第58話、偽撃転殺の計、虚誘掩殺の計

文字数 7,561文字

 年明けて、建安三年。

 曹操もはや四十を幾つかこえ、威容人品(じんぴん)ふたつながら備わって、覇気熱情(はきねつじょう)も日頃は温雅典麗(おんがてんれい)な貴人の風につつまれている。時には閑を愛して独り書を読み、詩作にふけり、終日、春闌の室を出ることもなかった。また或る日は家庭の良き父となりきって、幼い子女らと他愛なく遊び(たわむ)れ、家門は栄え、身は丞相(じょうしょう)顕職(けんしょく)にあり、今や彼も、功成り名()げて、弓馬剣槍のこともその念頭を去っているのであるまいかと思われた。

 正月、(ちょう)にのぼって彼は天子に(えっ)し、賀をのべた後で、

「ことしもまた、西へ征旅に赴かねばなりますまい」


 と、いった。

 南の淮南(わいなん)は、去年、一年たたきに叩いて、やや小康を保っている。

 西といえば、さし当って、近ごろ南陽(河南省・南陽)から荊州地方に蠢動(しゅんどう)している張繍(ちょうしゅう)がすぐ思い出される。

 果たせるかな。その年、初夏四月。

 丞相府の大令が発せられるや、一夜にして、大軍は西方へ行動を起した。

 討伐張繍!

 土気は新鮮だった。軍紀は凜々(りんりん)とふるった。

 天子は、みずから鑾駕(らんが)をうながして、曹操を外門の大路まで見送られた。


 伏牛山脈をこえてくる黄塵は、早くも南陽の宛城(えんじょう)から垣間見えた。

 張繍(ちょうしゅう)は、うろたえた。

「はや、後詰(ごづめ)したまえ」


 と、荊州の劉表へ、援助をたのむ早打ちをたて、軍師の賈詡(かく)を城にとどめて、
「つかれ果てた敵の兵馬、大軍とて何ほどかあろう」

 と、自身防ぎに出た。

 だが、配下の勇士張先(ちょうせん)が、まっ先に曹操の部下許褚(きょちょ)に討たれたのを始めとして、一敗地にまみれてしまい、口ほどもなく、たちまちみだれ合って、宛城のうちへ逃げこんでしまった。

 曹操の大軍は、ひた寄せに城下にせまって、四門を完全に封鎖した。

 攻城と籠城の形態に入った。

 籠城側は新手(あらて)の戦術に出て、城壁にたかる寄手の兵に()えたぎった熔鉄(ようてつ)をふりまいた。

 金屎(かなくそ)か人間かわからない死骸が、蚊のごとく、ばらばら落ちては壁下の空壕(からぼり)(うず)めた。

 が、そんなことにひるむ曹操の部下ではない。曹操もまた、みずから、

「ここを突破してみせん」

 と、西門に向って、兵力の大半を集注し、三日三晩、息もつかずに攻めた。

 なんといっても、主将の指揮するところが主力となる。

 雲の(かけはし)にもまごう(やぐら)を組み、土嚢を積み、(ほり)をうずめ、弩弓の乱射、ときの声、油の投げ柴、炎の投げ松明(たいまつ)など――あらゆる方法をもって攻めた。

 張繍は防ぐ力も尽きて、

「――賈詡、荊州の援軍は、いつ頃着くだろう。もう城の余命も少ないが。……間にあうか、どうか」

 とたずねた。

 軍師たる賈詡の顔いろが、今はただ一つのたのみだった。賈詡は落着いて答えた。

「だいじょうぶです」
「まだ大丈夫か」
「まだ? ……いやいや、頑としてなお、この城は支えられます。のみならず、曹操を生擒(いけど)りにする可能性もあります」

「えっ。曹操を」


「大言と疑って、わたくしの言を疑うことがなければ、必ず、曹操の一命は、あなたの掌の物としてご覧にいれます」


「どういう計りごとで?」


 張繍はつめ寄った。

 賈詡(かく)彼は、張繍(ちょうしゅう)に説いた。


「こんどの戦闘中、ひそかに、それがしが矢倉のうえから見ていると、曹操は、城攻めにかかる前に、三度、この城を巡って、四門のかためを視察していました。――そして彼がもっとも注意したらしい所は、東南の(たつみ)の門です。――なぜ注意したといえば、あそこは逆茂木(さかもぎ)の柵も古く、城壁も修理したばかりで、(かわら)は古いのと新しいのと不揃いに積み畳まれている。……要するに、防塁の弱点が見えるのです」

