第14話、妖術

文字数 7,909文字

 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋(しゅしゅん)皇甫嵩(こうほすう)も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城(えんじょう)方面へ移駐しているとのことであった。


「さしも(さかん)だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍のために、次第に各地で討伐され、そろそろ自壊しはじめたようですな」


 関羽がいうと、
「つまらない事になった」

 と、張飛はしきりと、今のうちに功を立てねば、いつの時か風雲に乗ぜんと、焦心(あせ)るのであった。


「――義軍なんぞ小功を思わん。義胆(ぎたん)なんぞ風雲を要せん」


 劉備玄徳は、独りいった。

 (かり)の列のように、漂泊の小軍隊はまた、南へ向って、旅をつづけた。

 黄河を渡った。

 兵たちは、馬に水を飼った。

 劉備は、黄いろい大河に眼をやると、(おも)いを深くして、


「ああ、悠久なる(かな)

 つぶやいた。

 四、五年前に見た黄河もこの通りだった。おそらく百年、千年の後も、黄河の水は、この通りにあるだろう。

 天地の悠久を思うと、人間の一瞬がはかなく感じられた。小功は思わないが、しきりと、生きている間の生甲斐と、意義ある仕事を残さんとする誓願が念じられてくる。


「この(ほとり)で、洛陽船から茶を(あがな)おうと思ったのだ」


 茶を思えば、同時に、母が憶われてくる。

 この秋、いかに()わすか。足の冷えや、持病が出てはこぬだろうか。ご不自由はどうあろうか。

 いやいや母は、そんなことすら忘れて、ひたすら、子が大業をなす日を待っておられるであろう。それと共に、いかに聡明な母でも、実際の戦場の事情やら、また実地に当る軍人同士のあいだにも、常の社会と変らない難しい感情やら争いやらあって、なかなか武力と正義の信条一点張りで、世に出られないことなどは、お察しもつくまい。ご想像にも及ぶまい。

 だから以来、なんのよい便りもなく、月日をむなしく送っている子をお考えになると、

阿備(あび)は、何をしているやら)

 と、さだめしふがいない者と、()れッたく思っておいでになるに相違ない。


「そうだ。せめて、体だけは無事なことでも、お便りしておこうか」


 劉備は、思いつめて、騎の鞍をおろし、その鞍に結びつけてある旅具の中から、翰墨(かんぼく)と筆を取りだして、母へ便りを書きはじめた。

 駒に水を飼って、休んでいた兵たちも、劉備が箋葉(せんよう)に筆をとっているのを見ると、

「おれも」

「吾も」

 と、何か書きはじめた。

 誰にも、故郷がある。姉妹兄弟がある。劉備は思いやって、


「故郷へ手紙をやりたい者は、わしの手もとへ持ってこい。親のある者は、親へ無事の消息をしたがよいぞ」

 兵たちは、それぞれ紙片や木皮へ、何か書いて持ってきた。劉備はそれを一(のう)に納めて、実直な兵を一人撰抜し、


「おまえは、この手紙の(ふくろ)をたずさえて、それぞれの郷里の家へ、郵送する役目に当れ」


 と、路費を与えて、すぐ立たせた。

 そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄とは、黒いかたまりになって、浅瀬は徒渉(としょう)し、深い所は(いかだ)(さお)さして、対岸へ渡って行った。



 先頃から河南の地方に、何十万とむらがっている賊の大軍と戦っていた大将軍朱雋(しゅしゅん)は、思いのほか賊軍が手ごわいし、味方の死傷はおびただしいので、

「いかがはせん」と、内心煩悶(はんもん)して、苦戦の憂いを顔にきざんでいたところだった。

 そこへ、


潁川(えいせん)から広宗へ向った劉備の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返してきて、ただ今、着陣いたしましたが」

 と、幕僚から知らせがあった。

 朱雋はそれを聞くと、

「やあ、それはよい所へ来た。すぐ通せ、失礼のないように」


 と、前とは、打って変って、鄭重に待遇した。陣中ながら、洛陽の美酒を開き、料理番に牛など裂かせて、


「長途、おつかれであろう」

 と、歓待した。

 単純な張飛は、前の不快もわすれて、すっかり感激してしまい、

「士は(おのれ)を知る者の為に死す、である」


 などと酔った機嫌でいった。

 劉備と関羽は腑に落ちない顔をした。


 翌日。


「早速だが、豪傑にひとつ、打破っていただきたい方面がある」


 と、朱雋は、劉備らの軍に、そこから約三十里ほど先の山地に陣取っている頑強な敵陣の突破を命じた。

 否む理由はないので、


「心得た」
 昨日の歓待はこのためかと、苦笑しながらも、劉備達は、朱雋の部下三千を加えて、そこの高地へ向かった。

 やがて、山麓の野に近づくと天候が悪くなった。雨こそ降らないが、密雲低く垂れて、烈風は草を飛ばし、沼地の水は霧になって、兵馬の行くてを(くら)くした。

「やあ、これはまた、賊軍の大将の張宝が、妖気を起して、われらを皆ごろしにすると見えたるぞ。気をつけろ。樹の根や草につかまって、烈風に吹きとばされぬ用心をしたがいいぞ」


