60、イブン・スィーナー(13)

文字数 946文字

イブン・スィーナーについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
イブン・スィーナーの著作の数は100を超え、数学、物理学、化学、音楽、博物学、クルアーンの注釈、スーフィズム(神秘主義)など分野は多岐にわたり、その著作は包括的な性質を持っていた。医学における著作『医学典範』、哲学における著作『治癒の書』が有名。
本当に幅広い分野の知識を持ち、たくさんの本を書いた人だったのですね。
自らの思想を簡潔にまとめた晩年の著作『指示と警告』や『救済の書』、『科学について』等の他膨大な著作があるが、現在までにその多くが散逸している。イブン・スィーナーの著作は時には嘲笑を受け、時には破棄された。彼の死後、アッバース朝のカリフの命令によって著作の多くが焼却された。だが、12世紀半ばからヨーロッパでイブン・スィーナーの著作の翻訳が進められ、13世紀にはクレモナのジェラルドによって訳された本はヨーロッパ世界に広まった。
イブン・スィーナーほど有名な人であっても、死後はその著作が燃やされたりしたのですね。
学術書だけでなく、アラビア語とペルシア語を用いて文学作品と詩文、詩論を書き、後世の詩人に影響を与えた。代表的な詩として『鳥の章』『ハイー・イブン・ヤクザーンの章』『サラーマンとアブサールの章』が挙げられる。
こういう人をアラゴンの王宮に雇いたいです。
初期の著作に使われていたアラビア語の文体は難解なものであったが、イスファハーン時代に文学者たちから批判を受け、研究の末に洗練された文体を作り上げた。ある時宮廷で「あなたの哲学には見るべきものがあるが、話し方や言葉遣いには感心しない」と言われたことは衝撃であったようで、3年がかりの研究の末に言語に関する論文を完成させた。
自分で文体まで作り上げるなんて本当にすごい人です。
多くの作品を著したイブン・スィーナー自身も熱心な読書家であり、一度読み始めた文献は全てを理解するまで離さなかったと、弟子のアル・ジュジャニーは書き残している。だが、彼は自分が書いた原稿の複写を取らず、整理もせずに放置しておいたため、ジュジャニーがいなければより多くの著作が散逸していたと言われている。またジュジャニーはイブン・スィーナーの未完の作品のいくつかを完成させている。
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