第115話、許褚と馬超

文字数 7,603文字

 渭水(いすい)は大河だが、水は浅く、流れは無数にわかれ、河原が多く、瀬は早い。

 所によって、深い淵もあるが、浅瀬は馬でも渡れるし、徒渉(としょう)もできる。

 ここを挟んで、曹操は、北の平野に、野陣を()いて、西涼軍と対していたが、夜襲朝討ちの不安は絶え間がない。

「曹仁、早くせい」


 曹操は常に()き立てていた。

 半永久的な(とりで)の構築をである。曹仁は、築造奉行となって、渭水の淵に船橋を架け、二万人の人夫に石材木を運搬させ、沿岸三ヵ所に仮城を建つべく、日夜、急いでいた。

 西涼の馬超は、知っていたが、

「まあ、造らせておけ」


 そして工事が八、九分ぐらいまでできたかと見えたところで、


「それ、焼討ちにかかれ」

 と、河の南北からわたって、焔硝(えんしょう)、枯れ柴、油弾(ゆだん)などを仮城へ投げかけ、河には油を流して火をかけた。

 船筏(ふないかだ)も浮橋も、見事に炎上してしまった。何で製したものか、梨子(なし)か桃の()ぐらいな(まり)をぽんぽんほうる。踏みつぶしても消えない。ばっと割れると油煙が立ち、大火傷をする。そしてなお燃えさかる。

 こういう厄介な武器を持つ西涼軍に対して、さすがの曹操も、ほとんど頭を悩ましてしまった。

 智者荀攸(じゅんゆう)がいう。

「渭水の堤を利用し、土塁を高く築いて、蜿蜒(えんえん)、数里のあいだを、(ほり)と土壁との地下城としてしまうに限りましょう」

「地下城。なるほど。土の地下城では、焼討ちも計れまい」


 さらに、人夫三万を加え、孜々(しし)として、地を掘らせた。

 坑から上げた土は、厚い土壁とし、数条の堤となし、壇となし、ここに(あり)地獄のような土工業が約一ヵ月も続いた。

 さながら埃及(エジプト)のピラミッドを見るような土城(どじょう)が竣工しつつある。西涼軍のほうからも眺められていたにちがいない。しかし、手を下しかねているものか、しばらく夜襲も焼討ちもなかった。

 すると、渭水の水が一日増しに涸れて来た。かなり雨が降り続いても水が増えない。変だと思っていると、一夜、豪雨が降りそそいだ。その翌朝である。

「津浪だっ」

「洪水だっ」

 物見が絶叫した。

 人馬を高い所へ移すいとまもなく、遥か上流のほうから、真っ黒な水煙をあげて、奔々(ほんぽん)の激浪が押してきた。

 遠い上流のほうで、もう半月も前から、西涼軍が、(せき)を作って、河水を溜めていたものである。

 なんで(たま)ろう。小石まじりの河原土なので、土城は一朝にして崩れてしまった。壕も(あな)も埋まって跡形もない。

 九月に入った。

 北国のならいで、もう雪が降りだしてくる。灰色の密雲がふかく天をおおって、ここ幾日も雪ばかりなので、両軍とも、兵馬をひそめたまま睨み合っていた。

「西涼の胡夷(えびす)どもは、寒さに強いし、また潼関へも引き籠れるが、味方はこの野陣のままでは、冬中吹雪にさらされておらねばならぬ。何とか、よい工夫はないか」


 曹操とその幕将が、その日もしきりに討議しているところへ、飄然(ひょうぜん)、名を告げて、この陣営へ訪れて来たものがある。


「わしは、終南山の隠居、道号を夢梅(むばい)という(おきな)でござる」

 (かたち)(ぼん)ではない。

 曹操が、見て、


「何しに来たか」


 と、問うと、夢梅は、


「この夏頃から、丞相には、渭水の北に城寨(とりで)を築こうとなされているらしいが、なぜ火水(ひみず)(つい)えぬ城をお造りにならぬかと、愚案を申しあげに来ましたのじゃ」

