第99話、苦肉の計

文字数 10,983文字

 魯粛の語る始終を周瑜(しゅうゆ)はさっきから頭を垂れて黙然と聞いていたが、やがて面をあげて、


「ああ……」


 と、長大息すると、ありありと慚愧(ざんき)の色をあらわして、慨然(がいぜん)とこういった。


「誤てり、誤てり。ふと小我にとらわれて、ひたすら孔明の智を憎み、孔明を害さんとばかり考えていたが、彼の神機明察、とうていわれらの及ぶところではない」


 さすがに周瑜も一方の人傑である。(かえり)みて深く自分を()じ、魯粛を走らせて、すぐ孔明を迎えにやった。

 やがて、孔明が見えたと聞くと彼は自ら歩を運んで、轅門(えんもん)の傍らに出迎え、慇懃(いんぎん)、師の礼をとって上座へ請じたので、孔明はあやしんで、


「都督、今日の過分は何がゆえのご優遇ですか」

 と、問うた。

 周瑜は偽らず、

「正直にいう。それがしは遂にあなたの前に兜を脱ぎました。どうか今日までの非礼はおゆるしください。また、魯粛から承れば、敵地に入って敵の矢をあつめ、その十万本を見事、運んでこられた由。天来の妙計、ただただ驚嘆のほかはありません」

「はははは。そんな程度の詐術(さじゅつ)小計。なんで奇妙とするに足りましょうや。むしろ恥ずるところです。いや、汗顔汗顔」


「お世辞ではありません。古の孫子呉子もおそらく三舎を避けましょう。きょうはお詫びのため、先生を正客にして一盞さしあげたい。魯粛とそれがしのために、願わくは、なお忌憚(きたん)ないご腹中を聞かせ給わらぬか」


 席をあらためて、酒宴に移ったが、その酒中でも、周瑜はかさねて云った。


「実はきのうも呉君孫権からお使いがあって、一日も早く曹操をやぶるべきに、空しく大兵大船をとどめて何をしているぞとのお叱りです。とはいえまだ不肖の胸には必勝の策も得られず、確たる戦法も立っておりません。お恥かしいが、曹操の堅陣に対し、その厖大(ぼうだい)な兵力を眼のあたりにしては、まったく手も脚も出ないというのが事実ですから仕方がない。どうか我々のために先生の雄策を以て、かの大敵を打ち破る手段もあればお教えください。かくの通り、頭を垂れておねがいします」


「なんのなんの、貴殿は江東の豪傑、碌々(ろくろく)たる鈍才孔明ごときが、お教えするなどとは思いもよらぬ。僭越です。良策など、あろう筈もない」


「由来、先生はご謙遜にすぎる。どうかそういわないで胸襟(きょうきん)をおひらき下さい。――先頃、この魯粛を伴うて、暗夜、ひそかに江をさかのぼり、北岸の敵陣をうかがいみるに、水陸の聯鎖(れんさ)も完く、兵船の配列、水寨(すいさい)の構築など、実に法度(はっと)によく(かな)っている。あれでは容易に近づき難い――と、以来、破陣の工夫に他念なき次第ですが、まだ確信を得ることができないのです」
「……しばらく、語るをやめ給え」
 と、制して孔明もややしばし黙考していたが、やがて、
「ここに、ただひとつ、行えば成るかと思う計がある。……が、都督の胸中も、まったく無為無策ではありますまい」

「それは、自分にも、最後の一計がないわけでもないが……」


「二人しておのおの掌のうちに書いて、あなたの考えと私の考えが、違っているか、同じであるか開き合ってみようではありませんか」


「それは一興ですな」


 直ちに硯をとりよせると、互いに筆を頒ち、()に何やら書いて、


「では」


 と、(こぶし)と拳を出し合った。


「いざご一緒に」


 孔明はそういいながら掌をひらいた。周瑜も共に掌をひらいた。

 見ると――

 孔明の掌にも、火の一字が書いてあったし、周瑜の掌にも、火の字が書かれてあった。


「おお、割符(わりふ)を合わせたようだ」


 二人は高笑してやまなかった。魯粛も盃を挙げて、両雄の一致を祝した。ゆめ、人には洩らすなかれと、互に秘密を誓い合って、その夜は別れた。



 このところ魏軍江北の陣地は、士気すこぶる(あが)らなかった。

 うまうまと孔明の(はかりごと)に乗って、十数万のむだ矢を射、大いに敵をして快哉(かいさい)を叫ばせているという甚だ不愉快な事実が、後になって知れ渡って来たからである。


