128 願わない神・5篇

文字数 13,671文字



 物語の展開の前に。伏線回収も含め、一気に論説を進める。



 ダイダラボッチは村人に頼まれて山を造り、池沼や湖を掘る。
 だけど村人はダイダラボッチに礼も言わず、さらに造った山を崩し、掘った池沼や湖を埋める。ダイダラボッチの棲む森を墾き、作地を広げる。人(?)の良いダイダラボッチはなにも言わず、山奥に隠れる。村人は山と里の堺目に甕を埋めたり、梲を立てたり、ダイダラボッチが里に降りないよう塞ぐ。そしてダイダラボッチを忘れる。

 宮城県仙台市太白区に太白山が聳える。
 頂に、807年に貴船神社が建つ。同年は坂上田村麻呂の征東祈願の成就として赤城神社、清水寺、長谷寺、富士山本宮浅間大社なども建つ。1189年に鎌倉幕府の源頼朝が奥州藤原氏族の征討祈願として鶴岡八幡宮の分祠で生出森八幡神社を建てる。太白山の頂に山宮、麓に里宮。太白山は、大昔はウドの森、またはオドの森と呼ばれ、縄文時代からの山岳信仰がある。伝話で、太白星(金星)が落ちてできた山で、ダイダラボッチが棲んでた山とある。ウドもオドも小さな出入口。ダイダラボッチの棲んだ小さな森。

 一説に、ダイダラボッチは大人弥五郎と同じという。隼人の反乱の指導者がモデルの大人弥五郎。忘れられた蝦夷の反乱の指導者がダイダラボッチとして蘇る。
 さらにナマハゲとして蘇る。ほかに青森県のナゴメタクレ、山形県のアマハゲ、岩手県のナガミなど。九州南域、西域に多い稀れ神(客神)、仮装の神様と同じという。なぜか東国の稀れ神は、蝦夷の反乱の指導者は、怖いイメージで蘇る。
「ふつうヒーローはかっこいいのに、なんで……」
「ま、まあ、今時の転生モノは悪役が、多い。神話や伝話の作者が、あ、悪役を望んだ」
「読んだんだ。ワカヒコくんに読んでもらったんだ」
「あ、雨が降ると、外出を渋るからな。図書館に行けない。なにか知識を得たい。……あと、ツクヨミの嗜好が、わ、わかった」
「イヅメほどは腐ってないでしょう」
「な、なにを言ってるのか、わからない」



 愛知県豊橋市に石巻山が聳え、石巻神社が建つ。頂に山宮、麓に里宮。オオクニヌシさんを祀る。豊川市に本宮山が聳え、砥鹿神社が建つ。やっぱ頂に山宮、麓に里宮。やっぱオオクニヌシさんを祀る。2社ともに縄文時代からの山岳信仰ある。そして2社ともにダイダラボッチの伝話がある。
 さらに東海市加木屋町に陀々法師という地名があり、ダイダラボッチの足跡にできた足跡池(陀々法師池)があったらしい。名鉄(名古屋鉄道)の八幡新田駅の近所にあったらしい。なんでらしいか。埋められてわからない。伝話だけがある。
 なぜか毛野国のダイダラボッチの伝話とカガセヲの神社が、愛知県(尾張国・三河国)にある。神様の出自も、本来の信仰もわからない天白信仰。すべて憚れ、隠され、忘れられたダイダラボッチとカガセヲ。神名や地名に残るだけ。

 じつは毛野国と、愛知県(尾張国・三河国)は東海道と東山道で結ばれる。
 征東軍の進軍は北陸道から東山道へと移る。畿内五国から、近淡海国(近江国)、尾張国、三野国(美濃国)、科野国(信濃国)、毛野国へと通じる東山道。
 軍力を高めるため、大軍になるため、征東軍は海人族の造船と航海技術を得る。進軍は東の海の道、東海道へと移る。かつて東海道は、伊勢国から伊勢湾の海路で三河国へと渡る。そして鈴鹿山に鈴鹿坂(鈴鹿峠)ができ、畿内五国から、伊勢国、陸路で尾張国、三河国へと、さらに遠淡海国(遠江国)、駿河国、伊豆国、総野国、常の道となる常道国(常陸国)、毛野国へと通じる東海道。往路は東海道を、復路は東山道を進む。
「なんと倭建の征東神話だ。なんとダイダラボッチとカガセヲは征東軍が伝えたんだ。なんで伝えたんだろうか。なんか伝える必要があったんだろうか」
「フ、フジの山だ。あと、征東と火山に関わると、か、考える」
「倭建の征東神話で富士山は書かれない。……わかったんだ」
「う、うむ。話そう」
 東海道に移った征東軍の進軍は富士山の噴火で塞がれる。たしかダイダラボッチは富士山と関わる伝話が多い。富士山に似る山、独峰の山はダイダラボッチが造ったという。そしてだいたいの山が火山という。
 685年に東山道の浅間山の噴火。山神はアサマ神として祀りあげ、征東軍は東海道を進む。781年に富士山の噴火。アサマ神は火山の神様として再び祀りあげられる。だけど800年に噴火。桜島を鎮めたコノハナサクヒメが祀られる。いつのまにかコノハナサクヒメとアサマ神は同神となる。
 東山道の沿道は、いまだアサマ神社。甲斐国一宮の浅間神社(山梨県笛吹市)、河口浅間神社(山梨県南都留郡)、そして長野県・群馬県の浅間神社(長野県北佐久郡)。浅間山の噴火被害を被った地域、富士山の遥拝信仰の神社はアサマ神社。富士山の噴火被害を被った地域の鎮火信仰、富士山の登拝信仰の神社はセンゲン神社となる。
 1707年の富士山の噴火で東海地方や関東地方は災害を被り、センゲン神社が建ちまくる。愛知県(三河国・尾張国)も災害を被り、センゲン神社が建つ。愛知県は火山はないけれど、じつは浅間山の噴火の被害も被る。

