45 ミナカタヌシは儚く眠る・後篇
文字数 1,988文字
*
ミナカタヌシは夢を見た。
昔、竹島(磯竹島)の森で、イセヒコと剣技の修練、と説教(口喧嘩)の夢。修練のあと、天を、流れる雲を見あげながらイセヒコの説教を聞いた。
いつのころだっただろうか。わからない。
夢が醒め、ゆっくりと目を開ける。頭が動かない。
そうか。そうだ。
今は伊那佐の浜(稲佐の浜)に横たわり、夜天を見あげてる。雲で月も星も見えない。
足元に浪が寄せる。冷たい感覚がない。体の感覚がない。体も動かない。
戦はどうなったのだろうか。イヅモ水軍は、ワカヒコ軍は、天ツ軍はどうなったのだろうか。目を凝らす。なにも見えない。耳を澄ます。なにも聞こえない。
浪が幻聴のように聞こえる。闇が幻視のように見える。
修練で、イセヒコと走った砂の軋む音が聞こえる。イセヒコの呼ぶ声が聞こえる。
イセヒコのにっこりとほほえむ顔が見える。
どのくらいときが経ったのだろうか。わからない。
*
雲が流れる。月が伊那佐の浜を照らす。ミナカタは、初めて惨状を知る。
軍船の残骸。クメ水軍の船旗か、イヅモ水軍の船旗かわからない。燻る臭いと、死臭。
軍船の残骸で隠れ、屍は見えない。声も聞こえない。
這うような音と、砂の軋むような音、そして呼ぶような声が聞こえる。
『……にーちゃん、ミ、ミナカタのにーちゃん……』
『ウ、ムウム、……ワカヒコか。ドコにいるぞ』
満身創痍のワカヒコがミナカタヌシの傍に寄り、仰ける。体の動かせないミナカタヌシは、周囲を伺いながら答える。
泣きながら謝るワカヒコを慰めながら、戦況、戦果を聞く。
『……天ツ軍に挟まれて。みんなバラバラになって、ミカヅチヲが……ドンドンと、攻めてきた。いっぱい、いっぱい、前から矢が飛んできた。ゴメンなさい、ゴメンなさい。後から、……』
『イ、イヤイヤ。ワカヒコはイヅモの神として、武神としてがんばったぞ。……タカヒメも惚れなおすくらい、がんばった、……ワカヒコ、どうしたぞ』
『……にーちゃん。後から大きな天ツ神の、女神の声と、……ホヒくんの声が聞こえた』
『ウ、……ウムウム。ワカヒコ、……戦のことは、ダレも、……ナニも言うで、ないぞ』
『どうして、どうして言っちゃいけないの』
『ウムウム。言うとイヅモの神が別れてしまう、契が解かれてしまうぞ。……父神の願った希(ノゾミ)が叶わなくなるぞ。国ツ神、イヅモの神となったワカヒコが生きづらくなるぞ』
『……にーちゃん』
『ヤアヤア、男神と男神の誓(ウケイ)、ぞ』
ミナカタヌシが拳を挙げ、ワカヒコが拳を合わせる。
国ツ軍は負けた。国ツ神は、イヅモの神は負けた。
戦場を駆けたが、じぶんは武神に成れなかった。
剣も振れなかった。軍も動かせなかった。剣神も、軍神も、武神も成れなかったじぶんは、なにの神だろうか。国を護れなかったじぶんは、なにの神だろうか。わからない。
イヅモの神、国ツ神、古の神に成れなかった。
『……なにの神もなれなかった、ワ、ワレは、鬼神(オヌカミ)だろう、か……』
ミナカタヌシの気が遠のく。
『ミナカタは古(イニシエ)の神統を継ぐ。たがい忌まわしき神統。同じ境遇だ』
『……い、忌まわしき神統だろう、か……』
雲が流れ、月も星も見えない。再び、闇夜となる。
『……ウ、ムウム、そうか。……ワカヒコ、よく、聞くんだぞ。オ、オレは、……ダメだぞ。もう、剣を振るえないぞ。……国も、……愛する女も護れない……ぞ……』
気力だけで喋ってる。気力だけで生きてる。
『にーちゃん』
ワカヒコが辛うじて頭を擡げ、隣に臥すミナカタヌシを見る。ミナカタヌシの顔に生気はなく、闇夜に溶けこみそう。夜の海に引き摺りこまれそう。
常夜(トコヨル)ノ国に引き堕とされそう。
『……ヨ、シヨシ、ワカヒコ。オ、オレの剣を、……授ける、ぞ。……ワカヒコ、カ、ムドの剣を、……振るえる、け、……剣神となるのだ、……ぞ。戦場を、駆ける……武神となるのだ、……ぞ。ワカヒコに国ツ神の、イヅモの神の希を、……託すぞ」
ミナカタヌシは、身じろぐが、体も、頭も動かない。拳も動かない。
『にー……ちゃん』
ワカヒコがミナカタヌシの動かない拳に、拳を合わせる。
『……ナ、アナア、ワカヒコ。……イヅモの神として、……国と、……愛する女を、ま、護るんだぞ。武神として、……戦場を、せ、戦場を、……駆けるんだぞ』
『ウン、ウン。わかった。にーちゃんに、にーちゃんに、認められる武神になる。イヅモの神に、国ツ神に、ゼッタイになる。だから、も、もう、喋らないで。だから、……』
闇で、泪で隣のミナカタヌシの顔が見えない。泪を拭う力はない。
『……ナ、アナア、ワカヒコ。タ、……ケヒコに、伝えてほしい、ぞ。……西の副将、ミ、ミナカタヌシの、……無様な、……無様な、い、……戦の様を……』
