130 願わない神・7篇

文字数 4,742文字



 一説に、陸奥国(陸中国)の阿倍(安倍)氏族はトミビコさんの後裔一族。じつはヲホヒコの後裔一族という。皇極天皇(重祚で斉明天皇)の時代、一族の長は征夷軍を率い、叛乱を鎮圧、陸奥国を統治。だけど前九年・後三年の役を起こす。
 ヲホヒコは北陸道を進み、高志国、続いて毛野国の平国を行う。北陸道にコシオウ(胡四王・古四王・巨四王・小四王)神社が建つ。秋田県秋田市に建つ古四王神社はヲホヒコが齶田浦神を祀り、のちに阿倍氏族が氏神のヲホヒコを祀る。齶田浦神は蝦夷の崇める地主神であり、秋田の地名の語源となる。コシオウは高志王。高志国を治めた王と、治められた高志国の蝦夷の王が合わさった王。



 鹿児島県の塚崎横穴墓群と熊本県の大村横穴墓群で見つかった蝦夷の蕨手刀。
 一説に、蕨手刀の発祥は上・下毛野国という。征東征夷と馬産で武力を、国力を高めた上・下毛野国。当時の剣は叩き斬る、刺す両刃の直剣。蕨手刀は蝦夷の山刀に似せて作られた片刃の柄の曲がった直刀。騎馬戦で斬り抜くため、片手持のできるサイズとなり、しだいソリのある彎刀となり、日本刀となる。蕨手刀は随い、征西軍に加わった蝦夷により西国(西日本)に齎される。そして長野県諏訪市でフネ古墳で見つかった蛇行剣。やっぱ随い、征東軍に加わった隼人(熊曾)により東国(東日本)に齎される。方言や生活習慣などの東西文化は畿内を中心に同心円状に広がる。



 栃木県と群馬県の全域、茨城県の南西域、埼玉県の北西域の毛野国。ヲホヒコにより滅ぼされ、上毛野国(上野国/群馬県)、那須国(栃木県北域)、下毛野国(下野国/栃木県南域)に別けられ、さらに那須国が下毛野国に合わさる。埼玉県東域、東京都、神奈川県の一部(川崎市・横浜市)の武蔵国。ヲホヒコにより建てられる。神話も、史話も、伝話も書かれない話。埼玉県西域の知々夫国。オモヒカネの子神のハルヒコの、後裔一族により建てられる。クエビコさんのムーな話。
 中央地溝帯の各国は石神(イシカミ)、水神信仰で結ばれた連合王権。

 石神、水神信仰から農作(稲作)により日神信仰へと変わった上・下毛野国と異なり、知々夫国と武蔵国で農作が始まったのはかなりあと。さらに征東征夷により武力、国力を高めた上・下毛野国と、知々夫国と武蔵国はビミョーな関係となる。

 大宮台地(足立大地)の北端に埼玉古墳群が、北西端に箕田古墳群がある。周囲を大小の川と谷が囲む。埼玉古墳群で、頂に稲荷神社があったため稲荷山古墳と呼ばれる前方後円墳。荒川の沖積平野で、武蔵国で唯一農作が始まる。稲荷神社の祭神は山田の神様。稲荷山古墳は武蔵国造の墳墓。ヲホヒコの墳墓。稲荷山古墳で見つかった金錯銘鉄剣は471年に21代雄略天皇がヲホヒコに授けた剣。
「埼玉古墳群は前方後円墳8基と円墳1基の大型古墳が残る。全国有数の大型古墳群か」
 スマホを弄る。
「みんな北向だって。日神信仰だから南向と思ってた」
「ま、まえにツクヨミが言ってたが、日神に、な、なにを願うのか」
「なるほど。私達は日神信仰といいながら、日に願わない。月や星に願いながら、日に願わない」
「ひ、旱となり、魃となる日神こそ、つねに恵み神、つねに祟り神だ」
 スマホを弄る。
「かつて稲に必要な神は雨神(水神)と、雨神を誘う雷神。稲妻(稲夫)。稲は日光でなく、雷光で孕む、実る。稲光。雷神、雨神が居なければ、日神はつねに居る。日はつねにある。アニミズムだから、自然信仰だから日神も雨神や雷神とともに1柱に数えられる。日神だけが偉かったわけでない。天ノ磐屋神話で偉いと思ったわけだ」
 神話で日神は、みずからはなにも言わない。行わない。タカミムスヒと、タカミムスヒの子神オモヒカネに従って言うだけ。行うだけ。日神は高天原を統べ治めない。高天原と葦原を統べ治める神様、八百万の神を統べ治める神様はタカミムスヒ。
 大嘗祭で天皇と饗する神様は、本来は日神でない。宮中祭祀に、宮中八神や御膳八神に日神はいない。大嘗祭で天皇と饗する神様は、宮中祭祀の主祭神は、宮中八神や御膳八神の主宰神はタカミムスヒ。ホノニニギに降臨を命じるのは、神話(古事記)で日神とタカミムスヒだけど、史話(日本書紀)でタカミムスヒだけ。じつはホノニニギは日神の孫神であり、タカミムスヒの孫神である。あえて書いてないだけ。
「高天原の日神の、本来の神性は皇祖神。日神信仰は稲のためでなく、暦のため。なるほど。だけどなんで北を向いてるの」
「イ、イナリ神の、本来の神性と考える」
 稲がなるで稲生神、稲成神。のちに神使の狐が稲(稲霊の神様)をかつぐで稲荷神。