 富士山の見える山が、すべて浅間山にならなかったのは水の湧きでるアサマの峠があるか、ないか。浅間山の麓に、群馬県吾妻郡嬬恋村鬼押出と長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢を結ぶ山道に浅間峠がある。
 本来のアサマ神はアサマの峠に祀られた神様。[アサマ]は、アイヌ語で樽や桶の底。地名として窪地、盆地。池沼や湖の奥地。ヤマト語(日本語の古名)で、地名として山と山の狹間(峽)。頂と頂の狹間。山稜の鞍部。つまり峠。東北地方に多いアサマは峠の地名。東北地方に浅間山はない。だけどアサマの峠はある。
 のちに火山の麓の湧水信仰と合わさり、コノハナサクヒメは水神となる。アサマ神は、浅間山の噴火で浅間山の山神となり、富士山の噴火で富士山の山神(火山の神様)となる。コノハナサクヒメと同神となり、水神となる。さらに鎮火信仰や登拝信仰のセンゲン信仰の神様、いや、佛様となる。日本一の山は蕃神を祀る。
「たしかセンゲン菩薩はタヂカラヲと同神、いや、同佛」



 縄文時代からの古い信仰、星神信仰といわれる天白信仰は、愛知県、長野県、静岡県、三重県の伊勢志摩地方(伊勢国・志摩国)だけ。アサマの峠は東北地方と、長野県、静岡県、三重県の伊勢志摩地方に多い。イセヒコさんの好きだった朝熊山の頂で富士山が見える。水の湧きでる朝熊峠がある。
 天白神は金星(太白)、または北極星(天一)の神格化説。じつは天ノ磐屋神話で白い麻布を織った白羽神という説もある。白羽神はカガセヲを鎮めたハヅチヲ(羽槌神/羽雷神)と同神。つまり天白神はハヅチヲとなる。
 白羽神の後裔一族は三重県の伊勢志摩地方、ハヅチヲの後裔一族も三重県の伊勢志摩地方、本貫地の兵庫県淡路市(淡路島)、栃木県、群馬県、埼玉県に多い。
「なるほど。富士山の噴火、征東軍の進んだ東山道と東海道に関わる」
「さ、さらに朱砂(アカスナ)と金砂(カナスナ)が、と、採れる」
 丹砂(朱砂/辰砂)が採れた紀伊半島。丹生(丹砂の鉱脈)の東端に神宮が、西端に神宮と同格の日前神宮国懸神宮が建つ。神宮よりの三重県多気郡多気町に丹生鉱山がある。
 紀伊半島で、たくさんの縄文土器や土偶が見つかる。土器や土偶は赤く塗られ、入墨のよう、蛇のよう縄目紋様が施される。赤は血の色、火の色。なるほど。縄文模様は溶岩流(マグマ)か。八岐大蛇か。土器や土偶の粘土も、丹生も噴火活動でできる。
 噴火で焼かれた地上。噴火後、地下から水が湧く。地下から草木が生える。地下から虫(小動物)が現れ、草木を食べる。地下から大動物が現れ、虫を食べる。火山が山の幸を齎す。草木による縄目紋様。草木は死に対する生、再生、蘇生の象徴。
 なんかWALL・Eみたい。火山は自然の畏敬と畏怖の象徴。畏まきモノ。
 
