第39話、長安燃える
文字数 5,872文字
「伏して、
と、恭順を示した。
ところが、
と、使いを追い返し、即日、討伐令を発した。王允は、これを機に残った董卓の一味を根絶やしにして、その残り香を消し去りたかった。
西涼の敗兵は、大いに恐れた。
すると、謀士の聞えある
四将は、その説に従った。
すると、西涼一帯に、いろいろな
「長安の王允が、大兵を向けて、地方民まで、みなごろしにすると号している」と、いう噂だ。
その人心へつけ入って、
「坐して死を待つより、われわれの軍と共に、抗戦せよ!」と、四将は
集まった雑軍を入れて、十四万という大軍になった。
気勢をあげて、押し進むと、途中で董卓の
いよいよ意気は
だが、やがて敵と近づいて
「これはいかん」と、四将の軍は、たちまち意気
それは、有名な
「呂布にはかなわない」と戦わぬうちから観念したからであった。
で、一度は
ところが、敵は案外もろかった。
その陣の大将は呂布でなく、董卓誅殺の時、
油断していた李粛は、兵の大半を討たれ、三十里も敗走するという醜態だった。
後陣の呂布は、
と、激怒して、李粛を斬ってしまった。
李粛の首を、軍門に
牛輔は、逃げ退いて、腹心の
四、五名の従者だけをつれて、未明の陣地から脱走した。
だが、この主君の下にこの家来ありで、胡赤児は、途中の河べりまで来ると、川を
そして、呂布の陣へ走り、
と、降伏して出た。
だが、仲間の一人が、胡赤児が牛輔を殺したのは、金銀に目がくれて、それを奪おうためであると、陰へ廻って自白したので、呂布は、
と、胡赤児を
牛輔の死が伝えられた。また、それを殺した胡赤児も、呂布に斬られたという噂が聞えた。
「この上は、死か生か、決戦あるのみだ」と、敵の四将も
四将の一人、
と、呂布が勇のみで、智謀に
その間――
と、
好まない戦だが、応戦しなければ
結局、空しく、進退を失ったまま、幾日かを過ごしていた。
一方。
長安へ向って、殺到した張済、樊稠の軍は、行くほどに、勢いをまして、
「
「朝廷をわが手に奉ぜよ」と、潮の決するような勢いで、城下へ肉薄して行った。
しかし、そこには、鉄壁の外城がある。いかなる大軍も、そこでは喰い止められるものと人々は考えていたところ、なんぞ計らん、長安の市中に潜伏して
「時こそ来れ」と、ばかり白日の下におどり出して、各城門を内部からみな開けてしまった。
「天われに
雑軍の多い暴兵である。ひとたび長安の巷におどると、
ついこの間、酒壺をたたき、
どこまで呪われた民衆であろうか。
無情な天は、そこからあがる黒煙に、陽を潜め、月を隠し、ただ
変を聞いて。
呂布は、一大事とばかり、ようやく山間の小競り合いをすてて引返して来た。
だが、時すでに遅し――
彼が、城外十数里のところまで駆けつけて来てみると、長安の彼方、夜空いちめん真赤だった。
天に
呂布は
茫然と、火光の空を、眺めたまましばらく自失していた。
やんぬる
そう考えて、軍を解き、わずか百余騎だけを残し、にわかに道をかえて、夜と共に
前には、恋の
好漢惜しむらくは思慮が足らない。また、道徳に欠けるところが多い。――天はこの稀世の勇猛児の末路を、そも、
騒乱の物音が遠くする。
夜も
昼間も
宮中の奥ふかき所――
長安街上に躍る火の魔、血の魔がそのお眸には見えるような心地であられたろう。
「皇宮の危機が迫りました」
侍従が云って来た。
しばらくするとまた、
「
――こんどは朝廷へ
うなずかれただけだった。
事実、朝臣すべても、この際、どうしたらいいか、
すると侍従の一人が、
「彼らも、帝座の重きことはわきまえておりましょう。この上は、帝ご自身、
献帝は、
「天子だ」
「ご出御だ」
と、その下へ、わいわいと集まった。
と、にわかに味方を抑え、必死に暴兵を鎮圧して、自分らも、宣平門の下へ来た。
献帝は門上から、
と、大声で
すると、
と、宙を指さして叫んだ。
その声を聞くと、全軍、わあっと雷同して、献帝の答えいかにと要求を迫る色を示した。
献帝は、ご自身の横を見た。
そこには王允が侍している。
王允は、蒼ざめた唇をかんで、眼下の大軍を睨んでいたが、献帝の眸が自分のもとにそそがれたと知ると、やにわに起って、
と、門楼のうえから身をなげうって飛び降りた。
なんで
「おうっ、こいつだ」
「
「
寄りたかった剣槍は、たちまち、王允の体をずたずたにしてしまった。
兇暴な彼らは、要求が容れられても、まだ退かなかった。この際、天子を
と、ふたたび
すると壁下の暴将兵は、
「いや、王室へ功をいたしたわれわれ臣下にまだ
と、官職の要求をした。
宮門に軍馬をならべて、官職を与えよと、強請する暴臣のさけびに、帝も浅ましく思われたに違いないが、その際、帝としても、如何とする
彼らの要求は認められた。
で――
また、
こういう政府が、長く人民に平和と秩序を
果たして。
それから程なく、西涼の太守
李傕たちの四将は、「どうしたものか」と、謀士
賈詡は、一策を立てて、消極戦術をすすめた。
長安の周囲の外城をかため、塁の上に塁を築き、溝はさらに掘って溝を深くし、いくら寄手が
百日も経つと、寄手の軍は、すっかり意気を
機をうかがっていた長安の兵は、一度に四門をひらいて寄手を蹴ちらした。大敗した西涼軍は、ちりぢりになって逃げ走った。
すると、その乱軍の中で、并州の
韓遂は、苦しまぎれに、以前の
樊稠は、彼のさけびに、つい人情にとらわれて、軍を返してしまった。
翌日、長安の城内で勝軍の大宴がひらかれたが、その席上、四将の一人
と、突然、首を刎ねた。
同僚の張済は驚きのあまり床へ坐って、
樊稠のことを叔父に密告したのは李傕の
と、樊稠の罪を、席上の将士へ、大声で演舌した。
最後に、李傕はまた、張済の肩をたたいて、
と、樊稠隊の統率を、みな張済の手に移した。
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