第58話、偽撃転殺の計、虚誘掩殺の計
文字数 7,561文字
年明けて、建安三年。
曹操もはや四十を幾つかこえ、威容
正月、
と、いった。
南の
西といえば、さし当って、近ごろ南陽(河南省・南陽)から荊州地方に
果たせるかな。その年、初夏四月。
丞相府の大令が発せられるや、一夜にして、大軍は西方へ行動を起した。
討伐張繍!
土気は新鮮だった。軍紀は
天子は、みずから
伏牛山脈をこえてくる黄塵は、早くも南陽の
と、自身防ぎに出た。
だが、配下の勇士
曹操の大軍は、ひた寄せに城下にせまって、四門を完全に封鎖した。
攻城と籠城の形態に入った。
籠城側は
が、そんなことにひるむ曹操の部下ではない。曹操もまた、みずから、
と、西門に向って、兵力の大半を集注し、三日三晩、息もつかずに攻めた。
なんといっても、主将の指揮するところが主力となる。
雲の
張繍は防ぐ力も尽きて、
とたずねた。
軍師たる賈詡の顔いろが、今はただ一つのたのみだった。賈詡は落着いて答えた。
張繍はつめ寄った。
張繍は聞いて、
賈詡は、直ちに、それに備える手筈にかかった。
この城中に、賈詡のあることは、曹操も
――にもかかわらず、
曹操ほどな智者も、自分の智には墜ちいりやすいものとみえる。
彼は、その夜、西門へ総攻撃するようにみせかけて、ひそかによりすぐった強兵を巽にまわし、自身まッ先に進んで、
曹操は、快笑して、
一挙に、そこを打破って、壁門の内部へ突入した。
――と、こはいかに、内部も暗々黒々として
曹操は、つづく手勢を振向いて、絶叫した。
しかし、もう遅かった。
地をゆるがす
「曹操を生捕れ」とばかり圧縮してきた。
曹操は単騎、鞭打って逃げ走ったが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れなかった。
ここばかりでなく、偽攻の計を見やぶられたので、西門のほうでも、さんざんに張繍のために破られ、全線にわたって、
軍の立て直しを図っていたところ、都の急変が報じられてきた。
河北の
大動員を発布。
と、いうのであった。
曹操が急いで帰還したおかげか、袁紹が許都へ攻めてくることはなかったが、こうなってくると曹操は、なかなか身動きがとれなかった。
今年の秋は、去年のような祝賀の祭もなかった。
とはいえ
その中に、従者五十人ばかりを連れ、
「
旅舎の者は、下へもおかないあつかいである。
この都でも、冀州の袁紹と聞けば、誰知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりははるかに偉い人――という先入観をもっていた。
丞相府で曹操がひと休みしていところ、
無造作にひらいて、曹操は読み下していたが、秋の日に
先ほどの笑い声とは違い、はっきり不快な色を面上にみなぎらせた。それでも足りないように、曹操は書簡を叩きつけた。
そして、
郭嘉は彼の激色がうすらぐのを待って静かにいった。
といって、郭嘉は指を折りながら、両者の得失をかぞえあげた。
一……袁紹は時勢を知らない。その思想は、保守的というより逆行している。
が――丞相は、時代の勢いに
二……袁紹は
が――丞相は、自然で敏速で、民衆にふれている。
三……袁紹は寛大のみを仁政だと思っている。故に、民は寛に
が――君は、
四……袁紹は
が――丞相は、
五……袁紹は
が――丞相は、臨機明敏である。
六……袁紹は、自分が名門なので、名士や虚名をよろこぶ。
が――丞相は、真の人材を愛する。
曹操は、笑いながら急に手を振った。
その夜――
彼は、独坐していた。
心の奥では呟いてみる。
しかし、そのそばから、
とも、すぐ思う。
袁紹と自分とを、一個一個の人間として較べるなら
と、指を折って説かれるまでもなく、曹操自身も、
と、充分自信はもっているが、単にそれだけを強味として相手を
それに、何といっても彼は名家の
袁紹が洛陽の都にあって、軍官の府に重きをなしていた頃、曹操はまだやっと城門を見廻る一警吏にすぎなかった。
袁紹は風雲に追われて退き、曹操は風雲に乗じて躍進を遂げたが、名門袁紹にはなお隠然として保守派の支持があるが、新進曹操には、彼に忠誠なる腹心の部下をのぞく以外は
天下はまだ曹操の現在の位置を目して、「お手盛りの丞相」と、蔭口をきいていた。その武力にはおそれても、その威に対しては心服していないのである。
そういう微妙な人心にくらい曹操ではない。彼はなお自分の成功に対して多分に不満であり不安であった。
敵は武力で討つことはできるが、徳望は武力でかち得ないことは知っている。
こういう際、「袁紹と事を構えたら?」と、そこに多分な迷いが起ってくる。
今、地理的に、この許都を中心として西は
だが、感情のままに軍を動かせば、たちどころに潰されることになるだろう。
眠れぬ夜を過ごした。
翌朝、曹操は荀彧を呼んだ。
やがて、
曹操は、特に人を遠ざけて、閣のうちに彼を待っていた。
と、荀彧は、きのう
曹操は、手を打って、大いに笑いながら、
と、彼の言をさえぎってからまた、真面目に云い直した。
郭嘉、荀彧ふたりの意見が、まったく同じなので曹操も遂に迷いを捨て、次の日、袁紹の使者を丞相府に呼んで、
黄河をわたり、河北の野遠く、
やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。
袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道理、曹操の色よい返辞には、次のような意味が
まず、
閣下がこの度、北平(河北省・満城附近)の征伐を思い立たれたご
馬、
ただ、お詫びせねばならぬ一事は、
袁紹は安心した。
そこで大挙、北平攻略への軍事行動を開始し、しばらく西南の注意を怠っていた。
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