「呉には今、孔明があり、周瑜(しゅうゆ)もかくれなき名将。ことに大江をへだてて、彼の内情を知る便りもありません。ひとつお味方のうちから人を選んで、呉軍の中へ、埋伏(まいふく)の毒を()ませてはいかがでしょう」

 謀将の荀攸(じゅんゆう)は、苦念の末、こういう一策を、曹操へすすめた。

 埋伏の毒を()ます――という意味は、要するに、甘いものに包んだ劇毒を嚥み下させて、敵の体内から敵を亡ぼそうという案である。


「さあ。それは最上の計だが、しかし兵法では最も難しい謀略といわれておるもの。――まず第一にその人選だが、誰か、よい適任者がおるだろうか」


 曹操のことばに、荀攸は、考えを打ち明けた。


「先頃、丞相がご成敗になった蔡瑁(さいぼう)(おい)に、蔡和(さいか)蔡仲(さいちゅう)という者がいます。叔父蔡瑁がお手討ちになったため、いま謹慎中の身でありますが」


「おお。さだめし予を恨んでおるだろうな」


「そこです。当然誰もがひとしく、そう考えるであろうところこそ、この策謀の狙いどころであり、また重要な役割を果たしましょう」


「では、蔡和、蔡仲のふたりを用いて、呉へ入れるというのか」


「さればで。――まず丞相が二人を召されて、よく彼らの心をなだめ、また利と栄達をもって励まし、江南へ放って、呉軍へ(いつわ)って降伏させます。――敵はかならず信じます。なぜなら、丞相に殺された蔡瑁の甥ですから」


「しかし、かえって、それをよい(しお)に、ほんとに呉へ降って、味方の不利を計りはしまいか。予を、叔父の(かたき)と恨んで」


「大丈夫です。荊州には、蔡和、蔡仲の妻子が残っています。なんで、丞相に弓が引けましょう」


「あ。なるほど」


 曹操はうなずいて、荀攸の心にまかせた。翌る日、荀攸は、謹慎中の二人を訪うて、まず赦免(しゃめん)の命を伝えて恩を売り、やがて伴って曹操の前へ出た。

 曹操は二人に酒をすすめ、将来を励まして、


「どうだ、叔父の汚名をそそぐ気で、ひとつ大功を立ててみぬか」
 と、計画を話してみた。

「やりましょう」


「進んで御命を拝します」


 二人とも非常な意気込みを示した。曹操は満足して、このことが成功したあかつきには、恩賞はもちろん末長く功臣として重用するであろうと約した。


「お心を安んじて下さい。かならず周瑜(しゅうゆ)、孔明の首を土産に帰ってきます」


 大言をのこして、蔡兄弟は、次の日出発した。もちろん脱陣の偽装をつくってゆく必要がある。船数艘に、部下の兵五百ばかり乗せ、取る物も取りあえず、命がけで脱走してきたという風を様々な形でそれに満載した。

 帆は風をはらみ、水はこの数艘を送って、呉の北岸へ送った。――折ふし呉の大都督周瑜(しゅうゆ)は、軍中を巡察中だったが、いま敵の陣から、二人の将が、兵五百をつれて、投降してきたと聞くと、明らかに喜色をあらわして、

「すぐ召しつれて来い」

 と、営中に待ちかまえていた。

 やがて蔡和(さいか)、蔡仲はきびしく護衛されながら引かれて来た。周瑜はまず二人へたずねた。

「貴殿たちは、なぜ、曹操のもとを脱して、わが呉へ降って来たか。武門の人間にも似合わん不徳な行為ではないか」


 悄然と、二人は頭を垂れて、落涙をよそおいながら答えた。


「われわれ両名は、曹操のために殺された魏の水軍司令、蔡瑁(さいぼう)の甥にございます。――叔父の瑁は、罪もなく討たれたものの、故主の成敗を、悪しざまにいい(のろ)えば、これも反覆常なしと、人は眉をひそめましょう。家父(かふ)とも頼む叔父に死なれ、主と仰ぐ人には()まれ疑われ、寄るに陣地なく、遂に江北を脱してこれへ参りましたもの。――願わくはそれがし両名の寸命を用いて、良き死場所をお与えください」


