第144話、麦城《ばくじょう》

文字数 9,390文字

 魏の首府へ、呉の特使が情報を持って入った。

 特使はいう。――呉すでに荊州を破る。魏はなぜこの機会をつかんで関羽を討たないかと。

 もちろん曹操は、この形勢を無為に見ているものではない。ただ呉の態度の確然とするまで機をうかがっていたものだ。


「今はよし」

 と、彼はうごき出した。魏の大軍をひきいて、洛陽の南へ出た。そこからさらに南方の陽陵坡(ようりょうは)には、すでに先発していた徐晃(じょこう)軍五万が敵に対峙(たいじ)している。

「魏王御みずから出陣されて、このたびこそは敵関羽を完滅せしめんと御意遊ばされておる。不日、さらに数十里、ご前進あらん。徐晃軍にはまずその先鋒をもって、敵の先鋒陣に、一当て加えられよ」

 軍使は、徐晃の陣へ臨んで、曹操の旨をそう伝えた。

「心得て候」

 と、徐晃は直ちに、徐商と呂建(りょけん)の二隊に、自身の大将旗をかかげさせて正攻法をとらせ、彼自身は五百余騎の奇襲部隊を編制して、沔水(べんすい)のながれに沿い敵の中核と見られる偃城(えんじょう)の後方へ迂廻した。

 ときに関羽の子関平は、偃城に(たむろ)しており、部下の廖化(りょうか)四冢(しちょう)に陣していた。その間、連々と十二ヵ所の寨塁(とりで)を平野の起伏につらね、一面樊城を囲み、一面魏の増援軍に備えていた。

「陽陵坡の魏軍がにわかに活動を起しました。徐晃の大将旗をふりかざして」

 偃城(えんじょう)の兵はどよめき告げた。関平は手具脛(てぐすね)ひいて、その近づくを待ち、

「徐晃みずから来るとあれば、敵にとって不足はない」

 と、精兵三千を引き具して城門を出、地の利をとって陣列を展開し、鼓をそろえて鉦を鳴らし、旌旗(せいき)天を震うの様子であった。

 ――が、魏の大将旗は、偽りである。その下から駈け出して来たのは、徐商であり呂建であった。ふたりは槍を揃え、

「帰さぬぞよ、小童(こわっぱ)

 と、関平を挟撃した。

 けれど関平の勇は、徐商を追い、呂建(りょけん)を斬り立て、かえって彼らをあわてさせた。そして遂に逃げ走る二人を追いかけ追いかけ、十余里も追撃した。

 すると全く予測していなかった方面から、一(ぴょう)の軍馬が旋風となって側面へかかって来た。そして一人の大将が、

「知らずや関平。荊州はすでに呉の孫権に奪られておるぞ。――汝、家なき敗将の小伜(こせがれ)。何を目あてに、なお戦場をまごまごしておるかっ」

 と、(ののし)った。

 それが(まこと)徐晃(じょこう)であった。

「えっ、荊州が陥ちた?」

 関平は戦う気も()え、徐晃をすてて一散に引っ返した。混乱するあたまの中で、


「ほんとだろうか? まさか?」


 と、思い迷った。

 そして堰城(えんじょう)近くまで駈けてくると、こはいかに城は濛々と黒煙を噴いている。そして炎の下から蜘蛛(くも)の子のように逃げ分かれてくる味方の兵に問えば、

「いつのまにか搦手(からめて)へ迫ってきた徐晃の手勢が、火焔を(みなぎ)らして攻め込んだ」と、口々にいう。

「さては今日の戦こそ、彼の思うつぼにはまった拙戦であったか」

 地だんだ踏んで叫んだが、事すでに及ばない。関平は馬を打って、四冢の陣へ急いだ。

 廖化は、彼を迎えて、営中へ入るとすぐ、


「きょう何処からともなく、荊州が陥ちた、荊州は呉に占領されたと、しきりに沙汰する声が聞えてきましたが、あなたもお聞きになりましたか」
 と、たずねた。
 関平はうなずき、剣を抜いて、味方の軍勢の中へ立ち、廖化へする返事を全軍へ向ってした。
「流言はすべて、敵の戦意をくじく(はかりごと)だ。(みだ)りに嘘言を伝え、嘘言に興味を持つ者は斬るぞ」