 朱雋からつけてよこした部隊から、誰いうとなく、こんな声が起って、恐怖はたちまち全軍を(おお)った。


「ばかなっ」


 関羽は怒って、


「世に理のなき妖術などがあろうか。武夫(もののふ)たるものが、幻妖(げんよう)の術に怖れて、木の根にすがり、大地を這い、戦意を失うとは、何たるざまぞ。すすめや者ども、関羽の行く所には妖気も避けよう」


 と大声で鼓舞したが、


「妖術にはかなわぬ。あたら生命をわざわざおとすようなものだ」


 と、朱雋の兵は、なんといっても前進しないのである。

 聞けば、この高地へ向った官軍は、これまでにも何度攻めても、全滅になっているというのであった。黄巾賊の大方師(だいほうし)張角の弟にあたる張宝は、有名な妖術つかいで、それがこの高地の山谷の奥に陣取っているためであるという。

 そう聞くと張飛は、


「妖術とは、外道(げどう)魔物のする(わざ)だ。天地(ひら)けて以来、まだかつて方術者が天下を取ったためしはあるまい。()じる心、おそれる(まなこ)、わななく魂を惑わす術を、妖術とはいうのだ。怖れるな、惑うな。――進まぬやつは、軍律に照らして斬り捨てるぞ」


 と、軍のうしろにまわって、手に蛇矛(じゃぼこ)を抜きはらい、督戦に努めた。

 朱雋の兵は、敵の妖術にも恐怖したが、張飛の蛇矛にはなお恐れて、やむなくわっと、黒風へ向って前進しだした。



 その日は、天候もよくなかったに違いないが、戦場の地勢もことに悪かった。寄手にとっては、甚だしく不利な地の利にいやでも置かれるように、そこの高地は自然にできている。

 峨々(がが)たる山が、道の両わきに、鉄門のように(そび)えている。そこを突破すれば、高地の沢から、山地一帯の敵へ肉薄できるのだが、そこまでが、近づけないのだった。

「鉄門峡まで行かぬうちに、いつも味方はみなごろしになる。どうか無謀はやめて、引っ返し給え」


 と、朱雋の軍隊の者は、部将からして、(ひる)み上がっていうほどだから、兵卒が皆、恐怖して自由に動かないのも無理ではなかった。

 だが、張飛は、


「それは、いつもの寄手が弱いからだ。きょうは、われわれの義軍が先に立って進路を斬りひらく、武夫たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」

 と、声をからした。

 先鋒は、ゆるい砂礫(されき)の丘を這って、もう鉄門峡のまぢかまで、攻め上っていた。朱雋(しゅしゅん)軍も、張飛の蛇矛に斬り捨てられるよりはと、その後から、芋虫の群れが動くように這い上がった。

 すると、たちまち、一陣の風雷、天地を震動して木も砂礫も人も、中天へ吹きあげられるかとおぼえた時、一方の山峡の頂に、陣鼓を鳴らし、銅鑼(どら)を打ちとどろかせて、

 ――わあっ。わあっ。

 と、烈風も圧するような(とき)の声がきこえた。寄手は皆地へ伏し、眼をふさぎ、耳を忘れていたが、その声に振り仰ぐと、山峡の絶巓(ぜってん)はいくらか平盤な地になっているとみえて、そこに賊の一群が見え「地公将軍(ちこうしょうぐん)」と書いた旗や、八()の文を印した黄色の(のぼり)(はた)など立て並べて、

「死神につかれた軍が、またも黄泉(よみじ)へ急いで来つるぞ。冥途(めいど)()を開けてやろう」


 遠目にもわかる異相の巨漢があった。髪をさばき、(いん)をむすんでなにやら呪文を唱えている様子だったが、それと共に烈風はふきつのって、晦冥(かいめい)な天地に、人の形や魔の形をした赤、青、黄などの紙片がまるで五彩の火のように降ってきた。


「やあ、魔軍が来た」

「賊将張宝が、(じゅ)を唱えて、天空から羅刹(らせつ)の援軍を呼び出したぞ」

 朱雋の兵は、わめき合うと、逃げ惑って、途も失い、ただ右往左往うろたえるのみだった。

 張飛の督戦も、もう()かなかった。朱雋の兵があまり恐れるので、義軍の兵にも恐怖症がうつったようである。そして風魔と砂礫にぶつけられて、全軍、進むことも退くこともできなくなってしまった時、赤い紙片(かみきれ)や青い紙片の魔物や武者は、それ皆が、生ける夜叉か羅刹の軍のように見えて、寄手は完全に闘志を失ってしまった。

