第95話、周瑜の決断

文字数 12,286文字

 周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。

 また彼の妻は、策の()の妹であるから、現在の呉主孫権と周瑜とのあいだは、義兄弟に当るわけである。

 彼は、盧江(ろこう)の生れで、(あざな)公瑾(こうきん)といい、孫策に知られてその将となるや、わずか二十四歳で中郎将となったほどな英俊だった。

 だから当時、呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の美周郎(びしゅうろう)と呼んだり、周郎周郎と持てはやしたりしたものだった。

 彼が、江夏の太守であったとき、喬公という名家の次女を手に入れた。姉妹(ふたり)とも絶世の美人で、

 ――喬公の二名花

 と、いえば呉で知らない者はなかった。

 孫策は、姉を入れて妃とし、周瑜はその妹を迎えて妻とした。――が間もなく策は世を去ったので、姉は未亡人となっていたが、妹は今も、()のまたなき愛妻として、国もとの家を守っていた。

 当時、呉の人々は、

(喬公の二名花は、流離して、つぶさに戦禍を()めたが、天下第一の(むこ)ふたりを得たのは、また天下第一の幸福というものだ)といって祝福した。

 わけて、青年将軍の周瑜は、音楽に(くわ)しく、多感多情の風流子でもあった。だから宴楽の時などでも、楽人の(かな)でる調節(ふし)や譜に間違いがあると、どんなに酔っているときでも、きっと奏手の楽人をふりかえって、

(おや。いまのところ、ちょっとおかしいね)


 と、注意するような眼をするのが常だった。

 だから当時、時人のうたう中にも、


曲ニ誤リアリ

周郎、(カエリ)ミル


 という歌詞すらあるほどだった。

 こういう周瑜も、今は孫策亡きあとの呉の水軍提督たる重任を負って、鄱陽湖(はようこ)へ来てからは、家にのこしてある愛妻を見る日もなく、好きな音楽に耳を洗ういとまもなく、ひたすら呉の大水軍建設に当っていた。

 しかもその水軍がものいう時機は迫っていた。()の水陸軍百万が南下を取って、すこぶる高圧的に不遜な最後通牒を呉へ突きつけてきているという。

 もとより周瑜がそれを知らないはずはない。しかし、彼の任は政治になく、水軍の建設とその猛練習にある。――今日も彼は、舟手の訓練を(えっ)して、湖畔の官邸へひきあげて来ると、そこへ魯粛があらわれた。


「すぐさま柴桑城(さいそうじょう)まで来てください。国君のお召しです」
 と、直書を手渡した。
「わかった」
 周瑜は、すぐ出立の用意をした。

「実は、その儀について、あらかじめ提督にお告げしておきたいことがある」

 と、魯粛は、孔明の来ている事情から、国臣の意見が二つに分れている実情などをつぶさに話し、――それに加えて、ここで呉が曹操に降伏したら、すでに地上に呉はないも同様であると、自分の主張をも痛論した。


「よろしい。ともかく、孔明と会ってみよう。――柴桑城へ伺うのは、孔明の肚を訊ねてみてからでも決して遅くはあるまいからともかく彼をつれて来給え。それまで登城をのばして待っているから」


 周瑜のことばに、魯粛は力を得て、欣然、馬をかえして行った。――すると、同日の(ひる)過ぎ、張昭(ちょうしょう)顧雍(こよう)張紘(ちょうこう)歩隲(ほしつ)などの非戦派が、打ち揃ってここへ訪れ、


「魯粛が来たのでしょう。実に怪しからん(おとこ)だ。何の故か、彼は孔明のために踊らされて、国を売り、民を塗炭の苦しみに投げこもうと、ひとりで策動しておる。――この危機と岐路に立って、提督はいったいどういうご意見を抱いておられますか」