 伏見稲荷大社は下社(中央座)に稲霊の神様(御饌の神様のウガメ)、中社(北座)に店長、上社(南座)に店長の妻神を祀る。 下社摂社(最北座)の田んぼの神様(田中大神)を合わせて稲荷四神。稲荷伏見稲荷大社はナグサヒコの一族が奉じてた神社で、本来の稲荷神は中社摂社(最南座)の四大神。四大神は出自不明の神様。ナグサヒコの一族が奉じてたけれど、稲霊の神様でない。四大神はハタ族に憚れ、隠され、忘れられる。
 田中大神は田んぼの護り神。カカシの神様(クエビコさん)説もあるけれど、田んぼの見えない悪神説もある。田んぼの祟り神。いもち病。病因は、なんと窒素が多すぎ、雨が多すぎ。雷が鳴りすぎ。雷神、雨神が居すぎ。
「利根川に沿って雷雲は流れる。稲荷(イナリ)神は流れすぎる北方の雷(カミナリ)神を塞ぐ、稲を護る神様。山田の神、山戸(山門)の神と同じ塞神ということだ」
「い、いや、違う。イナリの神の神性は威成と考える。神と成り、神威を張る。そして雷神からでない。ひ、人から、だ」
 ふつう山田という地名は山の中の田んぼ。山を崩してできた田んぼ。意外と近畿地方に多い。山戸(山門)は山の出口、里の入口。つまり麓。山と里の、山神と人の間の、閉められた戸。塞神を祀る。山の持主、地主神の山神が入らないよう、戸が必要となる。
 利根川を県堺に群馬県と接する埼玉県行田市の埼玉古墳群。大宮台地の北端に9基の古墳が集まる。北方は滅ぼした毛野国。
「頂で、滅ぼした毛野国を見おろす。毛野国の叛乱か。田んぼを護るためか」
「ひ、人の叛乱だけでない。火山だ。ムザシの王はナグサヒコ、トヨキヒコと異なり、火山を知らない。あと、頂で、フ、フジの山が見える」

『フ、フジの山だ。あと、征東と火山に関わると、か、考える』

「やっぱ富士山が関わるんだ」

 中央地溝帯の石神(イシカミ)、水神信仰とともに、山神(火山の神様)信仰で結ばれてた連合王権。厳しい福慈神、優しい筑波神と書かれた常陸国の神話は713年から721年。富士山を書かない神話(712年の古事記)や史話(720年の日本書紀)と同時代。上・下毛野国と、知々夫国と武蔵国の関係は山神信仰でビミョーとなる。
「厳しい福慈神ということは、もっと前に……」スマホを弄る。
「460年頃に富士山の噴火があった。噴火の溶岩流の上に山宮浅間神社が建った。山宮浅間神社は富士山の山神を祀った」
「そ、そうだッ。フジの山は噴火(石神)と湧水(水神)のトーテムだッ。フジの山神の信仰は、地の神、い、古の神の信仰だッ」
「どーどー」
「オ、オレはドードーかッ」
「わかりにくい」
「……そ、そうだな」
 富士山は、東国のドードー、いや、トーテム。山神、石神、水神のトーテム。赤城山や筑波山の頂で富士山が見える。どんな山よりも高い山。
 さて、神話(古事記)や史話(日本書紀)を書いた人。常陸国の神話を知ってたか。
 わからない。クエビコさんは、西国は東国の富士山に対する感情や意識は知ってたと考える。そして西国で起きた噴火や地震、叛乱の記憶や知識で、富士山を見たくなかった、書きたくなかったと考える。富士山は西国の山でなく、東国の山。
 武力統治、専制政治を行った雄略天皇。460年にオウのカモ族の長(ヒトコトヌシ)を土佐国に流す。随わなければ、順わなかれば粛清、鎮圧で潰す。随い、順い、帰順の証(アカシ)として佩剣を献じれば、帰順の証(シルシ)として剣を授ける。
 稲荷山古墳で見つかった金錯銘鉄剣。471年にヲホヒコが雄略天皇に賜る。
 富士山の山神は征東を塞ぐ神。
 東国は、富士山は征東軍を塞いでくれたと考える。富士山の山神は東国の護り神。
 天ツ軍を塞いだ国ツ軍のトミビコさん。天ツ神に随わなかった、順(マツラ)わなかった国ツ神のヒトコトヌシ。色々とあやしいけれど、富士山の遥拝信仰とともに常陸国の神話とヒーローが創られる。
「トミビコさんとヒトコトヌシはヒーローとして語り継がれた」
「そ、そうだな。まあ、脳髄が、ちょっと弱いヒーロー、だ」

