第140話、龐徳の覚悟

文字数 8,251文字

 満城、その夜は(かがり)()き、未明の発向というので、腰に兵粮をつけ馬にも飼葉(かいば)を与え、陣々には少量の門出酒(かどでざけ)も配られて、東雲(しののめ)の空を待っていた。

 関羽もすっかり身を鎧って「(すい)」の大字を書いた旗の下に、楯に()って居眠っていた。――すると、どこからか、全身まっ黒な大猪(おおいのしし)(はし)ってきて、いきなり具足の上から関羽の足に()みついた。

「……あっ」

 と、愕きざま、抜き打ちに猪を斬ったかと思うと――眼がさめていた。夢だったのである。


「どうなさいました」


 父の声に、養子の関平が来てたずねた。夢ではあったが、猪に咬まれたあとが、まだズキズキ痛むような気がするといって――関羽は苦笑した。


(いのこ)は龍象のうちと申しますからきっと吉夢でしょう」
「人間五十に達すれば、吉夢もなし、凶夢もなし。ただ清節と死所にたいして、いささか煩悩(ぼんのう)を余すのみ」
 と、いって笑った。


 曹仁の大兵は、怒濤となって、すでに襄陽(じょうよう)へ突入したが、

(関羽が全軍をひきいて、荊州を出た)

 という情報に、にわかにたじろいで、襄陽平野の西北に物々しく布陣して敵を待っていた。

 魏の進撃が、思いのほか遅かったのは、曹仁が樊城をたつときから、参謀の満寵と夏侯存(かこうぞん)などのあいだに、作戦上の意見に齟齬(そご)があって、容易に出足が一決しなかったためである。

 で、たちまち関羽軍は、襄陽郊外に来て、彼と対陣した。

 魏の翟元(てきげん)は、荊州の廖化(りょうか)(いど)んで、この(いくさ)の口火をひらいた。

 一鼓一進、たがいに寄って、歩兵戦は開始され、やがてやや乱軍の相を呈してきた頃、廖化は偽って、敗走しだした。

 その頃、夏侯存と戦っていた関平もくずれ立ち、荊州軍は全面的な敗色につつまれたかに見えたが、やがて二十里も追われてきた頃、こんどは逆に、追撃また追撃と狂奔してきた曹仁や夏侯存などの魏軍が、突然、乱脈にさわぎ始めて、

「どこだ、どこだ?」

「あの鼓は。喊声(かんせい)は?」と、前の敵はおいて、うしろの(ほこり)に惑い合った。

 濛々たる塵煙の中に、味方ならぬ旗さし物や人馬が見えだした。わけて鮮やかなのは「帥」の一字をしるした関羽の中軍旗であった。

「すわ、退路を断たれるぞ」


 あわてて引っ返してゆく大将曹仁のまえに、さながら火焔のような尾を振り流した赤毛の駿馬(しゅんめ)が、(ばく)と、砂塵を蹴って横ぎった。

 これなん赤兎馬(せきとば)であり、馬上の人は関羽であった。


「――あっ、関羽」


 と、思わず声を発して、(きも)をとばしたまま逃げてゆく曹仁の姿に気がつくと、関羽は振り向いて、


「やよ、魏王(ぎおう)(てい)。あまりあわてて馬より落ちるな。きょうはあえて汝を追うまい。悠々逃げよ」

 と、手の青龍刀を遊ばせながら高々と笑った。

 偽って敗走した関平、廖化の二軍は、はるかうしろに味方の鼓を聞くと、にわかに(きびす)をかえして、圧倒的な攻勢に出た。

 作戦は成功したのである。魏軍は網中の魚にひとしい。けれどその朝、関羽からいわれている旨もあるので、

(序戦はまず敵の(きも)(ひし)げば足る)という程度に、長追いもせず、悪戦もせず、ただ退路を失って四方に潰乱した敵を、手頃に(とら)えては潰滅を加えた。

 で、荊州軍としては、ほとんど、損害という程度の兵も失わず、しかも敵に与えた損害と、心理的影響とは、相当大きなものだった。

 なぜならば、曹仁は(から)くも生きて帰ったが、夏侯存は、関平に討たれ、翟元(てきげん)廖化(りょうか)に追いつめられて、乱軍中に(たお)れ、いわゆる先陣の二将を、序戦にうしなったからである。

