14 国ツ神

文字数 2,513文字

***

 ワカヒコは早朝の、霧のかかる伊耶佐の浜に、ミナカタヌシを見つける。
 曇天に昇る日。陽は海に届かない。海面は暗く、黒い。海風が強い。北海(日本海)の彼方の、天ツ軍の軍船を見つめるミナカタヌシ。纏った青色の武具も暗く、黒い。
 ワカヒコは近づき、ミナカタヌシの顔を覗く。目が腫れぼったい。隣に座る。
『ミナカタのにーちゃん。ナニかあったの』
『ウムウム、なにもないぞ』力のない声。
 ミナカタヌシはワカヒコの髪を撫でる。撫でる手も、力がない。
『ナアナア、ワカヒコ。剣技の修練を積んでるか。戦になれば斬るか斬られるか、進むか退がるか、勝つか負けるか、境目は修練で決まるぞ』
『フーさんに教えてもらってる。ボク、ガンバってる、とてもガンバってるよ』
『ウムウム、フツも、ワカヒコも、すでにイヅモの神ぞ。ワカヒコ、修練を積み、カムドの剣を振れる剣神になるのだぞ。戦場(イクサバ)を駆ける戦神、武神になるのだぞ』
 ミナカタヌシが佩びたカムドの剣を見る。
『ウン。カムドの剣を振れる剣神になる。ミナカタのにーちゃんも、オオクニさまも、タカちゃんも認める武神になる。ゼッタイになる』
 ワカヒコは拳をミナカタヌシの目前に出す。ミナカタヌシが拳を合わせる。出雲神は契(チギリ)を交わすとき、誓(ウケイ)を立てるとき、剣や拳を合わせる。
『ヨシヨシ、がんばるのだぞ。カムドの剣を受けとるのだぞ。タカヒメを娶るのだぞ』
『め、娶らないよ、タカちゃんなんか娶らないよ』
『ナニナニ、ワカヒコはタカヒメが好きだろう、ぞ』
『好き、……じゃない』
『イヤイヤ、タカヒメはワカヒコが好きだぞ』
『ウソだよ、ゼッタイにウソ。だって、タカちゃん、……いつも怒る』
 ワカヒコが俯く。ミナカタヌシはワカヒコの髪を掻き乱す。力が隠ってる。
『やめて、にーちゃん』
『ウムウム、女心のわからない、コドモ、ぞ』
『わからなくてイイ』
『ダメダメ、女心がわからないとオトナになれないぞ』
『オトナって……』
 ミナカタヌシは立ちあがり、キリッとした顔をワカヒコに向ける。促されてワカヒコも立ちあがる。
『ナアナア、オトナのワレが教えてやろうぞ。ワカヒコがオトナになろうと、タカヒメを娶ろうと、ワカヒコはワレの弟神ぞ。決して兄神になれないぞ』
 ミナカタヌシはカムドの剣を北海(日本海)の彼方の天ツ軍の軍船に翳し、叫ぶ。
『ヤアァヤアァ、天ツ神もォ、イセの国ツ神もォ、ワレがァ倒すゥゥぞ。ササヒメはァ、ワレがァ、押し倒すゥゥぞ』
『オトナって、くだらないね。ウン、とっても』
 ワカヒコは溜息をつく。



 東の軍の本陣へ翔ぶオオクニヌシとイセヒコ。
『くしゅん』
『イセヒコ、カゼですか』



 大和国龍田に構える東の軍の本陣。
 物見櫓に立てかけられた軍師クエビコ。隣に立つツクヨミを見やる。
『オ、オオクニは、まだ、来ないか』
『イセヒコとともにイヅモの国を出たそうだ。明日に着くだろう』
『よ、よし。タケヒコが着く前に、陣を、と、整える』なぜか焦るクエビコ。
『イセヒコの助言を聞かなくて良いのか』
『の、脳髄が弱いくせに、決まったことに、く、口を挟む』
『クエビコは、つねにオノレの考えが正しいと思うのか』
『つ、つねに正しい考えで、ない。つねに正しく考えること、だ』
『……なにを言ってるのかわからない』

 軍師クエビコは、天ツ軍東の軍は瀬戸内海を渡り、河内国草香。外海(太平洋)を通り、伊勢国答志島、伊勢国山田からの進軍と考える。
 紀伊国名草からの進軍も考えられるが、見はらしがよい。軍船が見えればトミビコ軍を動かせばよい。そして夜の紀の川の遡航に備え、ツクヨミに仕えるカラス衆がいる。ツクヨミだけを翔ばせばよい。
 紀伊国はツクヨミがまとめてる。大義名分でオオクニヌシが東の軍の軍将を務めるが、すでに紀伊国の国ツ神は元・天ツ神ツクヨミがまとめてる。己の事情だけを考えるイセヒコも、トミビコも、そしてオオクニヌシもツクヨミの許に集まってる。まとまってる。
『ツ、ツクヨミは考えず、つねに正しい。国ツ神を、国ツ軍を率いる国ツ大神(オオカミ)、だ』
『……ワタシはなにも考えない女将(オカミ)、とクエビコは言ってるのか』
『い、いや、言ってない。ツクヨミは考えなくても、つねに正しい、とオレは、い、言ってる』
『……どう考えても、ワタシはなにも考えない、とクエビコは言ってる』
『ち、違う。ちゃんと考えろ。……い、いや、違う。ツクヨミはちゃんと考えなくても、つねに正しい、と……』
『もう、いい』

 紀伊半島の海岸は岩礁や暗礁の熊野灘が続く。海戦で最強のクメ水軍といえど上陸は難しい。揚がってもすぐに険しい山が塞る。海神と山神に護られた紀伊半島。陸戦、野戦となれば天ツ軍の大軍といえど、地の利に長けた国ツ軍が勝つ。
 河内(大阪)平野、紀伊(和歌山)平野、伊勢平野は抑えてる。



『風の噂に障りました』イセヒコはにっこりと笑う。
『風の神らしいですね』オオクニヌシも笑う。
『オレらしいですか。オオクニさまも言うようになった』
『すみません』
『謝りぐせはなおりませんね』
『すみま……、なおします』
『あとはオオクニさまに任せ、オレは戦うことだけを考えます』
『国ツ神をまとめられたのは、イセヒコのおかげです』
『……カミムスヒさまは天ツ神の凶行を、タカムスヒの蛮行を憂えてるのでしょうか』
『心がないゆえ、憂うことはないでしょう』
『カミムスヒさまは戦の勝敗を、世の行末を知ってるのでしょうか』
『わかりません。ただ、ワタクシは勝つために、国ツ神の行末のために戦います』
『勝つかわからないのに戦わなければならない。負けるかわからないのに戦わせなければならない。戦う国ツ神も、戦わせるオオクニさまも辛い。もっと辛いのは、なにもわからないのに戦う神人。仕える神を信じ、順い、戦う』
『イセヒコは戦いたくないでしょうね』
『すみません、言いすぎました。オレはツクヨミさまと遇ったときに国ツ神として、ミナカタと遇ったっときにイヅモの神として戦うと決めてました。名を改めたときに、中ツ国を護るために戦うと決めてました。オオクニさまを悩ませるつもりはありません』
『……イセヒコは優しすぎます』
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