 一説に、神武天皇は大陸にない丹砂を求め、紀伊半島にやってきたという。火山を知らないため、奇岩に、露頭に驚く。母国のかっこいい峡谷にない、噴火で模されたかっこわるい奇岩。そしてかっこわるい奇岩や崖を石神、露頭を蛇神として崇める蛮族。
 一説に、道士徐福は大陸にない丹砂を求め、紀伊半島にやってきたという。赤い丹砂は精製で水銀となる。道教の錬丹術で仙薬(丹薬/不老不死の薬)となる。
 一説に、空海は丹砂を求め、丹生都比売神社の神領に高野山金剛峯寺を建てたという。
 丹砂は顔料、さらに防腐剤や防虫剤として神社や佛閣の装飾に使われる。鍍金(滅金)で東大寺盧舎那仏像は金色に輝いたという。赤色が銀色と、金色となる。
「空海も土佐国や阿波国に行ったんだ。丹砂と砂鉄の鉱脈の地上に仏閣を建てた。そして大陸で密教を学んで紀伊半島に金剛峯寺を建てた」
「ニ、ニウ族が創建に、か、関わった」
「なるほど。ひとりでできないよね。……御厨人窟で金星が口に入ったんだって。カガヒコと合わさったんだ。笑える」
「わ、笑える」
 また、空海は朝熊山に勝峰山金剛證寺を建てる。山砂鉄が採れる。
 砂鉄や褐鉄鉱石が採れた紀伊半島。たくさんの鈴石(褐鉄鉱石)の採れる川で、五十鈴川。河岸に内宮の末社の葭原神社(式内社の荻原神社の比定社)が建ち、祭神は葦原の神格化。川砂鉄が採れる。
「なるほど。なによりも三重県の伊勢志摩地方に関わる。丹砂も、砂鉄も、ダイダラボッチも、火山に関わる。ギャグも、蘊蓄も、物語の展開も、いまだ続く論説も、すべて三重に導かれる」
 いまだワカフツヌシさんと戦ってるタヂカラヲの本貫地も三重県多気郡多気町。
「もう、私達は三重へ進むしかないよね」
「そ、そうだな」
 大陸から九州北域、南域、紀伊半島へと。さらに伊豆半島、房総半島へと。
 そして、……。



 三重県熊野市に建つイザナミさまを祀る花窟神社。熊野那智大社の摂社・飛瀧神社と、花窟神社で行われる扇祭。熊野速玉神社の摂社・神倉神社と、熊野信仰の発祥地の阿須賀神社で行われる御燈祭。じつは火を讃える祭でなく、人の鑽りだした火で山の火(噴火)を鎮める祭。
 大きな祭は、だいたいは祭の起源となる祭りごと、政(マツリゴト)の神事があり、祭に隠れて前日に行われる。だいたいは創祀創建に関わる祟り。新嘗祭の鎮魂祭。葵祭の御蔭祭(御阿礼神事)。御柱祭の薙鎌打神事。禍い(災い)が起きないよう、祟りを鎮める神事。巛と火で[災]となる。巛は川を堰きとめる木。災いは、落雷で起きる発火や大雨で起きる洪水などの自然災害。では、禍い(禍い)はなにか。人災だ。人の起こした行為に神様が祟る。ネ(示)は神様に饌(ソナエモノ/供物)を献じる饌台。咼は人骨。禍いで死んだものの骨。

『わ、禍い(災い)は争い(政争)の始まり。いや、禍いが人を疑わせ、争いとなる。禍いは、て、天子の不徳だから、な。なかったことにできない。ゆえに鎮めなければならない。ま、祀りあげなければならない』

『偶然が続けば、武力統治に対する謀叛と叛乱、粛清と鎮圧が、火山の神様、地震の神様の祟りを、自然災害を誘ったと考える』

 皇位を嗣いだ2年後の675年からの南海トラフの地震。684年の伊豆大島の噴火と畿内五国の白鳳地震。685年に浅間山の噴火。天武天皇は考える。じぶんの不徳。
 天武系皇統が絶え、天智系皇統が復す。781年の富士山の噴火と父の光仁天皇の死。桓武天皇は考える。じぶんの不徳。じぶんの徳のない行為で起きた禍い(災い)。

 高天原の日神の子神カチハヤヒ(オシホミミ)の子神ホノニニギの名は、火のよう賑々しく稔る稲穂という火瓊瓊杵。ホノニニギの娶ったコノハナサクヒメが火中出産で産んだ山のサチヒコの名は、静まる火(㷋)という火遠理(火火出見)。神武天皇の忌名(本名)は、山のサチヒコと同名の火火出見。なぜか神名に[火]がつく。
 神話で、熊野で神武天皇は荒ぶる山神(または大熊)の毒気に冒される。毒気は火山ガス(二酸化硫黄)。ミカヅチヲの佩剣で毒気を祓い、山神を斬り殺す。ミカヅチヲの佩剣は布都御魂剣、やっぱ平国の剣となる。人の鑽りだした火で山の火(噴火)を鎮める。人の威力で神力を鎮める。
 神話で、焼津で倭建は野火の放たれた草を佩剣で薙ぎ、佩剣はクサナギの剣となる。野火を放った草(民草/人草)を佩剣で斬り殺し、佩剣は平国の剣となる。だけどなぜかクサナギの剣をミヤヒメに預け、倭建は伊吹山の山神(近江国の鍛冶族)に殺される。野火を放った草も相模国の鍛冶族。オウ族。もしかしたら父の景行天皇だけでなく、オウ族も倭建を疎んでたかもしれない。

