第96話、呉軍の出陣と周瑜の嫉妬

文字数 8,267文字

「断」は下った。開戦は宣せられたのである。張昭以下和平派は、ただ唖然たるのみだった。

 周瑜は、剣を拝受して、

「不肖、呉君の命をうけて、今より打破曹操の大任につく。それ、戦いにあたるや、第一に軍律を重しとなす。七禁令、五十四(ざん)、違背あるものは、必ず罰せん。明暁天までに、総勢ことごとく出陣の具をととのえ、江の(ほとり)まで集まれ。所属、手配はその場において下知するであろう」

 と、諸員へ告げた。

 文武の諸大将は、黙々と退出した。周瑜は家に帰るとすぐ孔明を呼びにやり、きょうの模様と、大議一決の由を語って、


「さて。先生の良計を示し給え」


 と、ひそかにたずねた。

 孔明は、心のうちで「わが事成れり」と思ったが、色には見せず、


「なおまだ、呉君のお胸には、一抹の不安を残しおられているに違いありません。()は衆に敵せず――このことは、ご自身にも、深く憂いて、恟々(きょうきょう)と自信なく、如何にかはせんと、惑っている所でしょう。都督閣下には、労を惜しまず、出陣までに、もう一度登城して、つぶさに敵味方の軍数を説き示し、呉君に確たる自信をお与えしておく必要があるかと思われます」

 と、すすめた。

 いやしくも呉の一進一退は、いまや劉備の運命にも直接重大な関係を生じてきたとみるや、孔明が主家のために、大事に大事をとることは、実に、石橋を叩いて渡るように細心だった。

「――()にも」


 と同意して、周瑜(しゅうゆ)はふたたび城へ登った。もう夜半だったが、あすの暁天こそ、呉にとっては興亡のわかれを賭した大戦にのぞむ前夜なので、孫権もまだ寝もやらぬ様子だった。

 すぐ周瑜を引いて、


「夜中、何事か」

 と、会った。

 周瑜は、いった。

「いよいよ明朝は発向しますが、主君のご決心にも、もうご変化はありますまいな」


「この()に至って、念にも及ばぬことではないか。……ただ、いまも眠りにつきかねていたのは、如何せん、魏に対して、呉の兵数の少ないことだけだが」


「そうでしょう。実は、その儀について、退出の後、ふと主君もお疑いあらんかと思い出したので、急に、夜中をおしてお目通りに出たわけですが。……そもそも、曹操が大兵百万と号している数には、だいぶ懸値(かけね)があるものと自分は観ております」


「もちろん多少の誇大はあろうが、それにしても、呉との差はだいぶあろう。実数はどのくらいか」


「測るに……曹直属の軍は十五、六万に過ぎますまい。それへ旧袁紹(えんしょう)軍の北兵の勢約七、八万は加えておりますが、もともと被征服者の特有(つね)として、意気なく、忠勇なく、ただ麾下(きか)についているだけのもの。ほとんど怖るるに足りません」

「なお、劉表の配下であった荊州の将士も、多分に加わっているわけだが」


「それとて、まだ日は浅く、曹自身、その兵団や将には、疑心をもって、よく、重要な戦区に用いることはできないにきまっています。こう大観してくると、多く見ても、三十万か四十万、その質に至っては、わが呉の一体一色とは、較べものになりますまい」


「でも、それに対して、呉の兵力は」


「明朝、江岸に集まる兵は、約五万あります。主君には、あと三万を召集して、兵糧武具、船備など充分にご用意あって、おあとからお進み下さい。周瑜五万の先陣は、大江をさかのぼり、陸路(くがじ)を駈け、水陸一手となって、曹軍を突き破って参りますから」

 と、勇気づけた。

 そう聞いて孫権は初めて確信を抱いたものの如く、なお大策を語りあって、未明にわかれた。

 まだ天地は(くら)かった。夜明けにはだいぶ間がある。周瑜は、家に帰る道すがら、


(さてさて孔明という人間は、怖ろしい人物である。常に呉君に接して間近に仕えているわれわれ以上、呉君の胸中を観ぬいて少しも過っていない。人心を読むこと鏡にかけてみる如しとは、彼の如きをいうのだろう。どう考えても、その慧眼(けいがん)と智慮は、この周瑜などより一段上と思わなければならん)

