第75話、集結

文字数 7,915文字

「どうも、相済まん。兄貴、悪く思ってくれるな。……ともかく、おれの古城へ来てくれ。落着いてゆっくり話そう」


「それがしに二心(ふたごころ)のないことがわかってくれたか」


「わかった、わかった。もういうな」


 張飛は大いにてれた顔して、三千の手下に向い、二夫人の御車を擁して、谷間を越え渡れと大声で下知しはじめた。



 その晩、山上の古城には、有るかぎりの(しょく)がともされ、原始的な音楽が雲の中に聞えていた。

 二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。


「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、ご安心くださるように」


 ところが、その翌日。望楼に立っていた物見が、

弓箭(ゆみや)をたずさえた四、五十騎の一隊がまっしぐらに城へ向って寄せてくる」

 と、城中へ急を告げた。張飛は聞いて、


「何奴? 何ほどのことかあらん」


 と、自身で南門へ立ち向った。騎馬の弓箭隊(きゅうせんたい)は、ことごとくそこで馬をおりていた。見れば、徐州没落のとき別れたきりの味方、糜竺(びじく)糜芳(びほう)の兄弟が、そのなかに()じっている。


「やあ、糜兄弟ではないか」


「オオやはり張飛だったか」


「どうしてこれへは?」


「されば、徐州このかた皇叔のお行方をたずねていたが、皇叔は河北にかくれ、関羽は曹操に降服せりと、頼りない便りばかり聞いて、いかにせんかと、(かり)の群れの如く、こうして一族の者どもと、諸州を渡りあるいていたところ、近ごろこの古城に、虎髯(こぜん)の暴王が兵をあつめしきりと徐州の残党をあつめておると聞き、さては貴殿にちがいあるまいと、急にこれへやって来たわけだが」

「そいつは、よく来てくれた。関羽はすでに都を脱して、昨夜からこの城中におる」


「えっ、関羽もおるとか」


「皇叔の二夫人もおいで遊ばす」


「それは意外だった」


 糜竺(びじく)兄弟は、さっそく通って、二夫人に(えっ)し、また、関羽に会って、こもごも、久濶(きゅうかつ)の情を(じょ)した。

 二夫人は、人々にたいして、許都逗留中の関羽の忠節をつぶさに語った。

 張飛は今さら面目なげに、感嘆してやまなかった。

 そして羊を(ほふ)り山菜を煮て、その夜も酒宴をひらいた。

 けれど関羽は、

「ここに家兄皇叔がおいであれば、どんなにこの酒もうまかろう。家兄を思うと、酒も(のど)を下らない」


 と、時おり嘆息していた。

 孫乾がいった。


「もう汝南は近いのですから、明日でも、早速あなたと行って、皇叔にお目にかかりましょう」


 関羽としては、何よりそれを望んでいたのである。夜が明けるか明けぬうちに、彼はもう孫乾と連れ立って、汝南へ道を急いでいた。

 そして、汝南城へ行って、劉辟(りゅうへき)に対面したところ、劉辟がいうには、


「いや、その劉備玄徳(りゅうげんとく)どのなら、四日ほど前までここにおられたが、城中の小勢を見て、この勢力では事を成すに至難だと仰せられ――また各自の消息も、皆目(かいもく)知れないので、ふたたび河北の方へもどって行かれた。まったく一足ちがい――」

 しきりと惜しがって劉辟はいうのである。

 一歩の差が時によると千里の(へだ)てとなる例もままある。関羽は憂いを面にみなぎらし、怏々(おうおう)と汝南を去った。

 むなしく古城へ帰ってきたが、孫乾はなぐさめて、


「この上は、拙者がもう一度、河北へ行ってみましょう。ご心配あるな。かならずお()れ申しますから」


 すると張飛が、河北へなら自分が行こう、と進んで云いだした。けれど関羽は、


「いま、この一つの古城は、われわれ家なき義兄弟にとっては、重要な拠点だから君は断じてここを動いてはいかん」

 と、遂に孫乾(そんけん)を案内とし、わずかの従者をつれて、関羽は遠く河北まで、劉備をさがしに立った。

 その途中、臥牛山の麓までくると、彼は周倉(しゅうそう)を呼んで、

「いつぞや、ここで別れた裴元紹(はいげんしょう)のところへ、使いに参ってくれい」

 と、一言を託した。

 周倉はひとり関羽に別れて、臥牛山の奥へはいって行った。そこには、さきに機会を待てと止めてある裴元紹が、約五百の手勢と五、六十匹の馬をもってたて籠っている。関羽はその裴元紹にむかって、