 古い信仰に荒神信仰がある。西国の、瀬戸内海の海岸にたくさんの神社が建つ。荒神は訓読でアラガミ(アラカミ)、音読でコウジン(コウシン)。石神信仰の石神も訓読でイシガミ(イシカミ)、音読でシャクジン(シャクシン)。やっぱ本来の神様は、本来の信仰はわからない。すべて憚れ、隠され、忘れられた神様、信仰。忘れられた神様を祀り、忘れられた信仰を信じる。
 一説に、荒神は荒魂の神様という。神様は恵みを齎す和魂と、祟りを齎す荒魂がある。荒魂を祀りあげることで和魂だけとなり、恵みだけを齎す。島根県の万九千神社。イヅモ族が奉じる。近所の荒神谷遺跡で、銅鐸6口、銅矛16振、銅剣358振が見つかる。
 一説に、荒神は竈神、火神という。荒れる神様という。東国のアラハバキ神も竈神。陸奥国一宮の鹽竈神社の境外末社の、アラハバキ神を祀る荒脛巾神社。社伝でアラハバキ神はトミビコさんと伝える。のちに志波彦神社が遷されて志波彦神社・鹽竈神社となる。じつは鹽竈神社は式外社。志波彦神社は式内名神大社ながら祭神は出自不明。
 一説に、志波彦神社の祭神はアラハバキ神という。ゆえに出自不明となる。トミビコさんの妹のトミヒメの別名は御炊屋姫。火を吹く、火を操る姫。鹽竈神社の祭神は、……。
 まあ、荒神も、石神も、アラハバキ神も民話、伝話の神様。当然、神話や史話で出ない。諸説はあるけれどはっきりとわからない、憚れ、隠され、忘れられた神様だ。
 
『あ、在る、居るものを無かった、隠(おぬ/見えぬ)たものとする。または名をつけることで、無かった、隠たものを在った、居たものとする。可視化、だ。人はわからないもの、わ、わからない存在を嫌う。意識や知識を得た代償、だ。また、怨霊を祀りあげ、御霊とする。つ、つまり名で怨霊を本性を転じさせる。御霊信仰、言霊信仰、だ。名は体を表わす。体は名で現れる』

『し、神話に合わせ、石神(イシカミ)信仰の古の神はイザナミとなった。イザナミとして祀った。古の神を、地母神イザナミとして地鎮(トコシズメ)の岩で、か、隠した。明治政府の、神話の上書保存だ。天武が正当を曰うための、古の神や国ツ神を順わせるための神話。明治政府は、国家神道の根元として神話の上書保存を行った。高天原の日神の正統と、皇統の正当を曰い、人を順わせる、国を治める神話とした。千引岩は、維新前の神々を鎮める神鎮(カムシズメ)の岩、だ』

『神社本庁の設立後も、高天原の日神が八百万の神を統べ治めます。八百万の神の御祖神、優しいイザナミ様が蘇らないよう、当地にクマノの名を付けたのでしょう』

 火山の神様を崇めるアタ族(海のサチヒコの一族)。長の娘を娶り、一族を随わせる。
 名で、神力を得る。地名も、神名も、人名も、名は大事。



「色々と話が逸れた。話を進めましょう」
「ま、まずは征東の話だ。神話で、ヲホヒコの前にミチヒコが征東軍を率いたが、メンドーなので省く。ヲ、ヲホヒコはケの地(毛野国)を滅ぼし、ムザシの国を建てたらしい」
「らしいというと」
「ま、まあ、神話も、史話も、伝話も書かれてない話、だ」