 と、周瑜を囲んで、論じ立てるのであった。

 四名の客を見くらべながら周瑜はいった。


「各自のご意見はみな、不戦論に一致しているわけですかな?」


「もちろん我々の議決はそこに一致しています」


 顧雍の答を聞いて、周瑜は大きくうなずきながらも、私はまだ、決まっていないといい。


「明日、柴桑城(さいそうじょう)にのぼって、呉君に結論を申しのべよう。きょうはひとまずお帰りあるがいい」

 と、いった。

 四名はしぶしぶ立ち帰った。しばらくするとまた、一群れの訪客が押しかけてきた。黄蓋(こうがい)韓当(かんとう)程普(ていふ)などという錚々(そうそう)たる武将連である。

 客間に通されるやいな、程普、黄蓋など、こもごもに口をひらきだした。

「われわれは先君破虜(はりょ)将軍にしたがって呉の国を興して以来、ひとえに一命はこの国に捧げ、万代鎮護(ちんご)の白骨となれば、願いは足る者どもです。然るにいま、呉君におかれては、碌々(ろくろく)一身の安穏のみを計る文官たちの弱音にひかれて、遂に、曹操へ降伏せんかの御気色(みけしき)にうかがわれる。実に残念とも何ともいいようがありません」


「たとえ我々の身が、ずたずたにされようとも、この屈辱には忍び得ない。誓って、曹操の前に、この膝は屈せぬつもりです。――提督はそも、この事態にたいし、いかなるご決心を抱いておらるるか。きょうはそれを伺いに来たわけですが」

 と、周瑜を囲んでつめ寄った。

 周瑜は、反問して、

「では、この座にある方々は、すべて一戦の覚悟を固めているのですか」


 黄蓋は自分の首すじへ(ちょう)と手を当てて見せながら、


「この首が落ちるまで、断じて、曹操に屈伏せぬつもりだ」

 と、いった。

 ほかの武将も、異口同音に、誓いを訴え、即時開戦の急を、激越な口調で論じた。

「明日、柴桑城さいそうじょうにのぼって、呉君に結論を申しのべよう。きょうはひとまずお帰りあるがいい」

 と、なだめて帰した。

 夕方に迫って、また客が来た。()を通じて、

「――これは闞沢(かんたく)呂範(りょはん)朱治(しゅち)諸葛瑾(しょかつきん)などの(ともがら)ですが、折入って、提督にお目にかかりたい」

 なお附け加えて、

「国家の一大事について」と申し入れた。

 この人々は、いわゆる中立派であった。主戦、非戦、いずれとも考えがつかないために来たのである。

 周瑜は、その中にある諸葛瑾を見て、まず問うた。

「あなたはどう考えているのですか。あなたの弟諸葛亮(しょかつりょう)は、劉備のむねをうけて、呉との軍事同盟をはかり、共に曹操に当らんという使命をもって来ておる由だが」

「それ故に、てまえの立場は、非常に困っております。私は孔明の兄だとみられておりますから。――で、実は、わざと商議にも(かか)わらず、心ならずも局外に立って、この紛論をながめているわけです」


「それは、どうかと思うな」
 と周瑜は(くち)もとをゆがめて、

「ご辺の立場は分るが、兄であるとか弟であるとか、そんなことは私事だ。家庭の問題とはちがう。孔明はすでに他国の臣。ご辺は呉の重臣。おのずから事理明白ではないか。呉臣として、貴公の信ずるところは、戦いにあるのか降伏にあるのか」


 (きん)は、沈黙していたが、


「降参は安く、戦は危うし。呉の安全を考えるときは、戦わぬに限ると思います」


 と、やがて答えた。

 周瑜はゆがめていた唇もとから一笑を放って、


「では、弟の孔明とは、反対なお考えだな。なるほどご苦衷(くちゅう)だろう。――ともあれ。一決の議は、明日、それがしが君前に伺った後にする。今日は帰り給え」


 かくてまた、夜に入ると、呂蒙(りょもう)だの、甘寧(かんねい)だのという名だたる将軍や文官たちが、入れ代り立ちかわり、ここの門へ入ってはたちまち出て行った。それは実におびただしい往来だった。