 嘆服するの余り、ひそかに後日の恐怖さえ覚えてきた。――()かず、いまのうちに孔明を殺しておかないと、後には、呉の禍いになろうも知れぬ。


「……そうだ」


 自邸の館門をはいる時、彼はひとりうなずいていた。すぐ使いをやって、魯粛(ろしゅく)をよび、


「呉の大方針は確定した。これからはただ貴殿とわが輩とが、よく一致して、敵を破砕するあるのみだが、――孔明のような介在は、あっても無益、かえって後日の(がん)にならないとも限らない――どうだろう? いっそ今のうちに、彼を刺し殺しては」

 と、ひそかに計ってみた。

 魯粛は、眼をみはって、


「えっ、孔明を?」


 と、二の句もつげない顔をした。


「そうだ、孔明をだ」
 と、周瑜はたたみかけて――
「いま殺しておかなければ、やがて劉備を扶け、魏と呉との死闘に乗じて、将来、あの智謀でどんなことを企むかはかり知れない気がしてならん」

「無用です、絶対にいけません」


「不賛成か、貴殿は」


「もとよりでしょう。まだ曹操の一兵も破らぬうちに、すくなくもこの開戦の議にあずかって、たとえ真底からの味方ではないにしても、決して敵ではない孔明を刺してしまうなどは、世上に洩れたら万人の物笑いとなりましょう」

「……そうかなあ?」


 さすがに、決しかねて、周瑜も考えこんでいる容子に、魯粛は、その懐疑を解くべく、べつに一策をささやいた。

 それは、孔明の兄諸葛瑾(しょかつきん)をさしむけて、この際、劉備と縁を断ち、呉の正臣となるように、彼を説き伏せることが、最も可能性もあり、また呉のためでもあろう――という正論であった。

「なるほど、それはいい。ひとつ折をみて、諸葛瑾にむねを含ませて、孔明を説かせてみよう」

 周瑜もそれには異存はなかった。――が、かかるうちに早、窓外は白みかけていた。周瑜も魯粛も、


「では、後刻」


 と別れて、たちまち、出陣の金甲鉄蓋を身にまとい、馬上颯爽と、駆けつけた。

 大江の水は白々と波打ち、朝の光耀(こうよう)は三軍に映えている。勢揃いの場所たる江の岸には、五万の将士ことごとく集まって、部署、配陣の令を待ちかまえていた。

 大都督周瑜は、陣鼓のとどろきに迎えられて、やおら馬をおり、中軍幡(ちゅうぐんばん)や司令旗などに囲まれている将台の一段高い所に立って、

「令!」


 と、全軍へ向って伝えた。


「――王法に(しん)なし、諸将はただよく職分に尽せ。いま魏の曹操は、朝権を奪って、その罪のはなはだしさ、かの董卓(とうたく)にもこえるものがある。内には、天子を許昌の府に籠め奉り、外には暴兵を派して、わが呉をも侵さんとしておる。この賊を討つは、人臣の務めたり、また正義の擁護である。それ戦いにあたるや、功あるは賞し、罪あるは罰す。正明(せいめい)依怙(えこ)なく、軍に親疎(しんそ)なし、奮戦ただ呉を負って、魏を破れ。――行軍には、まず韓当(かんとう)黄蓋(こうがい)を先鋒とし、大小の兵船五百余艘、三江の岸へさして進み陣地を構築せよ。蒋欽(しょうきん)周泰(しゅうたい)は第二陣につづけ。凌統(りょうとう)潘璋(はんしょう)は第三たるべし。第四陣、太史慈(たいしじ)呂蒙(りょもう)、第五陣、陸遜(りくそん)董襲(とうしゅう)。――また呂範(りょはん)朱治(しゅち)の二隊には督軍目付の任を命ず。以上しかと違背あるな」