 埼玉県はたくさんの古墳がある。アパートの近所もある。
 利根川を県堺に群馬県と接する埼玉県行田市の埼玉古墳群。有名な古墳は、まずは円墳で最大の奈良県奈良市の富雄丸山古墳(墳径110m)に次ぐ丸墓山古墳(墳径105m)。つぎは埼玉古墳群で最も古く、武蔵国造の墳墓という前方後円墳の稲荷山古墳。
 当地は利根川と荒川の沖積平野。埼玉古墳群は、昔は田んぼの中にあったという。ゆえに稲荷山古墳の頂の稲荷神社の祭神は、山田の神様と呼ばれる。
「たしかトミビコさん(オオモノヌシ)を鎮めた巫の神格化、陶荒田神社の摂社の山田神社に祀られた巫神は山田の姫。または山戸(山門)の姫。山戸の神様、か」
[戸]の字源は片開のトビラ。門の左だけを表した象形文字。門戸。字意は片開のトビラのほかに、家、家の出入口、家に住む人。家族。水の出入口など。両開のトビラは、じつは門でなく、扉。門扉。スマホを弄る。
「かつて家の出入口に戸はなく、人は、家族でなくても出入は自由。だけど農作(稲作)の時代となり、村の人が増え、隣村と作地や作物の奪いあう。権力のあるボスザルは、多数のサルが必要となる。精力を蓄える。サルを奪いあう。えーと。雌のサルか」
「そ、そうだ。笑える」
「笑えない」
 家も、作物の貯蔵場も入られないよう、作物を持ち出されないよう、雌のサルを連れ出されないよう戸が必要となる。サルの戸締まり。
 なるほど。なんとなく戸は閉めてるかんじ。コノハナサクヒメの産屋も無戸室。高天原の日神の天ノ磐屋も天ノ磐戸。鎮魂祭も戸を閉めた綾綺殿で行われる。籠ることで神力が死からの再生、蘇生となる。
 なるほど。なんとなく扉は開けてるかんじ。Love Is an Open Door。
 ふつう山田という地名は山の中の田んぼ。山を崩してできた田んぼ。意外と近畿地方に多い。山戸(山門)は山の出口、里の入口。つまり麓。山と里の、山神と人の間の、閉められた戸。そして塞神を祀る。狛犬、シーサー、二王(仁王)、イワドノヲ。
 漁撈や狩猟や採集の時代から農作の時代へと変わる。土地は神様のものから人のものへとなる。定住化。だけど平地は30%だけの日本国土。山を崩し、海、池沼や湖を埋め、森を墾き、作地を広げる。川を曲げられる。海や山の持主、地主神である海神や山神が傲慢な人を祟る。祟り神が入らないよう、戸が必要となる。まさに戸締まり。

「山を崩したり、海、池沼や湖を埋めたりするのがメンドーだから、権力と武力で作地開墾か。征夷大将軍はボスザルか。神武天皇の時代のシオツチオジの謀(ハカリゴト)か。景行天皇の時代の建内(武内)宿禰の謀か。倭建がかわいそう」
 日高見国を求め、肥えた地を求め、東へ東へ。日を追い、日神を追い、東へ東へ。賜った稲穂を持ち、東へ東へ。ゴーイースト。
 征東軍は農作(稲作)を齎す。つまり征東は、領地拡大は作地開墾だ。
 2500年前に、九州に伝わった稲作は100年後に畿内地方に伝わる。北限は尾張国だったらしい。西国の終わりにある国。さらに100年後に征東軍により東国に伝わる。まずは北陸道の高志国。つぎは東山道の毛野国。東海道の常陸国。すべて米所だ。

 農作(稲作)は、どうやって日本列島に伝わったか。諸説がある。
 江南(長江の南域)から、朝鮮半島を経て龍(鰐)のイメージとともに九州北域へと伝わった説。朝鮮半島に住む人達がやたら推す説だ。青潮(対馬海流)に流されてじかに九州北域へと伝わった説。黒潮に流されて九千坊とともにじかに九州西域へと伝わった説。南洋諸島(東南アジア)から、黒潮に流されて南西諸島を経て九州南域へと伝わった説。青潮に流されてミナカタヌシさんとともに台湾島、五島列島を経て九州西域へと伝わった説。菜畑遺跡で吉野ヶ里遺跡よりも昔の水稲遺跡が見つかる。九州南域は鬼界カルデラと阿多南カルデラの噴火灰で水稲遺跡は埋まってしまい、わからない。いずれ九州地方へ伝わった農作は神武軍により西日本の各地へ、征東軍により東日本の各地へ伝わる。
 倭建の征西征東神話は、カモ科の鵠(白鳥)を追い、丹砂と砂鉄を求め、各地の鍛冶族を随わせ、領地を拡げる。農作を齎し、作地を開く。鵠は地磁を知り、餌を求める。鵠は稲霊の神様(田んぼの神様)を運び、稲を齎す。
 征東を終えた、領地を拡げた、作地を開いた倭建。尾張国でミヤヒメを娶り、クサナギの剣を預け、伊吹山の山神(近江国の鍛冶族)の毒気(火山ガス)に冒される。毒気を祓うクサナギの剣はない。冒されながら伊勢海(伊勢湾)を渡り、神宮に戦勝の証となる蝦夷(エミシ)の長の佩剣(レガリア)、砂鉄の採鉄権を献じる。
 そして鵠となり、ミヤヒメの待つ尾張国でなく、大和国の方へ翔ぶ。
 なんとなくミヤヒメのきもちがわかる。きっとミヤヒメもプライドが高い。
「倭建は三重県三重郡の褒野墓に葬られた。もう、私達は三重へ進むしかないよね」
「そ、そうだな」

 弥生時代に江南の水稲系温帯ジャポニカ米が伝わるまえ、縄文時代に黒潮に流されて南洋諸島の陸稲系熱帯ジャポニカ米が伝わってた説もある。水稲は気候だけでなく、肥えた水と土、広い作地が大事。そして夜刀神のような悪神(害獣・害鳥・害虫)が現れないことが大事。九州南域は火山灰でムリゲーとなり、紀伊半島や伊豆半島は平地がなくてムリゲー、関東地方も関東平野南域は火山灰でムリゲー。関東平野北域の毛野国と、埼玉古墳群のある武蔵国の北域に水稲は広がる。



