第39話、長安燃える

文字数 5,872文字

 西涼(せいりょう)甘粛省(かんしゅくしょう)・蘭州)の地方におびただしい敗兵が流れこんだ。

 郿塢(びう)の城から敗走した大軍だった。

 董卓(とうたく)の旧臣で、その四大将といわれる李傕(りかく)張済(ちょうさい)郭汜(かくし)樊稠(はんちゅう)などは、連名して、使者を長安に上せ、

「伏して、(しゃ)を乞う」

 と、恭順を示した。

 ところが、王允(おういん)は、


「断じて(ゆる)せない」


 と、使いを追い返し、即日、討伐令を発した。王允は、これを機に残った董卓の一味を根絶やしにして、その残り香を消し去りたかった。

 西涼の敗兵は、大いに恐れた。

 すると、謀士の聞えある賈詡(かく)が云った。


「動揺してはいけない。団結を解いてはならん。もし諸君が、一人一人に分離すれば、田舎の小役人の力でも召捕ることができる。よろしく集結を固め、その上に、陝西(せんせい)の地方民をも糾合(きゅうごう)しして、長安へ殺到すべしである。――うまくゆけば、董卓の仇を報じて、朝廷をわれらの手に奉じ、失敗したらその時逃げても遅くない」

 四将は、その説に従った。

 すると、西涼一帯に、いろいろな謡言(ようげん)流布(るふ)されて、州民は、恐慌(きょうこう)を起した。

「長安の王允が、大兵を向けて、地方民まで、みなごろしにすると号している」と、いう噂だ。

 その人心へつけ入って、

「坐して死を待つより、われわれの軍と共に、抗戦せよ!」と、四将は煽動(せんどう)した。

 集まった雑軍を入れて、十四万という大軍になった。

 気勢をあげて、押し進むと、途中で董卓の女婿(じょせい)中郎将(ちゅうろうしょう)牛輔(ぎゅうほ)も、残兵五千をつれて、合流した。

 いよいよ意気は(あが)った。

 だが、やがて敵と近づいて対峙(たいじ)すると、

「これはいかん」と、四将の軍は、たちまち意気沮喪(そそう)してしまった。

 それは、有名な呂布(りょふ)が向って来たと分ったからである。

「呂布にはかなわない」と戦わぬうちから観念したからであった。

 で、一度は退(しりぞ)いたが、謀士の賈詡(かく)が、夜襲しろといったので、夜半、ふいに戻って敵陣をついた。

 ところが、敵は案外もろかった。

 その陣の大将は呂布でなく、董卓誅殺の時、郿塢(びう)の城へ偽勅使(にせちょくし)となって来た李粛(りしゅく)だった。

 油断していた李粛は、兵の大半を討たれ、三十里も敗走するという醜態だった。

 後陣の呂布は、


「何たるざまだ」

 と、激怒して、李粛を斬ってしまった。

 李粛の首を、軍門に()けるや、彼は自身、陣頭に立ち、またたくまに牛輔(ぎゅうほ)の軍を撃破した。

 牛輔は、逃げ退いて、腹心の胡赤児(こせきじ)という者へ、蒼くなってささやいた。

「呂布に出て来られては、とても勝てるものではない。いっそのこと、金銀をさらって、逃亡しようと思うが」


