76、ラクダの戦い(1)
文字数 1,040文字
ラクダの戦いは656年12月に起きたイスラム教徒間の戦闘。第4代の正統カリフに即位したアリーに対して、初代正統カリフ・アブー・バクルの娘で預言者ムハンマドの寡婦であるアーイシャ、古参の信徒のズバイル・イブン・アウワームとタルハが反乱を起こした。戦闘の名前はアーイシャがラクダに乗って出陣したことに由来する。
ムハンマド没後のカリフの選出にあたってアリーはムハンマドの葬儀を理由に参加せず、またアーイシャは妻であるにもかかわらず葬儀への参加を拒否され、アーイシャは強い不満を抱いた。そしてムハンマドの娘であるアリーの妻ファーティマへの遺産相続はアーイシャの父であるアブー・バクルに認められず、アリー夫妻には不信感が残った。
第3代正統カリフ・ウスマーンの死後にアリーはカリフに推されるがカリフ就任の要請を一度拒み、ズバイル、タルハらメッカの政敵がバイア(忠誠の誓い)を行った後に即位した。アリーはアブー・バクルとウマルの採っていた政策に消極的であり、ムハージルーン(ヒジュラによってメッカからメディナに移住したイスラム教徒)よりもアンサール(ヒジュラ以前からメディナに居住し、ヒジュラ後に改宗したイスラム教徒)寄りの立場をとっていた。即位したアリーはウスマーンの暗殺に関与したすべての人間に恩赦を与え、多くのウマイヤ家出身の総督を更迭した。こうしたアリーの対処にウマイヤ家は不満を抱き、メッカに居住していたアーイシャの元に集まった人間はアリーにウスマーン殺害の責任を問う運動を起こした。