「近いうちに自分が皇叔をお迎えして帰りにはここを通るから、その折に、一勢を引き具して、途中でお迎えしたがよかろう」

 と、伝言してやったのである。

 孫乾はそばでそれを聞いていたので、関羽が誰にたいしても、かならず約束をたがえないのに感心していた。

 日を経て関羽と孫乾は、やがて冀州(きしゅう)(さかい)まできた。

 明日からの道は、もう袁紹(えんしょう)の領土である。孫乾は大事をとって、

「あなたは、この辺で仮の宿をとって、待っていてくれ。拙者はただひとり、冀州に入って、ひそかに皇叔にお会いし、つれてくるから」

 と、告げて別れた。

 関羽はわずかな従者と共に、近くの村へ入ってただの旅人のごとく装い、村のうちでもたたずまいのいい一軒の門をたたいた。

 (あるじ)は、快く泊めてくれた。数日いるうちに、その心根も分ったので、何かのはなしの折、主の問うまま、自分は関羽であると姓氏を打明けた。

 主は、驚きもしたり、また非常な歓びを示して、

「それはそれはなんたる奇縁でしょう。てまえの家の(うじ)関氏(かんし)で、わたくしは関定(かんてい)というものです」

 と、二人の子息を呼んで、ひきあわせた。

 どっちも秀才らしい良い息子だった。兄は関寧(かんねい)といって、儒学に長じ、弟のほうは関平(かんぺい)とて、武芸に熱心な若者だった。

 二十騎の従者をこの家にかくして、関羽はひたすら孫乾の便りを待っていた。――その孫乾は、冀州へまぎれ入って、やがて首尾よく劉備の居館をさぐり当て、ようやく近づくことができた。

 その後の一部始終(しじゅう)から一族の健在を聞いて、劉備のよろこびは何にたとえんようもなかった。しかし今にして悔ゆることは、この冀州の領内へわざわざ帰ってしまったことである。

「もう一度の脱出を、どうして果たそうか。何せい、わしの行動はいま、袁紹や藩中の者どもから、注目されている折ではあるし……」


 劉備の心は、飛び立つほどだったが、身は鉄鎖(てっさ)に囲まれていた。


「……そうだ、簡雍(かんよう)の智恵をかりてみよう。簡雍は近ごろ、袁紹にも信頼されて、おるらしいから」


 と急に使いをやって、呼びよせた。


「えっ、簡雍もここに来ていたのですか」


 孫乾は、初耳なので、驚きの目をみはった。

 その簡雍も、以前の味方だ。聞けば近ごろ劉備を慕って、この冀州へきていたが、そう見えては袁紹の心証がよくあるまいと察して、わざと劉備には冷淡にして、つとめて袁紹の気に入るよう城中に仕えているということだった。

 そういう間がらなので、簡雍はちょっと来てすぐ帰ったが、目的はその短時間に足りていた。

 簡雍から授けられた策を胸に秘して、劉備は次の日、冀州城に上がり、袁紹に会ってこう説いた。

「曹操とお家との戦いは、否応(いやおう)なく、ついに長期にわたりそうです、強大両国の実力は伯仲していずれが(まさ)れりともいえません。……けれどここに外交と戦争とを併行して、荊州(けいしゅう)劉表(りゅうひょう)を味方に加えるの策に成功したら、もはや曹操とて完敗の地に立つしかありますまい」
「それはそうだとも。……しかし劉表も、ここは容易にうごくまい。龍虎ともに傷つけば、かれは兵を用いずして、漁夫の利をうる位置にある」

