第140話、龐徳の覚悟
文字数 8,251文字
満城、その夜は
関羽もすっかり身を鎧って「
と、愕きざま、抜き打ちに猪を斬ったかと思うと――眼がさめていた。夢だったのである。
父の声に、養子の関平が来てたずねた。夢ではあったが、猪に咬まれたあとが、まだズキズキ痛むような気がするといって――関羽は苦笑した。
曹仁の大兵は、怒濤となって、すでに
(関羽が全軍をひきいて、荊州を出た)
という情報に、にわかにたじろいで、襄陽平野の西北に物々しく布陣して敵を待っていた。
魏の進撃が、思いのほか遅かったのは、曹仁が樊城をたつときから、参謀の満寵と
で、たちまち関羽軍は、襄陽郊外に来て、彼と対陣した。
魏の
一鼓一進、たがいに寄って、歩兵戦は開始され、やがてやや乱軍の相を呈してきた頃、廖化は偽って、敗走しだした。
その頃、夏侯存と戦っていた関平もくずれ立ち、荊州軍は全面的な敗色につつまれたかに見えたが、やがて二十里も追われてきた頃、こんどは逆に、追撃また追撃と狂奔してきた曹仁や夏侯存などの魏軍が、突然、乱脈にさわぎ始めて、
「どこだ、どこだ?」
「あの鼓は。
濛々たる塵煙の中に、味方ならぬ旗さし物や人馬が見えだした。わけて鮮やかなのは「帥」の一字をしるした関羽の中軍旗であった。
あわてて引っ返してゆく大将曹仁のまえに、さながら火焔のような尾を振り流した赤毛の
これなん
と、思わず声を発して、
と、手の青龍刀を遊ばせながら高々と笑った。
偽って敗走した関平、廖化の二軍は、はるかうしろに味方の鼓を聞くと、にわかに
作戦は成功したのである。魏軍は網中の魚にひとしい。けれどその朝、関羽からいわれている旨もあるので、
(序戦はまず敵の
で、荊州軍としては、ほとんど、損害という程度の兵も失わず、しかも敵に与えた損害と、心理的影響とは、相当大きなものだった。
なぜならば、曹仁は
第二日、第三日も曹仁は、不利な戦ばかり続け、ついに襄陽市中からも撤退のやむなきにいたり、襄陽を越えて遠く退いてしまった。
関羽軍は、襄陽に入った。
城下の民衆は、旗をかかげ、道を掃き、酒食を献じたりして、
「関羽将軍来る、関羽将軍来る」と、慈父を迎えるような歓迎ぶりを示した。
司馬の
王甫はまず設計図を示してから関羽の工夫も取りいれ、急ぎ、その実現を計った。
王甫はいちど荊州へ帰って、人夫工人を集め、地形を視察したうえ、烽火台工築に着手した。
烽火台は一箇所や二箇所ではない。陸口の呉軍に備えるためであるから、そこの動静を遠望できる地点から、江岸十里二十里おきに、適当な
そして、ひとたび、呉のうごきに、何か異変があると見るや、まず第一の監視所の
第三、第四、第五、第六――というふうに、一瞬のまにその烽火が次々の空へと走り移って、数百里の遠くの異変も、わずかなうちにそれを本城で知り得るという仕組なのである。
この「つなぎ烽火」の制は、日本の戦国時代にも用いられていたらしい。年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報によって、短時間のまに急報をうけ取っていたという川中島戦下の武田家の兵制などは、その
王甫はやがて襄陽へ戻ってきて、関羽に告げた。
関羽は生返事だった。自ら選んで留守をあずけ、或いは江岸の守備に当らせた以上、その者を疑う気にはなれない彼である。考えておこうという程度に王甫の言は聞き流してしまった。
彼は、襄陽滞陣中に、充分英気を養った士卒をして、襄江の渡河を決行させた。
もちろんこの間に、
ところが、大軍は難なく、舟航をすすめ、何の抵抗もうけず、続々、対岸へ上陸してしまった。
ここでも、
さきに逃げ帰った曹仁は、その生命を保ってきただけに、以後、関羽の武勇を恐れること一通りでない。
すでに荊州軍が、歴然と、渡河の支度をしているのを眺めながらも、
