8、ヒポクラテス(1)
文字数 1,310文字
ヒポクラテスが紀元前460年頃にギリシャのコス島で生まれた実在の人物であること、また生前から医者としても医学の指導者としても著名な人物であったことは多くの歴史家が認めるところであったが、その他に伝えられる伝記の類は資料の裏付けのないものが多く、おそらく史実ではない。
ヒポクラテスについての記述は、紀元前4世紀のプラトンやアリストテレスの著作、10世紀のスーダ辞典や12世紀のヨハネス・ツェツェスの著作にも見られるが、初めてヒポクラテスの伝記を著したのは2世紀ギリシャの医者エペソスのソラノスであり、このソラノスのヒポクラテス伝は今日でもヒポクラテスを知る上で最も重要な情報源である。
ソラノスの伝記によると、ヒポクラテスの父親は医者のヘラクレイデス、母親はティザンの娘プラクシテラであるという。ヒポクラテスにはテッサロスとドラコンという二人の息子がおり、娘婿のポリュボスと共にヒポクラテスの医学の弟子であった。古代ローマの医学者ガレノスによると、ポリュボスがヒポクラテスの真の後継者である。なお、テッサロスとドラコンにはそれぞれヒポクラテスという名前の息子がいたという。
やっぱり有名な医者になっている人は、父親も医者で父から子へと技術や知識が伝えられているのですね。僕は医者の子ではないし、今まで医学をきちんと勉強したこともない、本当に医者になれるのか心配になってきました。
同時代人でヒポクラテスについて触れた著作を遺したのはプラトンだけであり、対話篇『プロタゴラス』と『パイドロス』の2箇所にヒポクラテスに関する記述がある。『プロタゴラス』の記述は「アスクレピオス派の医者、コス島のヒポクラテス」とごく簡潔であるが、ヒポクラテスがプラトンと同じ時代に実在した人物であったことが窺がえる。