 その朝、諸葛瑾(しょかつきん)はひとり馬に乗って、街中にある弟孔明の客館を訪ねていた。

 急に周瑜(しゅうゆ)から密命をうけて、孔明を呉の臣下に加えるべく説きつけに行ったのである。


「おう、よくお越し下された。いつぞや城中では、心ならず、情を抑えておりましたが、さてもその後は、お(つつが)もなく」


 と孔明は、兄の手をとって、室へ迎え入れると、懐かしさ、うれしさ、また幼時の思い出などに、ただ涙が先立ってしまった。

 諸葛瑾も共に(まぶた)をうるませて、骨肉相擁(あいよう)したまま、しばしは言葉もなかったが、やがて心をとり直して云った。


「弟。おまえは、古人(いにしえ)伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)をどう思うね」


「え。伯夷と叔斉ですか」


 孔明は、兄の唐突な質問をあやしむと同時に、さてはと、心にうなずいていた。

 瑾は、熱情をこめて、弟に(おし)えた。


「伯夷と叔斉の兄弟(ふたり)は、たがいに位を譲って国をのがれ、後、周の武王を諫めて用いられないと、首陽山にかくれて、生涯周の(ぞく)を喰わなかった。そして餓死してしまったが、名はいまに至るまでのこっている。思うに、おまえと私とは、骨肉の兄弟でありながら、幼少早くも郷土とわかれ、()い長じてはべつべつな主君に仕え、年久しく会いもせず、たまたま、相見たと思えば、(おおやけ)の使節たり、また一方の臣下たる立場から、親しく語ることもできないなんて……伯夷叔斉の美しい兄弟仲を思うにつけ、人の子として恥かしいことではあるまいか」

「いえ、兄上。それはいささか愚弟の考えとはちがいます。家兄の仰っしゃることは、人道の義でありましょう。また情でございましょう。けれど、義と情とが人倫の全部ではありません、忠、孝、このふたつは、より重いかと存ぜられます」


「もとより、忠、孝、義のひとつを欠いても、(まった)き人臣の道とはいえないが、兄弟一体となって和すは、そもそも、孝であり、また忠節の本ではないか」


「否とよ、兄上。あなたも私もみなこれ漢朝の人たる父母の子ではありませんか。私の仕えている劉予州の君は、正しく、中山靖王(ちゅうざんせいおう)の後、漢の景帝の玄孫にあたらせられるお方です。もしあなたが志をひるがえして、わが劉皇叔(りゅうこうしゅく)に仕官されるなら、父母は地下において、どんなにご本望に思われるか知れますまい。しかも、そのことはまた、忠の根本とも合致するでしょう。どうか、末節の小義にとらわれず、忠孝の大本にかえって下さい。われわれ兄弟の父母の(つか)は、みな江北にあって江南にはありません。他日、朝廷の逆臣を排し、劉備玄徳のもと、真に漢朝を守り立てしめ、そして兄弟打揃うて故郷の父母の墳を清掃することができたら、人生の至楽はいかばかりでしょう。――よもや世人も、その時は、諸葛の兄弟は伯夷叔斉に対して恥じるものだともいいますまい」

 瑾は、一言もなかった。自分から云おうとしたことを、逆にみな弟から云いだされて、かえって、自分が説破されそうなかたちになった。

 その時、(こう)の畔のほうで、遠く出陣の金鼓や螺声(らせい)が鳴りとどろいていた。孔明は、黙然とさしうつ向いてしまった兄の心を察して、


「あれはもう呉の大軍が出舷する合図ではありませんか。家兄も呉の一将、大事な勢揃いに遅れてはなりますまい。また折もあれば悠々話しましょう。いざ、わたくしにおかまいなく、ご出陣遊ばしてください」
 と、促した。

「では、また会おう」


 ついに、胸中のことは、一言も云いださずに、諸葛瑾は外へ出てしまった。そして心のうちに、


「ああ、偉い弟」

 と、よろこばしくも思い、また苦しくも思った。

 周瑜は、諸葛瑾の口からその事の不成立を聞くと、にがにがしげに、瑾へ向って、

「では、貴殿も、やがて孔明と共に、江北へ帰る気ではないか」

 と、露骨にたずねた。

 瑾は、あわてて、

「何で呉君の厚恩を裏切りましょう。そんなお疑いをこうむるとは心外です」

 と、いった。

 周瑜は冗談だよ、と笑い消した。しかし孔明に対する害意は次第に強固になっていた。

 孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の出師(すいし)は思いどおり実現された。孔明はあらためて孫権に(いとま)を告げ、その日、すこし遅れて一艘の軍船に身を託していた。

 同舟の人々は、みな前線におもむく将士である。中に、程普(ていふ)魯粛(ろしゅく)の二将もいた。

 程普は由来、大都督周瑜(しゅうゆ)と、余りそりのあわない仲だったが、いまは口を極めて、周瑜の人物を称賛していた。

「何といっても、まだ若いし、どうかと実は危ぶんでおったが、今朝、江岸の勢揃いに、将台に立って三軍の令を云い渡した態度と威厳は、実に堂々たるものだった。稀代な英傑が呉に生れたものだと、(せがれ)程咨(ていじ)もそう云いおりました」