と、参謀の満寵に、ひたすら策を求めているような有様だったのである。
満寵は初めから関羽を強敵と見て、曹仁が襄陽へ陣を出すのをさえ極力いさめていたほどな守戦主義の参謀だったから、二言なく、
と、いった。
ところが、城中一方の大将たる
――敵、半バヲ渡ルトキハ、即チ討ツ。
と用兵の機微を教えてある。そこをつかまないで、どこをつかむか。機微の妙を知らないような大将と共に城を同じゅうするとは、何たる武運の尽きか、と痛嘆した。
前の夜、その激論に暮れてしまった。翌る朝には、もう関羽の旗が、こちらの岸へのぼっていた。
呂常はなお自説を曲げず、
と豪語し、勇ましく一門を押しひらいて、なお上陸中の荊州軍を襲ったはよいが、関羽の雄姿を目に見ると呂常の部下は、
「あれが有名な
と、戦いもせず、彼をおいて、われ先にみな城門のうちへ逃げこんでしまうといったような有様だった。
(――急遽、来援を乞う)
との早馬は、魏王宮中を大いに憂えさせた。曹操は評議の席にのぞむと、列座を見まわして、
と、その一大将を指さした。
魏王の指名をうけるなどということは、けだし大いなる面目といわねばならぬ。けれどそれだけに于禁は重責を覚えた。わけて曹仁は魏王の弟でもある。彼は、命を受くるとともに、こう願った。
すると、声の下に、
曹操が思うに、龐徳なら関羽の良い相手になるであろう。勇略無双の聞えある関羽に対して、恥なき戦いをするには于禁では実力が足らない。
曹操は念に念を入れた。七手組とは、彼の親衛軍七手の大将で、魏軍数百万のうちから選び挙げた豪傑たちであった。
面々、
夜中だし、発向の準備に、
つぶさに聞くと、曹操も安からぬ気持に駆られた。でひとまず于禁には、
として、急遽、べつに使いを出して、
そして、軍令の変更を告げ、ひとたび彼にさずけた印綬を取上げた。龐徳は、仰天して、
と、面色を変えて訴えた。
「されば――予としては
さもさも心外でたまらないような面持をたたえて、龐徳は
龐徳は冠を解いて床に坐し、頓首して自己の不徳を詫び、かつ告げた。
「それがし漢中以来、大王のご厚恩をうけて、平常、いつか一身を以て、ご恩に報ぜんことのみを思っておりました。しかるに今日、かえって、衆口の疑いを起し、お心をわずらわし奉るとは、何たる不忠、何たる武運の
――と。曹操は、みずから手を伸ばして彼の身を
印綬はかくて龐徳の手にまた戻された。龐徳は感涙にむせび、誓ってこの大恩にお応えせん、と百拝して退出した。
彼の家には、出陣の
そして、女房の
龐徳は衣服を着かえ、やがて後から客間へのぞんだ。客はみな正面の柩をいぶかって、主人の
それから、女房の李氏へは、
と、云いのこした。
悲壮な主の決心を知って、満座みな袖をぬらしたが、妻の李氏は、かいがいしく侍女や
夜が白むと、
貝の音もする、
見れば、彼の兵は、列の真っ先に、
馬上ゆたかな姿をそこに現した
語をつづけてさらに
「日頃、その方どもの心根にも、おれは深く感じておる。もしこの龐徳が、関羽に討たれ、空しき屍となったときは、この柩に
思い極めた大将の覚悟は、部下の心にも映らずにいない。かくて龐徳の出陣ぶりは、すぐ曹操の耳へ入った。
曹操は聞くと、喜悦をあらわした。
と、いった。曹操は、問うも野暮といわぬばかりに、われ龐徳の出陣の
すると、賈詡は、
曹操はすぐ使いを派した。――龐徳の途中を追いかけさせてである。
使者は、追いついて、告げた。
「王命です。――戦場に着いても、かならず軽々しく
謹んで答えたが、使者が帰ったあとで、龐徳は非常に笑った。
「何をお笑いになるので?」と、諸人が訊くと、
と、いった。
龐徳はあくまで
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