 周瑜は、即座に、


「よろしい。誓って、呉のために尽す気ならば、今日以後、わが陣中に留まるがいい」


 と、これを甘寧(かんねい)の配下に附属させた。

 ふたりは、心中に、


仕済(しす)ましたり)

 と、舌を吐きながらも、表面はいと悄々(しおしお)と、恩を謝して退出した。

 魯粛(ろしゅく)は、そのあとで、


「都督、大丈夫ですか」

 と、疑わしげに、彼の心事を確かめた。

 周瑜は、得々として

「さしも忠臣といわれた蔡瑁なのに、罪もなく殺されては、彼の親身たるもの、恨むまいとしても、恨まずにはおられまい。曹操を離れて、われに来たのは、けだし、南風が吹けば南岸へ水禽(みずどり)が寄ってくるのと同じ理である。何を疑う余地があろう」

 と笑うのみで、(かえり)みる風もなかった。

 魯粛は、その日、例の船中で孔明に会ったので、周瑜の軽忽(けいこつ)な処置を、嘆息して語った。

 すると、孔明は笑っている。何故、笑い給うかと、魯粛がなじると、

「余りに要らぬご心配をしておられるゆえ、つい笑いがこぼれたのです」


 と、孔明は初めて、周瑜の心に、(はかりごと)のあることに違いないと、自分の考えを解いて聞かせた。


「蔡和、蔡仲の降参は、あきらかに詐術(いつわり)です。なんとなれば、妻子は江北に残しておる。周都督も、それはすぐ観破されたに相違ないが、互いに(こう)をへだてて、両軍とも戦いによき手がかりもないところ――これは絶好の(おとり)と、わざと、彼の計に乗った顔して、実はこちらの計略に用いようと深く企んでおられるものと考えられる」

「ああ、なるほど!」


「どうです、ご自身でも笑いたくなりはしませんか」


「いや笑えません。どうしてそれがしは、こう人の心を見るに(どん)なのでしょう。むしろ己れの不敏に哀れを催します」

 と、深く悟って帰った。

 その夜、呉陣第一の老将黄蓋(こうがい)が、先手の陣からそっと本営を訪ねて来て、周瑜(しゅうゆ)と密談していた。

 黄蓋は孫堅以来、三代呉に仕えてきた功臣である。白雪の眉、烱々(けいけい)たる眸、なお壮者をしのぐものがあった。

「深夜、お訪ねしたのは、余の儀でもないが、かく対陣の長びくうちに、曹操はいよいよ北岸の要寨をかため、その船手の勢は、日々調練を積んで、いよいよ彼の精鋭は強化されるばかりとなろう。しかのみならず、彼は大軍、味方は寡兵(かへい)、これを以て、彼を討つには火計のほかに兵術はないと思う。……周都督、火攻めはどうじゃ、火術の計は」
「しっッ」
 と周瑜は、老将の(げき)しこむ声音(こわね)を制して、

「おしずかに、ご老体。あなたは一体、誰からそんなことを教えられましたか」


「誰から? ……馬鹿をいわっしゃい。わしの本心から出た信念じゃ」


「ああ、ではやはり、ご老台の工夫とも一致したか。――ではお打明けするが、実は、降人の蔡仲、蔡和(さいか)の両名は、(いつわ)って呉へ投じてきたが、それを承知で、味方のうちに留めてあります。敵の謀略の裏をかいて、こちらの謀略を行わんためにです」


「ふむ。それは妙だ。してその降人(こうじん)を、都督には、どう用いて、曹操の裏をかくおつもりか? ……」


「その奇策を行うには、呉からも曹操の陣へ、(いつわ)りの降人を送りこむ必要がある。……が、恨むらくは、その人がありません。適当な人がない」


 周瑜(しゅうゆ)が嘆息をもらすと、


「なぜ、ないといわるるか」


 黄蓋(こうがい)は、せき込むように、身をすすめて、詰問(なじ)った。


「呉国、建って以来、ここ三代。それしきのお役に立つ人もないとは、周都督のお眼がほそい。――ここに、不肖ながら、黄蓋もおるつもりでござるに」


「えっ。……ではご老体が、進んでその難におもむいて下さるとか」


「国祖孫堅将軍以来、重恩をこうむって、いま三代の君に仕え奉るこの老骨。国の為とあれば、たとい肝脳(かんのう)地に(まみ)るとも、恨みはない。いや本望至極でござる」


