第51話、孫策の躍進

文字数 6,461文字

 ひとまず、江東も平定した。

 軍勢は日ましに増強するばかりだし、威風は遠近をなびかせて、孫策の統業は、ここにその一段階を上がったといってよい。

 そこで、孫策は母や、一族をこの地に迎えることにした。

 彼の母や一族は、柱とたのむ故孫堅(こそんけん)の没後、永らく曲阿の片田舎にひきこもっていた。

 珠簾(しゅれん)輿(こし)錦蓋(きんがい)の美車。

 加うるに、数多の大将や護衛の兵を送って、彼は曲阿の地から母とその一族をむかえた。

 孫策は、久方ぶりに、母の手を取って、宣城(せんじょう)に奉じ、

「もう、安心して、余生をここでお楽しみください。――孫策も大人になりましたから」

 といった。

 もう白髪となった老母は、ただおろおろしていた。歓びのあまり、

「そなたの亡夫(ちち)がいたらのう」と、かえって泣いてばかりいる。

 孫策は弟の孫権に、

「おまえに大将周泰(しゅうたい)をつけておくから、宣城を守り、わしに代って母に孝養をしてあげてくれ」

 そう云い残して、彼はふたたび南方の制覇におもむいた。

 彼は、戦い取った地には、すぐ治安を()いて、民心を得ることを第一義とした。

 法をただし貧民を救い、産業を(たす)ける一方、悪質な違反者には、寸毫(すんごう)もゆるさぬ厳罰を加えた。

 ――孫郎来る!

 という声だけでも、良民はあわてて道をひらいて路傍に拝し、不良民は(きも)をひやして影をかくした。

 それまで、州や県の役所や城をすてて、山野へ逃げこんでいた多くの官吏も、

「孫郎は民を愛し、信義の士をよく用うる将軍らしい」

 と、分ると、ぞくぞく郷へ帰ってきて仕官を願い出てくるものが絶えなかった。

 孫策は、それらの文吏(ぶんり)をも採用してよく能才を用い、平和の復興に努めさせた。

 そしてなお後図(こうと)の治安は治安として、自身は征馬を南へすすめていたのである。

 その頃、呉郡(浙江省)には、東呉(とうご)徳王(とくおう)と、自ら称している厳白虎(げんぱくこ)が威を(ふる)っていたが、孫策の襲来が、ようやく南へ進路をとってくる様子と聞いて、

「すわこそ!」

 と、どよめき立ち、厳白虎の弟厳与(げんよ)は、楓橋(ふうきょう)(江蘇省・蘇州附近)まで兵を出して防寨(ぼうさい)()った。

 この際、孫策は、

「たかのしれた小城」
 と、自身、前線へ立って、一もみに、突破しようとしたが、張紘(ちょうこう)にたしなめられた。
「大将の一身は、軍の生命です。あなたは、お姿を、自重していなければいけません」
「そうか」

 孫策は、諫めをきいて、大将韓当(かんとう)に先鋒をいいつけた。

 陳武、蒋欽(しょうきん)の二将は、小舟にのって、楓橋のうしろへ廻り、敵を挟撃したので、厳与(げんよ)は支えきれず、呉城へ後退してしまった。

 息もつかせず、呉城へ迫った孫策は、濠ばたに馬を立てて、攻め競う味方を指揮していた。

 すると、呉城の高矢倉の窓から半身のり出して、左の手を(うつばり)にかけ、右の手で孫策を指さしながら、何か、口汚く罵っている大将らしい(おとこ)がある。

「バカがいるな」

 と、孫策が言うと、味方の太史慈(たいしじ)が、目をとめて、弓をひきしぼっていた。――太史慈の指が、弦を切って、ぶうんと、一矢放つと、矢はねらいたがわず、高矢倉の(はり)に突き立った。

 しかも、敵の大将らしい(おとこ)の手を、梁へ射つけてしまったので、孫策が、

「見事!」

 と、鞍を叩いて賞めると、全軍みな、彼の手ぎわに感じて快哉をさけび合い、その声からしてすでに呉城を圧していた。


 太史慈のあざやかな一矢に、高矢倉の梁に掌を射とめられた大将は、

「誰か、この矢をはやく抜き取ってくれ」と、悲鳴をあげて、もがいていたが、そのうちに、馳け寄ってきた兵が、矢を抜いて、どこかへ扶けて行った。

 その大将は、よい物笑いとなった。太史慈の名は、「近ごろの名射手よ」と、聞え渡った。多年、浙江(せっこう)の一地方にいて、みずから「東呉の徳王」などと称していた厳白虎(げんぱくこ)も、