 夜が更けても、客の来訪はやまない。そして、

「即時開戦せよ」

 という者があるし、

「いや、和を乞うに()かず」

 と、唱えるものがあるし、何十組となく客の顔が変っても、依然、いっていることは、その二つのことをくり返しているに過ぎなかった。

 ところへ、取次ぎの者が、そっと主の周瑜に耳打ちした。

魯粛(ろしゅく)どのが、仰せに従って、ただ今、孔明をつれて戻って見えられましたが」

 周瑜も小声でいいつけた。


「そうか。では、ほかの客には気づかれず、べつな部屋へ通しておけ、奥の水亭の一室がよかろう」


 それから周瑜は、大勢の雑客に向って、


「もう議論は無用にしてくれ。すべては明日君前で一決する。立ち帰って明日のために熟睡しておくべきだろう。そのほうがどんなに意義があるかしれん」
 と、(しょく)()って、
「わしも今宵はもう眠るから」

 と、追い返すように告げて別れた。

 詮方(せんかた)なく一同が帰ってゆくと、周瑜は衣をかえて、魯粛と、孔明とを待たせてある水閣の一欄へ歩を運んできた。――どんな人物であろう?

 これは主客双方で想像していたことであろう。周瑜のすがたを見ると、孔明は起って礼をほどこし、周瑜は、辞を低うして、初対面のあいさつを交わした。

 鄱陽湖(はようこ)の水面は夜を抱いて眠っていた。ひそかな波音が欄下をうつ。雲をかすめて渡る鳥の羽音すら燭にゆれるかのようである。恍惚(こうこつ)――寂寞(せきばく)のなかに主客はややしばし(くち)をつぐみ合っていた。

 楚々(そそ)――いとも楚々として(なよ)やかな佳嬪(かひん)が列をなしてきた。おのおの、酒瓶(しゅへい)肉盤をささげている。酒宴となった。哄笑、談笑、放笑、微笑。孔明と周瑜とはさながら十年の知己のように和やかな会話をやりとりした。

 そのあいだに、

 孔明は周瑜をどう観たか。

 周瑜は孔明の腹をどう察したか。

 傍人には知る限りでない。

 やがて、座をめぐる佳人もみな退いて、主客三人だけとなったのを見すまして、魯粛は単刀直入に彼の胸をたたいてみた。

「提督のお肚はもう決まっておりましょうな。最後の断が」


「決まっておる」


「戦いますか。いよいよ」


「……いや」


「では、和を乞うおつもりなので?」


 と、魯粛は、周瑜の面を見まもった。


「やむを得まい! どう考えてみたところで」


「えっ、然らば、提督までが、すでに曹操へ降参するお覚悟でおられるのですか」


「そういえば、はなはだ屈辱のようだが、国を保つためには、最善な策じゃないかな」


「こは、思いがけないことを、あなたのお口から承るものだ。そもそも、呉の国業は、破虜将軍以来、ここに三代の基をかため、いまや(まった)き強大を成しておる。この富強は、われわれ臣下の子孫をして、懦弱安穏(だじゃくあんのん)をぬすむために、築かれてきたものではありますまい。一世(けん)君のご創業の苦心、二世策君の血みどろなご生涯。それによって建国されたこの呉の土を、むざむざ敵将操の手にまかしていいものでしょうか。汲々(きゅうきゅう)、一身の安全ばかり考えていていいでしょうか。それがしは思うだに髪の毛が逆立ちます」


「――が、百姓のため、また、呉のためであるなら仕方がないではないか。そうした三世にわたるわれわれの主家孫一門のご安泰を計ればどうしても」

「いやいやそれは、懦弱な輩のすぐ口にする口実です。長江の嶮に拠って、ひとたび恥を知り恩を知る呉の精猛が、一体となって、必死の防ぎに当れば、曹軍何者ぞや、寸土も呉の土を踏ませることではありません」