 第二日、第三日も曹仁は、不利な戦ばかり続け、ついに襄陽市中からも撤退のやむなきにいたり、襄陽を越えて遠く退いてしまった。

 関羽軍は、襄陽に入った。

 城下の民衆は、旗をかかげ、道を掃き、酒食を献じたりして、

「関羽将軍来る、関羽将軍来る」と、慈父を迎えるような歓迎ぶりを示した。

 司馬の王甫(おうほ)が、このとき一案を関羽に話した。


「幸いに、大捷(たいしょう)を博しました。けれどこの勝利に酔っては危険です。いくら魏に打ち()っても、呉というものがあります。按ずるに、いま陸口(りっこう)(湖北省、漢口の上流)には、呉の呂蒙(りょもう)が大将となって、一軍団を(たむろ)させています。これが虚を見て、うしろから荊州へ出動してくると、ちょっと防ぐ(すべ)はありません」

「よく気づいた。自分の憂いも実はそこにある。陸口に変あらばたちまちそれを知るような工夫はなかろうか」


「要所要所に烽火台(のろしだい)を築いて、つなぎ烽火の備えをしておくに限ります」


「ご辺に命じる。奉行となって、すぐその築工に取りかかれ」


「承知しました」


 王甫はまず設計図を示してから関羽の工夫も取りいれ、急ぎ、その実現を計った。



 王甫はいちど荊州へ帰って、人夫工人を集め、地形を視察したうえ、烽火台工築に着手した。

 烽火台は一箇所や二箇所ではない。陸口の呉軍に備えるためであるから、そこの動静を遠望できる地点から、江岸十里二十里おきに、適当な(おか)や山地をえらび、そこに見張り所を建て、兵五、六十ずつ昼夜交代に詰めさせておくのである。

 そして、ひとたび、呉のうごきに、何か異変があると見るや、まず第一の監視所の(おか)から烽火を揚げる――夜ならば曳光弾(えいこうだん)を揚げる――第二の監視所はそれを知るやまたすぐ同様に打ち揚げる。

 第三、第四、第五、第六――というふうに、一瞬のまにその烽火が次々の空へと走り移って、数百里の遠くの異変も、わずかなうちにそれを本城で知り得るという仕組なのである。

 この「つなぎ烽火」の制は、日本の戦国時代にも用いられていたらしい。年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報によって、短時間のまに急報をうけ取っていたという川中島戦下の武田家の兵制などは、その(ゆう)なる一例であったということができる。


「着々、工事は進んでいます。――あとは人の問題ですが」


 王甫はやがて襄陽へ戻ってきて、関羽に告げた。


「江陵方面の守備は、糜芳(びほう)傅士仁(ふしじん)のふたりですが、ちと、如何と案じられます。荊州の留守をしている潘濬(はんしゅん)も、とかく政事(まつりごと)にわたくしの依怙(えこ)が多く、貪欲(どんよく)だといううわさもあって、おもしろくありません。烽火台はできてもそれを司る人に人物を得なければ、かえって平時の油断を招き、不時の禍いを招く(もと)とならぬ限りではありませんからな」
「……うむ。……人は大事だが」

 関羽は生返事だった。自ら選んで留守をあずけ、或いは江岸の守備に当らせた以上、その者を疑う気にはなれない彼である。考えておこうという程度に王甫の言は聞き流してしまった。

 彼は、襄陽滞陣中に、充分英気を養った士卒をして、襄江の渡河を決行させた。

 もちろんこの間に、船筏(ふないかだ)の用意そのほか、充分な用意はしてある。――当然、この渡河中には、手具脛(てぐすね)ひいている敵の猛烈な強襲があるものと覚悟して。