「いや、それが外交です。九郡の大藩荊州を見のがしておくなど愚かではありませんか」


「それは貴公がいわなくても、とくに気づいて、数度の使者をつかわしたが、劉表あえて結ぼうとせんのじゃ。この上の使いは、わが国威を落すのみであろう」


「いえいえ、不肖劉備が参れば、期してお味方に加えて見せます。なんとなれば、私と彼とは、共に漢室の同宗で、いわば遠縁の親族にあたりますから」

 袁紹は考えこんだ。大いに意のうごいた容子である。劉備はかさねて云った。


「それに近頃また、関羽も許都を脱出して、諸所をさまようておるやに伝えられております、私をして、荊州へおつかわし下さるならかならず関羽にも会い、お味方に()れもどりましょう」


「なに関羽を」


 袁紹は急に面をあらためて、


「彼は、顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)を討った(かたき)ではないか。わしにその関羽を献じて、首を刎ねよと申すのか」


「いえいえ、そんなわけではありません。顔良、文醜は、たとえば二匹の鹿です。二つの鹿を失っても、一匹の虎をお手に入れれば、(つぐの)うて余りあるではございませんか」


「あははは、いや今のは、いささか(たわむ)れをいうてみたまでのこと。わしも実は深く関羽を愛しておる。真実、其許(そこもと)が荊州に赴いて劉表を説き、併せて関羽を連れてくるなら、何でわしが不同意をいおう。すぐ出発してくれい」

「承知しました。……が、大策は前に洩れると行えません。私が荊州に行き着くまでは、お味方に極めてご内分になしおかれますように」


 劉備はそういって、一夜に身支度をととのえ、翌日ひそかに袁紹(えんしょう)の書簡をうけ、風の如く関外へ走り去った。

 そのあとで、すぐ簡雍(かんよう)は袁紹の前へ出た。そして袁紹を不安に陥れた。


「彼を荊州へお遣わしになったそうですが、実に飛んでもないことをなされました。劉備はあのような温和な人物ですから、反対に劉表に説き伏せられて、荊州へついてしまう(おそ)れがありはしませんか。劉表も遠大な野心を抱いていますし、彼と彼とは、ともに宗族(そうぞく)で親類も同様ですからな」

木乃伊取(ミイラと)りが木乃伊になっては何もならん。いや後日の大害だ。どうしたらいいだろう」


「てまえが追いかけて呼び返して参りましょう」


「それもあまりにわしの面目にかかわるが」


「では、てまえが随員として、劉備について行きましょう。断じて、ご使命を裏切らぬように」


「そうだ、それが上策。すぐ追ってゆけ」

 と、関門の割符(わりふ)を与えてしまった。

 簡雍が馬を飛ばして、どこかへ急いで行ったというのを、郭図(かくと)が耳にしたのは夕方だった。部下に調べさせてみると、その前に劉備は荊州の旅へ立って行ったという。

「しまった!」

 愴惶(そうこう)として、郭図は冀州城(きしゅうじょう)にのぼり、袁紹に謁してこう忠言した。


「何たる不覚をなされたのですか。さきに劉備が汝南から帰ってきたのは、汝南はまだ兵力も薄く、自分の事を計るには足らないから見限ってきたのです。こんどはそうは行きません。荊州へ行ったら必ず二度と帰ってはきますまい。それがしに追い討ちをおゆるしあれば、長駆追撃して、彼を首とするか、生捕ってくるか、どっちかにします。どうかご決断ください」