 さっきから黙って傍らに聞いていた孔明は、ふたりが激越に云い争うのを見て、手を袖に入れ、何がおかしいのか、笑っていた。

 周瑜は、孔明の無礼を咎めるような眼をして、詰問(なじ)った。

「先生。あなたは何がおかしくて先刻(さっき)からそうお笑いなさるのか」


「いや何も提督に対して笑ったわけではありません。余りといえば、魯粛どのが時務にうといので、つい笑いを忍び得なかったのです」


 傍らの魯粛は、眼をみはって、


「や、何をもって、この魯粛が時務にくらいと仰っしゃるか。近頃、意を得ないおことばだ」


 と、色をなして、共に、孔明の(くち)をみまもった。

 孔明はいった。


「でも、考えてもご覧なさい。曹操が兵を用いる巧みさは、(いにしえ)の孫子呉子にも(まさ)りましょう。誰が何といったところで、当今、彼に匹敵するものはありません。――ただ独りわが主君劉予州は、大義あって、私意なく、その強敵と雌雄を争い、いま流亡して江夏(こうか)に籠っておりますが、将来のことはまだ未知数です。――然るに、ひるがえって、この国の諸大将を見るに、どれもこれも一身一家の安穏にのみとらわれていて、名を恥じず、大義を知らず、国の滅亡も、ほとんど成り行きにまかせているとしか観られない。……そういう呉将の中にあって、粛兄ただ一名のみ、呶々(どど)、烈々、主義を主張してやまず、今も提督にむかって、無駄口をくり返しておらるるから、ついおかしくなったまでのことです」
 周瑜(しゅうゆ)はいよいよ苦りきるし、魯粛もまた甚だしく不快な顔をして見せた。孔明のいっていることは、まるで反戦的だからである。折角、周瑜へ紹介の労をとっているのに、まるでその目的も自分の好意も裏切っているような口吻(こうふん)に、憤りを覚えずにいられなかった。

「では、先生には、呉の君臣をして、逆賊(そう)に膝を屈せしめ、万代に笑いをのこせと、敢ていわないばかりにおすすめあるわけですか」


「いやいや決して、自分は何も呉の不幸を祈っているわけではない。むしろ呉の名誉も存立も、事なく並び立つように、いささか一策をえがいて、その成功を念じておるものです」

「戦にもならず、呉の名誉も立派に立ち、国土も難なく保てるようになんて――そんな妙計があるものだろうか」


 魯粛が、案外な顔をして、孔明の心をはかりかねていると、周瑜もともに、その言に釣りこまれて、膝をすすめた。


「もし、そんな妙計があるなら、これは呉の驚異です。願わくは、初対面のそれがしのために、その内容を、得心(とくしん)の参るよう、つぶさにお聴かせ下さらんか」


「いと易いことです。――それはただ一艘の小舟と、ふたりの人間の贈物をすれば足ることですから」


「はて? ……先生のいうことは何だか(たわむ)れのように聞えるが」


「いや、実行してご覧あれば、その効果の覿面(てきめん)なのに、かならず驚かれましょう」


「二人の人間とは? ……いったい誰と誰を贈物にせよといわれるのか」


「女性です」


「女性?」


「星の数ほどある呉国の女のうちから、わずか二名をそれに用いることは、たとえば大樹の茂みから二葉の葉を落すよりやさしく、百千の倉廩(そうりん)から二粒の米を減らすより些少な犠牲でしょう。しかもそれによって、曹軍の鋭鋒を一転北方へかえすことができれば、こんな快事はないでしょう」


「ふたりの女性とは、そも、何処の何ものをさすのか、はやくそれを云ってみたまえ」


「まだ自分が隆中に閑居していた頃のことですが――当時、曹軍の北伐(ほくばつ)にあたって、戦乱の地から移ってきた知人のはなしに、曹操は河北の平定後、漳河(しょうが)のほとりに楼台を築いて、これを銅雀台(どうじゃくだい)と名づけ、造営落工までの費え千余日、まことに前代未聞の壮観であるといっておりましたが……」


 孔明は容易に話の中心に触れなかったが、しかも何か聴き()の心をつかんでいた。
「曹操ほどな英傑も、やはり人間は遂に人間的な弱点におち入りやすいものとみえます。銅雀台――。銅雀台のごとき大土木をおのれ一個の奢りのために起したということこそ、はや彼の増長のあらわれと、哀れむべきではありませんか」
「先生。それよりは、何が故に、ここにふたりの女性さえ彼に送れば、魏の曹軍百万が、呉を(おか)すことなく、たちまち北方へかえるなどという予断が下せるのか。その本題について、はやくお話を触れていただきたいものだが」