 数日のあいだは、もっぱら守って、附近の要害と敵状を見くらべていた。四冢は前に沔水(べんすい)の流れをひかえて、要路は鹿垣(ししがき)をむすび、搦手(からめて)は谷あり山あり深林ありして鳥も()け難いほどな地相である。


「いま徐晃は勝ちに乗って、急激な前進をつづけ、彼方の山まで来ておると、偵察の者の報告だ。思うにあの裸山は地の利を得ていない。反対にわが四冢(しちょう)の陣地は、堅固無双、ここは手薄でも守り得よう。ひとつご辺と自分とひそかに出て、彼を夜討ちにしようではないか」


 偃城(えんじょう)を失った関平は、勢いその雪辱にあせり気味だった。ついに、廖化を誘って、本拠を出た。もちろん連れてゆく兵は精鋭中の精鋭を択りすぐって。

 曠野の一(きゅう)に、一の陣屋がある。いわゆる最前線部隊である。この小部隊は、点々と横に配されて、十二ヵ所の長距離に連っている。

 この線を敵に突破されることは恐い。一ヵ所突破されれば十二の部隊がばらばらになるからである。関平の血気に従って廖化(りょうか)のうごいた所以(ゆえん)も、要するにその重要性があるからだった。

「今夜、敵の裸山へは、自分が攻め上ってゆく。ご辺はこの線を守り、敵の乱れを見たら、十二陣聯珠(れんじゅ)となって彼を圧縮し、四散する敗兵をみなごろしになし給え」

 云いのこして、廖化をあとに、関平だけが、深夜、裸山を急襲した。

 ところが山上には、旗影だけで、人はいなかった。


「しまった」


 急に駈けくだろうとすると、諸所の(あな)や岩の陰や、裏山のほうから、いちどに地殻も割れたかと思うような喊声(かんせい)、爆声、罵声(ばせい)、激声――さながら声の山海嘯(やまつなみ)である。

 呂建、徐商の二将は、


「小伜、汝の父は、逃げることばかり教えたのか」


 と、関平を追いまわした。

 山を離れて、野に出ても、魏軍はふえるばかりだった。草みな魏兵と化して関平を追うかと思われた。

 廖化(りょうか)の守っていた線も、この怒濤をさえぎり切れず、いちどに崩壊してしまった。いやいや、そこはまだしも、四冢の陣からも、炎々たる火焔が夜空を()き始めた。あえぎあえぎ沔水(べんすい)のながれまで来てみれば、まっ先に徐晃が馬を立てて、

「ひとりも渡すな」


 と、手落ちなき、殲滅陣をめぐらしている。

 今は挽回(ばんかい)の工夫もない。全面的な敗北だ。関平と廖化はやむなく樊城(はんじょう)へ奔った。そして関羽の前へ出るや、


「面目もありません」


 と、拳で悲涙を拭った。


 関羽は叱らなかった。関平が荊州方面の噂を告げると、


「まさか、烽火台(のろしだい)の備えもあるし、荊州の守りは泰山の安きである。敵の流言ではないのか」


 と、驚きながらも、念のため、物見の者を出した。



 曹操の中軍も、徐晃(じょこう)の先鋒も、目ざましく進出した。何十万とも知れぬ大軍はいまや山野に満ちてひたひたと関羽の陣に迫っている。


「見えたるか、徐晃」


 関羽は徐晃の軍を見つめた。

 関羽が左の(ひじ)矢瘡(やきず)は、いまは全く癒えたかに見えるが、その手に偃月(えんげつ)の大青龍刀を握るのは、病後久しぶりであった。


「徐晃はお避けください」


 関平は諫めたが、何の――と関羽は長髯を横に振って、


「徐晃はむかしの友だ。一言申し聞かせて、われ未だ老いず――を見せ示しておかねばならん」


 いよいよ、両陣の相接した日、関羽は馬を出して徐晃と出会った。徐晃はうしろに十余人の猛将をつれていた。

 馬上、礼をほどこし、さて、彼はいう。


「一別以来、いつか数年、想わざりき将軍の鬢髪(びんぱつ)、雪の如くなるを。――昔それがし壮年の日、親しく教えをこうむりしこと、いまも忘却は仕らぬ。今日、幸いにお顔を拝す。感慨まことに無量。よろこびにたえません」