「ムム、なるほど」


「――で、烱眼(けいがん)な曹操はすぐ、この城を陥す攻め口はここと、肚のうちでは決めているに違いないのです。――そこで彼は次の日から、西門に主力をそそぎ、自分もそこに立って、躍起と攻め始めたものでしょう」
「東南門の巽の口を、攻め口ときめておりながら、なぜ西門へ、あんな急激にかかってきたのか」
偽撃転殺(ぎげきてんさつ)(けい)です。――つまり西門に防戦の力をそそがせておいて、突然巽の門をやぶり、一殺に、宛城を葬らんとする支度です」

 張繍は聞いて、慄然(りつぜん)、肌に粟を生じた。


「大丈夫なのか」

「それがしにお任せください」


 賈詡は、直ちに、それに備える手筈にかかった。

 この城中に、賈詡のあることは、曹操も()く知っている。また賈詡の人物も、知りぬいているはずである。

 ――にもかかわらず、

 曹操ほどな智者も、自分の智には墜ちいりやすいものとみえる。

 彼は、その夜、西門へ総攻撃するようにみせかけて、ひそかによりすぐった強兵を巽にまわし、自身まッ先に進んで、鹿垣(ししがき)、逆茂木を打越え、城壁へ迫って行ったが、ひそとして迎え戦う敵もない。

 曹操は、快笑して、

「笑止や。わが計にのって、城兵はみな西門の防ぎに当り、かくとも知らぬ様子だぞ」

 一挙に、そこを打破って、壁門の内部へ突入した。

 ――と、こはいかに、内部も暗々黒々として(かがり)の火一つみえない。あまりの静けさに、


「はてな?」
 馬脚を止めて見廻したとたんに、ぐわあん! ――と一声の狼火(のろし)がとどろいた。

「しまった」


 曹操は、つづく手勢を振向いて、絶叫した。


「――虚誘掩殺(きょゆうえんさつ)(はか)りごとだっ。――退却っ、退却っ!」


 しかし、もう遅かった。

 地をゆるがす(とき)の声と共に、十方の闇はすべて敵の兵となって、

「曹操を生捕れ」とばかり圧縮してきた。

 曹操は単騎、鞭打って逃げ走ったが、その夜、巽の口で討たれた部下の数は、何千か何万か知れなかった。

 ここばかりでなく、偽攻の計を見やぶられたので、西門のほうでも、さんざんに張繍のために破られ、全線にわたって、破綻(はたん)を来したため、五更の頃まで、追撃をうけ、夜も明けて陽を仰いだ頃、城下二十里の外に退いて、損害を調べると、一夜のうちに味方の死者五万余人を生じていたことが分かった。

「今に見よ」

 軍の立て直しを図っていたところ、都の急変が報じられてきた。


河北の袁紹(えんしょう)、都の空虚をうかがい

大動員を発布。


 と、いうのであった。

「――袁紹が!」


 これにはよほど(おどろ)いたとみえて、曹操は何ものもかえりみず、許都(きょと)へさして昼夜をわかたず急いだ。

 曹操が急いで帰還したおかげか、袁紹が許都へ攻めてくることはなかったが、こうなってくると曹操は、なかなか身動きがとれなかった。

 

 今年の秋は、去年のような祝賀の祭もなかった。

 とはいえ去燕雁来(きょえんがんらい)の季節である。洛内の旅舎は忙しい。諸州から秋の新穀(しんこく)鮮菜(せんさい)美果(びか)などおびただしく市にはいってくるし、貢来(こうらい)の絹布や肥馬も輻輳(ふくそう)して賑わしい。

