第51話、孫策の躍進
文字数 6,461文字
ひとまず、江東も平定した。
軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。
そこで、孫策は母や、一族をこの地に迎えることにした。
彼の母や一族は、柱とたのむ
加うるに、数多の大将や護衛の兵を送って、彼は曲阿の地から母とその一族をむかえた。
孫策は、久方ぶりに、母の手を取って、
といった。
もう白髪となった老母は、ただおろおろしていた。歓びのあまり、
「そなたの
孫策は弟の孫権に、
そう云い残して、彼はふたたび南方の制覇におもむいた。
彼は、戦い取った地には、すぐ治安を
法をただし貧民を救い、産業を
――孫郎来る!
という声だけでも、良民はあわてて道をひらいて路傍に拝し、不良民は
それまで、州や県の役所や城をすてて、山野へ逃げこんでいた多くの官吏も、
「孫郎は民を愛し、信義の士をよく用うる将軍らしい」
と、分ると、ぞくぞく郷へ帰ってきて仕官を願い出てくるものが絶えなかった。
孫策は、それらの
そしてなお
その頃、呉郡(浙江省)には、
と、どよめき立ち、厳白虎の弟
この際、孫策は、
孫策は、諫めをきいて、大将
陳武、
息もつかせず、呉城へ迫った孫策は、濠ばたに馬を立てて、攻め競う味方を指揮していた。
すると、呉城の高矢倉の窓から半身のり出して、左の手を
と、孫策が言うと、味方の
しかも、敵の大将らしい
と、鞍を叩いて賞めると、全軍みな、彼の手ぎわに感じて快哉をさけび合い、その声からしてすでに呉城を圧していた。
太史慈のあざやかな一矢に、高矢倉の梁に掌を射とめられた大将は、
「誰か、この矢をはやく抜き取ってくれ」と、悲鳴をあげて、もがいていたが、そのうちに、馳け寄ってきた兵が、矢を抜いて、どこかへ扶けて行った。
その大将は、よい物笑いとなった。太史慈の名は、「近ごろの名射手よ」と、聞え渡った。多年、
「これは
寄手を見ると、総帥の孫策をはじめ、旗下の将星は、みな驚くほど年が若い。
新しい時代が生みだした新進の英雄群が、
彼は、弟をかえりみながら、大きく腕をくんで云った。
兄に代って、厳与は早速、講和の使者として、孫策の軍中へおもむいた。
孫策は、対面して、
と、酒をすすめた。
厳与は、心のうちで、
と、観察していた。そして相手の若さを甘く見て、しきりとまず、おだて上げていた。
すると、
孫策は、
と、罵った。
和睦不調と見て、厳与が、黙然と帰りかける後ろへ、とびかかった孫策は、一刀にその首を刎ね落して、血ぶるいした。
従者は、主人の首を抱えて、逃げ帰った。
厳白虎は弟が首になって帰ったのを見ると、復讐を思うよりはかえって孫策のすさまじい挑戦ぶりにふるえあがって、
と、考えた。
ひとまず
寄手の
きのうまでの、「東呉の徳王」も、見る影もなくなってしまった。到るところで追手の軍に打ちのめされ、途中、民家をおびやかしてからくも糧食にありついたり、山野にかくれたりしてようやく会稽へたどり着いた。
その時、会稽の太守は、
すると、臣下のうちに、
虞翻が長嘆すると、王朗は、激怒して、
と、追放を命じた。
虞翻は甘んじて、国外へ去った。
会稽の太守
と声に応じて、
と、云い返した。
孫策も、直ちに
と、後ろからさっと一人の旗下が躍って孫策に代って王朗へ槍をつけた。
すわ――と王朗の旗下からも
「王朗を逃がすな!」
「太史慈を打ちとれ!」
「
「孫策を生け捕れッ」
双方の喚きは入りみだれ、ここにすさまじい混戦となったが、孫軍のうちから
王朗は、命からがら城へひきあげたが、その損害は相当手痛いものだったので、以来、
城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでいた。厳白虎も、
と、一方の守備をうけ持って、いよいよ築土を高くし、あらゆる防備を講じていた。
果たして、孫策のほうは、それには弱っていた。いくら挑戦しても、城兵は出てこない。
孫策の叔父
孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所陣所にたくさんな
擬兵の計を知らず、寄手のさかんな
こう聞いた
王朗は、ようやく身をもって死地をのがれ、
元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあずかった。
こうして、
すると、その頃、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、小さな一騒動があったことを報らせてきた。
「虞翻は今、どこにいるか」と、諸郡の吏に、捜索の令が行き渡った。
虞翻は、つい先ごろ、野にかくれたばかりだが、またすぐに見出されて孫策の命を聞くと、
と、友人の医者を伴い、さっそく宣城へやってきた。
虞翻の親友というだけであって、その医者も変っていた。
白髪童顔の老人で、いかにも清々と俗気のない姿だ。
孫策が、会って名を問うと、
と、答えた。
すぐ病人を
と、つぶやいた。
果たして、一月の中に、周泰の
孫策は、非常によろこんで、
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