「おお、徐晃。ご辺も近来赫々(かっかく)と英名を成す。ひそかに関羽も慶賀しておる。さはいえ何故、わが子関平に、苛烈なるか。昔日の親密を忘れずとあらば、人に功は譲っても、自身は後陣に潜むべきではないか」


「否とよ将軍、すでにお忘れありしか。むかし少年の日、あなたが我に教えた語には、大義(たいぎ)(しん)(めっ)すとあったではないか。――それっ諸将。あの白髪首(しらがくび)を争い奪れっ。恩賞は望みのままぞ!」

 大声一呼、馬蹄(ひづめ)に土を蹴るやいなや、うしろの猛将たちと共に、彼も斧をふるって、関羽へ撃ってかかった。

 われ老いず! われ老いず! と関羽は自己を叱咤しつつ、雷閃雷霆(らいせんらいてい)のなかに数十合の青龍刀を揮った。

 ――が矢瘡(やきず)はまだ完く癒えたとはいいきれない。わけて老来病後の身である。危ういこと実に見ていられない。わけて親子の情に駆らるる関平に於てをやだ。関平はたちまち退()(がね)鳴らして兵を収めた。

 この退き鉦は、まさに虫の知らせだった。同じ頃、久しく籠城中の樊城(はんじょう)の兵が、門を開いて突出してきた。これは死にもの狂いの兵なので、包囲は苦もなく突破され、そこにあった関羽軍は、襄江(じょうこう)の岸へとなだれを打って追われた。

 この二方面の頽勢(たいせい)から、関羽軍は全面的の(つい)えを来し、夜に入ると続々、襄江の上流さして敗走しだした。

 道々、魏の大軍は、各所から起って、この弱勢の分散へ拍車をかけた。わけて呂常(りょじょう)の一軍の奇襲には、寸断の憂き目をうけて、(こう)に溺れ死ぬもの、数知れぬほどだった。

 ようやく江を渡って、襄陽に入り、味方を顧みれば、何たる少数、何たる酸鼻(さんび)、さしもの関羽も悲涙なきを得なかった。

 のみならず、ここに着いて、初めて荊州陥落の嘘伝でないことが分った。呉の大将呂蒙(りょもう)の手にかかってわが一族妻子も生かされている有様と聞き、関羽は慨然また長嘆、天を仰いだまましばしことばもない。

 魏軍はすぐ江上から市外にわたって満ち満ち、襄陽にも長くいられなかった。――さらば公安の城へとさして行けば、途中、味方の一将が落ちてきて、その公安も傅士仁(ふしじん)が城を開いて呉へ渡してしまい、南都の糜芳(びほう)も彼に誘われて孫権へ降伏したという悲報をもたらした。

「ううむ、いかなれば、かくは……」

 と、(きば)()み、恨気(こんき)天を突いて、(まなじり)も裂けよと一方を睨んでいたと思うと、如何にしけん関羽はがばと、馬のたてがみへうっ伏してしまった。

 (ひじ)瘡口(きずぐち)が裂けたのである。

 抱きおろして、人々は介抱を加えたが、関羽は、自己の不明を慚愧(ざんき)してやまず、呂蒙の策や烽火(のろし)台の変を聞いては、

「われ(あやま)って、豎子(じゅし)(はかりごと)にあたる。何の面目あって、生きて家兄(かけい)(劉備)にまみえんや」


 と、鎧の袖に面をつつんで声涙ともに(むせ)んでいた。




 一方、樊城(はんじょう)を出て、一夜に攻守転倒、追撃に移っていた曹仁は、その臣、満寵(まんちょう)の、


「もうこれ以上、関羽を窮地へ追うのは愚です。呉に害を残しておくために――」

 という深謀に(いさ)められ、いかにもと兵を収めて、曹操の中軍にことごとく集まった。

 曹操は徐晃をこのたびの第一級の勲功とたたえ、平南将軍に封じて、襄陽を守らせた。


 進まんか、前に荊州の呉軍がある。退(しりぞ)かんか、後には魏の大軍がみちている。

 眇々(びょうびょう)、敗軍の落ちてゆく野には、ただ悲風のみ(はらわた)を断つ。


「大将軍。試みに、呂蒙(りょもう)へお手紙を送ってみたら如何ですか。かつて呂蒙が陸口にいた時分は、よく彼のほうから密書をとどけ、時来らば提携して、呉を討ち、魏を亡ぼさんと、刎頸(ふんけい)(まじ)わりを求めてきたものです。或いは今もその気持をふかく抱いているやも知れません……」