「あなたにそのご勇気があれば、わが国の大幸というものです。……では」


 周瑜は、あたりを見まわした。陣中(せき)として、ここの一(すい)燈火(ともしび)のほか揺らぐ人影もなかった。

 何事か、二人はしめし合わせて、暁に立ち別れた。周瑜は、一睡してさめると、直ちに、中軍に立ち出で、鼓手(こしゅ)に命じて、諸人を集めた。

 孔明も来て、陣座のかたわらに床几(しょうぎ)をおく。周瑜(しゅうゆ)は、命を下して、

「近く、敵に向って、わが呉はいよいよ大行動に移るであろう。諸部隊、諸将は、よろしくその心得あって、各兵船に、約三ヵ月間の兵糧を積みこんでおけ」

 と命じた。

 すると、先手の部隊から、大将黄蓋(こうがい)がすすみ出ていった。

「無用なご命令。いま、幾月の兵糧を用意せよと仰せられたか」


「三月分と申したのだが、それがどうした」


「三月はおろか、たとえ三十ヵ月の兵糧を積んだところで無駄な(わざ)、いかでか、曹操の大軍を破り得よう」


 周瑜は、勃然(ぼつぜん)と怒って、


「やあ、まだろくに交じえぬに、味方の行動に先だって不吉なことばを! 武士ども、その老いぼれを引っくくれ」


 黄蓋も(まなじり)を裂いて、


「だまれ周瑜。汝、日頃より君寵をかさに着て、しかも今日まで、碌々(ろくろく)と無策にありながら、われら三代の宿将にも議を(はか)らず、必勝の(あて)もなき命をにわかに発したとて、何で唯々諾々(いいだくだく)と服従できようか。――いたずらに兵を損ずるのみだわ」

「ええ、いわしておけば、みだりに舌をうごかして、兵の心を(まど)わす()れ者め。誓って、その首を刎ね落さずんば、何を以て、軍律を正し得ようか。――これっ、なぜその老いぼれに物をいわしておくか」


「ひかえろ、周瑜、汝ごときは、せいぜい、先代以来の臣ではないか。国祖以来三代の功臣たる此方に、縄を打てるものなら打ってみよ」


「斬れっ。――彼奴(きゃつ)を!」


 面に朱をそそいで、周瑜の指は、閻王(えんおう)亡者(もうじゃ)を指さすように、左右へ叱咤した。


「あっ、お待ち下さい」


 甘寧が、それへ(まろ)び出て、黄蓋に代って罪を詫びた。

 しかし黄蓋も黙らないし、周瑜の怒りもしずまらなかった。果ては、甘寧まで、その間から刎ね飛ばされてしまう。

「すわ、一大事」と諸大将も、今はみな色を失って、こもごもに仲裁に立った。いやともかく大都督周瑜に対して抗弁はよろしくないと、諸人地に(ひたい)をすりつけて、

「国の功臣、それに年も年、なにとぞ憐みを垂れたまえ」と、哀願した。

 周瑜はなお肩で大息をついていたが、

「人々がそれほどまでに申すなれば、一時、命はあずけておく。しかし軍の大法は正さずにはおけん。百(じょう)の刑を加えて、陣中に謹慎を申しつける」

 と、云い放った。

 即ち、獄卒に命じて(じょう)()を加えることになった。黄蓋はたちまち衣裳甲冑(かっちゅう)をはぎとられ、仮借(かしゃく)もなく、棍棒を振りあげてのぞむ獄卒の眼の下に、無残、老い細った肉体を、しかも衆人監視の中に(さら)された。

