第54話、張飛、呂布の馬、二百頭を盗む
文字数 5,398文字
彼は心配のあまり、病床で筆をとって、一書をしたため、使いを立てて呂布の手もとへ上申した。その意見書には、こういう献策がかいてあった。
近ごろ、老生の聞く所によると、袁術は、
明らかな大逆です。
この際、あなたとしては、ご息女の輿入れをお見合わせになったのを幸いに、急兵を派して、まだ旅途にある使者の
今こそ、その
曠世の英名をあげて、同時に一代の大計をさだめる今を、むなしく逸してはいけません。こういう機会は、二度と参りますまい。
妻の厳氏は、呂布の肩ごしにそれをさしのぞいて陳珪の意見書を共に読んでしまった。
呂布はつぶやきながら、吏士たちの詰めている政閣のほうへ出て行った。
すると何事か、そこで吏士たちがさわいでいた。
侍臣に訊かせてみると、
「小沛の劉備が、どこからか、続々と、馬を買いこんでいるといっているのです」
と、告げた。
呂布は、大口あいて笑った。
「武将が、馬を買入れるのは、いざという時の心がけで、なにも、目にかどを立ててさわぐこともあるまい――わしも良馬を集めたいと思って、先ごろ、
それから三日目だった。
山東地方へ軍馬を求めに出張していた宋憲と、その他の役人どもは、まるで狐にでもつままれたような恰好で、ぼんやり城中へ帰ってきた。
呂布の額には、そういううちにもう青筋が立っていた。
呂布は、声荒らげて、宋憲らの責任を
呂布の
と、
城中の大将たちは、直ちに呼びだされた。呂布は立ったままでいた。そして一同そこに立ち揃うと、
命を下すや否、彼も甲冑をつけて、赤兎馬に
驚いたのは、劉備である。
理由がわからない。
しかし事態は急だ。防がずにいられない。
彼も、兵を従えて、城外へすすみ出た。そして大音をあげて、
ひどい侮辱である。
劉備は顔色を変えたが、身に覚えないことなので、茫然、口をつぐんでいた。すると張飛はうしろから
呂布もまごついた。世にさまざまな賊もあるが、まだ糞賊というのは聞いたこともない。張飛のことばは無茶である。
「そうではないか! 汝は元来、寄る
張飛の悪たれが終るか終らない
呂布は
と、凄まじい怒りを見せて打ってかかった。
張飛は、乗ったる馬を
と、相手の
と、さらに、戟を持ち直し、正しく馬首を向け直すと、張飛も、
と、一丈八尺の
これは天下の偉観といってもよかろう。張飛も呂布も、当代、いずれ劣らぬ勇猛の典型である。
張飛は、徹底的に、呂布という
かくの如く憎み合っている両豪が、今や、戦場という時と所を得て、
戟を交わすこと二百余合、流汗は馬背にしたたり、双方の喚きは、雲に
後ろのほうで、関羽の声がした。
気がついて、彼が前後を見まわすと、もう薄暮の戦場にのこっているのは、自分ひとりだけであった。
そして敵兵の影を遠巻きに退路をつつみ、
張飛は答えながら、なおも、呂布と戦っていたが、なるほど、味方の陣地のほうで遠く
関羽は、彼のために、遠巻きの敵の一角を斬りくずしていた。張飛もいささか
と云いすてて馳けだした。
何か、呂布の罵る声がうしろで聞えたが、もう双方の姿もおぼろな夕闇となっていた。関羽は、彼のすがたを見ると馳け寄ってきて、
と、ささやいた。
県城へ引揚げてくると、劉備はすぐ張飛を呼んで詰問した。
関羽はその晩二百余頭の馬をすべて呂布の陣へ送り返した。
呂布は、それで機嫌を直して、兵を引こうとしたが、陳宮がそばから諫めた。
劉備が、左右に
とばかり、
と、先へ落ちて行った
時は、建安元年の冬だった。
国なく食なく、痩せた馬と、うらぶれた家の子郎党をひき連れた劉備玄徳は、やがて
といって、迎うるに
なお、酒宴をもうけて、張飛や関羽をもねぎらった。
劉備は、恩を謝して、日の暮れがた
すると、その後ろ姿を見送りながら、曹操の腹心、
と、意味ありげに、独り言をもらした。
曹操が
と、暗に殺意を
曹操は、何か、びくとしたように、眼をあげた。
ところへ、
といって、やがて朝廷に上がった日、劉備のため、予州(河南省)の牧を奏請して、直ちに任命を彼に伝えた。
さらに。
劉備が、任地へおもむく時には、兵三千と糧米一万
と、その行を盛んにした。
劉備は、かさねがさねの好意に、深く礼をのべて立った。
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