「そのことです。足もとの明るいうちだと、私も考えていたところで」


 四、五名の従者だけをつれて、未明の陣地から脱走した。

 だが、この主君の下にこの家来ありで、胡赤児は、途中の河べりまで来ると、川を(わた)りかけた牛輔を、不意に後ろから斬って、その首を掻き落してしまった。

 そして、呂布の陣へ走り、


「牛輔の首を献じますから、私を取立てて下さい」

 と、降伏して出た。

 だが、仲間の一人が、胡赤児が牛輔を殺したのは、金銀に目がくれて、それを奪おうためであると、陰へ廻って自白したので、呂布は、

「牛輔の首だけでは取立ててやるには不足だ。その首も出せ」


 と、胡赤児を叱咤(しった)し、その場ですぐ彼をも(くびき)ってしまった。

 牛輔の死が伝えられた。また、それを殺した胡赤児も、呂布に斬られたという噂が聞えた。

「この上は、死か生か、決戦あるのみだ」と、敵の四将も(ほぞ)をかためたらしい。

 四将の一人、李傕(りかく)は、

「呂布には、正面からぶつかったのでは、所詮(しょせん)、勝ち目はない」

 と、呂布が勇のみで、智謀に()けないのをつけ目として、わざと敗れては逃げ、戦っては敗走して、呂布の軍を、山間に誘いこみ、決戦を長びかせて、彼をして進退両難におちいらしめた。

 その間――

 張済(ちょうさい)樊稠(はんちゅう)の二将は、道を迂回して、長安へ進んでしまった。

「長安が危ない。はやく引返して防げ」

 と、王允(おういん)から幾たびも急使が来たが、呂布は動きがつかなかった。

 山峡(やまかい)隘地(あいち)を出て、軍を返そうとすれば、たちまち、李傕や郭汜(かくし)の兵が、沢や峰や渓谷の陰から、所きらわず出て来て戦を挑むからだった。

 好まない戦だが、応戦しなければ潰滅(かいめつ)するし、応戦していれば果てしがない。

 結局、空しく、進退を失ったまま、幾日かを過ごしていた。

 一方。

 長安へ向って、殺到した張済、樊稠の軍は、行くほどに、勢いをまして、

董卓(とうたく)の仇をとれ」

「朝廷をわが手に奉ぜよ」と、潮の決するような勢いで、城下へ肉薄して行った。

 しかし、そこには、鉄壁の外城がある。いかなる大軍も、そこでは喰い止められるものと人々は考えていたところ、なんぞ計らん、長安の市中に潜伏して生命(いのち)を保っていた無数の旧董卓派の残党が、

「時こそ来れ」と、ばかり白日の下におどり出して、各城門を内部からみな開けてしまった。

「天われに(くみ)す」と、西涼軍は、雀躍(こおど)りして、城内へなだれこんだ。それはまるで、堤を切った濁流のようだった。

 雑軍の多い暴兵である。ひとたび長安の巷におどると、狼藉(ろうぜき)いたらざるなしの(てい)たらくであった。

 ついこの間、酒壺をたたき、平和来(へいわらい)(うた)って、戸ごとに踊り祝っていた民家は、ふたたび暴兵の洪水に(ひた)され、渦まく剣光を阿鼻叫喚(あびきょうかん)に逃げまどった。

