第14話 凶報

文字数 3,102文字

朝から土砂降りの雨が降り続く それは何の前触れもなく。。。 
しかし縁故の者たちは不吉な予感を、頭の片隅に浮かべては、押し戻し 浮かんでは 押し戻しと
その憂いに支配されそうな心情を 吉報のみを信じ ここ数日の間を過ごしてきた 


彼らの主が、この浜松城を出立して ちょうど2週間
大半の者の予想通り 主は帰城した しかし 大半の者の願いを裏切り 物言わぬ姿となって


ここ大広間に集う者すべてが 彼らの眼差しを一身に受ける男の言葉を待つ 
《天下布武》と書かれた布に包まれた かつては、徳川家康だったものを前に座す 武田信玄

「わしは、今日一日 喪に服す」
それだけを言うと ひどく疲れた様子で広間を後にする 信玄

「なぜ 僅かな供回りで殿を行かせた。。。?」
初めに口を開いた本多忠勝 強く唇を噛み締め血が滲んでいる

「我等も同行を願い出たが、領内と同盟国内の道程だと言われ、許されなかった」 
そう答える酒井忠次の顔は血の気を失い、肩を震わせながら 忠勝を睨む

「殿は、信玄公に反意無きことを示すためにも 従者だけを伴い、向かわれたのだと思います」
大久保康隆 虚空を見つめ、ここに存在することさえ放棄しているようにも見える

「わかっているのだ!貴殿らを責めているのではない 己の不甲斐なさを呪っているのだ!!」
本多忠勝の目から、(せき)を切ったように涙が溢れ落ちる

「我々も喪に服そう 明日 信玄公に戦の準備を始める許しを頂く」
榊原康政が静かに だが決意に満ちた眼差しで 皆を見据える



月も登り 降り続いていた雨も勢いを失っていた
ただ一人 亡き主に(すが)るように背を丸める 本多忠勝

広い広間が、さらに大きくさえ見える
その背中に音もなく近寄る 巫女の衣に身を包んだエヴァ
緋袴の緋色が淡い燭台の灯りに照らされ 幻と見紛うほどの朱色に化ける

「慕っていたのですね?」
この上もないほどの慈愛に満ちた声で、忠勝の背に問い掛ける 返事はないが微かに肩を震わせる

「この方も、貴方を随分と大事に思われていました、貴方のために何度も何度も 私に頭を下げられ。。。」
丸まっていた背中が、さらに丸まり 
握りしめた拳を己の口にねじ込み 全てのものを圧し殺すような嗚咽を漏らす

「貴方の体調は万全ではありません 戦えませんよ」

「力が欲しいですか?」
今の忠勝が最も欲するもの天使にも悪魔の囁やきにも聞こえる 甘き誘惑 逡巡の暇もなく肯く 忠勝


昨日の大雨が嘘のように 晴れ渡る空
訃報を聞いた 近隣の領主が浜松城に駆け付ける

井伊谷城.城主 井伊直虎 野田城.城主 菅沼定盈

久野城.城主 久野忠宗 高天神城.城主 小笠原信興

掛川城.城主 石川家成 田原城.城主 本多広孝

夜を徹して駆けたのであろう 西三河の松平家の姿も見える
天守曲輪の大広間に武田、徳川それぞれの重臣、賓客らが粛々と
膝を並べる この集まりが徳川家康の送別だけでなく 
各々の領土を、この国の未来を左右するものであると誰もが心得ていた

上ノ郷城.城主 松平康元を大久保康隆が席へと案内し
着席したのを見計らい 武田信玄が上座に着く 頭を垂れる一同

「頭を上げるがよい 今日は我が盟友·徳川家康のために足を運ばれた事 この武田信玄 心より感謝する」

「通夜、葬儀の日取りは、追って通告いたしますが 本日は、この場で各々方の決意を表明して頂くこととなります」
信玄の横に着座する 徳川家·筆頭家老 酒井忠次が宣言する
一瞬ざわつく広間内 

「繰り返すが、ここに駆け付けられた事に、この武田信玄、心より感謝する」
この日の信玄は、黒の朝服一式を伝統通りに着こなし 最高の敬意を示し臨んでいた
さらに驚くべきことに 頭を下げて感謝の意を示してみせた
これには、武田の重臣は、戸惑い 我が目を疑い
徳川家縁故の者たちは、歓喜に震えた

