20、ガレノスの影響(1)
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ガレノス以後、ローマ帝国においては目立った医学の進歩は起きなかった。ローマ帝国が東西に分裂すると、西ローマ帝国領となったヨーロッパにおいてはガレノスの著作は殆ど消失してしまった。西ローマ帝国の遺領が混乱を続けた上、ガレノスはギリシャ語で著述しており、西ローマ帝国はラテン語圏であったからである。一方で、東ローマ帝国においては政情の安定とギリシャ語圏であったことからガレノスの著作は残り、医学の正典となっていった。
僕たちの時代16世紀は、ガレノスは医学の権威で、医者になるならガレノスの本は絶対読まなければいけないと言われていました。そのガレノスの著作が東ローマ帝国に残り、しかもガレノスはギリシャ語で本を書いていたと聞いてびっくりしました。僕たちはラテン語に翻訳されたガレノスの本を読んで勉強しましたので・・・
エデッサはギリシャ北部ペラ県の県都で、紀元前5世紀末マケドニア王国が近くのペラに遷都したため、マケドニア王の墳墓が多くある場所です。ジュンディーシャープールはサーサーン朝ペルシア帝国の南西部にあった都市です。ここにはビザンツ帝国から逃れた哲学者や学者が多く集まっていました。
キリスト教公認からネストリウス派迫害までの歴史を簡単に書きます。
313 ミラの勅令、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認する。
325 ニカイア宗教会議 アタナシウス派の三位一体説が正統となりアリウス派は異端とされた。
392 キリスト教を国教 テオドシウス1世がキリスト教を国教とし、言狂信崇拝を禁じた。
395 ローマ帝国東西分裂 テオドシウス大帝の死後ローマ帝国は東西に分裂する。
431 エフェソス宗教会議 マリアに聖母の尊称を与え、それに異を唱えたネストリウスは破門される。
451 カルケドン宗教会議 アリウス派、ネストリウス派が追放された。