 魯粛(ろしゅく)もそれへ相槌(あいづち)を打って、


「いやあのお方は、青年時代、ひどく風流子のようにいわれ過ぎていたが、どうしてどうして外柔内剛です。これから戦場に臨んでみたら、いよいよその本質が発揮されるでしょう」

 と、いった。

 程普(ていふ)は、いかにもと、打ちうなずいて、

「自分なども今までは、周都督の人物にたいし、認識を欠いていた一人であったが、今日以後はいかに此方らが年長であろうと実戦の体験にくわしかろうと、問うところではない。ひたすら周都督の命令によって忠節をつくそうと思う。――実は慚愧(ざんき)にたえないので、出舷(でぶね)の前に、都督に会って、そう偽りのない気もちを語り、旧来の罪を謝して来たわけだ」

 と、しきりに懺悔していた。

 孔明もそこにいたが、二人のその話には、何もふれて行かなかった。独り船窓に倚って、恍然(こうぜん)と、外の水や空を見ていた。

 三江をさかのぼること七、八十里、大小の兵船は蝟集(いしゅう)していた。江岸いたるところに水寨(すいさい)を構え、周瑜(しゅうゆ)はその中央の地点に位する西山をうしろにとって水陸の総司令部となし、五十里余にわたって陣屋、柵門を構築し、天日の光もさえぎるばかり、翻々颯々、旗幡(きはん)大旆(たいはい)を植えならべた。

「孔明もあとから来ているそうだが……」


 と彼はその本陣で、魯粛に会うとすぐいった。


「誰か、迎えにやってくれないか」


「これへお召しになるのですか」


「そうだ」


「では、誰彼というよりも、自分で言って参りましょう」


 魯粛は、すぐ江岸の陣屋へ行って、そこに休息していた孔明を伴ってきた。

 周瑜は、雑談のすえ、


「ところで、先生にお教えを乞いたいことがありますが」


「何ですか」


「白馬、官渡(かんと)の戦いについて」


「あれは袁紹(えんしょう)と曹操の合戦でしょう。私に何が分りましょう」


「いや、先生の蘊蓄ある兵法に照して、あの戦いに寡兵(かへい)を以てよく大軍を打破った曹操の大捷利(だいしょうり)は、何に起因するものなるかを――それがしのために説き明かしていただきたいので」
「士気、用兵の敏捷(びんしょう)、もとより操と(しょう)との違いもありましょうが、要するに、曹軍の奇兵が、袁紹側の烏巣(うそう)の兵糧を焼き払ったことが、まずあの大捷を決定的なものにしたといっても過言ではありますまい」
「ああ、愉快」
 と、周瑜は膝を打って、
「先生のお考えもそうでしたか、自分もあの戦いの分れ目はその一挙にあったと観ておった。――思うに今、曹操の兵力は八十三万、わが軍の実数はわずか三万、当年の曹操はまさにその位置を顛倒して絶対優勢な側にある。これを破るには、われもまた、彼の兵糧運送の道を断つが上策と考えるが、先生以て如何となすか?」

「彼の糧地はどこか突きとめてありますか」


「百方、物見を派して探り得ておる。曹操の兵糧はことごとく聚鉄山(じゅてつざん)にあるという。先生は少年の頃から荊州に住み馴れ、あの辺の地理には定めしおくわしいであろう。彼を破るは、共に主君の御為、ひとつ決死の兵千余騎を貸しますから、夜陰、敵地に深く入って、彼の糧倉を焼き払って下さらんか。――あなたをおいては、この壮挙を見事成し遂げる人はいない」