この日の本において、武田信玄が頭を下げる相手など天皇、将軍など数えるほどしか存在しないのである
それが、このような場で徳川家康のために頭を下げた。。。

「わしはな家康 お主との約束通り この東国に幕府を興す その障害と為るものは、全てねじ伏せる事を 改めて誓おう この誓をもって お主への送別とする」
ここ大広間が静かに震えた そして真田幸隆より丸められた布地が渡され一気に広げる 

「まずは、此奴じゃ! 天下布武つまり京に武士の国を作るということじゃな、どうじゃ松平信康殿?」
【天下布武】と書かれ、血の跡を生々しく残す 大判の布地を掲げる 武田信玄

「はっ 恐れ乍ら それは、織田信長めが我が父を手に掛け そのような物を送って寄越すなど 
徳川家、並びに武田信玄公に対する宣戦布告以外にほかなりません!!」
最前列で拳を強く握りしめ先程から片時も信玄から目を離そうとしない 徳川家康が嫡男 信康が吠える

真田幸隆が一歩前に出て告げる

「遠見、三河の各々の領土は留保とする ここ浜松城を、信康殿に収めていただき 
そして織田との最前線となる岡崎城に、忌が明ける今日より7日後に戦う意志のある者は集って頂きたい
各々の意志、兵数、入城される日取りなどは、後ほどそれがしと酒井忠次殿で面談を予定しております」

「これは、無理強いするものではない 信玄公に助力することを良しとしないものは 帰路につかれるが良い そうでない者は、この日の本で最強の槍と鉾を手に入れることになる!」
すくっと酒井忠次が立ち上がり 自分たち家老衆が武田に就くことを宣言する

「我等も信玄公と共に戦いますぞ!」 「我が殿の仇を必ずや!!」

「この場に戦わぬ臆病者など居りませぬ!!」
あちらこちらから声が上がる それを見た信玄は、満足そうに立ち上がり 一同を見渡す
一つ頷くと 広間を後にする 頭を下げ見送る一同


残された者たちは、思い思いが輪になり会談が始まる

「さすが信玄公 挙兵の許しを頂くまでもありませんでした」
榊原康政が安堵の溜息を吐く

「徳川、武田と過去にいろいろ有りましたが すべて水に流し、日の本平定に手を取り合いましょうぞ」
山県昌景が徳川家老衆の輪の中に入っていく

「それが我が殿の最後の意志でもありました 宜しくお願いいたしまする」
酒井忠次が山県昌景に頭を下げる

「山県様 我等もお館様と呼ばせていただいてもよろしいのでしょうか?お気を悪くされなければ。。。」
服部正成が恐る恐るといった様子で聞いてくる

「おぉっ そなたは服部正成殿いやお家を継がれて 今は、服部半蔵殿ですな 三方ヶ原では、随分手を焼いたと馬場から聞いております 無論構いませんが 家康公の弔いが済んでからの方が、よいですな」

「あぁ 申し訳ございません 先走りまして 信玄公の先程のお話に感動してしまいまして お恥ずかしい」
肩をすぼめ 小さくなり、もじもじとする 服部半蔵

ー『馬場殿から、猛将だと聞いたが。。。これが?』ー

「それでは、あちらで各領主と面談をしますので 山県様 失礼します 後ほど報告しますが 一人も欠けることは無いでしょう」 酒井忠次がそう言い 部屋を移す

「そのようですな 期待しております」



「天女殿 どうじゃろ? そなたに言われたようにやってみたが皆の反応は、どうじゃった? 朝服は大袈裟だと思ったがのう。。。」

「お館様 上出来でした 皆の心が打倒信長で一つになりましたでしょう 特に最後の皆を見渡して頷くところですが、威厳に満ち満ちて、良かったと思います」

「そのようなものかの? 今までのわしでは敵を作るばかりでの。。。 天女殿に相談して正解だったのう」
ふ〜っと 息を吐く 武田信玄

「ところで、なぜ徳本先生がここに?」

「もう その質問はあきたわい!!」


いつの間にか、武田家の参謀となるエヴァ
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