第105話、巻中の秘計
文字数 7,696文字
城外に高い
見るに、城中の敵兵は大体三手にわかれている。そしてことごとく
と、周瑜は、みずから先手の兵を率い、後陣を
すると一騎、むらがる城兵の中から躍り出て、
と、名乗りかけて来た。
周瑜は、一笑を与えたのみで、
と、陣線を越えて、彼方へ馬を向けて行ったのは呉の
するとすぐ、それに代って、曹仁が馬を駈け出し、大音をあげて、
と、呼ばわった。
呉の
と、周瑜の猛声は、味方の潮を率いてまっ先に突き進んでゆく。
息もつかせぬ呉兵の急追に、度を失ったか曹仁、曹洪をはじめ、城門へも逃げ込み損ねた守兵は、みな城外の西北へ向って
すでに周瑜は城門の下まで来ていた。見まわすところ、ここのみか城の四門はまるで開け放しだ。――いかに敵が狼狽して内を虚にしていたかを物語るように。
と、もう占領したものと思いこんでいた周瑜は、うしろにいる旗手を叱咤しながら、自身も城門の中へ駈けこんだ。
すると、門楼の上からその様子をうかがっていた
と、感嘆の声を放ちながら、かたわらの
とたんに、あたりの
どうっと馬から転げ落ちる。そこを敵中の一将
壕におちいって死ぬ者、矢にあたって斃れる者など、城の四門で同様な混乱におとされた呉軍の損害は、実におびただしい数にのぼった。
と、
そして、南郡の城から、思いきって遠く後退すると、早速、
と、軍医を呼んで、中軍の帳の内に横たえてある周瑜の
「ああ、これはご苦痛でしょう。
医者はむずかしそうな顔をしかめて、患部をながめていたが、傍らの弟子に向って、
「
程普が驚いて、
と、怪しんで訊くと、医者は、患者の
「ごらんなさい。
と、ぜひなく
周瑜は、泣かんばかり、悲鳴を発した。医者は、弟子の男と、程普に向って、
「こう、暴れられては、手術ができません。手脚を抑えていてくれ」
と、その間も、こんこん木槌を振っていた。
荒療治の結果はよかった。苦熱は数日のうちに
「まだまだ、そう軽々しく思ってはいけません。何しろ
医者の注意を守って、程普はかたく周瑜を止めて中軍から出さなかった。また諸軍に下知して、
と、厳戒した。
城兵は以来ふたたび城中に戻って、いよいよ勢いを示し、中でも曹仁の部下牛金は、たびたびここへ襲せて来ては、
と、さんざんに悪口を吐きちらした。
けれど、呉陣は、まるでお通夜のようにひッそりしていた。牛金はまた日をあらためてやって来た。そして、前にもまさる悪口雑言を浴びせたが、
と、程普は、ただ周瑜の病気の再発することばかり怖れていた。
牛金の来訪は依然やまない。来ては
かかる間に、城兵は、いよいよ足もとを見すかして、やがては曹仁自身が大軍をひきいて
と、訊ねた。
程普が、答えて、
と、云い放ち、遂に帳外へ躍り出してしまった。
まだ
それを見た曹仁の兵は、
「やッ周瑜はまだ生きていたぞ」と、大いに怖れて動揺した。
曹仁も、手をかざして、戦場を眺めていたが、
と、軍卒どもへ命令した。
そこで、曹仁自身も先に立ち、
などと
彼の将士も、その尾について、さんざん悪口を吐きちらすと、たちまち、怒面を
と叫び、自身も馬首を奮い立てて進まんとした。
途端に、周瑜は、くわっと口を開き、血でも吐いたか、両手で口をふさぎながら、どうと、馬の背から転げ落ちた。
それと見て、敵の曹仁は、
と、一斉に斬り入ってきた。
呉軍は色を失って、総くずれとなり、周瑜の身を拾って、陣門へ逃げこんだ。この日の敗北もまた惨たるものであった。
憂色深き中に周瑜は取巻かれていた。だが、彼は案外、元気な容子で、医者のすすめる薬湯など飲みながら、味方の諸将へ話しかけて、