 その中に、従者五十人ばかりを連れ、羈旅(きりょ)華やかな一行が、或る時、駅館の門に着いた。

冀州(きしゅう)袁紹(えんしょう)様のお使者だそうだよ」

 旅舎の者は、下へもおかないあつかいである。

 この都でも、冀州の袁紹と聞けば、誰知らぬ者はない。天下の何分の一を領有する北方の大大名として、また、累代漢室に仕えた名門として、俗間の者ほど、その偉さにかけては、新興勢力の曹操などよりははるかに偉い人――という先入観をもっていた。


 丞相府で曹操がひと休みしていところ、郭嘉(かくか)が、

「よろしいですか」
 と、牀下(しょうか)に拝礼した。
「なんだ。書簡か」
「はい、袁紹(えんしょう)の使いが、はるばる、都下の駅館に到着いたして、丞相にこれをご披露ねがいたいとのことで」

「――袁紹から?」


 無造作にひらいて、曹操は読み下していたが、秋の日に(かや)が鳴るように、からからと笑った。


「虫のいい交渉だ。――先ごろ、この曹操が都をあけていた折はあわよくば洛内に軍を進めんとうかがったりしながら、この書面を見れば、北平(ほくへい)公孫瓉(こうそんさん)と国境の争いを起したによって、兵糧不足し、軍兵も足りないから、合力(ごうりき)してくれまいか――という申入れだ。しかも、文辞傲慢(ぶんじごうまん)、この曹操を都の番人とでも心得ておるらしい」

 先ほどの笑い声とは違い、はっきり不快な色を面上にみなぎらせた。それでも足りないように、曹操は書簡を叩きつけた。

 そして、郭嘉(かくか)に向って、なお、余憤をもらした。

「袁紹の尊傲(そんごう)無礼はこの事ばかりではない。日ごろ帝の御名をもって政務の文書を交わしても、常に不遜の辞句を用い、予を一吏事のごとく見なしておる。――いつかはそのおごれる鼻をへし折ってくれんものと、じっと隠忍しておるがいかんせん、冀州一円にわたる彼の旧勢力も、まだなかなか……自己の力の不足をかえりみ、独り嘆じている程なのに、この上北平を攻めるものだから兵力を貸せ、食糧を貸せとはどこまで予を(くみ)しやすしと思っているのか底の知れぬ横着者ではある」

「……丞相」


 郭嘉は彼の激色がうすらぐのを待って静かにいった。


「わたくしごときが、丞相を批評しては、罪死に値しますが、忌憚(きたん)なく申しあげれば、袁紹の人物と丞相とを比較してみますと、わが君には十勝の特長があり、袁紹には十敗の欠点があります」