 と、いう。

 なお、夢梅道人がいうには、

「これから必ず北風が吹きましょう。小石まじりの河原土でも、急に、それを構築し、築地(ついじ)した後へすぐ水をかけておけば、一夜にして凍りつき、いちど凍った堅さは、これから春までは解けません。要するに、氷の城ですから、火に焼かれるおそれもなく、河水に流される心配もありますまい」

 告げ終ると、老翁はすぐ、飄乎として、どこかへ立ち去った。


 一日、北風が吹き出した。曹操は、夢梅居士の教えを行う日と、昼から三、四万の人夫を動員しておいた。

 日が暮るるとすぐ、

「夜明けまでに、もう一度、土城を築け」

 と、命じた。

 この夜は、将士もすべて、総がかりに、それへかかった。

 基礎のあった上であるから、夜明け近くにはほぼ構築された。

「水を(そそ)げ。全城へ水をかけろ」


 数万の(かわ)の嚢が用意されてあった。河水を汲んでは手渡しから手渡しに運び、土門、土楼、土壁、土塁、土孔、土房、土窓、築くに従って水をかけ、また水をかけた。

 西涼の軍勢は、夜明けの光に、対岸をながめ、驚き合っていた。

「やあ、城ができている」

「いつの間に」

「たった一夜のうちだ」

「見ろ。あれは、この前の土城ではない。氷の城郭だ。氷城だ」

 馬超、韓遂(かんすい)なども出て、大いに怪しみながら、小手をかざしていたが、

「また何か、曹操の小策に違いあるまい。馳け破って、城郭の正体を見届けてくれん」

 と、にわかに、()を打ち、大兵を集結して、河をわたった。


「来たか、北夷(えびす)の子」


 曹操は馬を進めて、待っていた。

 馬超は、例によって、


「おのれっ」
 と、(きば)を咬み、一躍して、曹操を突き殺そうとしたが、その側に、朱面虎髯(こぜん)、光は百(れん)の鏡にも似た眼を、じっとこちらへ向けている武将が身構えていて油断もない。
(これだな、虎痴(こち)綽名(あだな)のある例の男は?)

 直感したので、馬超は、いつになく自重して、わざと試しにいってみた。


「西涼の大将たるものは、いえば必ず行い、行えば必ず徹底して実を示す。聞き及ぶ、曹操は、口頭(こうとう)(ゆう)で、逃げ上手だというが、汝そこを動かず、必ず馬超と一戦するの勇気があるか」


 すると、曹操は、


「知らないか、田舎漢(いなかもの)、予の側には常に、虎痴許褚(きょちょ)という猛将がおることを。――なんで天下の鼠をはばかろうや」


 云いもあえず、曹操のかたわらから馬を乗り出したその虎痴が、


「すなわち、譙郡(しょうぐん)の許褚とはおれのこと。汝、そこを動かず、一戦するの勇気があるのか」


 と、いった。

 その声は人臭いが、猛気が百獣の王に似ている。

 いつぞや韓遂(かんすい)にいわれたことばを思い出して、馬超も、心に(おそ)れを生じたか、


「また、会おう」

 と云い捨てたまま馬をかえし、軍を退いてしまった。

 これを見ていた両軍の兵は、駭然(がいぜん)として、

(馬超すら恐れる許褚というものはいったいどれほど強いのか)

 と、身の毛をよだてぬ者はなかったという。

 曹操は、氷城の陣営にかくれると諸将をあつめて、

「どうだ、きょうの虎侯(ここう)、皆見たか。真にわが股肱(ここう)というべしである」

 と、()め称えた。

 許褚は、大面目に、

「明日はかならず、馬超を生捕ってご覧に入れん」

 と、高言した。

 すなわち、その日彼は、敵へ宛てて決戦状を送り、

「明日、出馬しなかったら、天下に(わら)ってやるぞ」

 と、云い送った。

 馬超は怒って、


「確かに、出会わん」


 と返書して、夜が白むや、龐徳(ほうとく)馬岱(ばたい)、韓遂など、陣容物々しく、押し寄せてきた。

「待っていた」とばかり、許褚は馬を躍らせて、馬超へ呼びかけた。おうっと、一言、馬超もきょうは敢然と出て戦った。

 戦うこと百余合、双方とも、馬を疲らせてしまったので、陣中に引き分れ、ふたたび馬をかえて人まぜもせず戦い直した。


 勝負は果てない。

 火華をちらし、槍を砕き、また(ほこ)をかえて、鏘々(しょうしょう)戛々(かつかつ)、斬り結ぶこと実に百余合。

「ああ……」

 と、両軍の陣は、ただ手に汗を握り、うつろにひそまり返って見ているだけだった。

(――虎痴(こち)許褚(きょちょ)を相手に、あれほど戦い得る馬超も馬超なり、また西涼の馬超を敵にまわして、これ程に戦う者も、許褚をおいてはあるまい。実に、虎痴も虎痴なり)

