第147話、曹操

文字数 4,920文字

 戦陣に在る日は、年を知らない曹操も凱旋(がいせん)して、すこし閑になずみ、栄耀贅沢(えいようぜいたく)をほしいままにしていると、どこが痛む、ここが悪いと、とかく体のことばかり訴える日が多かった。とくに頭痛がひどく、侍医はあらゆる薬餌(やくじ)を試みたが、病人の苦悩は少しも減じない。

 いかんせん彼もすでに今年六十五という老齢(とし)である。体のままにならないのは自然だったが、自分ではまだそう思わないらしい。

「どうもこう近頃のように(すぐ)れないのは、関羽の霊でも(たた)っているのではあるまいか――」

 などと時々気に病んでいたりした。

 ある時、側臣である華歆が、

「侍医の百計も、(しるし)がないと御意遊ばすなら、いま金城に住居すると聞く華陀(かだ)をお召しになってはどうですか。華陀は天下の名医といいますし」
「名医華陀(かだ)の名はつとに聞いていた。沛国(はいこく)譙郡(しょうぐん)(うまれ)で、以前、呉の周泰を療治した者ではないか」
「よくご存知でいらっしゃいます。仰せの通りの人物で、彼の手にかかって癒らない病人はない程にいわれておりまする。(ぞう)(わずら)い、腹腑(ふくふ)を腐らしたような重病人も、麻肺湯(まはいとう)を飲ますと、須臾(しゅゆ)の間に昏睡して、仮死の状態になります由で、すなわち彼は、(とう)をとって、腹を解剖(ひら)き、臓腑を薬洗(やくせん)して、たちまち元のように収め、糸をもって傷口を縫うに、二十日を経ずして、まったく快癒した(ためし)などもあるそうでございまする」

「ふふむ……そんな荒療治をいたすのか」


「その間、病人は少しも痛みを覚えないと申しまする。またこんな例も聞きました。甘陵(かんりょう)相夫人(しょうふじん)ですが、妊娠して六月目の頃、どうしたのかひどく腹痛がして苦悶三日三晩に及んだのを、華陀(かだ)に診てもらったのです。華陀は脈をみるとすぐ、ああこれは惜しい、(はら)まれたのはせっかく男子らしいが、食毒にあたってすでに腹中で絶命している。いま癒さなければ母命も危ういところだろうと、すなわち、調薬して病人に与えると、果たして男胎(なんたい)が下り、夫人は七日を経てもとの体にかえったそうです」
「そんなに神効があるものなら呼んでみよう。早速、計らってくれい」

 病人は眸に希望をかがやかしてそう命じた。華歆(かきん)は早速使いを走らせ、魏王の名とその勢力をもって、遠く金城の地から夜を日に次いで華陀を洛陽へ招きよせた。

 華陀は到着すると、その日のうちに登殿して、曹操の病間へ伺候した。そして慎重に眼瞼や脈をしらべて、

「これは脳袋(のうたい)の病にちがいございません」

 と、診断した。

 曹操はうなずいて、

「そうあろう、予の持病は、偏頭風(へんずふう)とか申して、それが発作すると、無性に頭が痛み、数日は飲食もできなくなるのが常だ。せっかく名医に来て貰ったことだから、なんとか、その持病を根治する方法はないだろうか」

「さよう……」


 と、華陀はちょっと難しい顔をして考えこんでいたが、ややあって、


「ないこともありません。けれど非常に難しい手術を要します。ご持病の病根は、脳袋(のうたい)のうちにあるので、薬を召しあがっても、所詮、(やまい)に何の(かい)もないのです。ただ一つの方法は、麻肺湯(まはいとう)を飲んで、仮死せるごとく、昏々と意識も知覚もなくしておいてから、脳袋を解剖(きりひら)き、病根を切り除くのでござります。さすれば根治するやも知れません」

「もし、巧くゆかなかったら、どうなるか」


「畏れながら、ご命数と、お(あきら)め遊ばすしかございませぬ」

 曹操は勃然(ぼつぜん)と怒って、


「これ、やぶ医者。汝は予のいのちを、医刀の試みに用いるつもりか」
「かつて荊州の関羽が毒矢にあたって苦しまれていた時も、手前が行って、その(ひじ)を切り、骨を削り、さしもの毒も取り除いて、全治させておりまする。何で大王には、それしきの手術を恐れて、華陀の医術をお疑い遊ばすか」
「だまれ、臂と脳袋(のうたい)と、同じにいえるか。ははあ、さては汝は、関羽と親しい間がらの者であるな、察するに、予の病を絶好の機として近づき、関羽の仇を報ぜんとするのであろう。――者ども、者どもっ。この曲者(くせもの)を搦め捕って、獄へほうりこめ」