ミナカタヌシの言葉は波に消える。ミナカタヌシの拳は闇に消える。
ミナカタヌシは夢を見た。
昔、竹島(磯竹島)の森で、イセヒコと剣技の修練、と説教(口喧嘩)の夢。修練のあと、天を、流れる雲を見あげながらイセヒコの説教を聞いた。
いつのころだっただろうか。わからない。
夢が醒め、ゆっくりと目を開ける。頭が動かない。
そうか。そうだ。
今は伊那佐の浜(稲佐の浜)に横たわり、夜天を見あげてる。雲で月も星も見えない。
足元に浪が寄せる。冷たい感覚がない。体の感覚がない。体も動かない。
戦はどうなったのだろうか。イヅモ水軍は、ワカヒコ軍は、天ツ軍はどうなったのだろうか。目を凝らす。なにも見えない。耳を澄ます。なにも聞こえない。
浪が幻聴のように聞こえる。闇が幻視のように見える。
修練で、イセヒコと走った砂の軋む音が聞こえる。イセヒコの呼ぶ声が聞こえる。
イセヒコのにっこりとほほえむ顔が見える。
どのくらいときが経ったのだろうか。わからない。
*
雲が流れる。月が伊那佐の浜を照らす。ミナカタは、初めて惨状を知る。
軍船の残骸。クメ水軍の船旗か、イヅモ水軍の船旗かわからない。燻る臭いと、死臭。
軍船の残骸で隠れ、屍は見えない。声も聞こえない。
這うような音と、砂の軋むような音、そして呼ぶような声が聞こえる。
『……にーちゃん、ミ、ミナカタのにーちゃん……』
『ウ、ムウム、……ワカヒコか。ドコにいるぞ』
満身創痍のワカヒコがミナカタヌシの傍に寄り、仰ける。体の動かせないミナカタヌシは、周囲を伺いながら答える。
泣きながら謝るワカヒコを慰めながら、戦況、戦果を聞く。
『……天ツ軍に挟まれて。みんなバラバラになって、ミカヅチヲが……ドンドンと、攻めてきた。いっぱい、いっぱい、前から矢が飛んできた。ゴメンなさい、ゴメンなさい。後から、……』
『イ、イヤイヤ。ワカヒコはイヅモの神として、武神としてがんばったぞ。……タカヒメも惚れなおすくらい、がんばった、……ワカヒコ、どうしたぞ』
『……にーちゃん。後から大きな天ツ神の、女神の声と、……ホヒくんの声が聞こえた』
『ウ、……ウムウム。ワカヒコ、……戦のことは、ダレも、……ナニも言うで、ないぞ』
『どうして、どうして言っちゃいけないの』
『ウムウム。言うとイヅモの神が別れてしまう、契が解かれてしまうぞ。……父神の願った希(ノゾミ)が叶わなくなるぞ。国ツ神、イヅモの神となったワカヒコが生きづらくなるぞ』
『……にーちゃん』
『ヤアヤア、男神と男神の誓(ウケイ)、ぞ』
ミナカタヌシが拳を挙げ、ワカヒコが拳を合わせる。
国ツ軍は負けた。国ツ神は、イヅモの神は負けた。
戦場を駆けたが、じぶんは武神に成れなかった。
剣も振れなかった。軍も動かせなかった。剣神も、軍神も、武神も成れなかったじぶんは、なにの神だろうか。国を護れなかったじぶんは、なにの神だろうか。わからない。
イヅモの神、国ツ神、古の神に成れなかった。
『……なにの神もなれなかった、ワ、ワレは、鬼神(オヌカミ)だろう、か……』
ミナカタヌシの気が遠のく。
『ミナカタは古(イニシエ)の神統を継ぐ。たがい忌まわしき神統。同じ境遇だ』
『……い、忌まわしき神統だろう、か……』
雲が流れ、月も星も見えない。再び、闇夜となる。
『……ウ、ムウム、そうか。……ワカヒコ、よく、聞くんだぞ。オ、オレは、……ダメだぞ。もう、剣を振るえないぞ。……国も、……愛する女も護れない……ぞ……』
気力だけで喋ってる。気力だけで生きてる。
『にーちゃん』
ワカヒコが辛うじて頭を擡げ、隣に臥すミナカタヌシを見る。ミナカタヌシの顔に生気はなく、闇夜に溶けこみそう。夜の海に引き摺りこまれそう。
常夜(トコヨル)ノ国に引き堕とされそう。
『……ヨ、シヨシ、ワカヒコ。オ、オレの剣を、……授ける、ぞ。……ワカヒコ、カ、ムドの剣を、……振るえる、け、……剣神となるのだ、……ぞ。戦場を、駆ける……武神となるのだ、……ぞ。ワカヒコに国ツ神の、イヅモの神の希を、……託すぞ」
ミナカタヌシは、身じろぐが、体も、頭も動かない。拳も動かない。
『にー……ちゃん』
ワカヒコがミナカタヌシの動かない拳に、拳を合わせる。
『……ナ、アナア、ワカヒコ。……イヅモの神として、……国と、……愛する女を、ま、護るんだぞ。武神として、……戦場を、せ、戦場を、……駆けるんだぞ』
『ウン、ウン。わかった。にーちゃんに、にーちゃんに、認められる武神になる。イヅモの神に、国ツ神に、ゼッタイになる。だから、も、もう、喋らないで。だから、……』
闇で、泪で隣のミナカタヌシの顔が見えない。泪を拭う力はない。
『……ナ、アナア、ワカヒコ。タ、……ケヒコに、伝えてほしい、ぞ。……西の副将、ミ、ミナカタヌシの、……無様な、……無様な、い、……戦の様を……』
ミナカタヌシの言葉は波に消える。ミナカタヌシの拳は闇に消える。