 家来の趙累(ちょうるい)がすすめた。


「そうも致してみるか」


 暗夜行路にひとしい。一点の灯なと見つけようと思う。

 関羽は書簡をしたためた。

 それを携えて、使いは荊州へ行った。――と聞いて呂蒙はわざわざ城外まで迎えに出、馬をならべて自身案内した。

「関羽将軍のお使いが来たというぞ。関羽様のご家臣なら、樊川(はんせん)へ従軍したわしらの子の便りも知っていよう」

 聞き伝えて、荊州の領民は、わが子の消息はどうか、わが良人(つま)、わが親ども、わが弟、わが叔父、わが(おい)どもは、生きているやら、戦死したことやら、その後の様子を知らせてよと、使者のまわりへ群れ集まった。

「帰りに。帰りに」と、使者はなだめて、ようやく城中へ入った。

 呂蒙は書簡を見て、


「関将軍のお立場は察し入る。また旧交も忘れていません。しかし交わりは私のこと。今日の事は国家の命である。おからだをお大切に、ただよろしく申したとお伝えあれ」


 使者には充分な馳走をし、土産には金帛(きんぱく)を送って、懇ろに城門へ送った。

 帰る使者の姿を見ると、荊州の民は、かねて書いておいた手紙やら慰問品を手に手に持って、

「これを子に届けて給われ、これをわが良人(つま)へ」と、使者に托した。

 そしてなお口々にいうには、

「わしらはみな、呂蒙様のご仁政のおかげで、以前に増して温く着、病む者には薬を下され、難に遭った者は救っていただくなど、少しも心配のない暮しをしておりまするで、そのことも、(せがれ)や良人に伝えてくだされ」

 使者は辛かった。耳をふさいで逃げたかった。

 やがて蕭条(しょうじょう)たる曠野の中の野陣へ帰ってきて、関羽に、ありのままを告げると、関羽は長嘆久しゅうして、


「ああ、われはとうてい、呂蒙(りょもう)の遠謀には及ばない。今思うに、すべて呂蒙の遠い(おもんぱか)りであった。荊州の民をも、それまで帰服せしめてしまうとは、恐るべき人物……」


 あとは口を閉じて何もいわなかった。ただ眼底の一涙がきらと光ったのみである。

 野営は長く留まれない。大雨がくるとたちまち附近は沼となり河となる。このうえは玉砕主義をとって、荊州へ突き進もう。呂蒙と一戦を交えるも快である。

 命令を出して、明日は野陣を払って立つときめた。ところが、夜が明けてみると、兵の大半はいつの間にか逃げ落ちてしまい、いよいよ残り少ない軍力となってしまった。

「ああしまった。こんなことになるなら、荊州の民に頼まれた手紙や品物や、また言伝(ことづて)なども兵に聞かすのではなかったものを」

 使者に行った将は、ひそかに()いたが、もう間にあわない。残っている兵の顔にも、慕郷や未練のかげが濃く、戦意はまったくあがらなかった。

「去る者は去れ。一人になっても我は荊州に入る」


 関羽は断乎として進んだ。

 けれど途中に、呉の蒋欽(しょうきん)、周泰の二将が、嶮路(けんろ)(やく)して待っていた。河辺にたたかい、野に(わめ)きあい、闇夜の山にまた吠え合った。――しかもそこではさらに、呉の徐盛が、雷鼓(らいこ)して伏兵を起し、山上山下から襲ってきた。


「この程度の敵、なんぞ」

 日頃と変らない沈着の中に、関羽の武勇は疲れを知らなかった。けれど、山峡(やまあい)のあいだに、皎々(こうこう)として半月の冴える頃、こだまする人々の声を聞いては、さすがの彼も戦う力を失った。

 親は子を呼び、子は親を呼ぶ。或いは良人の名を、或いは妻の名を、互いに呼び交わす声が悲風の中に絶え絶え聞える。そしてここかしこ、関羽の兵は、白旗を振って、荊州の方へ馳けこんでゆく。