 ところが、大軍は難なく、舟航をすすめ、何の抵抗もうけず、続々、対岸へ上陸してしまった。

 ここでも、樊城(はんじょう)の魏軍は、その内部的な不一致を、暴露している。

 さきに逃げ帰った曹仁は、その生命を保ってきただけに、以後、関羽の武勇を恐れること一通りでない。

 すでに荊州軍が、歴然と、渡河の支度をしているのを眺めながらも、


「どうしたらよいか」

 と、参謀の満寵に、ひたすら策を求めているような有様だったのである。

 満寵は初めから関羽を強敵と見て、曹仁が襄陽へ陣を出すのをさえ極力いさめていたほどな守戦主義の参謀だったから、二言なく、

「城を堅固に、守るが第一です。出て戦っては、勝ち目はありません」

 と、いった。

 ところが、城中一方の大将たる呂常(りょじょう)などの考えは、まったくそれと背馳(はいち)していた。城に籠るは最後のことだ。まして、軍書にも明らかに、

 ――敵、半バヲ渡ルトキハ、即チ討ツ。

 と用兵の機微を教えてある。そこをつかまないで、どこをつかむか。機微の妙を知らないような大将と共に城を同じゅうするとは、何たる武運の尽きか、と痛嘆した。

 前の夜、その激論に暮れてしまった。翌る朝には、もう関羽の旗が、こちらの岸へのぼっていた。

 呂常はなお自説を曲げず、

「このうえは、われ一人でも出て戦ってみせる」

 と豪語し、勇ましく一門を押しひらいて、なお上陸中の荊州軍を襲ったはよいが、関羽の雄姿を目に見ると呂常の部下は、

「あれが有名な長髯公(ちょうぜんこう)か」

 と、戦いもせず、彼をおいて、われ先にみな城門のうちへ逃げこんでしまうといったような有様だった。



 樊城(はんじょう)は包囲された。弱敵に囲まれたのとちがい、名だたる関羽とその精鋭な軍に包囲されたのであるから、落城の運命は、当然に迫った。

(――急遽、来援を乞う)

 との早馬は、魏王宮中を大いに憂えさせた。曹操は評議の席にのぞむと、列座を見まわして、


于禁(うきん)。そちがいい。すぐ樊川へ急行軍して、曹仁の危機を助けろ」


 と、その一大将を指さした。

 魏王の指名をうけるなどということは、けだし大いなる面目といわねばならぬ。けれどそれだけに于禁は重責を覚えた。わけて曹仁は魏王の弟でもある。彼は、命を受くるとともに、こう願った。


「誰ぞもう一名、先手の大将たるべき豪勇の人を、お添え給われば倖せにぞんじますが」


「おう、よかろう。たれか先陣に立って、関羽の軍を踏みやぶるものはいないか」


 すると、声の下に、


「いまこそ国恩に報ずる時かと存ずる。ねがわくはそれがしにお命じ下さい」


 龐徳(ほうとく)(あざな)は令明。漢中進攻のとき魏に(とら)われて以来、曹下(そうか)(ろく)()んでいた者である。

 曹操が思うに、龐徳なら関羽の良い相手になるであろう。勇略無双の聞えある関羽に対して、恥なき戦いをするには于禁では実力が足らない。

「うむ、龐徳も()け。さらに、予の七手組(ななてぐみ)の者どもを加勢に添えてやろう」


 曹操は念に念を入れた。七手組とは、彼の親衛軍七手の大将で、魏軍数百万のうちから選び挙げた豪傑たちであった。

 面々、印綬(いんじゅ)をうけて退出した。ところがその夜、七人のうちの董衡(とうこう)が、ひそかに于禁をたずねて云った。


「われわれ一同も、あなたを大将にいただいて征くことは、この上もない光栄ですが、副将として龐徳が先陣にあたることはいささか不安がないでもありません。いや実をいえば一抹の暗雲を征旅の前途に感じますので」


「ほほう? それはいかなる仔細かの」


「龐徳は元来、西涼の産で、かの馬超の腹心であった者です。しかるに、その馬超はいま蜀にあって、劉備に重用され、五虎将軍の一人に加えられているではありませんか。のみならず、現在、龐徳の兄龐柔(ほうじゅう)も、蜀におります。そういう危険な陰影を持っている人物を先陣に立てて、蜀軍とまみえることは、何とも複雑な神経をわれわれまでが抱かせられる――という点を、ひとつ将軍からそっと魏王のお耳に入れてご再考を仰ぎたいと存ずる次第ですが……」
「いや、いかにも。七手組の不安は、無理ではない。早速、大王にお目通りして、ご意見を伺ってみよう」

 夜中だし、発向の準備に、(せわ)しない中であったが、于禁は倉皇(そうこう)と、魏王宮に上って、その由を、曹操に告げた。

 つぶさに聞くと、曹操も安からぬ気持に駆られた。でひとまず于禁には、


「聞きおく」

 として、急遽、べつに使いを出して、龐徳(ほうとく)を呼びよせた。

 そして、軍令の変更を告げ、ひとたび彼にさずけた印綬を取上げた。龐徳は、仰天して、

「いったい、どういうわけですか。大王の命を奉じて、明朝は打ち立たんと、今も今とて、一族や部下を集合し、馬や甲鎧(よろい)をととのえて、勇躍、準備中なのに、このお沙汰は」