 どこまで呪われた民衆であろうか。

 無情な天は、そこからあがる黒煙に、陽を潜め、月を隠し、ただ暗々(あんあん)瞑々(めいめい)、地上を酸鼻(さんび)にまかせているのみであった。

 変を聞いて。

 呂布は、一大事とばかり、ようやく山間の小競り合いをすてて引返して来た。

 だが、時すでに遅し――

 彼が、城外十数里のところまで駆けつけて来てみると、長安の彼方、夜空いちめん真赤だった。

 天に(ちゅう)する火焔は、もうその下に充満している敵兵の絶対的な勢力を思わせた。

「……しまった!」

 呂布は(うめ)いた。

 茫然と、火光の空を、眺めたまましばらく自失していた。

 やんぬる(かな)。さすがの呂布も、今はいかんともする(すべ)もなかった。手も足も出ない形とはなった。


「そうだ、ひとまず、袁術の許へ身を寄せて後図(こうと)を計ろう」

 そう考えて、軍を解き、わずか百余騎だけを残し、にわかに道をかえて、夜と共に悄然(しょうぜん)と落ちて行った。

 前には、恋の貂蝉(ちょうせん)(うしな)い、今また争覇の地を失って、呂布のうしろ影には、いつもの凜々(りんりん)たる勇姿もなかった。

 好漢惜しむらくは思慮が足らない。また、道徳に欠けるところが多い。――天はこの稀世の勇猛児の末路を、そも、何処(いずこ)に運ぼうとするのであろうか。


 騒乱の物音が遠くする。

 夜も陰々(いんいん)と。

 昼間も轟々(ごうごう)と。

 宮中の奥ふかき所――献帝(けんてい)はじいっと(あお)ざめた顔をしておられた。

 長安街上に躍る火の魔、血の魔がそのお眸には見えるような心地であられたろう。

「皇宮の危機が迫りました」

 侍従が云って来た。

 しばらくするとまた、

西涼軍(せいりょうぐん)が、潮のごとく、禁門の下へ押して参りました」と、侍臣が奏上した。

 ――こんどは朝廷へ()ってくるな、とはや、観念されたように、献帝は眼をふさいだまま、


「ウム。……むむ」

 うなずかれただけだった。

 事実、朝臣すべても、この際、どうしたらいいか、()すことを知らなかった。

 すると侍従の一人が、

「彼らも、帝座の重きことはわきまえておりましょう。この上は、帝ご自身、宣平門(せんへいもん)の楼台に上がられて、乱をご制止あそばしたら、鎮まるだろうと思います」と奏請(そうせい)した。

 献帝は、玉歩(ぎょくほ)を運んで宣平門へ上がった。血に酔って、()いていた城下の狂軍は、禁門の楼台に瑤々(ようよう)(かざ)された天子の黄蓋(こうがい)にやがて気づいて、

「天子だ」

「ご出御だ」

 と、その下へ、わいわいと集まった。

 李傕(りかく)郭汜(かくし)の二将は、


「しずまれっ。鎮まれっ」

 と、にわかに味方を抑え、必死に暴兵を鎮圧して、自分らも、宣平門の下へ来た。

 献帝は門上から、


「汝ら、何ゆえに、(ちん)がゆるしも待たず、ほしいままに長安へ乱入したか」

 と、大声で詰問(きつもん)された。

 すると、李傕(りかく)は、

「陛下っ。亡き董太師(とうたいし)は、陛下の股肱(ここう)であり、社稷(しゃしょく)の功臣でした。しかるに、ゆえなくして、王允(おういん)らの一味に謀殺され、その死骸は、街路に辱められました。――それ故に、われわれ董卓恩顧(おんこ)の旧臣が、復讐を計ったのであります。謀叛(むほん)では断じてありません。――今、陛下のお袖の陰にかくれている憎ッくき王允の身を、われらにおさげ下さるなら、われらは、即時禁門から撤兵します!」