 またや話が逸れた。話を進める。
 関東地方の山田という地名は田んぼの中の山。つまり古墳。つまり栄えた地だ。
 稲荷山古墳は武蔵国造の墳墓。ヲホヒコの墳墓。稲荷山古墳で見つかった金錯銘鉄剣は21代雄略天皇がヲホヒコに授けた剣。
 武力統治、専制政治を行った雄略天皇。460年にオウのカモ族の長(ヒトコトヌシ)を土佐国に流す。随わなければ、順わなかれば粛清、鎮圧で潰す。随い、順い、帰順の証(アカシ)として佩剣を献じれば、帰順の証(シルシ)として剣を授ける。
「なるほど。毛野国は雄略天皇の時代に、すでに無かったということだ」
 458年に、武蔵国にタヂカラヲを祀る湯島神社が建つ。社伝で、雄略天皇による創建と伝える。1355年に、のちに菅原道真を祀り、湯島天満宮となる。

『アー、タヂカラヲは、ただ、オモヒカネに妄信な剣神だ』

 タヂカラヲは神話により創られた神様。なんか神性のある神様でなく、なんか信仰のある神様でなく、なんかの神格化の神様でない。神話で創られ、社名の変えた神社の祭神として祀られる。天ツ神の天威と天意を知らしめるため祀られる。神徳もわからない。
 天威に抗うもの、天意に順わないものを斬り殺すタヂカラヲ。法衣のよう、知らしめるための白(シラ)色の神衣を着る。神道の日神、佛教の不動明王、密教の毘盧遮那佛(大日如来)、ヒンドゥー教のシヴァ神と同神同佛。そしてセンゲン菩薩と同神。
 空が白ければ日が昇る。新たな日が明ける。天ノ磐屋神話。タヂカラヲは天ノ磐戸を抉じ開ける。古代、時の権力者は新たな神を迎えるため、新たな政(マツリゴト)を知らしめるため、古の神のオオクニヌシさんを鎮めなおす。近代、時の権力者(明治政府)も新たな神を迎えるため、新たな政を知らしめるため、古の神のイザナミさまを鎮めなおす。
 もしかしたらタヂカラヲは男の日神の神統を継いだ神様かもしれない。

 ワカフツヌシさんの神名の[布]も織物だけでなく、普く知らすという字意がある。ミカヅチヲも、大和国と出雲国の、西国と東国の国堺を知らしめる神様。
 神代、国ツ神は領(ウシ)はく統治、天ツ神は知らす統治。ゆえに国ツ神は天ツ神に葦原ノ中ツ国を譲るべき。葦原ノ中ツ国は天ツ神が統べ治めるべき、と曰う。

 現代、知らす政治は、再び領はく統治と変わる。
 元号も暦法も時の権力者が決める。空間だけでなく時間までも治める時空間統治。
 明治維新後も大日本帝国憲法(明治憲法)のもと、明治、大正、昭和までの元号は天皇が決め、発した。改元は天皇が行うビックイベント。
 1979年の元号法で、元号は政府が決め、発する。平成からの元号は時の権力者の内閣総理大臣が行うビックベント。
 1989年1月7日。ひとりの時の権力者が行った領(ウシ)はくイベント。
 内閣総理大臣が政(マツリゴト)も、祭りごとも統べ治める。



 話を進める。
 征東軍を率いた初代神武天皇の時代のミチヒコ。つぎに10代崇神天皇の時代のヲホヒコと子のヌナヒコ。つぎにトヨキヒコ。つぎに12代景行天皇の時代の倭建。そして49代光仁天皇の時代の、大伴弟麻呂で始まる征夷大将軍。征夷大将軍の称号は鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の長へ継がれる。権威の力を以て正当(正統)な権力者という称号。明治維新とともに征夷大将軍はなくなる。

 ヲホヒコは北陸道を下り、ヌナヒコは東海道を下り、会津盆地の福島県大沼郡会津の伊佐須美神社で遭う。当然だけど北海(日本海)側の山と南海(太平洋)側の山に囲まれ、陸奥国と出羽国を結ぶ交通の要衝地。さらに東山道で畿内(西国)と蝦夷の地(東国)結ぶ征東の要衝地。ゆえに戊辰戦争(会津戦争)の戦場となったという。

 クエビコさんのムーな話の続き。
 ヲホヒコは東山道を上り、毛野国を滅ぼし、无邪志国を建てる。建国。知々夫国(のちの武蔵国秩父郡)を滅ぼし、武蔵国となる。雄略天皇に金錯銘鉄剣を賜る。同じ時代に作られた肥後国玉名郡(熊本県玉名郡)の江田船山古墳の銀錯銘鉄刀。何代天皇までが実在か、非実在かわからないけれど、雄略天皇は実在が認められ、雄略天皇の時代に、東方は毛野国から、西方は肥の国までが統治下となる。だけど統治下の噴火と地震。傲慢に対する神様の祟り。武力統治、専制政治に対する人の怒り。