 と、面色を変えて訴えた。


「されば――予としては(ごう)も汝を疑ったこともないが、汝を先手の大将に持つことには、総軍から反対がでた。理由は、そちの故主馬超は、蜀にあって、五虎の栄官についておる。――おそらく汝とも何か脈絡を通じているであろう――と申すにある。つまり二心の疑いをかけておるわけだな」


 さもさも心外でたまらないような面持をたたえて、龐徳は凝然(ぎょうぜん)と口を(かん)していた。それをなだめるため、曹操はまた云い足した。


「汝に二心ないことは、予においては、充分わかっておるが、衆口はなんとも防ぎようがない。悪く思うな」


「…………」


 龐徳は冠を解いて床に坐し、頓首して自己の不徳を詫び、かつ告げた。


「それがし漢中以来、大王のご厚恩をうけて、平常、いつか一身を以て、ご恩に報ぜんことのみを思っておりました。しかるに今日、かえって、衆口の疑いを起し、お心をわずらわし奉るとは、何たる不忠、何たる武運の(つたな)さ……。ご推察くださいまし」


 (いわお)のような巨きな体をふるわして嘆くのだった。彼はなお激しく語りつづけた。いま蜀にいる兄の龐柔とは多年義絶している仲であること。また馬超とは、別離以来一片の音信も通じていないこと。ことに馬超のほうから自分をすてて単独、蜀へ降ったものであるから、今日その人に義を立てて、蜀軍に弓を引けないような筋合いはまったくないのである。――と言々吐くたびに面へ血をそそいでいる。

 ――と。曹操は、みずから手を伸ばして彼の身を(たす)け起し、いと(ねんご)ろにその苦悶をなだめた。

「もうよい。もうよい。汝の忠義は誰よりもこの曹操がよく知っておる。一応、諸人の声を取上げたのも、わざとそちに真実の言を吐かせて、諸人にそれを知らせんためにほかならぬ。いまの言明を聞けば、于禁の部下も、七手組の諸将も、釈然として疑いを消すであろう。――さあ()け。心おきなく征地に立って、人いちばいの功を立てよ」

 印綬はかくて龐徳の手にまた戻された。龐徳は感涙にむせび、誓ってこの大恩にお応えせん、と百拝して退出した。

 彼の家には、出陣の餞別(はなむけ)を呈するため、知己朋友が集まっていた。帰るとすぐ、龐徳は召使いを走らせて、死人を納める(ひつぎ)を買いにやった。

 そして、女房の李氏(りし)を呼び、


「お客はみな賑やかに飲んでいるか」


「宵から大勢集まって、あのようにあなたのお帰りを待っていらっしゃいます」


「そうか、ではすぐ席へ参るから、その前に、この柩を、酒席の正面に飾っておいてくれ」


「ま、縁起でもない。これは葬式に用いるものではありませんか」


「そうだ。いいから、いうとおりにしておいてくれ」

 龐徳は衣服を着かえ、やがて後から客間へのぞんだ。客はみな正面の柩をいぶかって、主人の(こころ)をあやしみ、お通夜のようにひそまり返っていた。


「やあ、失礼いたした。――実は、明朝の出陣をひかえて、突然、魏王からお召しがあったので、何事かと伺ってみると、実に思いもよらぬおことばで――」
 と、逐一(ちくいち)こよいの顛末(てんまつ)を話し、なお魏王の大恩に感泣して帰ってきた心事を一同へ告げたうえ、
「――明日、樊川(はんせん)へ向って立つからには、敵の関羽と勝負を決し、大きくは君恩にこたえ、一身にとって、武門の潔白を(あか)し立てんと存ずるのである。所詮、このたびの出陣こそは、生還を期しては立てぬ、それ故、生前の親しみを、一夜に尽して、お別れ申しておきたいと思う。どうか、夜の明けるまで、賑やかに飲んでもらいたい」

 それから、女房の李氏へは、


「われもし関羽を討ち得なければ、われかならず関羽のため討ち果されん。われ亡きのちは子を護り、父に(まさ)る者を育てて、父の遺恨をすすがせよ。よいか、たのむぞ」

 と、云いのこした。

 悲壮な主の決心を知って、満座みな袖をぬらしたが、妻の李氏は、かいがいしく侍女や(しもべ)をさしずして、夜の白むまで主人や客の酒間に立ち働き、ついに涙を見せなかった。

