44 ミナカタヌシは儚く眠る・前篇

文字数 2,167文字

***

『オイ、ミナカタ。大丈夫か』
 穴に落ちたミナカタヌシに手を差しだす。差しだした手は払われ、ミナカタヌシは自力で這い上がる。ミナカタヌシの神衣に着いた泥や葉を払い落とす。払う手も払われる。
『オイオイ、タケヒコ。落とし穴なんて卑怯だぞ』ミナカタヌシは怒ってる。
『イヤ、ミナカタが実戦のようにやりたいって言ったから』
『イヤイヤ、だからって約束の時刻に遅れるなんて卑怯だぞ』
 ミナカタヌシに胸ぐらを攫まれる。とても怒ってる。
『イヤイヤ、穴を掘ってたんだから。ミナカタを苛だたせようとしたんだから』
『ナアナア、イヅモの神として、武神として悲しいぞ』怒り、悲しんでる。
『オレは、イセの神だから。イセヒコと名を変えた』にっこりとほほえむ。
 鬱蒼とした森のなか、いつもどおり修練よりも長い口喧嘩。

 イセヒコのにっこり笑顔に怯むミナカタヌシ。攫んだ手を解き、うなだれる。
『ナア、バカミナカタは、敵は約束の時刻どおりにくると思ってるのか。だいたい、敵と約束なんかするか。戦で卑怯なことはしないと思ってるのか。だいたい、敵に卑怯なんて言うか。思ってたら、正真正銘の、バカ』
『イヤイヤ、修練だぞ。修練は時刻どおりに始め、卑怯なことはしないぞ』
『イヤイヤ。ならば実戦というな。ならばオレに頼むな』
『……』怒り、悲しい、悔しい。なにかわからない感情。
『こんな傷で泣くな。ほら、舐めてやるから』ミナカタヌシの右腕を攫む。
『イヤイヤ、ワレは痛くて泣いてるのでないぞ。舐めるな。悔しくて泣いてるのだぞ。舐めるな。悲しくて泣いてるのだぞ。舐めるな、舐めるな。あんな実直なタケヒコ、イヤイヤ、イセヒコが、捻くれてしまった怒りで泣いてるのだぞ』
『イヤイヤ、イヤイヤ、ミナカタ。オレはいまだ実直だから』にっこりとほほえむ。
 ミナカタヌシの頭をポンポンと叩く。
『オレは、すなおに、しずかに物事を見る。聞く。考える。いつもどおり』

 イセヒコは株に座り、木々の間の天を見あげる。流れる雲。イセヒコに促され、ミナカタヌシも地に胡座で座る。
『サダヒコさまの治めるイセの国は、国ツ神が争ってる。毎日だ。蕃神(トナリノクニノカミ)が襲ってくる。毎日だ。領地が欲しいからな。争うな、襲うなと言えば争わないのか、襲わないのか。見はる神人は、平気でうらぎる。神威を得たいからな。卑怯と言えるのか。イヅモの神人にうらぎられ、オオクニさまも泣いてた。オレも泣いてた』
『ナニナニ、なにが言いたいぞ』
『戦場(イクサバ)は修練の場でない、ぞ』



『いーか』
 イセヒコは枯れ枝を拾い、ミナカタヌシの座る目前の地をポンポンと叩く。
 思わず正座で座り直すミナカタヌシ。にっこりとほほえむイセヒコ。
『いったい、ミナカタのいう武神はなんだ。イヅモの神はなんだ。剣技もオレに及ばない、軍議もコトシロさまに及ばない。武神は剣神、軍神に成れない神か。イヅモの神はオオクニヌシさまと義の契を交わした神か。ならばオレはイヅモの神にならない。イヤ、すでにイセの神だから、なれないか』
『ナニナニ、なにが言いたいぞ』
『武神の、イヅモの神の本質を知れ。ミナカタはイヅモ水軍を率い、副将として西の軍を率いる。ミナカタはイヅモの国を護る、イヅモの神。オレはイセの国を護る、イセの神。イヅモの神はオオクニさまに服(マツラ)う神でない。イセの神はサダヒコさまに服う神でない。だいたい、サダヒコさまは女神に優しいが、男神に厳しい』
『……ウ、ムウム』頭を捻る。
『タカヒメは愚直であるぶん、軍を率いる責、国を護る任もわかってる。イヤ、わかってるか、わかってないか、わかりづらい』
 まじめな話なのに、つい、ふまじめな話を挟んでしまう。
『ナニナニ、なにが言いたいぞ。ワレはまじめに聞いてるのだぞ』
『そうだ。ミナカタはまじめに聞きすぎてる。いや、まじめに考えすぎてる。オオクニさまに、コトシロさまに応えようと考えすぎてる。ここ、大事なところ』
 枯れ枝で地をポンポンと叩く。
『ミナカタは古(イニシエ)の神統を継ぐ。たがい忌まわしき神統。同じ境遇だ』
 がんばってまじめに言う。
 風がイセヒコに纏わりつくように吹く。ミナカタヌシも纏わりつく。風で落ち葉が舞いあがる。
『いーか。イヅモの国だけが護る国でない。もっと先を考えろ。もっとまわりを考えろ。地は続いてる。地は広がってる。すべて古の神の国だ。地の底に隠された、鎮められた古の神に応えろ。ミナカタが護らなければならない国は、イヅモの国だけでない。古の神の国を護らなければならない』
 風が、旋風が高く上がる。まわりの葉を、枝を揺らす。
『イヤイヤ、ワレは、……いったいどうすればいい』
『武神に成れ。剣技はオレに及ぼなくても、軍議はコトシロさまに及ばなくても、ミナカタは戦場を駆ける戦神に成れ。すれば武(タケ)キモノと成る。武神が駆ければ、戦は必ず勝つ。ミナカタは戦場を駆ける武神に成れ。勝って、古の神の国を護れ』
『ウムウム、話はわかった。ワレは戦場を駆ける戦神と成る。勝ち戦を齎す武神と成る』
 ミナカタヌシはまじめ。話がわかると、がんばる。そんな武神。
 イセヒコは大きく息を吸い、大きく吐く。
『疲れた。やっとまじめに話せた。がんばったオレを褒めたい』
 イセヒコはがんばらないと、まじめに話せない。そんな武神。
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