『偶然が続けば、武力統治に対する謀叛と叛乱、粛清と鎮圧が、火山の神様、地震の神様の祟りを、自然災害を誘ったと考える』

 そして崇神天皇の子のトヨキヒコは東山道を下り、毛野国の再度平国を行う。
「たしか妹は祟った高天原の日神の神鏡を持ちながら死んじゃった。倭姫に託した。悲しい話なのに、兄はのうのうと毛野国で暮らした。なんでトヨキヒコを受けいれたんだ」
「ト、トヨキヒコの母はキの国が本貫。ゆえに受けいれた。かつてソのクマソ(熊曾)の地から黒潮に流され、キのクマノ(熊野)の地へと移った一族だ。さらに流された。青潮(対馬海流)に流され、ツシマの島(対馬島)、イヅモのクマノの地へと移ったのが、オウ族だ。ともに遠い昔に、海の向こうに住んでた。ソのクマソの地に移った。あ、崇めるスサノヲが蕃神(トナリノクニノカミ)といわれる、ゆ、所以だ」
「え」思わずスマホを弄る。
 南洋諸島(東南アジア)から九州西域や南域へと流れついた海人族。
 オウのカモ族も紀伊半島から伊豆半島や伊豆諸島へと流れつく。ゆえに伊豆半島に建つ三島神社(三嶋大社)の祭神は御島(大島などの伊豆諸島の火山島)の山神、コトシロヌシさんの合体神となる。さらに黒潮に流され、房総半島へ流れつく。
 海人族は阿蘇カルデラ、姶良カルデラ、阿多北南カルデラ、加久藤カルデラ、熊野カルデラ、箱根カルデラ、日光連山、那須連山、赤城山(赤城カルデラ)や榛名山(榛名カルデラ)と移り、山人族となる。
 岩宿遺跡。縄文時代の前の旧石器時代の遺跡が赤城山の麓で見つかる。岩宿時代。
「ケ、ケの海(鬼怒海/香取海)から、ケの川(鬼怒川)を遡り、ケの地(毛野国)へと至る。移った所以は、わ、わからない。遠い昔からの、海や山、火や水に対する感情や記憶。海の向こうに、遠い昔に住んでた地に対する意識や記憶と、か、考える」
 移った理由は、阿蘇カルデラ、鬼界カルデラ、阿多南カルデラの噴火。
 とくに鬼界カルデラの噴火で縄文時代の西日本で最も人口が多かった九州南域は全滅。辛うじて紀伊半島の熊野カルデラに移る。さらに東上の理由はわからない。
 鬼怒川の上流は火山帯で、多数の巨石のある山間の谷を流れる。多数の温泉もある。
「火山とともにありたい、と」
「そ、そうだな」
 トヨキヒコの後裔氏族が奉じる、日光連山の明神山に建つ下毛野国(下野国)一宮の二荒山神社。赤城カルデラの黒檜山に建つ上毛野国(上野国)二宮の赤城神社。ともにトヨキヒコを祀り、関東地方に多い二荒山神社、赤城神社の本社となる。
「ち、父は、弟に皇位を嗣がせ、あ、兄のトヨキヒコに征東を、命じた」
「倭建と同じだ」
「そ、そうだ」
 トヨキヒコが崇めた赤キ山。定説に赤城山、一説に火山の意義という。
 さらに火成岩で成る山は鉄穴(カンナ)山。神奈備(カンナ)山の語源。鉄の神様の隠れる山。神名火山。丹砂や砂鉄の採れる山、川、湖(霞ヶ浦)。
 火山の麓の湧水(泉/温泉)で、草木が生え、色々な虫が集まる。獣が集まる。
[麓]は木と鹿(ロク)の形声文字。[鹿]は角のあるシカの象形文字。再生や蘇生の象徴として森神。境堺守護の象徴として山神や海神のミサキ神。天迦久神。
 神性に肖り、鹿皮を被る。鹿肉を食べる。いや、おいしいから食べちゃうんだけど。
 全国各地の貝塚で鴨の骨、そして鹿の骨が見つかる。獣の中で鉄分(ヘム鉄)が多い鹿肉。丹砂と砂鉄を求め、全国各地へ移る鍛冶族にとり、鹿は鴨とともに山の幸。



「トヨキヒコの母も大神神社に奉じた巫。妹も若き巫。母や妹が崇めた、和歌山の山に似たんだ。きっと火山の神様に母や妹の無事を願ったんだ。良い話」
 トヨキヒコと妹、イセヒコさんとササヒメ。姉弟だけど男王とヒミコ。男王と女巫の関係か。スサノヲと私はおいといて。転生モノとともに多い、兄妹モノだ。妹の力だ。
「なるほど。クエビコさんが隠れ読んだ本棚の本。兄妹モノもある。恥ずかしいから奥に隠したんだけど、読んだんだ。さらに伏線回収。良い話だったでしょう」
「い、いや、違う。悪い話だ。さらに話そう。トヨキヒコの前に、ナグサヒコに随った一族が移り住んだ。トヨキヒコの母は、ナグサヒコに随った一族。ゆえに、ト、トヨキヒコを受けいれた」
「え」
[武神彼氏1]のクエビコさんのセリフを思いだす。

