第95話、周瑜の決断
文字数 12,286文字
周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。
また彼の妻は、策の
彼は、
だから当時、呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の
彼が、江夏の太守であったとき、喬公という名家の次女を手に入れた。
――喬公の二名花
と、いえば呉で知らない者はなかった。
孫策は、姉を入れて妃とし、周瑜はその妹を迎えて妻とした。――が間もなく策は世を去ったので、姉は未亡人となっていたが、妹は今も、
当時、呉の人々は、
(喬公の二名花は、流離して、つぶさに戦禍を
わけて、青年将軍の周瑜は、音楽に
と、注意するような眼をするのが常だった。
だから当時、時人のうたう中にも、
曲ニ誤リアリ
周郎、
という歌詞すらあるほどだった。
こういう周瑜も、今は孫策亡きあとの呉の水軍提督たる重任を負って、
しかもその水軍がものいう時機は迫っていた。
もとより周瑜がそれを知らないはずはない。しかし、彼の任は政治になく、水軍の建設とその猛練習にある。――今日も彼は、舟手の訓練を
と、魯粛は、孔明の来ている事情から、国臣の意見が二つに分れている実情などをつぶさに話し、――それに加えて、ここで呉が曹操に降伏したら、すでに地上に呉はないも同様であると、自分の主張をも痛論した。
周瑜のことばに、魯粛は力を得て、欣然、馬をかえして行った。――すると、同日の
「魯粛が来たのでしょう。実に怪しからん
と、周瑜を囲んで、論じ立てるのであった。
四名の客を見くらべながら周瑜はいった。
顧雍の答を聞いて、周瑜は大きくうなずきながらも、私はまだ、決まっていないといい。
と、いった。
四名はしぶしぶ立ち帰った。しばらくするとまた、一群れの訪客が押しかけてきた。
客間に通されるやいな、程普、黄蓋など、こもごもに口をひらきだした。
「われわれは先君
と、周瑜を囲んでつめ寄った。
周瑜は、反問して、
黄蓋は自分の首すじへ
と、いった。
ほかの武将も、異口同音に、誓いを訴え、即時開戦の急を、激越な口調で論じた。
と、なだめて帰した。
夕方に迫って、また客が来た。
「――これは
なお附け加えて、
「国家の一大事について」と申し入れた。
この人々は、いわゆる中立派であった。主戦、非戦、いずれとも考えがつかないために来たのである。
周瑜は、その中にある諸葛瑾を見て、まず問うた。
「ご辺の立場は分るが、兄であるとか弟であるとか、そんなことは私事だ。家庭の問題とはちがう。孔明はすでに他国の臣。ご辺は呉の重臣。おのずから事理明白ではないか。呉臣として、貴公の信ずるところは、戦いにあるのか降伏にあるのか」
と、やがて答えた。
周瑜はゆがめていた唇もとから一笑を放って、
かくてまた、夜に入ると、
夜が更けても、客の来訪はやまない。そして、
「即時開戦せよ」
という者があるし、
「いや、和を乞うに
と、唱えるものがあるし、何十組となく客の顔が変っても、依然、いっていることは、その二つのことをくり返しているに過ぎなかった。
ところへ、取次ぎの者が、そっと主の周瑜に耳打ちした。
「
周瑜も小声でいいつけた。
それから周瑜は、大勢の雑客に向って、
と、追い返すように告げて別れた。
これは主客双方で想像していたことであろう。周瑜のすがたを見ると、孔明は起って礼をほどこし、周瑜は、辞を低うして、初対面のあいさつを交わした。
そのあいだに、
孔明は周瑜をどう観たか。
周瑜は孔明の腹をどう察したか。
傍人には知る限りでない。
やがて、座をめぐる佳人もみな退いて、主客三人だけとなったのを見すまして、魯粛は単刀直入に彼の胸をたたいてみた。
と、魯粛は、周瑜の面を見まもった。
「こは、思いがけないことを、あなたのお口から承るものだ。そもそも、呉の国業は、破虜将軍以来、ここに三代の基をかため、いまや
さっきから黙って傍らに聞いていた孔明は、ふたりが激越に云い争うのを見て、手を袖に入れ、何がおかしいのか、笑っていた。
周瑜は、孔明の無礼を咎めるような眼をして、
傍らの魯粛は、眼をみはって、
と、色をなして、共に、孔明の
孔明はいった。
魯粛が、案外な顔をして、孔明の心をはかりかねていると、周瑜もともに、その言に釣りこまれて、膝をすすめた。
「星の数ほどある呉国の女のうちから、わずか二名をそれに用いることは、たとえば大樹の茂みから二葉の葉を落すよりやさしく、百千の
「まだ自分が隆中に閑居していた頃のことですが――当時、曹軍の
周瑜は顔色を変じて、孔明のことばが終るや否、
「曹操の第二子に、
孔明は、
細い眸を
明后ニ従ッテ
中天ニ
二喬ヲ東南ニ
雲霞ノ浮動ヲ
群材ノ来リアツマルヲ
春風ノ
――ふいに、卓の下で、がちゃんと、何か砕ける音がした。
孔明が、吟をやめて、注意すると、周瑜は憤然、酔面に怒気を燃やして、
と、孔明は打ち慄えて見せながら平あやまりに詫び入った。
「いやいや、三度はおろか、きょうは終日、戦わんか、忍ばんか、幾十度、沈思黙考をかさねていたかしれないのだ。――自分の決意はもううごかない。思うに、身不肖ながら、先君の遺言と大託をうけ、今日、呉の水軍総都督たり。今日までの修練研磨も何のためか。断じて、曹操ごときに、身を屈めて降伏することはできない」
と、孔明は、胸をそらして、称揚するような姿態をした。周瑜はなお云いつづけて、
夜来、幾度か早馬があって、
やがて、真っ赤な
「周提督のお着きです」と、堂前はるかな一門から高らかに報らせる声がした。
孫権は威儀を正して、彼の登階を待ちかまえていた。それに侍立する文武官の顔ぶれを見れば、左の列には
「周都督が肚にすえてきた最後の断こそ、呉の運命を決するもの」
と、みな異常な緊張をもって、彼のすがたを待っていた。
周瑜は、ゆうべ孔明が帰ると、直ちに、鄱陽湖を立ってきたので、ほとんど一睡もしていなかった。
しかしさすがに呉の傑物、いささかの疲れも見せず、まず孫権の座を拝し、諸員の礼をうけて、悠然と席についた姿は、この人あって初めてきょうの閣議も重きをなすかと思われた。
孫権は、口を開くなり直問した。
と、苦笑を送った。
その上で。
彼は、やおら孫権に向って、自己の主張を述べ出した。
何のことはない。今まで張昭を論争の相手にしていたのは、ここでいおうとする自己硬論を引っ立てるワキ役に引きだしていたようなものだった。
まず和平派の一論拠を、こう
和平派は色を失った。
驚動を抑えながら、固く
孫権はいきなり立って、
と、前の机を、
そしてその剣を、高々と片手にふりあげ、
大堂の宣言は、階下にとどろき、階下のどよめきは中門、外門につたわって、たちまち全城の諸声となり、わあっ――と旋風のごとく天地に震った。
孫権は、その剣を、周瑜にさずけて、その場で、彼を呉軍大都督とし、程普を副都督に任じ、また魯粛を賛軍校尉として、
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