第89話、新野討滅

文字数 7,394文字

 曹操(そうそう)は大いに職制改革をやっていた。つねに内政の清新をはかり、有能な人物はどしどし登用して、閣僚の強化につとめ、

(事あれば、いつでも)という、いわゆる臨戦態勢をととのえていた。

 毛玠(もうかい)東曹掾(とうそうのえん)に任じられ、崔琰(さいえん)西曹掾(せいそうのえん)に挙げられたのもこの頃である。わけて出色な人事と評されたのは、主簿(しゅぼ)司馬朗(しばろう)の弟で、河内温(かだいうん)の人、司馬懿(しばい)、字を仲達(ちゅうたつ)というものが、文学掾(ぶんがくのえん)として、登用されたことだった。

 その司馬仲達(しばちゅうたつ)は、もっぱら文教方面や選挙の吏務にあったので文官の中には、異色を認められていたが、軍政方面には、まだ才略の聞えもなかった。

 やはり軍部に重きをなしているのは依然、夏侯惇(かこうじゅん)曹仁(そうじん)曹洪(そうこう)などであった。

 一日、南方の形勢について、軍議のあった時、その夏侯惇は、進んでこう献議した。

「いま劉備玄徳は、新野にあって、孔明を師となし、しきりに兵馬を調練しておるとか、捨ておいては後日の大患。まず、この邪魔石を取りのぞいて、しかる後、次の大計にのぞむのが順序でしょう」


 諸大将のうちには、異論を抱く顔色も見えたが、曹操がすぐ、


「その儀、よろしかろう」

 といったので、即座に、玄徳討伐のことは、決定を見てしまった。

 夏侯惇を総軍の都督とし、于禁(うきん)李典(りてん)を副将とした十万の軍団は編制され、吉日をえらんで発向することとなった。


 一方。新野(しんや)の内部には、孔明がそこに迎えられてきてから、ちょっと、おもしろくない空気が(かも)されていた。

「若輩の孔明を、譜代の臣の上席にすえ、それに師礼をとられ、ご寵用(ちょうよう)も度が過ぎる」という嫉視(しっし)であった。

 関羽(かんう)張飛(ちょうひ)の二人も、心のうちで喜ばないふうが、顔にも見えていたし、或る時は、玄徳へ向って、無遠慮にその不平を鳴らしたこともある。


「いったいあの孔明に、どれほどな才があるのですか。家兄(かけい)には少し人に惚れこみ過ぎる癖がありはしませんか」


「否、否」


 劉備は、ふっくらと笑いをふくんで、


「わしが、孔明を得たことは、魚が水を得たようなものだ」

 と、いった。

 張飛は、不快きわまる如き顔をして、その後は、孔明のすがたを見かけると、


「水が来た。水が流れてゆく」
 などとあざけった。


 そんな、孔明はかねてから新野(しんや)の戸籍簿を作って、百姓の壮丁(そうてい)徴募(ちょうぼ)していた。城兵数千のほかに、農兵隊の組織を計画していたのである。

 彼はみずから教官となって、三千余人の農民兵を調練しはじめた。歩走(ほそう)飛伏(ひふく)、一進一退、陣法の節を教え、克己(こっき)の精神をたたき込み、刺撃(しげき)、用剣の術まで、習わせた。