 といって、郭嘉は指を折りながら、両者の得失をかぞえあげた。


一……袁紹は時勢を知らない。その思想は、保守的というより逆行している。


が――丞相は、時代の勢いに(したが)い、革新の気に富む。


二……袁紹は繁文縟礼(はんぶんじょくれい)、事大主義で儀礼ばかり尊ぶ。


が――丞相は、自然で敏速で、民衆にふれている。


三……袁紹は寛大のみを仁政だと思っている。故に、民は寛に()れる。


が――君は、峻厳(しゅんげん)で、賞罰明らかである。民は恐れるが、同時に大きな歓びも持つ。


四……袁紹は鷹揚(おうよう)だが内実は小心で人を疑う。また、肉親の者を重用しすぎる。


が――丞相は、親疎(しんそ)のへだてなく人に接すること簡で、明察鋭い。だから疑いもない。


五……袁紹は謀事(はかりごと)をこのむが、決断がないので常に惑う。


が――丞相は、臨機明敏である。


六……袁紹は、自分が名門なので、名士や虚名をよろこぶ。


が――丞相は、真の人材を愛する。


「もうよせ」


 曹操は、笑いながら急に手を振った。


「そうこの身の美点ばかり聞かせると、予も袁紹になるおそれがある」


 郭嘉を下がらせた。


 その夜――

 彼は、独坐していた。


「右すべきか、左すべきか。多年の宿題が迫ってきた」


 袁紹(えんしょう)という大きな存在に対して深い思考をめぐらそうとする時、さすがの彼も眠ることができなかった。


「恐るるには足らない」


 心の奥では呟いてみる。

 しかし、そのそばから、


(あなど)れない――」

 とも、すぐ思う。

 袁紹と自分とを、一個一個の人間として較べるなら郭嘉(かくか)が、

「君に十勝あり。袁紹に十敗あり」


 と、指を折って説かれるまでもなく、曹操自身も、


(自分のほうがはるかに人間は上である)

 と、充分自信はもっているが、単にそれだけを強味として相手を鵜呑(うの)みにしてしまうわけにもゆかなかった。

 (えん)一門の閥族中には、淮南(わいなん)袁術(えんじゅつ)のような者もいるし、大国だけに賢士を養い、計謀の(うつわ)、智勇の良臣も少なくない。

 それに、何といっても彼は名家の顕門(けんもん)で、いわば国の元老にも擬せられる家柄であるが、曹操は一宮内官の子で、しかもその父は早くから郷土に退き、その子曹操は少年から村の不良児といわれていた者にすぎない。

 袁紹が洛陽の都にあって、軍官の府に重きをなしていた頃、曹操はまだやっと城門を見廻る一警吏にすぎなかった。

 袁紹は風雲に追われて退き、曹操は風雲に乗じて躍進を遂げたが、名門袁紹にはなお隠然として保守派の支持があるが、新進曹操には、彼に忠誠なる腹心の部下をのぞく以外は嫉視(しっし)反感あるのみだった。

 天下はまだ曹操の現在の位置を目して、「お手盛りの丞相」と、蔭口をきいていた。その武力にはおそれても、その威に対しては心服していないのである。

 そういう微妙な人心にくらい曹操ではない。彼はなお自分の成功に対して多分に不満であり不安であった。

 敵は武力で討つことはできるが、徳望は武力でかち得ないことは知っている。

 こういう際、「袁紹と事を構えたら?」と、そこに多分な迷いが起ってくる。

 今、地理的に、この許都を中心として西は荊州(けいしゅう)襄陽(じょうよう)劉表(りゅうひょう)張繍(ちょうしゅう)を見ても、東の袁術、北の袁紹の力をながめても、ほとんど四方連環(れんかん)の敵であって、安心のできる一方すら見出せない。

「――だが、この連環のなかにじっとしていたら、結局、自分は丞相という名だけを持って、窒息(ちっそく)してしまう運命に立到るであろう。自分の位置は、風雲によって生れたのであるから、天下の全土を完全に威服させてしまうまでは、寸時も生々躍動の前進を怠ってはならない。打開を()めてはならない。旧態の何物をも、ゆるがせに見残しておいてはならない」

 だが、感情のままに軍を動かせば、たちどころに潰されることになるだろう。

 眠れぬ夜を過ごした。

 

 翌朝、曹操は荀彧を呼んだ。

 やがて、荀彧(じゅんいく)は召しによって府へ現れた。

 曹操は、特に人を遠ざけて、閣のうちに彼を待っていた。


「荀彧。きょうはそちに、取りわけ重大な意見を問いたいため呼んだわけだが、まず、これを一見するがよい」

「書簡ですか」


「そうだ。昨日、袁紹(えんしょう)の使いが着いて、はるばる(もたら)してきたもの。即ち、袁紹の自筆である」

「……なるほど」


「これを読んで、そちはどう感じる」


「一言で申せば、辞句は無礼尊大であるし、また、書面でいってきたことは、虫のよい手前勝手としか思われません」
「そうだろう。――袁紹の無礼には、積年、予は忍んできたつもりだが、かくまで愚弄(ぐろう)されては、もはや堪忍もいつ破れるか知れぬ気がする」

