第89話、新野討滅
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(事あれば、いつでも)という、いわゆる臨戦態勢をととのえていた。
その
やはり軍部に重きをなしているのは依然、
一日、南方の形勢について、軍議のあった時、その夏侯惇は、進んでこう献議した。
諸大将のうちには、異論を抱く顔色も見えたが、曹操がすぐ、
といったので、即座に、玄徳討伐のことは、決定を見てしまった。
夏侯惇を総軍の都督とし、
一方。
「若輩の孔明を、譜代の臣の上席にすえ、それに師礼をとられ、ご
劉備は、ふっくらと笑いをふくんで、
と、いった。
張飛は、不快きわまる如き顔をして、その後は、孔明のすがたを見かけると、
そんな、孔明はかねてから
彼はみずから教官となって、三千余人の農民兵を調練しはじめた。
ふた月も経つと、三千の農兵は、よく節を守り、孔明の手足のごとく動くようになった。
かかる折に、果たして、夏侯惇を大将とする十万の兵が、新野討滅を名として、南下してくるとの沙汰が聞えてきたのである。
劉備は恐怖して、関羽、張飛のふたりへもらした。すると張飛は、
と、こんな時とばかり、苦々しげに
張飛と関羽が退がって行くと、劉備は孔明を呼んで、同じように、この急場に処する対策を依嘱した。
孔明はまずそういってから、
孔明の手に、剣と印を授けて、劉備は諸将を呼んだ。
孔明は、軍師座に腰をすえ、劉備は中央の
次に、趙雲を指命して、
と、いった。
趙雲が、よろこび勇むと、孔明はたしなめて、
と、さとした。
そのほか、すべての手分けを彼が命じ終ると、張飛は待っていたように、いきなり孔明へ向って大声でいった。
張飛は、大口あいて、不遠慮に笑いながら、
孔明は、その爆笑を一
眸は、張飛を射すくめた。奮然張飛は反抗しかけたが、劉備になだめられて、
表面、命令に従って、それぞれ前線へ向っては行ったが、内心、孔明の指揮をあやぶんでいたのは関羽、張飛だけではなかった。
関羽なども、張飛をなだめていたが、
時、建安十三年の秋七月という。
土地の案内者をよんで、所の名をたずねると、
「うしろは
兵糧
そしてまず、軽騎の将数十をつれて、敵の陣容を一
と、夏侯惇は、馬上で大いに笑った。
「何がそんなにおかしいので」と、諸将がたずねると、
と、なお笑いやまず、もう
すでに敵を呑んだ夏侯惇は、先手の兵にむかって、一気に衝き崩せと号令をかけ、自身も一陣に馳けだした。
時に、趙雲もまた彼方から馬を飛ばして、夏侯惇のほうへ向ってきた。夏侯惇は、大音をあげていう。
趙雲は、まっしぐらに、槍を舞わしてかかってくる。丁々十
と、夏侯惇は、勝ち誇って、あくまで追いかけて行った。
副将である
夏侯惇は一笑に付して、
かくて、いつか彼は博望の
すると果たして、金鼓の声、矢風の音が鳴りはためいた。旗を見れば劉備の一陣である。夏侯惇は大いに笑って、
と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。
気負いぬいた彼の
劉備は一軍を率いて、力闘につとめたが、もとより孔明から授けられた計のあること、防ぎかねた態をして、たちまち趙雲とひとつになって
いつか陽は没して、霧のような
うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁は、
と、大汗を拭いながら振向いた。
李典も、あえぎあえぎ、追いついてきて、
と、于禁も急に足をすくめた。
彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典にいった。
于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯惇に追いついた。そして李典のことばをそのまま伝えると、彼もにわかにさとったものか、
そのとき――一陣の殺気というか、兵気というものか、多年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、ぞくと総身の毛あなのよだつようなものに襲われた。
馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹かげ樹かげに、チラチラと火の粉が光った。
すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の
「伏兵だっ」
「火攻め!」
と、道にうろたえだした人馬が、互いに踏み合い転げあって、
さしもの夏侯惇も、
と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れだすのがようやくであった。
後陣にいた李典は、
と前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊を守ろうとすれば、そこにはすでに、劉備の
と、後方から挟撃してきた。
討たるる者、焼け死ぬ者、数知れなかった。夏侯惇、于禁、李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、
戦は暁になってやんだ。
山は焼け、
張飛はなお幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、孔明の智謀を認めないわけにはゆかなかった。
やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、彼方から一輌の車をおし、
と見れば、車のうえには悠然として軍師孔明。――前駆の二大将は
威光というものは争えない。関羽と張飛はそれを見ると、理屈なしに馬をおりてしまった。そして車の前に拝伏し、夜来の
孔明は車上から鷹揚にそういって、大将たちをねぎらった。自分よりはるかに年上な猛将たちを眼の下に見て、そういえるだけでも、年まだ二十八歳の弱冠とは見えなかった。
やがて、またここへ、
関羽の養子関平は、敵の兵糧車七十余輛を分捕って、初陣の意気軒昂たるものがあった。
さらに、白馬にまたがった劉備のすがたが、これへ見えると、諸軍声をあわせて、
「ご無事で」
「めでたく」
「しかも、大捷を占めてのご帰城――」と、人々はよろこび勇んで、新野へ凱旋した。旗幡
「この土地が、敵の
と、劉備の英明をたたえ、また孔明を徳として仰いだ。
しかし孔明は誇らなかった。
城中に入って、数日の後、劉備が彼に向って、あらゆる歓びと称讃を呈しても、
と、孔明は云いかけて、そっとあたりを見まわした。
と、孔明は声をはばかって、ささやいた。
「国主の
劉備は顔を横に振った。
それ以上、強いることばも、
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