42、四体液説(15)

文字数 1,057文字

四体液説についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
体液病理説・四体液説に基づくギリシャ・アラビア医学は、ヨーロッパでは15-16世紀まで、ペルシアなどでは19世紀末まで主要な医学であった。16世紀の解剖医アンドレアス・ヴェサリウスが、ガレノス解剖学の誤りを証明し(古代ローマでは人体解剖は行われず、ガレノスは動物解剖の知見をベースに理論を組みたてていた)、徐々にガレノス医学の誤りが明らかになっていった。
アンドレアス・ヴェサリウス(1514年ー1564年)は解剖学者、医師で、『ファブリカ』は1543年に出版されました。
僕は1518年生まれです。ヴェサリウスとほぼ同じ時期に生まれています。15歳になった今は1533年、ヴェサリウスと直接会うことは難しくても、10年後に出版される本『ファブリカ』を読むことができます。僕は医学の歴史が大きく変わる重要な時期に生まれているのですね。
ヴェサリウスの『ファブリカ』が出版されるのは、私とフェリペが生きている1533年より10年ほど先の未来であるが、いずれ詳しく未来のことも説明しよう。
モルガーニは『病気の座と原因について』(1761年)で、病気の座として臓器を考え、ビシャは『一般解剖学』(1801年)で、組織を病気の座とした。とはいっても1858年のウィルヒョーの革命まで、体液病理説はほとんど議論の余地なく受け継がれていた。
これはもう遠い未来の話ですね。
未来の話であるが、作者が生きている現代ならば、未来の医学、作者から見れば過去の医学の歴史について調べ、私達も知ることができる。
アラゴン王家の勉強会は未来のことまで知ることができるのか。
病理解剖学研究をしたウィルヒョーは『細胞病理学』で体液病理説を否定し、細胞病理説を主張した。「すべての細胞は細胞から」という有名な公理を生み出し、器質的疾患は、過剰な刺激や炎症が原因で生じた細胞の変形に基づく病変に必ず結びつくことを明らかにした。こうした概念は、当時の医学思想を一変させ、体液病理説は医学の主流から姿を消した。
現代の西洋医学もウィルヒョーの考えが基になっています。
体液病理説は、ウィルヒョーの革命の後も、病態生理学の下敷きとなり、アラビアやインドなどで現在も行われるユナニ医学以外にも、心理学者ハンス・アイゼンクによる人格モデルなどの心理学、子供生来の気質を尊重した教育を目指すシュタイナー教育、全体的な健康観に立脚し、心身の調和や自然治癒を重視するホリスティック医学などで現在も参照されています。
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