 病人はがばと起き、阿修羅(あしゅら)のごとく指さして(ののし)った。

 せっかく名医に会いながら、彼は名医の治療を受けなかった。のみならず華陀(かだ)の言を疑って、獄へ投じてしまったのである。まさに、曹操の天寿もここに尽きるの(しるし)というほかはない。

 ところが、典獄の呉押獄(ごおうごく)は、罪なき華陀の災難を気の毒に思って、夜具や酒食を入れてやったり、拷問(ごうもん)にかけよと命ぜられても、ひそかに(かば)って、ただ報告だけをしていた。

 華陀はふかく恩を感じて、ある日、人目のない折、


呉押獄(ごおうごく)。情けはありがたいが、もし上司に知れたら、御身はたちまち免職になるであろう。わしもすでに老齢じゃ。長からぬ命といまはさとっておる。以後はどうかほうっておいて欲しい」

 と、落涙して云った。


「いやいや、先生に罪があるなら私も決して(かば)いませんが、自分は呉にいた頃から先生の人格と神技に深く敬慕を寄せていた者です。どうかそんなご心配なく」


「では、其許(そこもと)は呉の(うまれ)か」


「ええ。姓も呉氏です。若い時分、医学が好きで、医者の書生となって勉強したこともありましたが、そのほうでは遂に志を得ず、司法の役人になってしまったのです」


「……ふふむ、そうか。しからば恩返しの一端に、わしが秘伝の書として家に蔵しておる医書を御身へ譲ってやろう。わしの亡き後は、その神効をことごとく学び取って、世の病者を救ってやってくれい」


「えっ。先生、それはほんとですか」


「いま、郷里の家人へ宛ててわしが書簡を書くから、金城のわしの家まで行って、その医書を貰って参るがよい。書簡の内へも書いておくが、それは青嚢(せいのう)の書といって、書庫の奥深くに秘して、今日まで他人(ひと)に見せたことはないものじゃ」


 華陀は留守のわが家へ宛てて手紙を書いた。そしてそれを呉押獄(ごおうごく)へ授けたが、折ふし曹操の病が重態を伝えられ、宮門の内外も各役所も何となく繁忙(はんぼう)と緊張を加えていたので、彼は華陀から貰った手紙を深く肌身に秘して十日余りつい過していた。

 すると、ある日の早暁、突然、剣を提げた七名の武士がどやどやと獄府へ来て、

「魏王のご命令である。ここを開けろ」

 と、牢番に命じて、華陀のいる獄の()をひらかせ、中へ躍りこんだと思うと、一声、(うめ)き声が外まで聞えた。

 呉押獄がそこへ来て見た時は、ちょうど血刀を提げた七名が、悠々と帰って行くところであった。武士らは彼のすがたをかえりみて、

「呉押獄、魏王のご命令で、ただ今、華陀は成敗したぞ、あいつめが、毎晩のように、お夢の中にあらわれるゆえ、斬殺して来いとのおいいつけに依ってだ」と云い捨てて行ってしまった。

 呉押獄はその日のうちに、役をやめて金城へ旅立った。そして華陀の家を尋ねて手紙を渡し、青嚢(せいのう)の書を乞いうけて郷里へ帰った。


「おれは典獄をやめて、これからは医者で立つ。しかも天下の大医になってみせる」


 久し振り、酒など飲んで、妻にも語り、その晩はわが家に寝た。

 翌朝、ふと庭面を見ると、妻は庭の落ち葉を積んで、焚火(たきび)をしていた。呉押獄は、あっと驚いて、

「ばかっ。何をするか」


 と、焚火を踏み消して叫んだが、青嚢の書はもう落葉の火と共に灰になっていた。

 彼の妻は、血相を変えて怒り立つ良人へ、灰の如く、冷やかに云い返した。

「たとえあなたの身が、どんなに流行(はや)るお医者になってくれても、もしあなたの身が、この事から捕われて獄へひかれたら、それまでではありませんか。私は禍いの書を焼き捨てたのです。いくら叱られてもかまいません。良人を獄中で死なすのを、妻として見ているわけには参りませんから」