 周瑜(しゅうゆ)は二度も催促した。魯粛の聞きたいところもそこの要点だけだ。何を今さら、銅雀台の奢りぶりなどを、ここで(つぶ)さに聞く必要があろうか――といわんばかりな顔つきである。


「いや、北国の知人の話は、もっと詳しいものでしたが、では大略して、要をかいつまんで申しましょう。――その曹操は、銅雀台の(ぜい)に飽かず、なおもう一つ大きな痴夢を抱いているというのです。それは呉の国外にまで聞えている喬家(きょうけ)の二女を銅雀台において、花の(あした)、月の夕べ、そばにおいて眺めたいという野心です。聞説(きくならく)、喬家の二名花とは、姉を大喬(たいきょう)といい、妹を小喬と呼ぶそうで、その傾国の美は、(つと)にわれわれも耳にしているものです。――思うに、古来英雄の半面には、こうした痴気凡情の例も、ままあるのが慣いですから、提督には、人を派して、喬家の門へ黄金を積み、二女を求めて、曹操へお送りあれば、立ちどころに彼の攻撃は緩和され、(ちぬ)らずして国土の難を救うことができましょう。――これすなわち范蠡(はんれい)が美姫西施(せいし)を送って強猛な夫差(ふさ)を亡ぼしたのと同じ計になるではありませんか」

 周瑜は顔色を変じて、孔明のことばが終るや否、


「それは(ちまた)の俗説だろう。先生には、何か確たる根拠でもあって、そんな(ちまた)の俗説を真にうけておられるのか」

「もとより確証なきことはいわん」


「ではその証拠をお見せなさい」


「曹操の第二子に、曹子建(そうしけん)というものがある。父の操に似てよく詩文を作るので文人間に知られています。この子建に向って、父の操が、銅雀台の()を作らせていますが、その賦を見るに、われ帝王とならばかならず二喬を迎えて楼台の花とせんという操の野望を暗に歌っています。それがあたかも英雄の情操として美しい理想なるかの如く――」


「先生にはその賦を覚えておられるか」


「文章の流麗なるを愛して、いつとなく暗誦(そらん)じていますが」


「ねがわくはそれを一吟し給え。静聴しよう」


「ちょうど微酔の気はあり、夜は更けて静か。そぞろ私も何か低吟をそそられています。――どうかご両所とも(さかずき)をかさねながら、座興としてお聴きください」


 孔明は、睫毛(まつげ)をとじた。

 細い眸を()にひらく。そして、静かに吟じ出した。抑揚はゆるく声は澄んで、朗々、聴く者をして飽かしめないものがある。


明后ニ従ッテ嬉遊(キユウ)層台(ソウダイ)ニ登ッテ情ヲタノシム

中天ニ華観(カカン)ヲ立テ飛閣ヲ西城(セイジョウ)(ツラ)

漳水(ショウスイ)ノ長流ニ臨ンデ園果(エンカ)滋栄(ジエイ)ヲ望ミ

双台(ソウダイ)ヲ左右ニ列シテ玉龍ト金鳳(キンホウ)トアリ

二喬ヲ東南ニ(ハサ)ンデ長空ノ

螮蝀(テイトウ)ノ如ク皇都ノ宏麗ニ()

雲霞ノ浮動ヲ()

群材ノ来リアツマルヲ(ヨロコ)ンデ

飛熊(ヒユウ)ノ吉夢ニカナイ

春風ノ和穆(ワボク)ヲ仰ギテ百鳥ノ悲鳴ヲ聴ク……。

 ――ふいに、卓の下で、がちゃんと、何か砕ける音がした。周瑜(しゅうゆ)が手の酒盞(さかずき)を落したのである。そればかりか彼の髪の毛はそそり立ち、面は石のごとく硬ばっていた。