 と、宙を指さして叫んだ。

 その声を聞くと、全軍、わあっと雷同して、献帝の答えいかにと要求を迫る色を示した。

 献帝は、ご自身の横を見た。

 そこには王允が侍している。

 王允は、蒼ざめた唇をかんで、眼下の大軍を睨んでいたが、献帝の眸が自分のもとにそそがれたと知ると、やにわに起って、

「一身何かあらん」

 と、門楼のうえから身をなげうって飛び降りた。

 犇々(ひしひし)と林立していた(ほこ)や槍の上へ、彼の体は落ちて来た。

 なんで(たま)ろう。

「おうっ、こいつだ」

巨魁(きょかい)っ」

(しゅ)(かたき)め」

 寄りたかった剣槍は、たちまち、王允の体をずたずたにしてしまった。

 兇暴な彼らは、要求が容れられても、まだ退かなかった。この際、天子を(しい)し、一挙に大事を(はか)らんなど、区々(まちまち)な暴議をそこで計っている様子だった。

「だが、そんな無茶をしても、恐らく民衆が服従しないだろう。おもむろに、天子の勢力を()いで、それからの仕事をしたほうが賢明だろう」


 樊稠(はんちゅう)や、張済(ちょうさい)の意見に、軍はようやく鎮まった気ぶりだが、なお退かないので帝は、


「はや、軍馬を返せ」

 と、ふたたび(さと)された。

 すると壁下の暴将兵は、

「いや、王室へ功をいたしたわれわれ臣下にまだ勲爵(くんしゃく)の沙汰がないので、待っているわけです」


 と、官職の要求をした。

 宮門に軍馬をならべて、官職を与えよと、強請する暴臣のさけびに、帝も浅ましく思われたに違いないが、その際、帝としても、如何とする(すべ)もなかった。

 彼らの要求は認められた。

 で――李傕(りかく)車騎将軍(しゃきしょうぐん)に、郭汜(かくし)後将軍(こうしょうぐん)に、樊稠(はんちゅう)右将軍(うしょうぐん)に任ぜられた。

 また、張済(ちょうさい)驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)となった。

 匹夫(ひっぷ)みな衣冠(いかん)して、一躍、廟堂(びょうどう)に並列したのである。――実に、一個の董卓の(てのひら)から、天下の大権は、転々と騒乱のうちにもてあそばれ、こうしてまたたちまち、四人の掌に移ったのであった。

 猜疑心(さいぎしん)は、成りあがり者の持前である。彼らは、献帝のそばにまで、密偵を立たせておいた。

 こういう政府が、長く人民に平和と秩序を()いてゆけるわけはない。

 果たして。

 それから程なく、西涼の太守馬騰(ばとう)と、并州(へいしゅう)刺史(しし)韓遂(かんすい)のふたりは、十余万の大軍をあわせて、「朝廟(ちょうびょう)の賊を掃討せん」と号して長安へ押しよせて来た。

 李傕たちの四将は、「どうしたものか」と、謀士賈詡(かく)に計った。

 賈詡は、一策を立てて、消極戦術をすすめた。

 長安の周囲の外城をかため、塁の上に塁を築き、溝はさらに掘って溝を深くし、いくら寄手が(わめ)いて来ても、「相手にするな」と、ただ守り固めていた。

 百日も経つと、寄手の軍は、すっかり意気を沮喪(そそう)させてしまった。糧草の欠乏やら、長期の滞陣に士気は()み、あげくの果てに、雨期をこえてからおびただしい病人が出たりして来たのである。

 機をうかがっていた長安の兵は、一度に四門をひらいて寄手を蹴ちらした。大敗した西涼軍は、ちりぢりになって逃げ走った。

 すると、その乱軍の中で、并州の韓遂(かんすい)は、右将軍の樊稠(はんちゅう)に追いつかれて、すでに一命も危うかった。

 韓遂は、苦しまぎれに、以前の友誼(ゆうぎ)を思い出してさけんだ。


樊稠(はんちゅう)樊稠っ。貴公とわしとは同郷の人間ではないか」


「ここは戦場だ。国乱をしずめるためには、個々の(よし)みも情も持てない」


「とはいえ、おれが戦いに来たのも、国家のためだ。貴公が国士なら、国士の心もちは分るだろう。おれは君に討たれてもよいが、全軍の追撃をゆるめてくれ給え」


 樊稠は、彼のさけびに、つい人情にとらわれて、軍を返してしまった。

 翌日、長安の城内で勝軍の大宴がひらかれたが、その席上、四将の一人李傕(りかく)は、樊稠のうしろへ廻って、


「裏切者っ」

 と、突然、首を刎ねた。

 同僚の張済は驚きのあまり床へ坐って、(ふる)えおののいてしまった。李傕は、彼を扶け起して、

「君にはなんの(とが)もない。樊稠はきのう戦場で、敵の韓遂を故意に助けたから誅罰したのだ」

 樊稠のことを叔父に密告したのは李傕の(おい)李別(りべつ)という者だった。李別は、叔父に代って、


「諸君、こういうわけだ」

 と、樊稠の罪を、席上の将士へ、大声で演舌した。

 最後に、李傕はまた、張済の肩をたたいて、

「今も甥がいったようなわけで樊稠は刑罰に附したが、しかし、貴公はおれの腹心だから、おれは貴公になんの疑いも抱いてはおらんよ。安心し給え」


 と、樊稠隊の統率を、みな張済の手に移した。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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