「ああ。これも呂蒙の計か」


 関羽は憮然(ぶぜん)として、月に(すく)み立っていた。



 飛び去る鳥の群れは呼べども返らない。行く水は手をもて招いても振り向かない。およそ戦意を失い未練に駆られて離散逃亡し始めた兵の足を、ふたたび軍旗の下に呼び帰すことはどんな名将でもできないことである。もう手を(こまぬ)いて見ているしかない。


「万事休す」


 関羽のすがたは冷たい石像のように動かなかった。残る将士は四、五百に足らない有様だ。しかし関平と廖化(りょうか)とは、


「何とかして活路を見出したいもの」


 と、わずかな手勢をまとめては敵の囲みを奇襲し、ようやく一方の血路をひらいて、


「ひとまず、麦城(ばくじょう)まで落ちのびましょう」

 と、関羽を護って、麓へ走った。

 麦城はほど近い所にあった。けれどそこは今、地名だけに(のこ)っている前秦(ぜんしん)時代の古城があるに過ぎない。もちろん久しく人も住まず壁石垣も荒れ崩れている。


「敵にとって、五百の精霊(しょうりょう)が一体となって立てこもれば、これで、金城鉄壁である」


 ここへ入って、廖化(りょうか)がそう士気を鼓舞すると、関平もまず自ら気を(さかん)に示して、


「そうだとも。未練な弱兵はことごとく落ち失せて、ここに残った将士こそ(ふるい)にかけられた真の武人ばかりである。一騎よく千騎に当る猛卒のみだ。兵力の寡少(かしょう)は問題でない」


 と、あえて豪語した。

 さはいえその関平も廖化も内心では事態の最悪を充分に覚悟している。ふたりは関羽の前へ出てはまたこう進言した。


「ここから上庸(じょうよう)の地はさして遠くありません。上庸の城には蜀の劉封(りゅうほう)孟達(もうたつ)などがおります。救いを求めて、彼の蜀軍を呼び、力を新たにして、魏を蹴散らすぶんには、荊州を奪りかえすことは十中九まで確信してよいかと思われますが」


「まさにその一策しかない」


 関羽は、矢倉へ(のぼ)った。そして古城の外をながめた。愕くべし満地の山川ことごとく呉旗呉兵と化している。いわゆる蟻も通さぬ鉄桶(てっとう)の囲いである。しかも隊伍斉々(せいせい)、士気は高く、馬のいななきも(さかん)である。

 関羽は顧みて云った。


「誰かよくこの重囲を破って上庸へ使いし得よう。出ればたちまち死の道だが」


 聞くやいな廖化が答えた。


「誓って、それがしがお使いを果してみせます。もし(あた)わぬときは、一死あるのみ。すぐ第二のご使者を出して下さい」

 その夜、廖化は関羽の一書を(ころも)に縫いこみ、人々に送られて、古城の一門から外へまぎれ出た。

 たちまち、暗夜の途は金鼓(きんこ)鉄槍に鳴りひびいた。呉の大将丁奉(ていほう)の部下が早くも見つけて追ってくる。それを城中から関平の一隊が出てさんざんに駈け乱した。廖化はようやく死線を越えた。

 彼はあらゆる辛酸をなめ、乞食のような姿になって、ついに目的の上庸に行き着いた。そして城を訪れるや直ぐ、劉封に会って仔細(しさい)を告げ、


「さしもの関将軍もいまや麦城のうちに進退全くきわまっておられる。もし救いが遅延すれば関将軍は最期を遂げるしかありません。一日いや一刻も争うときです。すぐ援軍をお向けねがいたい」


 と、一椀の水すら口にしないうちに極言した。

 劉封はうなずいた。――が何と思ったか、


「ともかく孟達に相談してみるから」


 と、彼を待たせておいて、にわかに孟達を呼びにやった。

 やがて孟達は、べつな閣へ来ていた。劉封はそこへ行って、ただ二人きりで問題を凝議しだした。――何分この上庸でも今、各地の小戦争に兵を分散しているところであった。この上にも本城の自軍を割いて遠くへ送るなどということは、二人にとって決して好ましい問題ではない。