「あ。お酒盞(さかずき)が砕けましたな」


 孔明が、吟をやめて、注意すると、周瑜は憤然、酔面に怒気を燃やして、


「一箇の杯もまた天地の前兆と見ることができる。これはやがて魏の曹軍が地に捨て去る残骸のすがただ」


「何か提督には、お気にさわったことでもあるのですか」


「操父子の作った銅雀台の()なるものは、先生の吟によって今夜初めて耳にしたが、辞句の驕慢(きょうまん)はともかく、詩中にほのめかしてある喬家の二女に対する彼の野望は見のがし難い辱めだ。断じて、曹賊のあくなき野望を()らしめねばならん」
 周瑜は新たな杯をとり出し、一(さん)また一盞、みずから酒をそそいで、彼の激色は火のような忿懣(ふんまん)を加えるばかりである。孔明はわざと冷静に、そしてさもいぶかしげな眉をして問い返した。
「むかし匈奴(きょうど)の勢いがさかんな頃、しばしば中国を侵略して、時の漢朝も悩まされていた時代があります。当時天子は御涙をのんで、(いと)しき御女(おんむすめ)の君をもって、胡族(えびす)の主に(めあ)わせたまい、一時の和親を保って臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、その間に弓馬をみがいたという例もあります。また元帝が王昭君(おうしょうくん)胡地(こち)へ送ったはなしも有名なものではありませんか。――なんで提督には、今この国家の危殆(きたい)にのぞみながら、民間の二女を送るぐらいなことを、そう惜しんだり怒ったりされるのですか」

「先生は知らぬのか」


「知らぬかとは……?」


「喬家の二女は、養われて民間にあったことは事実だが、姉の大喬(たいきょう)()くより先君策の室にむかえられ、妹の小喬は、かくいう周瑜の妻となっておる。いまのわが妻はその小喬なのだ」


「えっ、ではすでに、喬家の門を出ていたので。これは知らなんだ。惶恐(こうきょう)、惶恐。知らぬこととは申せ、先ほどからの失礼、どうかおゆるし下さい。誤って、みだりに無用な舌の根をうごかし、罪、死にあたいします」

 と、孔明は打ち慄えて見せながら平あやまりに詫び入った。


「……」
 魯粛には、その孔明の容子が少々わざとらしく見えたが、だまっていた。
「いや、先生に罪はない。先生のいう(ちまた)の風説だけならまだ信じないかも知れぬが、銅雀台の賦にまで歌っている以上、曹操もそれを公然と揚言しているのであろう。いかで彼の野望に先君の後室や、わが妻を(にえ)に供されよう。破邪の旗、膺懲(ようちょう)の剣、われに百千の水軍あり、強兵肥馬あり、誓って、彼を撃砕せずにはおかん」

「――が、提督、古人もいっております。事を行うには三度よく思えと」


「いやいや、三度はおろか、きょうは終日、戦わんか、忍ばんか、幾十度、沈思黙考をかさねていたかしれないのだ。――自分の決意はもううごかない。思うに、身不肖ながら、先君の遺言と大託をうけ、今日、呉の水軍総都督たり。今日までの修練研磨も何のためか。断じて、曹操ごときに、身を屈めて降伏することはできない」


「ああさすがは」


 と、孔明は、胸をそらして、称揚するような姿態をした。周瑜はなお云いつづけて、


「いま、鄱陽湖(はようこ)の軍船を、いちどに大江へ吐き出せば、江水の(なみ)もたちまち逆しまに躍り、未熟な曹軍の船列を粉砕することもまたたく間である。ただ陸戦においては、やや彼に遜色を感じるものがないでもない。ねがわくは先生にも一()の力をそえられい」