 しかし袁紹はゆるさなかった。劉備のことばだけでは、まだ惑ったかも知れないが、簡雍が二重の計にかけてあるので、深く信じこんでおり、疑ってみようともしないのである。

 郭図は、長嘆したが、黙々退出するしかなかった。

 簡雍はすぐ劉備に追いついていた。うまく行ったな、と相(かえり)みて一笑した。

 冀州の堺も無事に脱けた。

 孫乾はさきに廻って、ふたりを待ちうけ、道の案内をしてやがて関定の家へついた。見れば――

 関定の家の門前には、主の関定やら関羽以下の面々が立ち並んで出迎えている。久しやと、相見かわす眼は、彼もこなたも、共にはやいっぱいな涙であった。


「おう」
「オー……」

 瞬間ふたりの(くち)から洩れたものは、それでしかない。関羽も劉備も、無言は百言にまさる思いだった。

 関定は二人の子息とともに、門を開いて劉備を奥に招じた。住居はわびしい林間の一屋ながら、心からな歓待は、これも善美な(ぜい)にまさるものがある。

 やや人なき折を見て劉備と関羽は、はじめて手を取りあって泣いた。関羽は、劉備の(くつ)に頬を寄せ、劉備はその手を押しいただいて(ひたい)につけた。

 そのささやかな歓宴の座で、劉備は、関定の子息関平のどこやら見どころある為人(ひととなり)()でて、

「関羽にはまだ子もないから、次男の関平を養子に乞いうけてはどうか」

 と、いった。

 ふたりある息子のひとりである。関定は願ってもないことと(よろこ)んだ。関羽もひそかに関平の才を愛していたし、談はたちどころにまとまった。

「袁紹の討手が向わぬうちに」と、一同は次の朝すぐここを出発した。

 急ぎに急いで、旅は日ごとにはかどった。やがて雲表(うんぴょう)に臥牛山の肩が見えだす。次の日にはその麓路へさしかかっていた。

 すると、かねて関羽のさしずで、この付近へ手勢をひきいて出迎えに出ているはずの裴元紹(はいげんしょう)の手下が、彼方から猛風におわれたように逃げ散ってきた。

「何故の混乱か」
 と、関羽は、その中にいた周倉(しゅうそう)を見つけてただすと、周倉がいうには、
「誰やら為体(えたい)が分りませぬ。われわれどもが、今日のお迎えのため、勢揃いして山上からおりてまいると、途中一名の浪人者が、馬をつないで路上に鼾睡(かんすい)しています。先頭の裴元紹が、退()けと罵ると、山賊の分際で白昼通るは何奴かと、はね起きるやいな裴元紹を殴り倒してしまったのです。――それっと手下の者ども、総がかりとなって、相手の浪人を取り押さえようとしましたが、その者の膂力(りょりょく)絶倫(ぜつりん)で、如何とも手がつけられません。およそ世の中にあんな武力の持ち主というものは見たこともありません」

 関羽は、聞き終ると、


「さらば、その珍しい人物と、この青龍刀とを、久しぶり交じえてみよう」

 と、一騎でまっ先に立って、山麓の高所へ馳け上って行った。

 劉備も鞭をあててすぐその後につづいた。すると、彼方の岩角に、鷲の如く、馬を立てていた浪人者は、劉備のすがたを見ると、たちまち鞍からおりて、関羽が来てみた時は、もう地上に平伏していた。


「あ、趙雲(ちょううん)ではないか」


 劉備も関羽も、ひとつ口のように叫んだ。浪人者は面をあげて、


「これは計らざる所で、……」

 これなん真定常山(しんていじょうざん)趙雲(ちょううん)(あざな)子龍(しりゅう)その人であった。

 趙子龍(ちょうしりゅう)はずっと以前、公孫瓚(こうそんさん)の一方の大将として、劉備とも親交があった。かつては劉備の陣にいたこともあるが、北平の急変に公孫瓚をたすけ、奮戦百計よく袁紹軍を苦しめたものである。が、力ついに及ばず、公孫瓚は城とともに亡び、以来、浪々の身によく節義をまもり、幾度か袁紹にも招かれたが袁紹には仕えず、諸州の侯伯から礼をもって迎えられても禄や利に仕えず、飄零風泊(ひょうれいふうはく)、各地を遍歴しているうち、汝南州境の古城に張飛がたて籠っていると聞いてにわかにそこを訪ねてみようものと、ここまできた途中である。――と語った。