「打て、打てっ、仮借いたすなっ。ためらう奴は同罪に処すぞ!」


 怒りにふるえ、(たけ)りに猛って、周瑜(しゅうゆ)の耳は、詫び入る諸将のことばなど、まるで受けつけなかった。

「一打! 二打 三打!」

 杖を持った獄卒は、黄蓋の左右から、打ちすえた。黄蓋は地にうッ伏して、五つ六つまでは、歯をくいしばっていたが、たちまち、悲鳴をあげて跳び上がった。

 そこをまた、

「十っ……。十一っ……」

 杖は唸って、この老将を打ちつづけた。血はながれて白髯に染み、肉はやぶれて骨髄(こつずい)(くだ)けたろうと思われた。

「九十っ。九十一っ……」

 百近くなった時は、打ちすえる獄卒のほうも、へとへとに疲れていた。もちろん黄蓋ははや虫の息となって、昏絶してしまった。周瑜もさすがに、顔面蒼白になって、()めつけていたが、(つば)するように指して、

「思い知ったか!」


 云い捨てると、そのまま、営中へ休息に入ってしまった。

 諸将はその後で、黄蓋を抱きかかえ、彼の陣中へ運んで行ったが、その間にも、血は流れてやまず、蘇生してはまたすぐ絶え入ること幾度か知れないほどだったので、日頃、彼と親しい者や、また呉の建国以来、治乱のあいだに苦楽を共にしてきた老大将たちは、みな涙をながして(いた)ましがった。

 この騒ぎを後に、孔明はやがて黙々と、自分の船へ帰って行った。そして独り船の(とも)にいて、船欄(せんらん)から下をのぞみ、何事か沈吟にふけりながら、流るる水を見入っていた。

 魯粛(ろしゅく)は、彼のあとを追ってきたらしく、孔明がそこに腰かけていると、すぐ前に現れて話しかけた。

「どうも、きょうのことばかりは、胸が傷みました。周都督は、軍の総司令だし、黄蓋は年来の先輩。(いさ)めようにも、あのお怒りでは、かえって、火に油をそそぐようなものですし……ただはらはらするのみでした。――けれど、先生は他国の賓客であり、先頃から周都督も、心から尊敬を払っておられるのですから、もし先生が、黄蓋のために取りなして下さればとは、ひとり魯粛ばかりでなく、みなそう思っていたらしく見えました。……然るに、先生は終始黙々、手を袖にして、ついに一言のお口添えもなさらず、ただ見物しておられた。……それには何か深いお考えでもあったのですか」

「はははは、それよりもお訊きしたいのは、貴公こそ、何故、この孔明を(あざむ)こうとなさるのですか」


「や? これは()(おお)せ。あなたを呉へお伴れして参ってから以来、それがしは、あなたを欺いたことなど一度もないつもりですが」


「――ならば、貴公はまだ、兵法に秘裏変表(ひりへんぴょう)の不測あることをご存じないとみえる。周瑜が今日、朱面怒髪(しゅめんどはつ)して、黄蓋に百打の笞を刑し、憤然、陣中の内争を外に発してみせたのは、みな曹操をあざむく計である。何でそれを孔明が諫めよう」