 ――ために華陀(かだ)の「青嚢(せいのう)の書」は、遂に世に伝わらずにしまったものだということである。そして曹操の病も、その頃いよいよ重り、洛陽の雲は寒々と憂いの冬を迎えていた。


 冬の初め、ひとたび危篤を伝えられたが、十二月に入ると、曹操の容態はまた持ち直して来た。

 呉の孫権から、見舞の使節が入国した。書簡のうちに、呉はみずから臣孫権と書いて、

(魏が蜀を討つならば臣の軍隊はいつでも両川へ攻め入り、大王の一翼となって忠勤を励むでしょう)

 と、(こび)を示していた。

 曹操は病褥(びょうじょく)のうちであざ笑って、


「青二才の孫権が、予をして火中の栗を拾わしめようと(はか)りおる」


 と、つぶやいた。

 老龍ようやく(ふち)(ひそ)まんとする気運を観て、漢朝の廷臣や彼の侍中、尚書などの職にある一部の策動家のあいだに、この(とき)をもって、曹操を大魏皇帝の位にのぼせ、有るか無きにひとしい漢朝を廃して、自分たちも共に栄燿(えいよう)を計ろうとする運動がひそかにすすんでいた。

 ――が、曹操は、


「予はただ周の文王たればよし」


 と、いうのみで、自身が帝位に()こうとはいわなかった。けれどそれを以て言外のものを察しるならば、わが子を帝位に即かせて、自分は歴朝の太祖として(あが)められてゆけば満足である、という意は充分にあるらしくうかがわれた。

 またある折、司馬懿(しばい)仲達がそっと、枕辺に伺候して、

「せっかく、呉使が来て、みずから臣と称え、魏の下風(かふう)に屈して参ったものですから、この際、孫権へ何か加恩の沙汰を加え、それを天下に知らしめておくのが良策ではありますまいか」


 と、将来のために一言した。

 曹操は、至極とうなずいて、


「そう、そう、よく気づいた。孫権へ驃騎(ひょうき)将軍、南昌侯の印綬(いんじゅ)を送ってやろう。そして荊州の(ぼく)を命ずと、発表するがよい」
 と、手続きを命じた。


 冬雲の凍る十二月半ばの頃から、曹操の容態はふたたび険悪に落ちた。一代の英雄児も病には()てない。彼は昼夜となく、悪夢にうなされた。洛陽の全殿大廈(たいか)(ふる)い崩るるような鳴動を時々耳に聞くのだという。そしてそのたびに、みなぎる黒雲の中から、かつて彼の命の下にあえなき最期をとげた漢朝の(ふく)皇后や、(とう)貴妃や、また国舅(こっきゅう)董承(とうじょう)などの一族があらわれて、縹渺(ひょうびょう)と、血にそみた白旗(はっき)をひるがえして見せ、また雲の中に金鼓(きんこ)を鳴らし、(とき)の声をあげたり、そうかと思うと、数万の男女が、声をあわせてどっと笑ったかと思うと、たちまち掻き消えてしまったりするのだという。

「みなこれ、怪異(けい)のなす(わざ)、ひとつ天下の道士をあつめて、ご祈祷を命ぜられてはいかがですか」

 と侍臣がいうと、曹操はなお苦笑して、

「日々千金を(つい)やすとも、天命ならば一日の寿も(あがな)うことはできまい。(いわ)んや、英雄が死に臨んで、道士に(はらい)をさせたなどと聞えては、世のもの笑いであろう。無用無用」


 と、退けて、その後で、重臣すべてを枕頭によびあつめ、


「予に、四人の子があるが、四人ともが、みな俊英秀才というわけにもゆかない。予の観るところは、平常のうちに、おまえたちにも語っておる。汝らよくわが(こころ)を酌み、忠節を継ぎ、予に仕える如く、長男の曹丕(そうひ)を立てて長久の計をはかれよ。よろしいか」


 おごそかに、こういうと、曹操はその瞬間に六十六年の生涯を一望に回顧したのであろう、涙雨のごとく頬をぬらし、一族群臣の嗚咽(おえつ)する眸の中に、忽然(こつぜん)と最期の息を終った。――時、建安二十五年の春正月の下旬、洛陽の城下には石のような(ひょう)が降っていた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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