第5話、張飛
文字数 4,807文字
白馬は林の細道を西北へ向ってまっしぐらに駆けて行った。秋風に舞う木の葉は、鞍上の
やがて広い野に出た。
ばらばらと声がした。
「オ。あれへ行くぞ」
「女をのせて――」
「では違うのか」
「いや、やはり劉備だ」
「どっちでもいい。逃がすな。女も逃がすな」
賊兵の声であった。
林の陰を出たとたんに、黄巾賊の一隊に早くも見つかってしまった。
獣群の声が、白馬の影を追いつめて来た。
劉備は、振り向いて、
消え入るようにおののいた。
と、いって、
芙蓉はもう返事もしない。ぐったりと鬣に顔をうつ伏せている。
劉備の打ちつづけていた
低い斜面のうねりを躍り越えた。遠くに帯のように流れが見えてきた。しめたと、劉備は勇気をもり返したが、河畔まで来てもそこには何物の影もなかった。宵に
驚き立ち尽くしていた劉備の元に、
馬にのった影が、六騎七騎と、彼の前後を包囲してきた。黄巾賊の
馬を持たない徒歩の卒どもは、馬の足に追いつけなくて、途中であえいでしまったらしいが、
まずい、と再び馬にむち打った劉備に、
と、鉄弓の
喉に矢を立てた白馬は、
そのまま芙蓉は身動きもできなかったが、劉備は立ち上がって、
と、さけんだ。彼は今日まで、自分にそんな大きな声量があろうとは知らなかった。百獣も
賊は、ぎょっとし、劉備の大きな眼の光におどろき、馬は彼の大喝に、
だが、それは一瞬、
避けようもない賊の包囲だ。身には寸鉄も帯びていない。少年時代から片時もはなさず持っていた父の
劉備は、しかし、
と、石ころをつかむが早いか、近づく者の顔へ投げつけた。
見くびっていた賊の一名は、不意を喰らって、
「あッ」と、鼻ばしらをおさえた。
劉備は、飛びついて、その槍を奪った。そして大音声に、
といって、捨身になった。
賊の小方、
と半月槍をふるってきた。
もとより劉備はさして武術の達人ではない。田舎の
必死になって、七人の賊を相手に、ややしばらくは、一命をささえていたが、そのうちに、槍を打落され、よろめいて倒れたところを、李朱氾に馬のりに組み敷かれて、李の大剣は、ついに、彼の胸いたに突きつけられた。
その時、
――おおういっ。
彼方から、
呼ばわる声が近づいてきた。
獣のような大声は、思わず賊の頭を振り向かせた。
両手を振りながら
だがまたたく間に近づいてきたのを見ると、木の葉どころか身の
と、いう言葉も終らぬ間に、そう
張飛が、李朱氾をつまみ上げて、宙へ投げ飛ばしたのである。
叫んだ一人が、槍もろとも、躍りかかると、張飛は、
槍の柄は折れ、打たれた賊は、腰骨がくだけたように、ぎゃっともんどり打った。
思わぬ裏切者が出て、賊は狼狽したが、日頃から図抜けた
張飛は、さながら岩壁のような胸いたをそらして、
と、一度に打ってかかった。
張飛は、腰の剣も抜かず、寄りつく者をとっては投げた。投げられた者は皆、
劉備は、茫然と、張飛の働きをながめていた。蹴れば雲を生じ、
驚き見ていた。
残る二、三人は、馬に飛びついて逃げうせたが、張飛は笑って追いもしなかった。そして
と、劉の手へ渡した。
劉備は、失くした珠が返ってきたように、剣と茶壺の二品を、張飛の手から受取ると、幾度も感謝をあらわした。
と、いった。
張飛は、首を振って、
張飛の武勇に誇らない謙遜なことばに、劉備はいよいよ感じて、感銘のあまり二品のうちの剣のほうを差しだして、
と、再び、張飛の手へ授けて云った。
張飛は、眼をみはって、
劉備は、
張飛は、先に自分が解き捨てた剣を劉備に渡し、
といった。
そして張飛自身は、芙蓉の身を抱いて、賊が残した馬に移り、名残り惜しげに、
芙蓉を抱えた張飛とは、
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