年です。
ガレノスは、裕福な建築家アエウリウス・ニコンの息子としてペルガモンで生まれた。彼の関心は、農業、建築、天文学、占星術、哲学など多岐にわたっていたが、最終的には医学に専念した。
ペルガモンは現在はトルコにあります。紀元前2世紀半ば過ぎにアッタロス1世がアッタロス朝を建国して繁栄を極めました。紀元前133年に、アッタロス3世が領内のギリシアの独立ポリスを除き、アッタロス朝の領土を共和制ローマに遺贈したことによってアッタロス朝は消滅しました。ペルガモンの文化は図書館がアレクサンドリア図書館に次ぐ規模になったほどです。パピルスが品不足になってエジプトのプトレマイオス朝から輸出を停止され、パピルスの代わりに羊皮紙が生産されるようになり、羊皮紙の語源はペルガモンに由来します。
20歳までには、ガレノスは地方の神殿で医学の神アスクレーピオスに仕えるものとして4年間を過ごした。
この時代もまだアスクレーピオスの神殿が病人を治療し、医者が医学を学ぶ場所になっていたのですね。
148年もしくは149年に父が歿した後、彼はスミルナ、コリント、アレキサンドリアなどで12年以上の研究を積んだ。
ガレノスは医者の子供ではなかったけど、様々な場所で学びました。
157年にペルガモンに戻ったときには、剣闘士の学校で3年ないし4年間、外科医として勤務した。この時期に事故、外傷の手当てに関する多くの経験を蓄積した。ガレノスは後に外傷を「体内への窓」と見なした。
剣闘士の学校なら、かなり酷い怪我の患者を診ることもあったのでしょうね。
戦場などでもそうだが、医者は酷い怪我の患者でも治療をしなければならない。
僕にもそれができるか、少し不安になってきました。
不安や恐れがあっても、目の前の患者の命を救い、痛みを軽減させたいと思う気持ちがあれば、やり遂げられる。ガレノスは多くの患者を直接診ることで経験を積んでいった。
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