「これは(あなど)れんぞ」と、年来の自負心に、すこし動揺をおぼえだした。

 寄手を見ると、総帥の孫策をはじめ、旗下の将星は、みな驚くほど年が若い。

 新しい時代が生みだした新進の英雄群が、(さかん)な闘志をもって、(くつわ)をそろえているような盛観だ。

厳与(げんよ)。――ここはひとつ考えるところだな」


 彼は、弟をかえりみながら、大きく腕をくんで云った。


「どう考えるんです」


「どうって、まあ、一時の(はじ)はしのんでも深傷(ふかで)を負わぬうちに、和睦するんだな」

「降服するんですか」


「彼に、名を与えて、実権を取ればいいさ。彼らは若いから、戦争には強いが、深慮遠謀はあるまい。和睦した後で、こちらには、打つ手がある」

 兄に代って、厳与は早速、講和の使者として、孫策の軍中へおもむいた。

 孫策は、対面して、


「君が、東呉の徳王の弟か。なるほど……」
 と、無遠慮に、顔をながめていたが、すぐ酒宴をもうけさせて、
「まあ、飲んで話そう」

 と、酒をすすめた。

 厳与は、心のうちで、

(さすが、江東の小覇王(しょうはおう)とかいわれるだけあって、颯爽(さっそう)たるものだが、まだ乳くさいところは脱けないな。理想主義の書生が、ふと時を得て、兵馬を持ち、有頂天になったというところだろう)

 と、観察していた。そして相手の若さを甘く見て、しきりとまず、おだて上げていた。

 すると、酒半酣(さけはんかん)のころ、孫策はふいに、


「時に、東呉の徳王がお使者、ご辺の兄上には、いったいこの孫策へ向って、いかなる条件で、和睦を求めらるるのか。ご意向を承ろう」
「兄が申すには……つまりその、……益なき戦をして兵を損ぜんよりは、長く将軍と和をむすんで、江東の地を平等に分け合おうではありませんか。兄の意はそこにあるんですが」

「平等に?」


 孫策は、(まなじり)をあげて、


「汝らの如き軽輩が、われわれと同格の気で、国を分け取りにせんなどとは、身の程を知らぬも甚だしい!」

 と、罵った。

 和睦不調と見て、厳与が、黙然と帰りかける後ろへ、とびかかった孫策は、一刀にその首を刎ね落して、血ぶるいした。

 孫策は、剣を拭って、片隅にふるえている厳与の従者たちに向い、
「――拾って行け」
 と、床の上にころがっている厳与の首を指さしながら、重ねて云った。
「当方の返辞は、その首だ。立ち帰って、厳白虎に、ありのまま、告げるがいい」

 従者は、主人の首を抱えて、逃げ帰った。

 厳白虎は弟が首になって帰ったのを見ると、復讐を思うよりはかえって孫策のすさまじい挑戦ぶりにふるえあがって、

「単独で戦うのは危険だ」

 と、考えた。

 ひとまず会稽(かいけい)浙江省(せっこうしょう)・紹興)へ退いて、浙江省の諸雄をたのみ、策を立て直そうと、ひどく弱気になって、烏城(うじょう)を捨て、夜中にわかに逃げだしてしまった。

 寄手の太史慈(たいしじ)や黄蓋などはそれを追いまくって、存分な勝ちを収めた。

 きのうまでの、「東呉の徳王」も、見る影もなくなってしまった。到るところで追手の軍に打ちのめされ、途中、民家をおびやかしてからくも糧食にありついたり、山野にかくれたりしてようやく会稽へたどり着いた。

 その時、会稽の太守は、王朗(おうろう)という者だった。王朗は厳白虎を助けて、大軍をくり出し、孫策の侵略に当ろうとした。

 すると、臣下のうちに、虞翻(ぐほん)(あざな)仲翔(ちゅうしょう)という者があって、

「時が来ました。時に逆らう盲動は、自分を亡ぼすのみです。この戦はお避けなさい」
 と、諫言した。
「時とは何だ?」
 王朗がと問うと、
「時代の波です」
 と、虞翻は言下に答えた。
「――では、外敵の侵略にまかせて、手をこまねいていろというのか」
厳白虎(げんぱくこ)を捕えて、孫策に献じ、彼と(よし)みをむすんで、国の安全をおはかりなさい。――それが時代の方向に沿うというものです」