「そのご決意さえ固ければ、もとより犬馬の労も惜しむものではありません。けれど呉君を始め、重臣たちのご意志のほども」


「いやいや、明日、府中へ参ったら、呉君には自分からおすすめする。諸臣の異論など問題とするにはあたらない。号令一下。開戦の大号令一下あるのみだ」


 柴桑城(さいそうじょう)の大堂には、明け方、早くも文武の諸将が整列して、呉主孫権の出座を迎えていた。

 夜来、幾度か早馬があって、鄱陽湖(はようこ)周瑜(しゅうゆ)は、未明に自邸を立ち、早朝登城して、今日の大評議に臨むであろうと、前触れがきているからである。

 やがて、真っ赤な朝陽(あさひ)が、城頭の東に雲を破って、人々の面にも照り映えて見えた頃、

「周提督のお着きです」と、堂前はるかな一門から高らかに報らせる声がした。

 孫権は威儀を正して、彼の登階を待ちかまえていた。それに侍立する文武官の顔ぶれを見れば、左の列には張昭(ちょうしょう)顧雍(こよう)張紘(ちょうこう)歩隲(ほしつ)諸葛瑾(しょかつきん)虞翻(ぐほん)陳武(ちんぶ)丁奉(ていほう)などの文官。――また右列には、程普(ていふ)黄蓋(こうがい)韓当(かんとう)周泰(しゅうたい)蒋欽(しょうきん)呂蒙(りょもう)潘璋(はんしょう)陸遜(りくそん)などを始めとして、すべての武官、三十六将、衣冠剣佩をととのえて、

「周都督が肚にすえてきた最後の断こそ、呉の運命を決するもの」

 と、みな異常な緊張をもって、彼のすがたを待っていた。

 周瑜は、ゆうべ孔明が帰ると、直ちに、鄱陽湖を立ってきたので、ほとんど一睡もしていなかった。

 しかしさすがに呉の傑物、いささかの疲れも見せず、まず孫権の座を拝し、諸員の礼をうけて、悠然と席についた姿は、この人あって初めてきょうの閣議も重きをなすかと思われた。

 孫権は、口を開くなり直問した。

「急転直下、事態は険悪を極め、一刻の遷延(せんえん)もゆるさないところまで来てしまった。都督、卿の思うところは如何に。――忌憚(きたん)なく腹中を述べてもらいたい」


「お答えする前にあたって、一応伺いますが、すでにご評定も何十回となくお開きと聞いています。諸大将の意見はどうなのですか」


「それがだ。和戦両説に分れ、会議のたび紛々を重ねるばかりで一決しない。ゆえに卿の大論を聞かんと欲するわけだ」


「なぜ曹操に降参せねばならんのでしょうか。呉は破虜将軍よりすでに三世を経た強国。曹操のごとき時流に投じた風雲児の出来星(できぼし)とはわけがちがう。――降伏という、ご意見、周瑜にはいささか()しかねる」

「あいや。提督のおことばではあるが、時流の(おもむ)くところ、風雲の依って興るところ、決してばかにはなりますまい」


 と張昭はすこし小癪(こしゃく)にさわったような語気でいった。
「もちろん。――しかし、東呉六郡をつかね、基業三代にわたるわが呉の伝統と文化は、決してまだ老いてはいない。いや隆々として若い盛りにあるのだ。呉にこそ、風雲もあれ、時流もあれ、(あに)、一曹操のみが、天下を左右するものであろうぞ」

「彼の強味は、何よりも、天子の勅命と号していることです。いかにわれわれが歯がみしてもこれに対しては」


「あははは」
 と、一笑して、
「――僭称(せんしょう)の賊、欺瞞(ぎまん)の悪兵。故にこそ、大いに逆賊操を討つべきではないか。彼が(いつわ)りの名分を立てるなら、われらはもって朝命を汚す暴賊を討つべしとなし、膺懲(ようちょう)の大義を世にふるい唱えねばならん」

「さはいえ、水陸の大軍百万に近しと申す。名分はいずれにせよ、彼の強馬精兵に対するわれの寡兵と軍備不足。この実力の差をどうお考えあるか」


「優数常に勝たず。大船常に小船に(まさ)らず。要は士気だ。士気をもって彼の隙を破るのは、用兵の妙機にある。――さすがに、御身は文官の長。兵事にはお(くら)いな」


 と、苦笑を送った。

 容貌(ようぼう)端麗(たんれい)に似あわず、周瑜(しゅうゆ)には底意地のわるい所がある。君前、また衆臣環視のなかで、張昭を躍起にさせておいて、その主張をことごとく弁駁(べんばく)し、嘲笑(ちょうしょう)し去って和平派の文官達の口を、まったく封じてしまったのである。