 ふた月も経つと、三千の農兵は、よく節を守り、孔明の手足のごとく動くようになった。

 かかる折に、果たして、夏侯惇を大将とする十万の兵が、新野討滅を名として、南下してくるとの沙汰が聞えてきたのである。

「十万の大兵とある。如何にして防ぐがよいか」


 劉備は恐怖して、関羽、張飛のふたりへもらした。すると張飛は、


「たいへんな野火ですな。水を向けて消したらいいでしょう」


 と、こんな時とばかり、苦々しげに面当(つらあ)てをいった。

 些末(さまつ)な感情などにとらわれている場合ではないと、劉備は二人へいった。

「智は孔明をたのみ、勇は二人の力にたのむぞ。よいか。くれぐれも」


 張飛と関羽が退がって行くと、劉備は孔明を呼んで、同じように、この急場に処する対策を依嘱した。


「ご心配は無用です」


 孔明はまずそういってから、


「――ただ、この際の憂いは、外よりも内にあります。おそらくは関羽、張飛のふたりが私の命に伏しますまい。軍令が行われなければ、敗れることは必然でしょう」


「実に困ったものだ。それにはどうしたらいいだろう」


「おそれながら、わが君の剣と印とを孔明にお貸しください」


(やす)いこと、それでよいか」


「諸将をお召しください」


 孔明の手に、剣と印を授けて、劉備は諸将を呼んだ。

 孔明は、軍師座に腰をすえ、劉備は中央の床几(しょうぎ)()っていた。孔明は、厳然立ちあがって、味方の配陣を命じた。


「ここ新野を去る九十里外に、博望坡(はくぼうは)の嶮がある。左に山あり、予山(よざん)という。右に林あり、安林(あんりん)という。――各自ここを戦場と心得られよ」
 と、まず地の理を指摘して、
「――関羽は千五百をひきいて予山にひそみ、敵軍の通過、半ばなるとき、後陣を討って、敵の輜重(しちょう)を襲い、火をかけて焚殺(ふんさつ)せられよ。張飛は、同じく千五百の兵を、安林に入れて、後ろの谷間へかくれ、南にあたって、火のあがるを見るや、無二、無三、敵の中軍先鋒へ当ってそれを粉砕し給え。――また、関平(かんぺい)劉封(りゅうほう)とは各五百人を率して、硫黄(いおう)焔硝(えんしょう)をたずさえ、博望坡の両面より、火を放って敵を火中につつめ」

 次に、趙雲を指命して、


「ご辺には先手を命じる」

 と、いった。

 趙雲が、よろこび勇むと、孔明はたしなめて、

「ただし、一箇の功名は、きっと慎み、ただ(いつわ)り負けて逃げてこられよ。勝つことをもって能とせず、敵を深く誘いこむのが貴公の任である。ゆめ、全軍の戦機をあやまり給うな」

 と、さとした。

 そのほか、すべての手分けを彼が命じ終ると、張飛は待っていたように、いきなり孔明へ向って大声でいった。

「いや、軍師のおさしず、いちいちよく相分った。ところで一応伺っておきたいが、軍師自身は、いずれの方面に向い給うか」

「かく申す孔明は、ここにあって新野を守る」


 張飛は、大口あいて、不遠慮に笑いながら、


「わははは、あははは。さてこそさてこそ、この者の智慧のほどこそ知られけり――だ、聞いたか、方々」
 と、手をうって、
「主君をはじめ、われわれにも、遠く本城を出て戦えと命じながら自分は新野を守るといっておる、――安坐して、おのれの無事だけを守ろうとは……うわ、は、は、は。笑えや」

 孔明は、その爆笑を一(かつ)に打ち消して、涼然(りょうぜん)、こう叱りつけた。


「剣印ここにあるを、見ぬか。命にそむく者は、斬るぞっ。軍紀をみだす者も同じである!」


 眸は、張飛を射すくめた。奮然張飛は反抗しかけたが、劉備になだめられて、不承不承(ふしょうぶしょう)、出ていった。嘲笑いながら、出陣した。


 表面、命令に従って、それぞれ前線へ向っては行ったが、内心、孔明の指揮をあやぶんでいたのは関羽、張飛だけではなかった。

 関羽なども、張飛をなだめていたが、


「とにかく、孔明の(はかりごと)があたるか否か、試みに、こんどだけは、下知に従っていようではないか」


 と、いった程度であった。


 時、建安十三年の秋七月という。夏侯惇(かこうじゅん)は十万の大軍を率いて、博望坡(はくぼうは)河南省(かなんしょう)新野(しんや)の北方)まで迫ってきた。

 土地の案内者をよんで、所の名をたずねると、

「うしろは羅口川(らこうせん)、左右は予山、安林。前はすなわち博望坡です」と、答えた。

 兵糧輜重(しちょう)などを主とした後陣の守りには、于禁(うきん)、李典の二将をおき、自身は副将の夏侯蘭、韓浩(かんこう)の二人を具して、さらにすすんだ。

 そしてまず、軽騎の将数十をつれて、敵の陣容を一(べん)すべく、高地へ馳けのぼって行ったが、

「ははあ。あれか。わははは」

 と、夏侯惇は、馬上で大いに笑った。

「何がそんなにおかしいので」と、諸将がたずねると、

「今、彼の布陣を、この眼に見て、その愚劣を知ったからだ。――こんな貧弱な兵力と愚陣を配して、われに向わんとは、犬羊をケシかけて虎豹(こひょう)と闘わせようとするようなもの――」