 孟達は難しい顔して劉封を説いた。


「断りましょう。折角だが、関羽の求めに応じるわけにはゆきません。なぜというまでもなく荊州九郡にはいますくなくも四十万の呉軍があり、江漢には曹操の魏軍がこれも四、五十万はうごいておる。――そこへわずか二千や三千の援軍を送ってみた所でどうなるものですか。かえって、この上庸(じょうよう)をも危うくするものです」

 孟達の言は常識だ。しかし劉封には苦悶があった。なぜならば関羽は彼の叔父だからである。

 孟達はその顔色を読んで、


「あなたは劉家のご養子ですから、本来、漢中王の太子たるに、それを(さまた)げた者は関羽でした。始め、その儀について、漢中王が孔明に訊ねたところ、孔明は悧巧者ですから、一家の事は関羽か張飛にご相談なさい――と巧く逃げた。で、関羽へお訊ねが行ったところ関羽は――太子には庶子を立てないのが古今の定法である。劉封はもと螟蛉(めいれい)の子、山中の一城でも与えておかれればよいでしょう――と、まるであなたを(あくた)のようにしか視ていない復命をしたものです」
「……とはいえ、いま関羽を見殺しにしたら、世の(そし)りは如何あろう?」

「誰が、一杯の水で薪車(しんしゃ)の炎を消し得なかったと咎めましょう」


 劉封も遂にその気になり廖化(りょうか)に会って断わった。廖化は愕然(がくぜん)として頭をたたき、面を床にすりつけて、


「もしお援け下さらねば、関将軍は麦城に亡びますぞ。見殺しになさる気か」


 と、痛哭(つうこく)した。


「――一杯ノ水、(イズク)ンゾ()薪車(シンシャ)ノ火ヲ救ワン」

 劉封はそう云い捨てて奥へ逃げてしまった。

 廖化はさらに孟達へ面会を求めたが、仮病をつかってどうしても会わない。彼は地だんだ踏んで上庸を去った。そして(ののし)り罵り馬に鞭打って、はるか成都へさして馳けた。千山万水、道はいかに遠くても、この上は漢中王へ直々に救いを仰ぐしかないと決意したからである。



 麦城は日に日に衰色を示した。関羽、関平以下五百の将士は首を長くして、

「きょうか、明日か」

 と廖化の帰りを待ち、援軍の旗を待っていたが、折々、空をゆく渡り鳥の群れしか見えなかった。

 (かて)も尽き、心も疲れ、人馬ともに生色なく、墓場にも似た古城の内にただ草ばかり伸びてゆく。

 関羽は幽暗な一室に瞑目していた。趙累(ちょうるい)が前にひれ伏して、


「城中の運命はもうここ旦夕(たんせき)のうちです。如何にせばよいでしょうか」


「ただよく守れ。最後まで」


 関羽は一言しかいわなかった。

 時に。――城門をたたく者があった。呉の督軍参謀でまた蜀の孔明が兄でもあるという。すなわち諸葛瑾(しょかつきん)だった。


「まことにお久し振りでした」


 (きん)は関羽に会うと、呉侯の胸として伝えた。


「時務を知るは名将の活眼。大勢はすでに決しました。荊州九郡の内、残るは麦城の一(くつ)のみ、今やことごとく呉軍でないものはありません。しかも内に(かて)なく、外に救いなき以上、いかに将軍が節を()しても無駄ではありませんか。主人孫権はそれがしを差し向け、慇懃(いんぎん)に将軍を迎えて来いと仰せられました。いかがです私と共に栄華長生の道へ、すなわち呉の陣門へ降りませんか」


 関羽は肩で苦笑した。


「呉侯は人をみる(めい)がない。懦夫(だふ)に説くような甘言はよせ。窮したりといえど、関羽は武門の珠だ。砕けても光は失わず白きは変えぬ。不日(ふじつ)、城を出て孫権といさぎよく一戦を決するであろう。立ち帰ってそう告げられよ」


「何故将軍はそのように好んで自滅を求め給うか」


 すると一隅から、黙れッと大喝して、(さや)走る剣と共に、諸葛瑾へ跳びかからんとする若者があった。関羽は叱咤して、その関平の(ひじ)を抑え、


「待てまて。孔明の兄だ、孔明に免じて、放してやれ」


 そして瑾を城外へ追い返すと、関羽はふたたび(じゃく)として瞼をとじた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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