 その上で。

 彼は、やおら孫権に向って、自己の主張を述べ出した。

 何のことはない。今まで張昭を論争の相手にしていたのは、ここでいおうとする自己硬論を引っ立てるワキ役に引きだしていたようなものだった。

「曹軍の強勇なことは確かだが、それも陸兵だけのことです。北国育ちの野将山兵に、何で江上の水軍があやつれよう。いかに曹操たりとも、わが水軍に対しては、見劣りするものであろう」


 まず和平派の一論拠を、こう駁砕(ばくさい)してから、


「また、より以上、重要視すべきは、国そのものの態勢と四隣の位置でなければならん。わが呉は、南方は環海の安らかに、大江の(けん)は東方をめぐり、西隣また何の(わずら)いもない。――それに反して魏は、北国の平定もつい昨日のこと、その残軍離亡の旧敵などたえず曹操の破れをうかがっていることはいうまでもない。後ろにはそうした馬超(ばちょう)韓遂(かんすい)の輩があり、前には劉備、劉琦(りゅうき)の一脅威をひかえ、しかも許都(きょと)の中府を遠く出て、江上山野に転戦していることは――われら兵家の者が心して見れば、その危うさは累卵(るいらん)にひとしいものがある。……いわばこの際は彼みずから呉境へ首を埋める(つか)を探しにきたようなものだ。この千載一遇の機会を逸すばかりか、ひざまずいて、彼の陣前に国土をささげ恥を百世にのこすも是非なしと断じるなどは、まことに言語道断な臆病沙汰というほかはない。君公、願わくはまずそれがしに数万の兵と船とを授け給え。まずもって、彼の大軍を撃砕し、口頭の論よりは事実を示して、和平を唱える諸員の臆病風を呉国から一掃してごらんに入れます」

 和平派は色を失った。

 驚動を抑えながら、固く(くち)をとじ合ったまま今はただ一縷(いちる)(のぞ)みを、呉主孫権の面につないでいた。


「おう周都督。いみじくもいわれたり。曹賊の経歴を見れば、朝廷にあっては常に野心勃々(ぼつぼつ)。諸州に対しては始終、制覇統一の目標に向って、夜叉羅刹(やしゃらせつ)の如き暴威をふるっている。袁紹、呂布、劉表、およそ羅刹の軍に(のろ)われたもので残った者は一名もない。ただ今日まで、ひとりこの孫権が残されていたのみだ。(あに)、坐して曹賊の制覇にまかせ、袁紹、劉表などの惨めな前例にならおうぞ」

「では、主君も、開戦と、お心を決しられましたか」


「卿は、全軍を督し、魯粛は陸兵をひきい、誓って、曹賊を討て」


「もとより、呉のために、一命はかえりみぬ覚悟ですが、ただなおご主君が、微かでも、ご決心をにぶらすことはなきやと、臣のおそれるのはただそれだけです」

「そうか」


 孫権はいきなり立って、()いている剣を抜き払い、


「曹操の首を断つ前に、まずわが迷妄から、かくのごとく斬るっ!」


 と、前の机を、一揮(いっき)に、両断して見せた。

 そしてその剣を、高々と片手にふりあげ、


「今日以後、ふたたびこの問題で評議はすまい。汝ら、文武の諸大将、また吏卒にいたるまで、かさねて曹操に降伏せんなどと口にする者あらば、見よ、この机と同じものになることを!」


 大堂の宣言は、階下にとどろき、階下のどよめきは中門、外門につたわって、たちまち全城の諸声となり、わあっ――と旋風のごとく天地に震った。


「周瑜。わしの剣を佩いて()け」


 孫権は、その剣を、周瑜にさずけて、その場で、彼を呉軍大都督とし、程普を副都督に任じ、また魯粛を賛軍校尉として、


「下知にそむく者あらば斬れ」
 と、命じた。
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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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