 と、なお笑いやまず、もう(たなごころ)にあるも同様だと云い足した。

 すでに敵を呑んだ夏侯惇は、先手の兵にむかって、一気に衝き崩せと号令をかけ、自身も一陣に馳けだした。

 時に、趙雲もまた彼方から馬を飛ばして、夏侯惇のほうへ向ってきた。夏侯惇は、大音をあげていう。


鼠将(そしょう)劉備の(あわ)を喰って、共に国をぬすむ醜類(しゅうるい)、いずこへ行くか。夏侯惇これにあり、首をおいてゆけ」


「何をっ」


 趙雲は、まっしぐらに、槍を舞わしてかかってくる。丁々十数戟(すうげき)、いつわって、たちまち逃げ出すと、


「待てっ、怯夫(きょうふ)っ」


 と、夏侯惇は、勝ち誇って、あくまで追いかけて行った。

 副将である韓浩(かんこう)は、それを見て、夏侯惇に追いつき、(いさ)めていった。


「深入りは危険です。趙雲の逃げぶりを見ると、取って返して誘い、誘ってはまた逃げだす様子、伏兵があるにちがいありません」

「何を、ばかな」


 夏侯惇は一笑に付して、


「伏勢があれば伏勢を蹴ちらすまでだ、これしきの敵、たとえ十面埋伏(まいふく)の中を行くとも、なんの恐るるに足るものか。――ただ追い詰め追い詰め討ちくずせ」

 

 かくて、いつか彼は博望の(つつみ)を踏んでいた。

 すると果たして、金鼓の声、矢風の音が鳴りはためいた。旗を見れば劉備の一陣である。夏侯惇は大いに笑って、

「これがすなわち、敵の伏勢というものだろう。小ざかしき虫けらども、いでひと破りに」


 と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。

 気負いぬいた彼の麾下(きか)は、その夜のうちにも新野へ迫って、一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。

 劉備は一軍を率いて、力闘につとめたが、もとより孔明から授けられた計のあること、防ぎかねた態をして、たちまち趙雲とひとつになって潰走(かいそう)しだした。



 いつか陽は没して、霧のような蒸雲(じょううん)のうえに、月の光がかすかだった。


「おうーいっ、于禁(うきん)。おういっ――しばらく待て」

 うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁は、


「李典か。何事だ」


 と、大汗を拭いながら振向いた。

 李典も、あえぎあえぎ、追いついてきて、


「夏侯都督には、如何なされたか」


「気早の御大将、何かは猶予(ゆうよ)のあるべき。悍馬(かんば)にまかせて真っ先に進まれ、もうわれらは二里の余もうしろに捨てられている」


「危ういぞ。図に乗っては」


「どうして」


「あまりに盲進しすぎる」


「蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路のはかどるのは、味方の強いばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、びくびくするのか」


「いや、びくびくはせぬが、兵法の初学にも――難道行くに従って狭く、山川相せまって草木の茂れるは、敵に火計ありとして備うべし――。ふと、それを今、ここで思い出したのだ」


「むむ。そういわれてみると、この辺の地勢は……それに当っている」


 と、于禁も急に足をすくめた。

 彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典にいった。


「ご辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えてい給え。……どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重するよう報じてくる」


 于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯惇に追いついた。そして李典のことばをそのまま伝えると、彼もにわかにさとったものか、


「しまったっ。少し深入りしたかたちがある」


 そのとき――一陣の殺気というか、兵気というものか、多年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、ぞくと総身の毛あなのよだつようなものに襲われた。


「――それっ、引っ返せ」


 馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹かげ樹かげに、チラチラと火の粉が光った。

 すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の(こずえ)に這い、(たに)の水は(あかがね)のように沸き立った。

「伏兵だっ」

「火攻め!」

 と、道にうろたえだした人馬が、互いに踏み合い転げあって、阿鼻叫喚(あびきょうかん)をあげていたときは、すでに天地は(とき)の声にふさがり、四面金鼓のひびきに満ちていた。

「夏侯惇は、いずれにあるか。昼の大言は、置き忘れてきたか」

 趙雲子龍(ちょううんしりゅう)の声がする。

 さしもの夏侯惇も、渓川(たにがわ)におちて死ぬものやら、馬に踏まれて落命するなど、おびただしい味方の死傷を見ては、ひっ返して、趙雲に出会う勇気もなかったらしい。

「馬に頼るな。馬を捨てて、水に従って逃げ落ちよ」


 と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れだすのがようやくであった。

 後陣にいた李典は、


「さてこそ」


 と前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊を守ろうとすれば、そこにはすでに、劉備の麾下(きか)張飛が迫って、輜重(しちょう)をことごとく焼き払ったあげく、


「火の網の中にある敵、一匹ものがすな」

 と、後方から挟撃してきた。

 討たるる者、焼け死ぬ者、数知れなかった。夏侯惇、于禁、李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、

「もう、いかん」
 と、峰越しに逃げのびたが、夏侯蘭は張飛に出会って、その首を掻かれ、韓浩(かんこう)は、炎の林に追いこまれて、全身、大火傷(おおやけど)を負ってしまった。


