65 名古屋で朝食を

文字数 2,584文字



 小雨。
 小雨、霧雨、細雨、涙雨、微雨は雨粒と雨量と降雨時間で決まるらしい。
 隠世(カクシヨ)に隠れてないから雨に濡れる。慌て走る。不思議なことに、みんな走らない。私が走り、驚き、走りはじめる。
「ツーちゃん、ナンデ走るの、ナンデ、ナンデ」
 ふだん隠世に隠れてる神様は雨に濡れないので走るとか、雨に濡れたくないので走るとか、そんな感情がない。……英国人みたい。

 私は、雨は嫌い。雨はトミビコさんの死を思いだす。だから嫌い。
 だけど雨に濡れると、なぜかおちつく。すべて流してくれるよう。トミビコさんに優しく包まれてるよう。嫌いだけど、雨に濡れるとおちつく。習性で走るけれど、雨に濡れるとおちつく。複雑な感情。



 朝食と旅程確認で、名古屋駅前の喫茶店に入る。名古屋に来たんだから、ねえ。
 神話の代表格神様がテーブルを囲む。黒色の神衣の男神、迷彩色の神衣の男神、中学生のような男子神、青い顔色の好青年のような男神、褐色の工事現場監督のような男神。
 オーダーのとき、店員が私の膝上の布で作られたクエビコさんの頭をまじまじと見る。店員は見えないけれど、私の頭上をキューピーちゃんがフヨフヨと浮いてる。
 いちおう、神話の代表格神様と言いたかったけれど、言えない。

 名古屋飯のモーニングサービス。神様は食べなくていいけれど、私と合わしてくれる。私は小倉トーストとミルクティ、ワカヒコくんは天むすとコーヒー。オオクニヌシさんはレモンティ。だけど飲まないで、水を飲む。あまり水のおかわりを頼むので、店員がピッチャーを置く。スサノヲさん、ワカフツヌシさん、カゲヒコさんはワカヒコくんのススメでコーヒー。
「ワカヒコくん、天むすとコーヒーって、合うの」
「オイシイ、オイシイ」
「……ツクヨミ様も、その、甘すぎませんか」
「甘くておいしいよ」
「…………」オオクニヌシさんは口を押える。

 ワカヒコくんは、さきに潰れたワカフツヌシさんの鼾で眠れなかったらしい。ワカヒコくんは、どんどんと俗人化(そして少年化)。
 [鼾]の字源は鼻からの干声(大きな音)。伊吹、息吹は神の鼾、神の吹いた強い風。伊吹山の山神の吹いた強い風で野ダタラが行われた。近江国(滋賀県)にスサの地名はないけれど、スサノヲさんを祀る神社はある。
「フーさん、チョーうるさかった。チョーチョーうるさかった」
「はい、すみません」
「……ワカフツは悪くありません。ワタクシが止めれば、こんなことに……」
「オオクニ様も、ツーちゃんがいないと、なんでダメダメなんですか」
「ワ、ワ、ワカヒコ、ワタクシは……」オオクニヌシさんが横目で私を見る。
 私はコホンと咳。話を変える。
「いちおう、訊くけれど。みんな神話の代表格神様だよね」
「あたりまえだ、姉神。フツもオレも最強の剣神だッ」豪快に笑う。
「アー、最強の剣神はいっぱいいるなー、ウンウン」
「フツはドーンと最強の剣神。オレはドドーンと最強の剣神だ。なあ、フツ」
「はい。あと、スサノヲ様、もう少し、小さな声で。頭が……」
「なんだ、酒を呑みたいと言ったのはフツじゃないか」
「はい、スサノヲ様。確かに言いました。あと、小さな声で」
 クエビコさんがワカフツヌシさんを見やる。気になる。
「アー、ミカフツヲ、ずいぶんと呑んでたからな。ウン。なーんかブツブツと言ってたが、大丈夫か」
「いえ、カゲヒコ様、大丈夫です。確かに呑みすぎました。あと、ワタシはワカフツと名を改めました」
 クエビコさんが目の処の[の]の字を細める。気になる。
「だいたい、カゲヒコがニセモノの八塩折之酒を持ってきたから悪い」
「アー、爺様が、日本酒の起源は八塩折之酒というからだ。ホンモノの日本酒を呑まないで、なーにが起源だ、ウン」
「オレはわかってる。前にタカヒメが送ってきた出雲誉を呑んだ」
「ウン、爺様は酔えばいいだろーが」
「オレは酔えばなんでもいいという剣神でない」 横目で私を見る。
「アー、なんでかっこつけてんだ。そうか」カゲヒコさんも横目で私を見る。
 私はコホンと咳。
 八塩折之酒は日本酒の起源と言われるけれど、じつは違う。まず、八塩折之酒の原料は米でなく、果実や種実による醸造酒。木次酒造は米に五穀を混ぜた穀物酒(雑穀酒)、國暉酒造は水でなくて酒で醸した酒仕込の日本酒。木次酒造の穀物酒を何度も醸せば八塩折之酒となる、と思う。
 日本酒の起源は、じつはコノハナサクヒメが造った天甜酒。まあ、スサノヲさんに酒の蘊蓄は必要はないだろう。酔えればいいだろう。
「アーアー、ウンウン、うるさいぞ、カゲヒコ」
「ウン、爺様も、昨日も姉神、姉神とうるさかった。なー、ミカフツヲ」
「いえ、覚えてません。あと、ワタシはワカフツと名を改めました」
「ウルサイ、ウルサイ」頭上で言い争うオトナの神様に、コドモのワカヒコくんが怒る。
「はい、ワタシたちが言い争ってるときでありません。あと、ワカヒコ様、もうちょっと、小さな声で」
「ソーだよ、ソー。ウルサイよ、ウルサイ。まるでタカちゃんみたい」
「……」ワカフツヌシさんが固まる。
「フーさんも思うでしょう」
「はい、あ、あ、いえ、いえッ。ワ、ワタシはッ、……」
「タカヒメのモラハラを受けてる、とか」
 気になり、言ってしまう。
「いえいえいえいえッ。……モ、モラハラなど……」黙ってしまう。
 私の一言でみんな黙ってしまう。なんとなくタカヒメのポジションがわかってしまう。
「みんな黙らないで」
「タ、タカヒメは、最強の、女将(オカミ)だ」クエビコさんが笑う。
「私だってがんばってるよ」
「……ツヨクヨミ様もがんばってます」オオクニヌシさんが口を押えながら言う。
「ツーちゃんもガンバってるよ、ガンバってる」
「姉神は、がんばってる」
「はい、がんばってます」
「ウン、だから嫁にこい」
 ガタガタッ。
 カゲヒコさんを除く、神話の代表格神様が立ちあがる。カウンタに座ってた人(店員)も驚いて立ちあがる。
 剣を預かってよかった。
 座るように促す。そして笑う。つられて、みんな笑う。カウンタで立った人(店員)に手を振る。つられて、カウンタで立った人(店員)も手を振る。
 私は、作り笑顔を見ながら、小倉トーストをパクリと食べる。
「タ、タカヒメも、ツクヨミも考えず、つねに正しいことを言う。ツクヨミの一言で国ツ神はまとまる。なるほど、ツ、ツクヨミは大女将、だ」
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