第144話、麦城《ばくじょう》
文字数 9,390文字
魏の首府へ、呉の特使が情報を持って入った。
特使はいう。――呉すでに荊州を破る。魏はなぜこの機会をつかんで関羽を討たないかと。
もちろん曹操は、この形勢を無為に見ているものではない。ただ呉の態度の確然とするまで機をうかがっていたものだ。
と、彼はうごき出した。魏の大軍をひきいて、洛陽の南へ出た。そこからさらに南方の
「魏王御みずから出陣されて、このたびこそは敵関羽を完滅せしめんと御意遊ばされておる。不日、さらに数十里、ご前進あらん。徐晃軍にはまずその先鋒をもって、敵の先鋒陣に、一当て加えられよ」
軍使は、徐晃の陣へ臨んで、曹操の旨をそう伝えた。
と、徐晃は直ちに、徐商と
ときに関羽の子関平は、偃城に
「陽陵坡の魏軍がにわかに活動を起しました。徐晃の大将旗をふりかざして」
と、精兵三千を引き具して城門を出、地の利をとって陣列を展開し、鼓をそろえて鉦を鳴らし、
――が、魏の大将旗は、偽りである。その下から駈け出して来たのは、徐商であり呂建であった。ふたりは槍を揃え、
と、関平を挟撃した。
けれど関平の勇は、徐商を追い、
すると全く予測していなかった方面から、一
と、
それが
関平は戦う気も
と、思い迷った。
そして
「いつのまにか
地だんだ踏んで叫んだが、事すでに及ばない。関平は馬を打って、四冢の陣へ急いだ。
廖化は、彼を迎えて、営中へ入るとすぐ、
数日のあいだは、もっぱら守って、附近の要害と敵状を見くらべていた。四冢は前に
「いま徐晃は勝ちに乗って、急激な前進をつづけ、彼方の山まで来ておると、偵察の者の報告だ。思うにあの裸山は地の利を得ていない。反対にわが
曠野の一
この線を敵に突破されることは恐い。一ヵ所突破されれば十二の部隊がばらばらになるからである。関平の血気に従って
云いのこして、廖化をあとに、関平だけが、深夜、裸山を急襲した。
ところが山上には、旗影だけで、人はいなかった。
急に駈けくだろうとすると、諸所の
呂建、徐商の二将は、
と、関平を追いまわした。
山を離れて、野に出ても、魏軍はふえるばかりだった。草みな魏兵と化して関平を追うかと思われた。
と、手落ちなき、殲滅陣をめぐらしている。
今は
と、拳で悲涙を拭った。
関羽は叱らなかった。関平が荊州方面の噂を告げると、
と、驚きながらも、念のため、物見の者を出した。
曹操の中軍も、
関羽は徐晃の軍を見つめた。
関羽が左の
関平は諫めたが、何の――と関羽は長髯を横に振って、
いよいよ、両陣の相接した日、関羽は馬を出して徐晃と出会った。徐晃はうしろに十余人の猛将をつれていた。
馬上、礼をほどこし、さて、彼はいう。
大声一呼、
われ老いず! われ老いず! と関羽は自己を叱咤しつつ、
――が
この退き鉦は、まさに虫の知らせだった。同じ頃、久しく籠城中の
この二方面の
道々、魏の大軍は、各所から起って、この弱勢の分散へ拍車をかけた。わけて
ようやく江を渡って、襄陽に入り、味方を顧みれば、何たる少数、何たる
のみならず、ここに着いて、初めて荊州陥落の嘘伝でないことが分った。呉の大将
魏軍はすぐ江上から市外にわたって満ち満ち、襄陽にも長くいられなかった。――さらば公安の城へとさして行けば、途中、味方の一将が落ちてきて、その公安も
と、
抱きおろして、人々は介抱を加えたが、関羽は、自己の不明を
と、鎧の袖に面をつつんで声涙ともに
一方、
という深謀に
曹操は徐晃をこのたびの第一級の勲功とたたえ、平南将軍に封じて、襄陽を守らせた。
進まんか、前に荊州の呉軍がある。
「大将軍。試みに、
家来の
暗夜行路にひとしい。一点の灯なと見つけようと思う。
関羽は書簡をしたためた。
それを携えて、使いは荊州へ行った。――と聞いて呂蒙はわざわざ城外まで迎えに出、馬をならべて自身案内した。
「関羽将軍のお使いが来たというぞ。関羽様のご家臣なら、
聞き伝えて、荊州の領民は、わが子の消息はどうか、わが
「帰りに。帰りに」と、使者はなだめて、ようやく城中へ入った。