 戦は暁になってやんだ。

 山は焼け、渓水(たにみず)死屍(しし)で埋もれ、悽愴な余燼(よじん)のなかに、関羽、張飛は軍をおさめて、意気揚々、ゆうべの戦果を見まわっていた。

「敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵は、半分もないだろう」


「まず、全滅に近い」


幸先(さいさき)よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのぼろう。かかる大捷(たいしょう)を博したのも、日頃の鍛錬があればこそ――やはり平常が大事だな」


「それもあるが……」
 と、関羽は口をにごらしながら、馬を並べている張飛の顔を見て云った。
「この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功は否みがたい」

「むむ。……(はかりごと)は、図にあたった。彼奴(きゃつ)も、ちょっぴり、やりおる」


 張飛はなお幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、孔明の智謀を認めないわけにはゆかなかった。

 やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、彼方から一輌の車をおし、簇擁(ぞくよう)として、騎馬軍旗など、五百余の兵が近づいてくる。


「誰か?」


 と見れば、車のうえには悠然として軍師孔明。――前駆の二大将は糜竺(びじく)糜芳(びほう)のふたりだった。


「オオ、これは」


「軍師か」


 威光というものは争えない。関羽と張飛はそれを見ると、理屈なしに馬をおりてしまった。そして車の前に拝伏し、夜来の大捷(たいしょう)を孔明に報告した。


「わが君の御徳と、各自の忠誠なる武勇によるところ。同慶の至りである。」


 孔明は車上から鷹揚にそういって、大将たちをねぎらった。自分よりはるかに年上な猛将たちを眼の下に見て、そういえるだけでも、年まだ二十八歳の弱冠とは見えなかった。

 やがて、またここへ、趙雲(ちょううん)関平(かんぺい)劉封(りゅうほう)などの諸将も兵をまとめて集まった。

 関羽の養子関平は、敵の兵糧車七十余輛を分捕って、初陣の意気軒昂たるものがあった。

 さらに、白馬にまたがった劉備のすがたが、これへ見えると、諸軍声をあわせて、勝鬨(かちどき)をあげながら迎えた。

「ご無事で」

「めでたく」

「しかも、大捷を占めてのご帰城――」と、人々はよろこび勇んで、新野へ凱旋した。旗幡翻々(へんぺん)と道を()め、百姓はそれを迎えて拝舞雀躍(はいぶじゃくやく)した。

 孫乾(そんけん)は、留守していたので、城下の父老をひきいて、郭門(かくもん)に出迎えていた。その老人たちは、口をそろえて、

「この土地が、敵の蹂躙(じゅうりん)から免れたのは、ひとえにわがご領主が、賢人を厚くお用いなされたからじゃ」

 と、劉備の英明をたたえ、また孔明を徳として仰いだ。

 しかし孔明は誇らなかった。

 城中に入って、数日の後、劉備が彼に向って、あらゆる歓びと称讃を呈しても、

「いやいや、まだ決して、安心はなりません」
 と、眉をひらく風もなかった。
「いま、夏侯惇の十万騎は、残り少なに討ちなされて、ここしばらくは急もありますまいが、必定、この次には、曹操自身が攻め下って来るでしょう。味方の趨勢はその時かと思われます」
「曹操がみずから攻めてくるようだったら、それは容易ならぬことになる。北方の袁紹(えんしょう)ですら一敗地に滅び、冀北(きほく)遼東(りょうとう)遼西(りょうせい)まで席巻(せっけん)したあの勢いで南へきたら?」

「かならず参ります。故に、備えておかなければなりますまい。それにはこの新野は領堺も狭く、しかも城の要害は薄弱で、たのむには足りません」


「でも、新野を退いては」


「新野を退いて拠るべき堅固は……」


 と、孔明は云いかけて、そっとあたりを見まわした。


「ここに一計がないでもありません」


 と、孔明は声をはばかって、ささやいた。


「国主の劉表(りゅうひょう)は病重く、近頃の容態はどうやら危篤のようです。これは天が君に幸いするものでなくてなんでしょう。よろしく荊州(けいしゅう)を借りて、万策をお計りあれ。それに()れば、地は広く、(けん)は狭く、軍需財源、すべて充分でしょう」


 劉備は顔を横に振った。


「それは良計には違いなかろうが、わしの今日あるは、劉表の恩である。恩人の危うきにつけこんで、その国を奪うようなことは忍び得ない」


「このさい小乗的なお考えは捨て、大義に生きねばなりますまい。いま荊州を取っておかなければ、後日になって悔ゆるとも及びませぬ」


「情にもとり、義に欠けるようなことはできない」


「かくいううちにも、曹操の大軍が襲来いたしたなら、何となさいますか」


「いかなる禍いにあおうと、忘恩の徒となるよりはましである」


「ああ。まことに君は仁者でいらせられる!」


 それ以上、強いることばも、(いさ)める()もなく、孔明は口をつぐんだ。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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