「えっ、ではあれも計略ですか」


「明白な(たくら)み事です。――が、粛兄(しゅくけい)。孔明がそういったということは、周都督へは、必ず黙っていて下さいよ。問われても」


「……ははあ! さては」


 魯粛は、気の寒うなるのを覚えた。けれどなお半信半疑なここちで、その夜、ひそかに帳中で、周瑜と語ったとき、周瑜から先にこう云い出したのを幸いに、(ただ)してみた。


「魯粛、きょうのことを、陣中の味方は皆、どう沙汰しているね」


「滅多に見ないお怒りようと、みな恟々(きょうきょう)としておりますよ」


「孔明は? ……何といっておるかね」


「……都督も、情けないお仕打ちをするといって、哀んでおりました」


「そうか! 孔明もそういっていたか」


 と手を打って、

「初めて孔明をあざむくことができた。孔明がそう信じるほどなら、このたびのわが計は、かならず成就しよう。いや、もう図にあたれりといってもいい」


 周瑜は会心の笑みをもらして、初めて魯粛に心中の秘を打ち明けた。


 ここ四、五日というもの黄蓋(こうがい)は陣中の臥床(ふしど)に横たわったまま粥をすすって、日夜(うめ)いていた。

「まったくお気の毒な目にあわれたものだ」

 と、入れ代り立ちかわり諸将は彼の枕頭を見舞いに来た。

 或る者は共に悲しみ、或る者は共に(いた)み、また或る者はひそかに周瑜(しゅうゆ)の無情に対して共に恨みをもらした。

 日ごろ親しい参謀官の闞沢(かんたく)も見舞いに来たが、彼のすがたを見ると、暗涙をたたえた。黄蓋は、枕頭の人々を退けて、


「よく来てくれた。誰が来てくれたよりうれしい」

 と、無理に身を起して云った。

 闞沢は、傷ましげに

「将軍はかつて、何か、周都督から怨まれていることでもあったのか」

 と、訊ねた。

 黄蓋は顔を振って、

「何もない……。旧怨などは何もない」


「それにしては、余りに今度のことは理に合わないご折檻(せっかん)ではありませんか。傍目(はため)にも疑われるほど……実に苛烈すぎる」


「そのことについてだが、ご辺に、話しておきたいことがあるのだ」


「将軍。察するところ、過日、衆人の中であの責苦(せめく)をうけられたのは、何か苦肉(くにく)の計ではないのですか」


「しッ。……静かにされよ。……して、それをば、如何にして察しられたか」


「周都督の形相といい、あの苛烈きわまる責め方といい、あまりに度を過ぎたりと思うにつけ……日頃のあなたと都督の交わりをも想い合わせて、察していました」
「ああ、さすがは闞沢(かんたく)。よく観られた。まさにその通り、不肖、呉に仕えて、三代のご恩をうけ、いまこの老骨を捧げても、少しも惜しむところはない。……故に、自らすすんで、まず味方を欺かんがためにわざと百()(しもと)をうけたものじゃ。この苦痛も呉国のためと思えば何でもない」
「さてはやはりそうでしたか。……が、それまで思いこまれた秘策をひとりこの闞沢にのみお打ち明け下すったのは、この闞沢をして将軍の懐刀(ふところがたな)とし、それがしに曹操へ使いする大役を仰せつけたいお心ではありませんか」

「そうだ。まことに、ご辺の察する通り、ご辺をおいて、誰にこの大事を打ち明け、さらに、大事の使いを頼めようか」


「よくこそ、お打ち明け下さいました。私を知って下さるものです」


「では、行ってくれるか?」


「もちろんです。ひとたび、信をうけて、なんで己れを知る人に(そむ)けましょうぞ。世に出て君に仕え、剣を()いて風雲に臨みながら、一功も立てずに朽ちるくらいなら、生きていても生きがいはありません。まして老将軍すら、一命を投げ出して、計りごとにかかっておられるのに、どうして小生らが、微生(びせい)を惜しみましょう」

「ありがたい」


 黄蓋は彼の()をとって、じぶんの(ひたい)にあてながら、涙をながした。


「事、延引しては、機を誤るおそれがある。将軍、そうきまったら、直ちに、曹操へ宛てて一書をおかきなさい。それがしが、如何にもしてそれをたずさえて参りますれば」


「おお、その書簡はすでに人知れず認めて、これに隠してある」


 枕の下から厚く封じた一通を手渡した。闞沢(かんたく)はそれを受取ると、さりげなく暇を告げ、夜に入ると、いつか呉の陣中からすがたを消していた。

 それから幾夜の後とも知れず、魏の曹操が水寨(すいさい)のほとりで独り釣糸を垂れている漁師があった。

 悠々千里の流れに(すなど)りして、江岸に住んでいる漁夫や住民は、もう連年の戦争にも馴れていて、戦いのない日には、閑々として網を打ち、(はり)を垂れているなど、決してめずらしい姿ではなかった。

 ――だがこのところ、ひどく神経の鋭くなっている曹軍の見張りは、あまりに漁師が水寨に近づいて釣りをしているので、

「怪しい漁師?」

 と見たか、たちまち走舸(はやぶね)を飛ばしてきて、有無をいわさず搦め捕り、そのまま陸へ引ッ立てて行った。

 軍庁の一閣に、侍臣は燭をとぼし、曹操は寝房(しんぼう)を出て、この深夜というに、ものものしく待ちかまえていた。

(呉の参謀官闞沢(かんたく)が、一漁師に身をやつし、何ごとか曹丞相に謁して、直言申しあげたいとのこと――)と、耳おどろかす報らせが、たった今、曹操の夢を醒ましたのであった。