呂蒙は書簡を見て、
使者には充分な馳走をし、土産には
帰る使者の姿を見ると、荊州の民は、かねて書いておいた手紙やら慰問品を手に手に持って、
「これを子に届けて給われ、これをわが
そしてなお口々にいうには、
「わしらはみな、呂蒙様のご仁政のおかげで、以前に増して温く着、病む者には薬を下され、難に遭った者は救っていただくなど、少しも心配のない暮しをしておりまするで、そのことも、
使者は辛かった。耳をふさいで逃げたかった。
やがて
あとは口を閉じて何もいわなかった。ただ眼底の一涙がきらと光ったのみである。
野営は長く留まれない。大雨がくるとたちまち附近は沼となり河となる。このうえは玉砕主義をとって、荊州へ突き進もう。呂蒙と一戦を交えるも快である。
命令を出して、明日は野陣を払って立つときめた。ところが、夜が明けてみると、兵の大半はいつの間にか逃げ落ちてしまい、いよいよ残り少ない軍力となってしまった。
「ああしまった。こんなことになるなら、荊州の民に頼まれた手紙や品物や、また
使者に行った将は、ひそかに
関羽は断乎として進んだ。
けれど途中に、呉の
日頃と変らない沈着の中に、関羽の武勇は疲れを知らなかった。けれど、
親は子を呼び、子は親を呼ぶ。或いは良人の名を、或いは妻の名を、互いに呼び交わす声が悲風の中に絶え絶え聞える。そしてここかしこ、関羽の兵は、白旗を振って、荊州の方へ馳けこんでゆく。
関羽は
飛び去る鳥の群れは呼べども返らない。行く水は手をもて招いても振り向かない。およそ戦意を失い未練に駆られて離散逃亡し始めた兵の足を、ふたたび軍旗の下に呼び帰すことはどんな名将でもできないことである。もう手を
関羽のすがたは冷たい石像のように動かなかった。残る将士は四、五百に足らない有様だ。しかし関平と
と、わずかな手勢をまとめては敵の囲みを奇襲し、ようやく一方の血路をひらいて、
と、関羽を護って、麓へ走った。
麦城はほど近い所にあった。けれどそこは今、地名だけに
ここへ入って、
と、あえて豪語した。
さはいえその関平も廖化も内心では事態の最悪を充分に覚悟している。ふたりは関羽の前へ出てはまたこう進言した。
「ここから
関羽は、矢倉へ
関羽は顧みて云った。
聞くやいな廖化が答えた。
その夜、廖化は関羽の一書を
たちまち、暗夜の途は
彼はあらゆる辛酸をなめ、乞食のような姿になって、ついに目的の上庸に行き着いた。そして城を訪れるや直ぐ、劉封に会って
と、一椀の水すら口にしないうちに極言した。
劉封はうなずいた。――が何と思ったか、
と、彼を待たせておいて、にわかに孟達を呼びにやった。
やがて孟達は、べつな閣へ来ていた。劉封はそこへ行って、ただ二人きりで問題を凝議しだした。――何分この上庸でも今、各地の小戦争に兵を分散しているところであった。この上にも本城の自軍を割いて遠くへ送るなどということは、二人にとって決して好ましい問題ではない。
孟達は難しい顔して劉封を説いた。
孟達の言は常識だ。しかし劉封には苦悶があった。なぜならば関羽は彼の叔父だからである。
孟達はその顔色を読んで、
劉封も遂にその気になり
と、
劉封はそう云い捨てて奥へ逃げてしまった。
廖化はさらに孟達へ面会を求めたが、仮病をつかってどうしても会わない。彼は地だんだ踏んで上庸を去った。そして
「きょうか、明日か」
と廖化の帰りを待ち、援軍の旗を待っていたが、折々、空をゆく渡り鳥の群れしか見えなかった。
関羽は幽暗な一室に瞑目していた。
関羽は一言しかいわなかった。
時に。――城門をたたく者があった。呉の督軍参謀でまた蜀の孔明が兄でもあるという。すなわち
「時務を知るは名将の活眼。大勢はすでに決しました。荊州九郡の内、残るは麦城の一
関羽は肩で苦笑した。
「呉侯は人をみる
すると一隅から、黙れッと大喝して、
そして瑾を城外へ追い返すと、関羽はふたたび
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