『キの国は、い、稲作を齎したナグサヒコと、日神信仰を齎したカラス衆が関わってる。お、思わないか、オオクニ』

 思わずスマホを弄る。[武神彼氏1]を読む。
 和歌山県の名草山を囲むよう名草神社、中言神社、内原神社が建ち、名草の姫を祀る。外をナグサヒコと関わる日前神宮国懸神宮、伊太祁曽神社、水門吹上神社、矢宮神社が建つ。内原神社の社伝で、名草の姫はナグサヒコの妻で、神様と人を結んだと伝える。
 天ツ軍は名草の姫の領地の統治をナグサヒコに任せる。紀伊国の神話で、名草の姫の一族はナグサヒコに随い、名草の姫をうらぎる。殺した名草の姫の頭、胴、足を刻む。蘇らないよう祀りあげる。ウサ族が逐いやった若き巫の祟りに畏れ、祀りあげたよう。
 ナグサヒコはタカクラジさんの弟。ヤマトのアヤ族の長を継がず、カラス衆の頭として天ツ軍を導く。ナグサヒコはニウ族を滅ぼし、空海に丹生都比売神社の神領に譲る。いや、もしかしたらニウ族もニウヒメをうらぎり、ナグサヒコに随ったかもしれない。
 ナグサヒコに随った一族は、逃げるよう箱根カルデラ、日光連山、那須連山、赤城山(赤城カルデラ)や榛名山(榛名カルデラ)と移り住む。
 さらに東上の理由か。史話で、後裔一族は武蔵国の徳川家に仕え、さらに常陸国の水戸徳川家、水戸藩主に仕えたとある。
 生きたいと思うことに罪はないけれど。生きようと考えることは悪くないけれど。
 栃木県足利市に名草という地名がある。栃木県と群馬県の県堺にあり、名草巨石群で有名。富士山、赤城山や榛名山の噴火の噴石という。そして丹生神社が建つ。丹生神社は和歌山県の次に埼玉県北域、群馬県南域に多い。丹砂と砂鉄を求めて。

 征東軍は農作(稲作)を齎す。つまり征東は、領地拡大は作地開墾だ。
 毛野国にヲホヒコの平国後に農作を齎したナグサヒコと、日神信仰を齎したカラス衆が移る。史話で、毛野国に伝わった稲作は冷害のため、いちど絶えたとある。叛乱が起き、トヨキヒコは再度平国を行う。平国は易かったという。
 紀伊国(木の国)から毛野国(毛の国)へと来たトヨキヒコ(豊木の男)。
 もしかしたらトヨキヒコが新しい稲穂を齎したかもしれない。縄文時代の南洋諸島(東南アジア)の陸稲系熱帯ジャポニカ米から、弥生時代の江南(長江の南域)の水稲系温帯ジャポニカ米へと変わったかもしれない。



 古代中国の王族の後裔一族と称するヤマトのアヤ族は、天ツ神に領地を渡し、占星や占卜などの占術、詛術、製鉄技術、土木建築技術を教え、軍事、とくに暗殺を任される。
 天ツ神に表で、裏で仕えた一族。裏を知りすぎた一族。
「暗殺か。笑えない」
「わ、笑えない」
 神話も、古代中国の神話もヤマトのアヤ族が関わる。
 神宮と同格の日前神宮国懸神宮に奉じた檜隈の姫。別名を日前宮。または名草宮。
 天ツ軍を導き、名草の姫を殺し、ニウヒメさんを殺そうとしたカラス衆の長のナグサヒコ。天ツ軍にミカヅチの佩剣を渡したタカクラジさん。
 ワカヒコくんとともに歩く、前方のオオクニヌシさんを見つめる。
「ヤマトのアヤ族、檜隈の姫、ナグサヒコ、タカクラジさんが関わるか。笑えない」
「わ、笑えない」
「日前神宮と檜隈の姫、国懸神宮とタカクラジさんか。伏線回収とシン・伏線か。いつ、伏線回収は終わるんだろうか。笑えない」
「わ、笑えない」

 あれ、ニウヒメさんは、たしか名草の姫。名草の姫は殺されたんだよね。
 線路も、伏線も続く。



 おまけ。
 ムーな話で、カラス衆はムーな一族になったらしい。[ムー一族]は関わらない。
 イトイな話で、赤城山の麓に徳川埋蔵金があるらしい。[ギミア・ぶれいく]や[林修の歴史ミステリー]は関わらない。TBSは関わらない。……たぶん。
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