「ばかを申せ。孫策ずれに、会稽の王朗が見っともない()びを呈せられようか。それこそ世の物笑いだ」


「そうではありません。孫策は、義を尊び、仁政(じんせい)()き、近来、赫々たる民望をはやくも負っています。それにひきかえ厳白虎は、奢侈(しゃし)、悪政、善いことは、何一つしてきませんでした。しかも頭の古い旧時代の人間です。あなたが手をださなくても、もう時代と共に亡び去る物のひとつです」
「いや、厳白虎とわしとは、旧交も深い。孫策如きは、われわれの平和をみだす外敵だ。こんな時こそ聯携して、侵略の賊を打たねばならん」

「ああ。あなたも、次の時代に用のないお方だ」


 虞翻が長嘆すると、王朗は、激怒して、


「こやつめ、わしの滅亡を(ねが)っておるな。目通りはならん。去れっ」

 と、追放を命じた。

 虞翻は甘んじて、国外へ去った。


 

 会稽(かいけい)の城では、潮のような寄手である孫策と、連日、激戦がくり返されていた。

 会稽の太守王朗(おうろう)は、その日、城門をひらいて、自身、戦塵のうちを馳けまわり、

「黄口児孫策、わが前に出でよ」
 と、呼ばわった。
「孫策は、これにあり」

 と声に応じて、(ひよどり)のような若い将軍は、鏘々(そうそう)と剣甲をひびかせて、彼の眼前にあらわれた。


「おう、汝が、浙江(せっこう)の平和を騒がす不良青年の(かしら)か」
 聞きもあえず、孫策は、
「この老猪(ろうちょ)め、なにをいうか。良民の膏血(こうけつ)をなめ喰って脂ぶとりとなっている惰眠(だみん)の賊を、栄耀(えいよう)の巣窟から追い出しにきた我が軍勢である。――眼をさまして、()く古城を献じてしまえ」

 と、云い返した。

 王朗(おうろう)は、怒って、


「虫のいいことをいうな」

 孫策も、直ちに(ほこ)を交えようとすると、


「将軍、豚を斬るには、王剣を要しません」


 と、後ろからさっと一人の旗下が躍って孫策に代って王朗へ槍をつけた。

 太史慈(たいしじ)である。

 すわ――と王朗の旗下からも周昕(しゅうきん)が馬をとばして、太史慈へぶつかってくる。

「王朗を逃がすな!」

「太史慈を打ちとれ!」

周昕(しゅうきん)をつつめ」

「孫策を生け捕れッ」


 双方の喚きは入りみだれ、ここにすさまじい混戦となったが、孫軍のうちから周瑜(しゅうゆ)程普(ていふ)の二将が、いつのまにか後ろへまわって退路をふさぐ形をとったので、会稽(かいけい)城の兵は全軍にわたって乱れだした。

 王朗は、命からがら城へひきあげたが、その損害は相当手痛いものだったので、以来、栄螺(さざえ)のように城門をかたく閉めて、「うかつに出るな」と、もっぱら防禦に兵力を集中してうごかなかった。

 城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでいた。厳白虎も、

「寄手は、長途の兵、このまま一ヵ月もたてば兵糧に困ってきます。――長期戦こそ、彼らの苦手ですから、守備さえかためていれば、自然、孫策は窮してくるにきまっている」

 と、一方の守備をうけ持って、いよいよ築土を高くし、あらゆる防備を講じていた。

 果たして、孫策のほうは、それには弱っていた。いくら挑戦しても、城兵は出てこない。

「まだ、麦は熟さず、運輸には道が遠い。良民の蓄えを奪い上げて、兵糧にあててもたちまち尽きるであろうし、第一われらの大義が立たなくなる。――如何いたしたものだろう」

「孫策よ。わしに思案があるが」


「おお、叔父上ですか。あなたのご思案と仰っしゃるのは?」


 孫策の叔父孫静(そんせい)は、彼の問いに答えて、


「会稽の金銀兵糧は、会稽の城にはないことを御身は知っているか」

「存じませんでした」


「ここから数十里先の査涜(さとく)にかくしてあるんじゃよ。だから急に、査涜を攻めれば、王朗はだまって見ておられまい」


「ごもっともです」


 孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所陣所にたくさんな(かがり)を焚かせ、おびただしい旗を立てつらね、さも今にも会稽城へ攻めかかりそうな擬兵(ぎへい)の計をしておいて、その実、査涜へ向って、疾風の如く兵を転じていた。