と、いった。
次の日の夕方ごろ、曹仁の部下が城外で、呉兵の一将隊を捕虜にして来た。訊問してみると彼らは、
「昨夜ついに、呉の大都督周瑜は、金瘡の再発から大熱を起して陣歿されました。で、呉軍は急に本国へ引揚げることに内々きまったようですから、所詮、呉に勝ち目はありません。勝ち目のない軍について帰っても、雑兵は、いつまで雑兵で終るしかありませんから、一同談合して降参に来たわけです。もしわれわれをお用い下さるなら、今夜、呉陣へ案内いたします。喪に服して意気
曹仁、曹洪、曹純、
ところが、陣中は、旗ばかり立っていて、人影もなかった。寥々として、
「さては早、ここを払って、引揚げたか?」
と疑っていると、たちまち、東門から韓当、
曹仁、曹純、曹洪など、みな自分らの南郡へ向って逃げたが、途中、呉の
死せる
そしてそこの
怪しんで、周瑜が、
と、城の上から答えた。
周瑜は仰天して、空しく馬を返したが、すぐ甘寧をよんで荊州の城へ馳せ向け、また
と、命じた。
――われ、孔明に出しぬかれたり!
周瑜の心中は、すこぶる穏やかでなかったのである。この上は、時を移さず、
ところが、たちまち、早馬が来て、
「荊州の城にもすでに張飛の手勢が入っている」と、告げた。
と疑っているところへ、またまた、襄陽からも早馬が飛んで来て、
「時すでに遅しです。襄陽城中には、関羽の軍がいっぱいに入って、城頭高く、劉備の旗をひるがえしている」と、報らせてきた。
周瑜が、その仔細を聞くと、こうであった。孔明は南郡の城を取るや否や、すぐ曹仁の
荊州城の守将は、兵符を信じて、すぐ救援に駈け出した。留守を測っていた孔明は、すぐ張飛を向けてそこを占領し、同時にまた、同様な手段で、襄陽へも人をやった。
(われ今あやうし。呉の兵を外より破れ)と、いう檄である。
襄陽を守っていた
かねて孔明の命をうけていた関羽は、すぐ後を乗っ取ってしまった。かくて南郡、襄陽、荊州の三城は、血もみずに、孔明の一
周瑜の驚きかたは、ひと通りや二通りではない。失神せんばかり面色を変えて、
と、叫んだ。
程普が、首を垂れていった。
聞くや否、
と床に倒れた。
怒気を発したため、
だが、人々の看護によって、ようやく蘇生の色をとりもどすと、周瑜はなお
と、罵った。
そしてひたすら南郡の奪回を策していると、一日、
と、見舞った。
周瑜はもう寝てなどいなかった。意気軒昂を示して、
と、語った。すると、魯粛は、
「無用です、無用無用」と、首を振った。
魯粛はいう。
周瑜にも、その不利は、当然分っていたが、彼のやみ難い感情が、頑として、いうのであった。
魯粛はすぐ南郡城へ使いした。その姿を見るや、城頭のいただきから、守将趙雲が声をかけた。
ぜひなく、彼はその足で、荊州へ急いだ。
荊州の城を訪うてみると、
迎えたのは、孔明である。
魯粛は彼を責めた。
孔明は、笑って、
「荊州の主、
魯粛は、ぎくとした。
ここまでの深謀が孔明にあったとは、さすがの彼も気づかなかったからである。
孔明は、左右の従者に向って、
と、小声で命じた。
やがて後ろの屏風が開くと、弱々しい貴公子が、左右の手を侍臣に取られて、数歩前に歩いて客に立礼した。見ると、まぎれなき劉琦である。
孔明のことばに、琦君は、すぐ屏をふさいで奥へかくれた。魯粛は、黙然と首をたれてしまう。孔明はなおいった。
と、なだめているところへ、折も折、呉主孫権から早馬が来て、総軍みな荊州を捨てて
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