 と、ことばに出す余裕もないが、誰とて、感嘆しないものはなかった。

 そのうちに、許褚は、

「ああ暑い。この大汗では眼をあいて戦えぬ。馬超、待っておれ」


 斬り合っているうち、ふいに、こう吐き捨てると、またまた、ぷいと味方の陣中へ引っ込んでしまった。

(どうしたのか?)

 怪しんでいると、許褚は、鎧兜(よろいかぶと)戦袍(ひたたれ)も脱ぎ捨てて、赤裸になるやいな、


「さあ、来い」


 ふたたび大刀をひっさげて現れてきた。

 その間に、馬超も、汗を押しぬぐい、新しい槍を持ちかえて、一息入れていた様子。――たちまち、砂塵を捲いて、霹靂(へきれき)に似た(おめ)きに狂う龍虎両雄の、三度目の一騎討ちが始まった。

 威震(いしん)(こう)の許褚、


「おうっッ」


 と、吠えて、馬上、相手へ迫ると、馬超もまた、壮年悍勇(かんゆう)、さながら火焔を噴くような烈槍を、りゅうりゅう眼にもとまらぬ早業で突き捲くってくる。

 一刀、かつんと、槍の柄に鳴った。――馬超、さッと引く。許褚ふたたび振りかぶる。


「やおうッ」


 身をかわしざま、馬超は、敵の心板(むないた)を狙って、猛烈に突いた。


「くそっ」

 と(きば)()んで、許褚はそれを横に払い、刀を地に投げるや否、退く槍の柄をつかんで、ぐいと、小脇に挟んでしまった。

 奪られじ。

 奪らん。

 ふたりは、雷と雷が黒雲を捲いて吠え合っているようだった。――奪られたほうがすぐその槍で突かれるのだ。渡せない。離せない。

 ばきッと、槍が折れた。だだだだっと、双方の馬がうしろへよろめく。いなないて竿立ちになる。すでにまた、ふたりは槍の半分ずつを持って猛烈な激闘を交えていた。

退鉦(ひきがね)、退鉦打て」


 曹操はさけんでいた。大事な虎痴に万一があっては、全軍の士気にも関わると見たからである。

 が、この微妙な戦機に、龐徳(ほうとく)馬岱(ばたい)の勢は、いちどに、曹軍の陣角へ、わっと強襲してかかった。

 その手の敵、夏侯淵(かこうえん)、曹洪など、面もふらず戦ったが、全体的には西涼軍の士気強く、ひた押しに圧され、乱軍中、許褚(きょちょ)(ひじ)へ二本の矢をうけた程だった。

「守って出るな」


 曹操は、氷城をとざした。氷の城郭も、こうなるとものをいう。この日馬超も、軍を収めてから、


「自分も幼少からずいぶん手ごわい人間にも遭ったが、まだ許褚の如きものは見ない。真に彼は虎痴だ」

 と、舌を巻いていた。

 その後、曹操のほうにも、何ら、良計はなく、徐晃(じょこう)朱霊(しゅれい)のふたりに四千騎をさずけて、渭水(いすい)の西に伏せ、自身、河をわたって、正面を衝こうとしたが、事前に、馬超のほうから軽兵数百騎をひきい、氷城の前に迫り、人もなげに、諸所を蹂躙(じゅうりん)して去った。