 夜が白むと、鄴都(ぎょうと)の街には、鉦太鼓(かねたいこ)の音がやかましかった。于禁(うきん)一族や七手の大将が、それぞれ出陣する触れである。

 貝の音もする、銅鑼(どら)も聞える。龐徳の邸でも、はや門を開かせ、掃き浄めた道を、やがて主人が郎党を従えてきた。

 見れば、彼の兵は、列の真っ先に、白錦襴(しろきんらん)(おお)いをした柩を高々と担っている。門外に堵列(とれつ)していた五百余人の部将や士卒はびっくりした。葬式が出てきたと思ったからである。

「一同、怪しむをやめい」


 馬上ゆたかな姿をそこに現した龐徳(ほうとく)は、鞍の上から部下へ告げた。生きて還らぬ今度の決心と、そして魏王の大恩とを。

 語をつづけてさらに()べた。


「日頃、その方どもの心根にも、おれは深く感じておる。もしこの龐徳が、関羽に討たれ、空しき屍となったときは、この柩に亡骸(なきがら)を収め、かえって魏王の見参に入れてくれい。――とはいえおれも一代武勇に鍛えた龐徳だ、むざとは討たれん。ただかくの如く、生死を天に帰して、今朝の出陣をいたすまでである」


 思い極めた大将の覚悟は、部下の心にも映らずにいない。かくて龐徳の出陣ぶりは、すぐ曹操の耳へ入った。


「うム、そうか、よし、よし」


 曹操は聞くと、喜悦をあらわした。賈詡(かく)が、側にあって、


「大王、何をお歓びですか」

 と、いった。曹操は、問うも野暮といわぬばかりに、われ龐徳の出陣の(さか)んなるを悦ぶなり――と云った。

 すると、賈詡は、

「おそれながら、大王には、ちとご推測を過っておられるようです。関羽は世の常の武将ではありません。すでに天下に彼の名が轟いてから三十年、未だいちどの不覚を聞かず、不信の沙汰なく、無謀のうわさを知りません。いま、その武勇にかけて、関羽と対立し、よく互角の勝負をする者は、おそらく驍勇無比(ぎょうゆうむひ)なる龐徳をおいては、ほかに人物はおりますまい。この点は大王のお眼鑑(めがね)に、私も心服しておるものでございます。さりながらそれは武勇だけの問題です。智略は如何となると、これはとうてい、関羽の巧者には及ばないことあきらかです。――それを龐徳が悲痛なる決意と血気にまかせて、あのようにして出て行ったのは、実に、敵を知らざるもの、暴虎の勇、私には、危なくて見ていられませんでした。――(ことわざ)にも、両剛闘えば一(しょう)ありで、魏にとっては、又なき大将を、むざむざ死なせにやるようなことは、国家のため、決して良計とは思われません。いまのうちに、少し彼の気持を、弱めたほうが、将来の計かと思われますが……」

「や。実にそうだ」


 曹操はすぐ使いを派した。――龐徳の途中を追いかけさせてである。

 使者は、追いついて、告げた。

「王命です。――戦場に着いても、かならず軽々しく仕懸(しかけ)るな、敵を浅く見るな。敵将関羽は、智勇兼備の聞えある者。くれぐれも大事をとって仕損じるなかれ――とのおことばでありまする」


「かしこまって候う」


 謹んで答えたが、使者が帰ったあとで、龐徳は非常に笑った。

「何をお笑いになるので?」と、諸人が訊くと、


「いや、大王のご入念が余りにも過ぎると、かえって、この龐徳の心を弱め給うようなことになる。それ故、われはわざと一笑して、この意志を弱めずと、誓い直しているのである」


 と、いった。

 于禁(うきん)は元来が弱気なので、それを聞くや、眉をひそめ、


「すでに敵を呑む将軍の意気は大いによろしいが、魏王の(いまし)めも忘れ給うな。中道によく敵を見て戦われよ」
 と、忠告した。

「三軍すでに征旅に立つ。何の(かえり)みやあらん。関羽関羽と、まるで呪符(じゅふ)のように唱えるが、彼とてよも鬼神ではあるまい」


 龐徳はあくまで淋漓(りんり)たる戦気を帯びて、三軍の先鋒に立ち、一路樊川(はんせん)へ猛進した。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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