第150話、張飛
文字数 4,789文字
張飛の一身にも一奇禍が起った。張飛はその頃、
感情のつよい彼は、そういって勅使の前で
関羽の死が聞えて以来、張飛はことに感情づよくなっていた。酔うては怒り、
と剣をたたき、歯をくいしばっていたりすることがままあった。陣中の兵は、この激情にふれて、よく撲られたり、蹴られたりした。故に、将士のあいだには、ひそかに張飛に遺恨を抱く者すらあるような空気だった。
と、まるで勅使のせいのように激論をふっかけた。
斗酒を傾けてもなお飽かない張飛であった。こめかみの筋を太らせて、顔ばかりか眼の内まで朱くして、勅使に
張飛は哭きだした。
酔いと感情が、極点に達すると、彼はいつも、悲憤して哭くのが癖であった。
けれど、彼のことばは、決して一場の酔言ではなく、そうした気持は、常に抱いているものに違いない。
その証拠には、やがて勅使が帰ると、すぐその後で、蜀の
ふかく桃園の盟を守って、ともに誓っていることは、皇帝劉備といえども今も同じであった。身の老齢を思い、一たん人生の晩節を悟って、
と、宣言してからの彼は、以来毎日のように練兵場へ
けれど、孔明を始め、
(陛下には、まだ
折ふし張飛は成都へ出てきた。
その日も劉備は朝廷を出て、練兵場の演武堂におると聞き、彼は禁門に入るまえにすぐそこへ行って帝に拝謁した。
その時張飛は、玉座の下に拝伏するや、帝の御足を抱いて、声を放って
劉備もまた張飛の背を撫でて、
と
張飛が、
と涙を払っていうと、劉備もともに悲涙をたたえて、
と、いった。
張飛は
と劉備はこの一瞬に勇断を
張飛は、
けれども、帝の軍備には、たちまち内部の反対が燃えた。
劉備はその切れ長い
「呉は
「関羽は国家の重鎮、馬忠、
蜀帝の決意は固かった。
孔明もまた、
――呉を伐つもよいが、いまはその時でありません。
と、極力諫奏したが、ついに劉備を思い止まらすことはできなかった。
頑として、劉備は耳もかさなかった。彼の温和で保守的な性格からいえば、晩年のこの挙はまったく別人のような観がある。
その後、蜀帝の勅使は、ひそかに
そして南蛮兵五万余を借り出すことに成功した。
蜀の章武元年七月の上旬、蜀軍七十五万は、成都を発した。
このうちには、かねて南蛮から援軍に借りうけておいた
と、孔明は成都に残した。
馬超、
で、発向した出征軍は、先陣に
――ところが。
ここに蜀にとって悲しむべき一事件が突発した。それは張飛の一身に起った不測の事態である。
あれから
とはいったが、ふたりは眼をまろくした。無理な日限である。どう考えたってできるわけではない、とすぐ思ったからだった。
けれど、張飛の性質を知っているので、一たん引退がって協議してみた。そしてふたたび張飛の前に来て、
と、事情を訴えた。
張飛は、酒へ火が落ちたように、かっと青筋を立てた。側には、参謀たちもいて、すでに作戦にかかり、彼の気もちは、もう戦場にある日と変りないものになっていたのである。
兵に命じて、ふたりを縛り、陣前の大樹にくくりつけた。
のみならず、張飛は、
けれども二人は、やがて悲鳴の中から、罪を謝してさけんだ。
至極単純な張飛は、
と、縄を解いてやった。
その夜、彼は諸将と共に、酒を飲んで眠った。平常もありがちなことだが、その晩はわけても大酔したらしく、帳中へはいると床のうえに、
すると、二更の頃。
ふたりの怪漢が忍びこんで、やや久しく帳内の壁にへばりついていた。
と一声、やにわに寝姿へおどりかかって張飛の寝首を掻いてしまった。
首をさげて、飛鳥の如く、外の闇へ走ったかと思うと、
実に惜しむべきは、張飛の死であった。好漢惜しむらくは
大暑七月、蜀七十五万の軍は、すでに成都を離れて、
孔明は、帝に侍して、百里の外まで送ってきたが、
と劉備に促されて、心なしか
すると次の日。
野営を張って、途中に陣していると、張飛の部下、
ぐらぐらと
と、ただ
手脚はおののき、顔色は真っ蒼に変り、額から冷たい汗をながしていたが、やがて、さんさんと涙して、
と、白い唇から力なく言った。
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