 土楼の窓から、それを眺めていた曹操は、かぶっていた兜をほうって、

「実に馬超という敵は尋常な敵ではない。彼の生きてあらん限りはこの曹操の生は安んじられない」

 といった。

 それを聞いていた夏侯淵は、

「これほどお味方に人もあるものを、ただ一人の馬超のため、それまで御心を(いた)ましむるとは、何たることか。われ誓って、馬超と共に刺しちがえん」


 と、その夜、曹操が止めるもきかず、部下千騎をひきいて討って出た。

 案のじょう、それから程なく夏侯淵の手勢、苦戦に陥つ、と報らせが来た。

 捨ててもおけず、曹操はすぐ自身救援におもむいたが、敵勢は、

「曹操が出てきたぞ」と伝えあうや、かえって、意気を(さかん)にした。

 のみならず、馬超は、曹操の中軍を割って、

「天下の賊。逃げるな」

 と、彼を追い馳け追い廻した。

 所詮、力ずくではかなわぬと思ったか、曹操はまた氷の城塞へ逃げこんでしまった。しかし、その間に、苦戦をしのんで、一方の兵力を()き、渭水の西から、大兵を渡していた。

「出よ、曹操。――汝は蓑虫(みのむし)の性か、穴熊の生れ変りか」


 馬超は氷城の下まで迫って、罵っていた。

 ところへ、後陣の韓遂(かんすい)から伝令があって、


「後方に異状が見える」


 と、いう急報。

 (あかつき)早く、馬超は総勢を収めて、陣地へ帰った。その日、情報によると、

「昨夜、渭水の西をわたった大軍は早くもお味方の背後へまわって、陣地の構築を始めています」

 ()から水が()れたように、韓遂(かんすい)は、


「うしろへ廻ったか」


 そこで韓遂は、万事は休すと思ったか、方針一転を馬超に献言した。()かず、これまで斬り取った地を一時曹操に返し、和睦(わぼく)をして、この冬を休戦し、春とともにべつな計をお立てなさい、というのである。戦機を観ること、さすが慧眼(けいがん)だった。

 楊秋(ようしゅう)侯選(こうせん)などの幕将も、

「もっともなお説」

 と、みな馬超を(いさ)めた。

 数日の後、楊秋は一書をたずさえて、曹操の陣へ使いした。和睦の申入れである。

 曹操は内心、渡りに舟と思ったが、まず使者を返して後、謀将の賈詡(かく)にこれを計った。

 賈詡はいう。

「明らかに偽降(ぎこう)です。が、突き放す策もよくありません。和睦をゆるし、こちらはこちらで、手を打てばよい」

「手を打つとは」


「馬超の強さは、韓遂の戦略があればこそです。韓遂の作戦は、馬超の勇があってこそ、生きてきます。ふたりを相疑わせて疎隔してしまえば、西涼勢とて、枯れ葉を掃くようなものじゃありませんか」


 次の日。

 馬超の手もとへ、曹操から返簡が来た。色よい返事である。しかし、馬超はなお数日疑っていた。


「曹軍は、この二、三日、後方の支流に浮橋を()けて、都へ引き揚げる通路を作っているが、いかにもわざとらしい。曹操の部下徐晃(じょこう)と朱霊の軍は、なお渭水の西にあってうごかないじゃないか」


