86 海岸づたいの土佐神社・前篇

文字数 1,777文字



 山神を祀る神社は多い。山の祟り神でなく、湧水や山の幸の恵み神を祀る。
 海神を祀る神社は少ない。海の幸の恵み神でなく、海の祟り神を祀りあげる。
 そして。いつのまにか山神も祟り神(火山の神様)となる。祀りあげる神社が建つ。鎮める水神が祀られる。大島てる。日本は事故物件だらけ。
 祟り神は憚れ、隠され、いつのまにか忘れられる。鎮めた神だけが祀られる。


 
 かつて山に住む山の人がいた。サンカ(山家/山窩)。山とともに生き、群がらなかった人。権力者に、ボスザルに随わなかった人。ムラ社会を遂れた人。窩は山の穴。
 家族単位で川岸を移り住み、時々、山を降り、神社や佛閣で竹具を売ったり、直したり。
 サンカも遺物遺跡はない。だけど九州南域(鹿児島県・宮崎県)や中域(熊本県)から山陽道を経て紀伊半島の熊野川へと、山陰道を経て吉野川(紀ノ川)へと、移った経路に神話という記録はある。
 竹具とカッパ。
 竹は、九州南域の熊曽の地(薩摩国)から、紀伊半島の熊野国を経て畿内へとくる。吉野川で鵜飼を生業とするアタのウガイ族。竹具は在来種のマダケだったけれど、外来種のモウソウチクに代わり、モウソウダケの竹林は竹害を及ぼす。まさに破竹の勢い。樹林の阻害、土壌の悪化による水害を起こす。
 カッパの神話は、西国(西日本)に多く、九州から山陽道と山陰道を経て紀伊半島へと続く。九州の球磨川と筑後川、紀伊半島の熊野川と吉野川(紀ノ川)。ふだん水神(川神)のミサキ神のカッパは、秋に山に登り、山神のミサキ神の猿もどきとなる。なぜか山猿を嫌う。
 そして春になると川に還り、雪解水、草花や木、色々な虫とともに降りる。
 東国(東日本)のカッパは、なぜか咒術師や陰陽師のミサキ神となる。



 重なるプレート(岩盤)の上にある日本の国土。プレートが動いて地震となる。プレート型地震(海洋型・海溝型地震)。また、プレートが動いて断層ができる。断層が動いて地震となる。断層型地震(内陸型・直下型地震)。プレートの上にあるかぎり、地震が起きるのは偶然でない。世界の2割の地震が日本で起きる。
 火山の多い日本の国土。火山があるかぎり、噴火が起きるのは当然である。世界の1割の火山(活火山)が日本にある。つねに造山活動、火山活動、断層運動は起きる。つねに地震と噴火は起きる。

 かつて噴火は出生と死、再生や蘇生、地の生気や生力の象徴だった。かつて人は火山の山麓に住み、噴火が起きると祭を行った。かつて人は山と、火山とともに生きた。

 噴火で島が現れる。現れた後も噴火がある。火山島。南洋諸島(東南アジア)に多い。じつは伊豆諸島も海洋プレートのフィリピン海プレートと太平洋プレートの境目に聳える島。南洋諸島の一部。かつて三島神社(三嶋大社)が建ってた伊豆国賀茂郡の一部。南洋諸島から瀬戸内海、伊豆半島を経て伊豆諸島へと祀られた火山島の神様。
 フジ族、アタのウガイ族、アタ族。海のサチヒコ。一説にサンカは隼人の後裔という。山のサチヒコに帰順を求められ、順(マツラ)わなかった海のサチヒコの後裔。
 もしかしたらエブネは、サンカは順わなかったため、遺物遺跡を残せず、残さず、故郷を遂われた人達。神話の中に僅かに見える、忘れられた人達の史話。
 もしかしたら海人族の隼人が遂われて山人族の熊曾になったかもしれない。もしかしたら私達の本質に、海人族、海の人の性質があったかもしれない。もしかしたら私達は海人族、海の人の性質を忘れただけかもしれない。



 昔の埼京線南与野駅の周辺は田んぼ。田んぼの中にぽつんと高架駅ができた。
 今の駅の周辺は整備が行われ、商業施設、マンションの建設工事が進んだ。唯一、高架線の下に河童の森という整備を免れた小さい森があった。だけど河童の森も避難場として整備が行われ、キャプテン翼スタジアムが造られた。
 田んぼは埋められ、森は墾かれ、地主神の祀る神社は壊された。

 土地は神様のものから人のものへとなる。土地を譲られた神話が書かれる。山を崩し、海、池沼や湖を埋め、森を墾く。川筋を変える。海や山や、池沼や湖や、森や、川の持主、地主神が傲慢な人を祟る。事故が、自然災害が起きても、祟られても祀りあげればいい。鎮めればいい。だけど事故が、自然災害が起きる。鎮めても、祀りあげても祟る。
 忘れるな、と叫ぶ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み