 劉備はここで君に会うとは、天の(たまもの)であると感激して、さらにいった。

「君を初めて見た時から、ひそかに自分は、君に嘱す思いを抱いていた。将来いつかは、刎頸(ふんけい)(ちぎ)らんと」

 すると、趙子龍もいった。


「拙者も思っていました。あなたのような方を主と仰ぎ持つならば、この肝脳(かんのう)を地にまみれさせても惜しくはないと――」


 関羽にあい、また、ゆくりなくも趙子龍に出会って、劉備の左右には、兵馬の数こそとぼしいが、はやくも将星の光彩が未来をかがやかしていた。

 やがて、古城は近づいた。

 待ちかねていた望楼の眸は、はやそれと遠くから発見して、

「関羽将軍が劉皇叔をお迎えして参られましたぞ」と、大声で下へ告げた。

 喨々(りょうりょう)たる奏楽がわきあがった。奥の閣からは二夫人が楚々たる蓮歩(れんぽ)を運んで出迎える。服装こそ雑多なれ、ここの山兵もきょうはみな綺羅(きら)びやかだった。大将張飛も最大な敬意と静粛をもって、出迎えの兵を(えっ)し、黄旗青旗金繍旗(きんしゅうき)日月旗(じつげつき)など、万朶(ばんだ)の花の一時にひらくが如く翩翻(へんぽん)と山風になびかせた。

 劉備以下、列のあいだを、粛々(しゅくしゅく)と城内へとおった。

「あの君が、これからの総帥(そうすい)となるのか。あの人が、関羽というのか」

 通過のあいだに、ちらと見ただけで、兵卒たちの心理は、その一瞬から変った。もう古城の山兵でも烏合(うごう)の衆でもなかった。

 楽器の音は、山岳を驚かせた。空をゆく(おおとり)は地に降り、谷々の岩燕は、瑞雲(ずいうん)のように、天に舞った。

 まず何よりも、二夫人との対面の儀が行われた。関羽は、堂下に泣いていた。

 夜は、牛馬を宰して、聚議(しゅうぎ)の大歓宴が設けられた。

「人生の快、ここに尽くる」


 関羽がいうと、

「何でこれに尽きよう。これからである」


 と、劉備はいった。

 張飛、趙雲、孫乾、簡雍(かんよう)、周倉、関平などみな杯を交歓して、

「これからだっ! これからだっ!」と、どよめき合った。

 使者をうけて、汝南の劉辟(りゅうへき)龔都(きょうと)もやがて馳けつけ、賀をのべてさていった。

「この狭隘(きょうあい)な地では、守るによくとも、大志は()べられません。かねてのお約束、汝南を献じます。汝南を基地として、次の大策におかかりください」

 古城には、一手の勢をのこして、劉備は即日、汝南へ移った。徐州没落このかた、実に何年ぶりだろうか。こうして君臣一城に住み得る日を迎えとったのは。

 (かえり)みれば――

 それはすべて忍苦の賜だった。また、分散してもふたたび結ばんとする結束の力だった。その結束と忍苦の二つをよく成さしめたものは、劉備を中心とする信義、それであった。

 さて、日の経つほどに。

 ようやく、焦躁と不安に駆られていたのは袁紹(えんしょう)である。

「荊州からなんの消息(おとずれ)もくるわけはありません。劉備は関羽、張飛、趙雲などを集めて、汝南にたて籠っておる由です」

 そう聞いたときの彼の憤激はいうまでもない。

 河北の大軍を一度にさし向けようとすら怒ったほどである。

 郭図(かくと)が、うまいことをいった。

「劉備の変は、いわばお体にできた疥癬(かいせん)の皮膚病です。捨ておいても、今が今というほど、生命とりにはなりません。何といっても、心腹の大患は、曹操の勢威です。これを延引しておいては、ご当家の強大もついには命脈にかかわりましょう」
「そうか。……ううム、しかしその曹操もまた急には除けまい。すでに戦いつつあるが、戦いは膠着(こうちゃく)の状態にある」
「荊州の劉表を味方にしても、大局は決しますまい。何となれば、彼には大国大兵はあっても、雄図がありません。ただ国境の守りに怯々(きょうきょう)たる事なかれ主義の男です。――あんな者に労を費やすよりは、むしろ南方の呉国(ごこく)孫策(そんさく)の勢力こそ用うべきでありましょう。呉は、大江の水利を擁し、地は六郡に、()は三(こう)にふるい、文化たかく産業は充実し、精兵数十万はいつでも動かせるものとみられます。いま国交を求むるとせば、新興の国、呉を()いてはありません」

 と、熱心に説いた。

 袁紹の重臣陳震(ちんしん)が、書を載せて、呉へ下ったのはそれから半月ほど後のことだった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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