()(せい)。この二態は、軍隊の性格で怪しむに足らんが、要心は必要だろう」


 と、韓遂も油断せず、一陣は西に備え、一陣は曹操の正面に向け、厳として気をゆるめなかった。

 敵方の警戒ぶりを聞くと、曹操は、賈詡(かく)をかえりみて笑った。


「まず、成就だな」


 やがて約束の日、曹操は盛装をこらして、おびただしい諸大将や武者をひきつれ、自身条約のため、場所へ出向いた。

 まだこのような豪壮絢爛(けんらん)な軍隊を見たこともなく、曹操の顔も知らない西涼の兵隊は、途々に堵列(とれつ)して、

「あれは何だろ?」

「あれが曹操か」

 などと、物珍しげに、指さし合う。

 曹操は、駿馬にまたがり、錦袍金冠(きんぽうきんかん)のまばゆき姿を、すこし左右にうごかして、

「やよ、西涼の兵ども、予を見て、珍しと思うか。見よ、予にも、眼は四つはなく、口は二つないぞ。ただ異なるのは智謀の深さだけだ」

 と、戯れをいった。

 戯れにはちがいないが、西涼の軍勢は、その笑い顔に(ふる)い怖れて、みな口を結んでしまった。

 その後、韓遂(かんすい)の幕舎へ、ふいに、曹操の使いが来た。


「はて。何か?」


 使いのもたらした書面をひらいてみると曹操の直筆にちがいなく、こうしたためてある。


君ト予トハ元ヨリ(アダ)デハナク、君ノ厳父ハ、予ノ先輩デアリ、長ジテハ、君ト知ッテ、史ヲ語リ、兵ヲ談ジ、天下ノ為、大イニ成スアランコトヲ、誓イアッタ友ダッタ。

(ハシ)ナクモ、過グル頃ヨリ敵味方トワカレ、矢石(シセキ)ノアイダニ別ルルモ、旧情ハ一日トテ、忘レタコトハナイ。

イマ幸イニ、和議成ッテ、予ナオ数日、渭水(イスイ)ノ陣ニアリ。

乞ウ、一日、旧友韓遂(カンスイ)トシテ来リ給エ。

「ああ、彼も、忘れずにいるか」


 韓遂は、旧情をうごかされて、翌日、(よろい)も着ず、武者も連れず、ぶらりと、曹操を訪れた。


「やあ、ようこそ」


 曹操はなぜか、内へ導かない。自分のほうから陣外へ出てきて、いとも親しげに、平常の疎遠を詫びた。

 そしてなお、いうには、


「お忘れではあるまい。あなたの厳父とは、共に孝廉(こうれん)に挙げられ、少壮の頃には、いろいろお世話になったものだ。後あなたも都の大学を出、共に官途へ進んでからは、いつともなく疎遠に過ぎた」


「ええ、ずいぶんと時が経ちました」


「むかし、都にあって、共に、青春の少年であった時代は、よく書を論じ、家を出ては、白馬金鞍(きんあん)、花を尋ねて遊んだこともあった」


「そんなこともありましたな」

「ははは。いつか、ふたたび太平の時を得て、むかしの童心に返ろうではないか。――おう今日は、折角、此方から書面しながら失礼ですが、幕中、折わるく諸将を会して要談中なので」


「いや、また会いましょう」


 韓遂は、気軽に戻った。

 この態を、見ていたものが、すぐ馬超へ、ありのままを話した。

 安からぬ顔色をしていたが、翌る日、馬超はほかの用事にことよせて、韓遂を呼び、


「時に、貴公は昨日、渭水(いすい)のほとりで、曹操と、何か親しげに、密談をしておられた由だが……」


「密談を」
 韓遂は、眼をまろくしながら、顔の前で手を振った。

「青空の下の立ち話。密談などした覚えはない。また軍事については、爪の(あか)ほども、語りはせんよ」


「いや、貴公が云いださなくとも、曹操のほうから何か」


「少年時代、共に都にあった事どもを、二、三話して別れただけだ」


「そうか。そんなに古くから、彼とは、親しい仲であられたのか」


 馬超は、(ねた)ましげな(ひとみ)をした。が、韓遂は、まったく、何の後ろ暗いこともないので、笑い話をして帰った。

 ひそやかな、陣中の一房へ、曹操はその晩、賈詡(かく)を呼びよせていた。

「どう見えた。きょうの計は」


「妙趣、ご奇想天外です」


「西涼兵の眼に、映ったろうな」


「もちろん、もう馬超の耳へ入っておりましょう。が、もう一つ足りません。あれでは、まだ韓遂を、心から疑わせるまでには行きますまい」


「それには、どうしたらよいか」


「丞相からもう一度、親書を韓遂にあててお書きなさい」


「そうそう、用もないのに、書簡をやるのもおかしかろう」


「かまいません。文章をもって、相手を動かすのが目的ではありませんから。――文字などもわざと(おぼろ)にしたため、肝要らしい所は、思わせぶりに、失筆で塗りつぶし、また削り改めたりなどして、一見、おそろしく複雑で重要そうに見えさえすればよろしいのです」


「むずかしいのう」


「兵馬を(つか)うことを考えれば、そのくらいな労は、何ほどでもありますまい。必定、受取った韓遂も、一体、何だろうと、おどろき怪しんで、きっとそれを、馬超の所へ見せに行くに違いありません。ここまで来れば、はや計略は、成就(じょうじゅ)したも同じことです」


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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