第96話、呉軍の出陣と周瑜の嫉妬
文字数 8,267文字
「断」は下った。開戦は宣せられたのである。張昭以下和平派は、ただ唖然たるのみだった。
周瑜は、剣を拝受して、
と、諸員へ告げた。
文武の諸大将は、黙々と退出した。周瑜は家に帰るとすぐ孔明を呼びにやり、きょうの模様と、大議一決の由を語って、
と、ひそかにたずねた。
孔明は、心のうちで「わが事成れり」と思ったが、色には見せず、
と、すすめた。
いやしくも呉の一進一退は、いまや劉備の運命にも直接重大な関係を生じてきたとみるや、孔明が主家のために、大事に大事をとることは、実に、石橋を叩いて渡るように細心だった。
と同意して、
すぐ周瑜を引いて、
と、会った。
周瑜は、いった。
「そうでしょう。実は、その儀について、退出の後、ふと主君もお疑いあらんかと思い出したので、急に、夜中をおしてお目通りに出たわけですが。……そもそも、曹操が大兵百万と号している数には、だいぶ
「それとて、まだ日は浅く、曹自身、その兵団や将には、疑心をもって、よく、重要な戦区に用いることはできないにきまっています。こう大観してくると、多く見ても、三十万か四十万、その質に至っては、わが呉の一体一色とは、較べものになりますまい」
と、勇気づけた。
そう聞いて孫権は初めて確信を抱いたものの如く、なお大策を語りあって、未明にわかれた。
まだ天地は
嘆服するの余り、ひそかに後日の恐怖さえ覚えてきた。――
自邸の館門をはいる時、彼はひとりうなずいていた。すぐ使いをやって、
と、ひそかに計ってみた。
魯粛は、眼をみはって、
と、二の句もつげない顔をした。
さすがに、決しかねて、周瑜も考えこんでいる容子に、魯粛は、その懐疑を解くべく、べつに一策をささやいた。
それは、孔明の兄
周瑜もそれには異存はなかった。――が、かかるうちに早、窓外は白みかけていた。周瑜も魯粛も、
と別れて、たちまち、出陣の金甲鉄蓋を身にまとい、馬上颯爽と、駆けつけた。
大江の水は白々と波打ち、朝の
大都督周瑜は、陣鼓のとどろきに迎えられて、やおら馬をおり、
と、全軍へ向って伝えた。
「――王法に
その朝、
急に
と孔明は、兄の手をとって、室へ迎え入れると、懐かしさ、うれしさ、また幼時の思い出などに、ただ涙が先立ってしまった。
諸葛瑾も共に
孔明は、兄の唐突な質問をあやしむと同時に、さてはと、心にうなずいていた。
瑾は、熱情をこめて、弟に
「いえ、兄上。それはいささか愚弟の考えとはちがいます。家兄の仰っしゃることは、人道の義でありましょう。また情でございましょう。けれど、義と情とが人倫の全部ではありません、忠、孝、このふたつは、より重いかと存ぜられます」
瑾は、一言もなかった。自分から云おうとしたことを、逆にみな弟から云いだされて、かえって、自分が説破されそうなかたちになった。
その時、
ついに、胸中のことは、一言も云いださずに、諸葛瑾は外へ出てしまった。そして心のうちに、
と、よろこばしくも思い、また苦しくも思った。
周瑜は、諸葛瑾の口からその事の不成立を聞くと、にがにがしげに、瑾へ向って、
と、露骨にたずねた。
瑾は、あわてて、
と、いった。
周瑜は冗談だよ、と笑い消した。しかし孔明に対する害意は次第に強固になっていた。
孔明の使命はまず成功したといってよい。呉の
同舟の人々は、みな前線におもむく将士である。中に、
程普は由来、大都督
と、いった。
と、しきりに懺悔していた。
孔明もそこにいたが、二人のその話には、何もふれて行かなかった。独り船窓に倚って、
三江をさかのぼること七、八十里、大小の兵船は
と彼はその本陣で、魯粛に会うとすぐいった。
魯粛は、すぐ江岸の陣屋へ行って、そこに休息していた孔明を伴ってきた。
周瑜は、雑談のすえ、
孔明はすぐさとった。これは
が彼は、欣然、
と、ことばをつがえて帰って行った。
そばにいた
帰るとすぐ、孔明は鉄甲を着け、剣を
孔明は、笑いを含んで、
魯粛は驚いて、
由来、周瑜も感情家である。時々、その激血が理性を蹴る。いまも魯粛から、孔明の大言したことを聞くと、
孔明に侮られたのを心外とするのあまり、意を決して、自身の手並のほどを見せ示そうとする気らしい。直ちに幕下へ
かくと魯粛から聞いて、孔明はいよいよ笑った。
そしてなお、魯粛に言を託して、
と、云った。
すでに一帯の陣地は
そこへ魯粛が駆けてきて、孔明のことばを周瑜に伝えた。周瑜は聞くと、耳をそばだてて、
と、痛嘆した。
急に彼は、出立を取消した。
しかし、その夜の挙は見合わせたにしても、孔明に対する害意に変更は来さなかった。むしろ孔明の叡智を恐れるのあまり、その殺意は、いよいよ深刻となり陰性となって、周瑜の胸の奥に、
と、独りひそかに誓っていた。
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