 孔明はすぐさとった。これは周瑜(しゅうゆ)が、敵の手をかりて、自分を害そうとする考えであるに違いない――と。

 が彼は、欣然、

「承知しました」

 と、ことばをつがえて帰って行った。

 そばにいた魯粛(ろしゅく)は、周瑜のためにも孔明のためにも惜しんで、後からそっと孔明の仮屋をうかがってみた。

 帰るとすぐ、孔明は鉄甲を着け、剣を()き、早くも武装して夜に入るのを待ちかまえている様子である。魯粛はこらえかねて、姿を見せ、気の毒そうにたずねた。

「先生、あなたは今宵のご発向に、必勝を期して行かれるのですか。それとも、やむなき破目と、観念されたのですか」

 孔明は、笑いを含んで、


「広言のようですが、この孔明は、水上の船戦(ふないくさ)、馬上の騎兵戦、輸車戦車の合戦、歩卒の平野戦、いずれにおいても、その妙を極めぬものはありません。――何で、敗北と諦めながら出向きましょう」
「しかし、曹操ほどな者が、全軍の生命とする糧倉の地に、油断のあるはずはない。寡兵をもって、それへ近づくなど、死地に入るも同様でしょう」
「それは、貴公の場合とか、また周都督ならそうでしょう。そう二者が一つになっても、ようやくこの孔明の一能にしかなりませんからな」
「二者にして一能にしかならんとは、どういうわけですか」
「陸戦にかけては魯粛、水軍にかけては周瑜ありとは、よく呉の人から自慢に聞くことばです。けれど失礼ながら、陸の覇者たるあなたも、船戦にはまったく晦く、江上の名提督たる周閣下も、陸戦においては、河童(かっぱ)も同様で、なんの芸能もありません。――思うに、(まった)き名将といわるるには、智勇兼備、水陸両軍に精しく、いずれを不得手、いずれを得手とするが如き、片輪車(かたわぐるま)ではなりますまい」
「ほう。先生にも似あわしからぬ大言。この魯粛はともあれ、周都督を半能の人と仰せらるるは、近頃ちとおことばが過ぎはしませんか」
「いや、試みに、眼前の事実をごらんあれば分ろう。この孔明に兵千騎を託して、それで聚鉄山(じゅてつざん)の糧倉が焼き払えるものと考えているなどは、まったく陸戦に(くら)い証拠ではありませんか。――われもし今宵討死せば、周都督の愚将たる名は一時に天下にとどろくでしょう」

 魯粛は驚いて、倉皇(そうこう)と立ち去ったが、すぐそのことを、周瑜の耳に入れていた。

 由来、周瑜も感情家である。時々、その激血が理性を蹴る。いまも魯粛から、孔明の大言したことを聞くと、

「なに、この周瑜を、陸地の戦いには、まったく暗い愚将だといったか。半能の大将に過ぎないといったのだな。……よしっ、すぐもう一度、孔明のところへ行って、孔明の出陣を止めてきてくれ。こよいの夜襲には、われ自ら進んで、かならず敵の糧倉を焼払ってみせる」

 孔明に侮られたのを心外とするのあまり、意を決して、自身の手並のほどを見せ示そうとする気らしい。直ちに幕下へ発向(はっこう)の触れをまわして、兵数も増して五千余騎となし、夜と共に出で立つ準備にとりかかった。

 かくと魯粛から聞いて、孔明はいよいよ笑った。


「五千騎行けば五千、八千騎行けば八千、ことごとく曹操の好餌となって、大将も生け捕られるであろう。周都督は呉の至宝、そうさせてはなるまい。貴殿は親友、よく理を説いて、思い止まらせてあげたがよい」

 そしてなお、魯粛に言を託して、


「いま、呉とわが劉予州の君とが、真に一体となって曹操に当れば、大事はきっと成るであろう。相剋(そうこく)し、内争し、相疑えば、かならず曹操に乗ぜられん。――またこのたびの出師(すいし)にその戦端を陸地(くがち)から選ぶは不利。よろしく江上の船戦をもって、第一戦の雌雄を決し、敵の鋭気をくじいて後、徐々陸戦の機をはかるべきであろう」

 と、云った。


 すでに一帯の陣地は黄昏(たそが)れかけている。周瑜(しゅうゆ)は馬を呼んでいた。五千の兵は、薄暮の中に勢揃いして、粛然、出立の令を待っているところであった。

 そこへ魯粛が駆けてきて、孔明のことばを周瑜に伝えた。周瑜は聞くと、耳をそばだてて、

「ああ。おれの才は、孔明に及ばないか」

 と、痛嘆した。

 急に彼は、出立を取消した。聚鉄(じゅてつ)奇襲の計画をあきらめてしまったのである。彼も決して暗愚なる大将ではない。孔明にいわれないでも、そのことの危険は充分に知っていたからだった。

 しかし、その夜の挙は見合わせたにしても、孔明に対する害意に変更は来さなかった。むしろ孔明の叡智を恐れるのあまり、その殺意は、いよいよ深刻となり陰性となって、周瑜の胸の奥に、

(後日、またの機会に)


 と、独りひそかに誓っていた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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