「ごもっともです」


「――ただ、どう考えても、袁紹を討つには、まだいささか予の力が不足しておる」


「よくご自省なさいました。その通りであります」


「しかし、断じて予は彼を征伐しようと思う。そちの意見は、どうだ?」


「必ず行うてよろしいでしょう」


「賛成か」


「仰せまでもございません」


「予は勝つか」


「ご必勝、疑いもありません。比べてみればわかる話です」


 と、荀彧は、きのう郭嘉(かくか)がのべた意見と同じように、両者の人物を比較して、その得失を論じた。

 曹操は、手を打って、大いに笑いながら、


「いや、そちの意見も、郭嘉のことばも、まるで割符(わりふ)を合わせたようだ。予も、欠点の多いことは知っている。そういいところばかりある完全な人間ではないよ」


 と、彼の言をさえぎってからまた、真面目に云い直した。


「しからば、袁紹の使いを斬って、即時、彼に宣戦してもよいか」


「いや! その儀は?」


「いけないか」


「断じて、今は」


「なぜ」


「呂布をお忘れあってはなりません。常に、都をうかがっている後門の虎を。――それに、荊州方面の物情もまだ決して安んじられません」

「では、いつまで、袁紹の無礼に忍ばねばならんか」


「至誠をもって、天子を(たす)け、至仁をもって士農を愛し、おもむろに新しい時勢を転回して、時勢と袁紹とを戦わせるべきです。――ご自身、戦う必要のないまでに、時代の推移に、袁紹の旧官僚陣が自壊作用を起してくるのを待ち、最後の一押しという時に、兵をうごかせば、万全でしょう」

「ちと、気が長いな」


「何の、一瞬です。――時勢の歩みというものは、こうしている間も、目に見えず、おそろしい迅さでうごいている。――が、植物の成長のように、人間の子の育つように、目には見えぬので、長い気がするのですが、実は天地の運行と共に、またたくうちに変ってゆくものです。――何せよ、ここはもう一つ、ご忍耐が肝要でしょう」

 郭嘉、荀彧ふたりの意見が、まったく同じなので曹操も遂に迷いを捨て、次の日、袁紹の使者を丞相府に呼んで、


「ご要求の件、承知した」


 と、曹操から答えて、糧米(りょうまい)、馬、そのほか、おびただしい軍需品をととのえて渡した。そして、使者には、盛大な宴を設けてねぎらい、また、その帰るに際しては特に、朝廷に奏請して、袁紹を大将軍太尉にすすめ、冀州(きしゅう)、青州、幽州、并州(へいしゅう)の四州をあわせて領さるべし――と云い送った。


 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹(えんしょう)の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒(えんえん)数百頭の馬輛に積載して帰って行った。

 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。

 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道理、曹操の色よい返辞には、次のような意味が(したた)めてあった。



まず、閣下(かっか)の健勝を祝します。

閣下がこの度、北平(河北省・満城附近)の征伐を思い立たれたご壮図(そうと)に対しては、自分からも満腔の誠意をもって、ご必勝を祈るものであります。

馬、糧米(りょうまい)など軍需の品々も、できる限り後方よりご援助しますから、河南には少しもご憂慮なく、一路北平の公孫瓉(こうそんさん)をご討伐あって万民安堵(あんど)のため、いよいよ国家鎮護の大を成し遂げられんことを万祷(ばんとう)しております。

ただ、お詫びせねばならぬ一事は、不肖(ふしょう)、守護の任にある許都の地も、何かと事繁く、秩序の維持上、兵を要しますので、折角ながら兵員をお貸しする儀だけは、ご希望にそうことができません。なお、勅命に依って、貴下を、大将軍太尉にすすめ、併せて冀、青、幽、并の四州の大侯(たいこう)に封ずとのお旨であります。ご領受あらんことを。



「いや、曹操の返辞も、どうかと思っていたが、この文面、このたびの扱い、万端、至れり尽せりである。彼も存外、誠実な(おとこ)とみゆる」

 袁紹は安心した。

 そこで大挙、北平攻略への軍事行動を開始し、しばらく西南の注意を怠っていた。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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