23、ディオスコリデス(1)

文字数 961文字

ガレノスより少し前の時代になるが、古代ローマには医者で植物学者のペダニウス・ディオスコリデスがいた。
作品集のページには下の画像から入ってください。
ディオスコリディスの肖像画です。
ペダニウス・ディオスコリデス(40年頃ー90年)は、ローマ帝国期のギリシャ語著述家、医者、薬理学者、植物学者である。薬理学と薬草学の父と言われる。小アジアのキリキアのアナザルブスの出身で、ローマ皇帝ネロの治世下の古代ローマで活動した。
ローマ皇帝ネロは暴君として有名ですが、その当時のローマがものすごく治安が乱れたというわけではなくて、ディオスコリデスは活動を続けその著作は伝えられたのですね。
ギリシャ・ローマ世界の至るところで産する薬物を求めて、おそらく軍医として方々を旅する機会があり、その経験を活かして『薬物誌』(『ギリシア本草』とも)をまとめた。ディオスコリデス自身が「理論より事実を、書物より自分の観察を重視して編集した」と記している通り、非常に明快で実用的な本草書であり、ガレノス医学と並び、1500年以上の長きにわたり西洋の薬学・医学の基本文献だった。
僕たちの時代でも『薬物誌』はとても重要な本です。
ディオスコリデスは全5巻からなる『薬物誌』または『ギリシア本草』を母語であるギリシャ語で著した。ガレノスが著書で、最も完全な草本書と称賛しており、1世紀後半に書かれたと思われる。100年後の紀元2世紀の終わりにはローマ世界に広く浸透した。
ディオスコリデスは生涯について詳しいことがわかっていなくても著作の『薬物誌』はローマで広く出回って知られていたのですね。
もともとテキストのみであったが、原著が公にされて100年後には、おそらくクラテウアスの本草書の彩色図を参考に、図版が付記された。クラテウアスはミトリダテス6世の侍医であり本草学者で、ディオスコリデスは『薬物誌』で彼に言及している。
ミトリダテス6世(紀元前132年ー紀元前63年)は小アジアのポントス王国の国王で、共和制ローマと戦争をしています。
当時は印刷技術はなく、本は全て手書きで写されていたのに、図版が付いた本が広まったのはすごいことだと思います。特に植物についての本などは、図版がついているかどうかでわかりやすさが全然違うので、そうした形で本が伝えられてよかったです。
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