 これに依ってみると、水寨の番兵に捕まった漁師は、魏の陣中へ引かれてくるとすぐ、

(自分こそは、呉の参謀闞沢(かんたく)である)と、自ら名乗ったものとみえる。

 ――程なく。

 曹操の面前には、みすぼらしい一漁師が、部将たちに取り囲まれて引かれてきた。――が、さすがに一かどの者、端然と、階下に座をとり、すこしも周囲の威圧に動じるふうも見えなかった。

 曹操も(おごそ)かにいう。


「汝は、敵国の参謀官とか聞いたが、何を血迷うて、予の陣営へ来たか」


「…………」


 黙然と、見つめていたが、やがて闞沢は、ふふふふと、唇を抑えて失笑した。


「見ると聞くとは大きな違い。曹丞相は、(けん)を愛し、人材を求むること、(ひでり)雲霓(うんげい)を望むごとしと、世評には聞いていたが……。いやはや……これでは覚束(おぼつか)ない。――ああ黄蓋(こうがい)も人を知らずじゃ! こんな似非(えせ)英雄に渇仰(かつごう)して、とんでもないことをしてしまったものだ」

 独り嘆じるが如く、うそぶいた。

 曹操は、眉をひそめた。――変なことをいう(おとこ)かなといぶかったのであろう。急に怒る色もなく、


「敵国の参謀たるものが、単身、しかも漁師に身を変えて、これへ来る以上、その真意を(ただ)すは、当然であろう。なぜ、それについて、しかと答えぬか」

「さればよ! 丞相。これに来る以上、それがしとても、命がけでなくては(かな)わぬ。然るに、血迷うて何しにきたかなどと、決死の者に対して、揶揄(やゆ)するような言を(ろう)さるるゆえ、思いつめてきた張合いも抜け、思わず思うまま嘆息したのじゃ」


「呉を滅ぼさんは、わが畢生(ひっせい)(ねが)いである。その目的に添うことならば、あらためて非礼を謝し、謹んで汝の言を聞こう」


「丞相にとっては天来の好事である。(うやも)うて聞かれよ。――呉の黄蓋(こうがい)(あざな)公覆(こうふく)、すなわち三江の陣にあって、先鋒の大将をかね呉軍の軍粮総司(ぐんろうそうし)たり。この人、三代があいだ呉に仕え、忠節の功臣たること、世みな知る。――然るを、つい数日前、寸言、周都督に逆らえりとて、諸大将のまっただ中にていたく面罵せられたるのみか、すでに老齢の身に、百()の刑杖を加えられ、皮肉裂け、血にまみれ、気は(うしな)うにいたる。諸人、面をそむけ、ひそかに都督の酷薄(こくはく)をうらまぬはない。病床に苦吟しつつ、ひそかに一書を認め、それがしに託して、丞相に気脈を寄せらる。――もとより骨髄(こつずい)に徹する恨みを、はらさんがためでござる。幸いにも、黄蓋は武具兵粮(ひょうろう)(つかさ)どる役目にあれば、丞相だに、(だく)! とご一言あれば、不日、呉陣を脱して、呉の兵糧武具など、及ぶかぎり舷に積載してお味方へ投じるでござろう」

 眼をみひらき、耳を()てて、曹操は始終を聞き入っていたが、


「ふーむ。……して、黄蓋の書面なるものを、それへ持参したか」


「肌に秘して、持ち参りました」


「ともあれ、一見しよう」


「……いざ」


 と、闞沢(かんたく)は、侍臣の手を通して、書面を曹操の卓へ提出した。

 曹操は、机の上にひらいて、十遍あまり読み返していたが、どんと(こぶし)(つくえ)を叩きながら、


浅慮(あさはか)浅慮。これしきの苦肉の計に、いかでこの曹操が(いつわ)られようか。明白なる謀略だ。――それっ、部将輩(ぶしょうばら)、その船虫みたいなむさい男を、営外へ曳きだして斬ってしまえ」


 云いすてるや否、黄蓋の書状は、その手に引き裂かれていた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色