62、イブン・スィーナー(15)

文字数 697文字

イブン・スィーナーについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ルネサンス期に入ってヨーロッパにおける『医学典範』の権威に陰りが現れ、16世紀の医師パラケルススは、彼をヒポクラテス、ガレノスと共に旧弊医学の代表に挙げて批判した。
パラケルスス(1493年ー1541年)は医者で科学者で錬金術師、神秘思想家ととても興味深い人物ですが、長くなるので別の時に紹介します。
1527年の聖ヨハネの日の夕方、パラケルススは「古い医学の弊害を浄化する」ために、バーゼルで『医学典範』をはじめとする古典医書を焼却した。
僕が生まれたのは1518年で15歳の今は1533年、僕の生きた時代と重なっていますね。
フェリペはやがてパリの大学で医学を学び、医学の革命を直接体験することになります。
また、近代解剖学の草分けであるアンドレアス・ヴェサリウスもイブン・スィーナーの研究を批判した。
アンドレアス・ヴェサリウス(1514年ー1564年)はフェリペと同時代の人なので直接会うことが可能です。
僕は解剖が許され、医学に革命が起きた凄い時代に生きているのですね。
しかし、ヨーロッパのいくつかの医学校では17世紀半ばまで『医学典範』が教科書として参照され続けた。インドでは20世紀初頭まで『医学典範』が医学教育の入門書として使用され、中東諸国の中には20世紀以降も参照している地域が存在する。
イブン・スィーナーの医学への貢献は大きく、16世紀に批判された後でも『医学典範』が教科書として使われていたのですね。
イブン・スィーナーすら批判して革命を起こした16世紀の医学がどのようなものだったか、詳しく知りたくなってきた。
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