 擬兵の計を知らず、寄手のさかんな篝火(かがりび)に城兵は、「ぬかるな! 襲って来るぞ」と、眠らずに、防備の部署についたが、夜が白んで、城下の篝火が消えて見ると、城下の敵は一兵も見えなかった。


査涜(さとく)が襲われている!」

 こう聞いた王朗(おうろう)は、仰天して城を出た。そして査涜へ駆けつける途中、またも孫策の伏兵にかかって、ついに王朗の兵は完膚(かんぷ)なきまでに殲滅(せんめつ)された。

 王朗は、ようやく身をもって死地をのがれ、海隅(かいぐう)(浙江省・南隅)へ逃げ落ちて行ったが、厳白虎は余杭(よこう)(浙江省・杭州)へさして奔ってゆく途中、元代(げんだい)という男に酒を飲まされて、熟睡しているところを、首を斬られてしまった。

 元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあずかった。

 こうして、会稽(かいけい)の城も、孫策の手に落ち、南方の地方はほとんど彼の統治下になびいたので、叔父、孫静を、会稽の城主に、腹心の朱治を、呉郡の太守に任じた。

 すると、その頃、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、小さな一騒動があったことを報らせてきた。

「或る夜、近郷の山中に住む山賊と、諸州の敗残兵とが、一つになって、ふいに宣城へ()せてきました。弟様の孫権(そんけん)、大将周泰(しゅうたい)のおふた方で、防ぎに努めましたが、その折、賊のなかへ斬って出られたご舎弟孫権様をたすけるため、周泰どのには、甲も着ず、真ッ裸で、大勢を相手に戦ったため、槍刀(きず)を、体じゅうに十二ヵ所も受けられ、瀕死の容態でございます」
 使いのはなしを聞くと、孫策は急いで宣城へ帰った。なによりも、案じられていた母の身は、つつがなかったが、周泰は、想像以上、ひどい重傷で、日夜苦しがっていた。
「なんとかして、助けてやりたいが、よい名薬はないか」
 と、家臣へ、知識を求めると、先に厳白虎の首を献じて、臣下の一員となっていた元代が、
「もう七年も前ですが、海賊に襲われて、手前がひどい矢疵(やきず)を受けた時、会稽の虞翻(ぐほん)という者が自分の友だちに、名医があるといって紹介してくれまして、その医者の手当で、わずか十日で全治したことがありましたが」
 と、話した。
「虞翻とは、王朗の臣下だったものではないか」
「よくご存じで」
 と、元代は、孫策のことばに眼をみはった。
「いや、その虞翻は、探しだして用うべき人物だと、わしは張昭から薦められていたところだ。――さっそく、虞翻をさがしだし、同時に、その名医も、つれて来てもらいたいが」
 孫策の命に、

「虞翻は今、どこにいるか」と、諸郡の吏に、捜索の令が行き渡った。

 虞翻は、つい先ごろ、野にかくれたばかりだが、またすぐに見出されて孫策の命を聞くと、

「人ひとりの命を助けるためとあれば」

 と、友人の医者を伴い、さっそく宣城へやってきた。

 虞翻の親友というだけであって、その医者も変っていた。

 白髪童顔の老人で、いかにも清々と俗気のない姿だ。

 孫策が、会って名を問うと、

華陀(かだ)

 と、答えた。

 沛国譙郡(はいこくしょうぐん)の生れで、(あざな)元化(げんか)という。素姓はあるが、よけいなことは云いたがらないのである。

 すぐ病人を()て、

「まず、ひと月かな」

 と、つぶやいた。

 果たして、一月の中に、周泰の(きず)は、拭ったように全治した。

 孫策は、非常によろこんで、

「まことに、君は名医だ」
 と、いうと華陀は、
「あなたもまた、国を治す名医じゃ。ちと、療治は荒いが」
 と、笑った。
「なにか、褒美に望みはないか」
 と、孫策がきくと、
「なにもない。虞翻を用いて下されば、有難い」
 と、答えた。
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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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