『……富士山は781年の前に、482年に噴火。浅間山は685年に噴火。なるほど、浅間山よりも前に富士山の噴火があった。浅間山よりも富士山のイメージが強かった。まあ、いずれ火山の神様か』

 漁撈や狩猟や採集の時代、人はどこに住んでたのか。幸を恵む海や山の近くの、水を恵む地。滝や川の近く。池沼や湖の近く。地名は、まずは水を恵む地につけられる。つぎは幸を恵む海や山。みんなの住む地。遠く見える、みんなが気になった山。海神や山神の祟りのあった地に、住む地につけられる。
 同じ土地に長く住めば地勢(地質・地形)や気候に対する感情は似る。そんな長い感情の共有が、記憶や記録の共有、意識や知識の共有となり、共有の神様を創る。
 神様はだれのために、なにのために創られるのか。神様は自然の中で人が生き続けるために創られる。

 稲荷山古墳のほかに、関東地方に浅間山古墳と呼ばれる円墳があり、やっぱ頂で富士山が見える。浅間(センゲン)信仰の築山も、もとは円墳だったという。登拝信仰の前の遥拝信仰。埼玉県の語源の、行田市埼玉(サキタマ)の浅間山古墳の頂に建つある前玉神社は、昔は浅間(センゲン)神社。登拝信仰でなく、じつは遥拝信仰と関わる神社。



 多摩川が関東山地の土砂を広げる。台地となる。利根川が広がった土砂を削る。崖地となる。土砂の下の地下水。崖地は湧水が多く、平地に流れる川の水源となる。井水も多い。湿地ができ、池沼や湖もできる。森もできる。くりかえし、くりかえされる。

[アス(アズ)]はヤマト語で崩れた処。崖。とくに湧水などの水食で崩れた崖が多い。[アスマ(アズマ)]は山と山の狹間(峽)。峠。さらに[アソ]はアイヌ語で地が鋭く立った処。やっぱ崖。[アソマ(アサマ)]はアイヌ語で樽や桶の底。[アソ]の狹間。窪地、盆地。池沼や湖の奥地。また、理由はわからないけれど東北地方に[アソ]という崩壊、浸食地名が多い。山名も含め、火山帯に多い地名。火山土で崩壊、侵食の起きやすい。阿蘇山と浅間山は、火山で結ばれる。
 赤城山(赤城カルデラ)は火山体の名称であり、同名の山はない。霧島連山と同じ。小さな前浅間(マエアサマ)山がある。
 紀伊国(木の国)から上・下毛野国(毛の国)へと来たトヨキヒコ(豊木の男)。赤キ山は上・下毛野国の火山。または富士山。眺めながら大神神社の巫の母と若き巫の妹を想う。一説に、大和国の大神神社でなく、尾張国一宮、または二宮の大神神社という。祭神はオオモノヌシ(トミビコさん)でないという。

 神話で国ツ神に大神の称号は珍しいと言ったけれど、天ツ神も国ツ神も祟る神は、すべて大神として祀りあげられる。熱田大神も、土佐大神も、賀茂大神も、田中大神も、店長も、オオクニヌシさんも、スサノヲも、イザナミさまも。そして高天原の日神も祟り、伊勢大神として祀りあげられる。人は祀りあげられた祟り神は護り神となる、と思いたい。
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