 事実。

 そうしている間に、無数の矢や岩石や火器は、うなりをあげ、煙をふいて、寄手の上に降ってきたのである。またたくうちに、全軍の半分以上は、動かないものになっていた。


「関羽っ。張飛っ。はや兵を退()けっ――兵を退けっ」
 そう叫ぶと、自分もまっしぐらに、駒首を逆落しに向けかえし、砂礫とともに山裾へ馳け下った。


 敗軍を収めて、約二十里の外へ退き、その夜、劉備は関羽、張飛のふたりと共に、帷幕(いばく)のうちで軍議をこらした。

「残念だ、戦わずして負けるとは、きょうまで、こんな敗北はしたことがない」

 と、張飛がいう。

 関羽は、腕を()んでいたが、

朱雋(しゅしゅん)の兵が、戦わぬうちから、あのように恐怖しているところを見ると、何か、あそこには不思議がある」
「あの峡谷には、常に雲霧が立ちこめていて、その気流が、烈風となって、峡門から(ふもと)へいつも吹いているのだと思う。それを奴らは利用しているのだろう」
「なるほど」
「だから少しでも天候の悪い日には、ほかの土地より何十倍も強い風が吹きまくる。この辺が、晴天の日でも、峡門には、黒雲がわだかまり、砂礫が飛び、煙雨が降り(すさ)んでいる」
「ほう」
「近づけばいつも、賊と戦う前に、天候と戦うようなものになる。張宝の地公将軍とやらは、奸智に()けているとみえて、その自然の気象を、自己の妖術かの如く、巧みに使って、(わら)人形の武者や、紙の魔形(まぎょう)など降らせて、朱雋軍の愚かな恐怖をもてあそんでいたものであろう」
「さすが、ご活眼です。いかにも、それに違いありません。けれど、あの山の賊軍を攻めるには、あの峡門から攻めかかるほかありますまい」
「ない。――それ故に、朱雋は、われわれを、この攻め口へ当らせたのだ」

 劉備は、沈痛にいった。

 関羽、張飛の二人も、唇をむすんで、陣の曠野へ眼をそらした。

 折から仲秋の月は、満目の曠野に露をきらめかせ、二十里外の彼方に黒々と見える臥牛のような山岳のあたりは、味方を悩ませた悪天候も嘘ごとのように、大気と月光の(もと)に横たわっていた。


「いや、ある」
 突然、張飛が、いいだした。

「長兄、一策があるぞ」


「どうするのか」

「あの絶壁を()じ登って、上から衝きくずせば、なんの造作もない」


 絶壁を指さした。

「登れようか、あの断崖絶壁へ」


「登れそうに見える所から登ったのでは、奇襲にはならない。誰の眼にも、登れそうに見えない場所から登るのが、用兵の策というものであろう」
「張飛にしては、珍しい名言を吐いたものだ。その通りである。登れぬものときめてしまうのは、人間の観念で、その眼だけの観念を超えて、実際に懸命に当ってみれば案外やすやすと登れるような例はいくらでもあることだ」

 さらに、三名は、密議をねって、翌る日の作戦に備えた。

 朱雋(しゅしゆん)軍の兵、約半分の数に、おびただしい旗や(のぼり)を持たせ、また、銅鑼(どら)()を打ち鳴らさせて、きのうのように峡門の正面から、強襲するような(てい)を敵へ見せかけた。

 一方、張飛、関羽の両将に、幕下の強者(つわもの)と、朱雋軍の一部の兵を率きつれた劉備は、峡門から十里ほど北方の絶壁へひそかに這いすすみ、惨澹たる苦心のもとに、山の一端へ()じ登ることに成功した。

 そしてなお、士気を鼓舞するために、すべての兵が山巓(さんてん)の一端へ登りきると、そこで劉備と関羽は、おごそかなる破邪攘魔(はじゃじょうま)の祈祷を天地へ向って捧げるの儀式を行った。

 敵を前にしながら、わざとそんな所で、おごそかな祈祷の儀式などしたのは、劉備直属の義軍の中にも、張宝の幻術を内心怖れている兵がたくさんいるらしく見えたからであった。

 式が終ると、

「見よ」
 劉備は空を指していった。

「きょうの一天には、風魔もない、迅雷もない、すでに、破邪の祈祷で、張宝の幻術は通力を失ったのだ」


 兵は答えるに、万雷のような喊声(かんせい)をもってした。

 関羽と張飛は、それと共に、


「それ、魔軍の(とりで)を踏みつぶせ」


 と軍を二手にわけて、峰づたいに張宝の本拠へ攻めよせた。

 地公将軍の旗幟(きし)を立てて、賊将の張宝は、例によって、鉄門峡の寄手を悩ましにでかけていた。

 すると、思わざる山中に、突然(とき)の声があがった。彼は、味方を振返って、

「なっ! 裏切り者が出たか」

 と、訊ねた。

 実際、そう考えたのは、彼だけではなかった。裏切り者裏切り者という声が、何処ともなく伝わった。

 張宝は、

不埓(ふらち)な奴、何者か、成敗してくれん」


 と、そこの守りを、賊の一将にいいつけて、自身、わずかの部下を連れて、背後の山谷の奥にある渓谷を、馬に鞭打って移動した。

 するとかたわらの沢の密林から、一すじの矢が飛んできて、張宝のこめかみにぐざと立った。張宝はほとばしる黒血へ手をやって、わッと口を開きながら矢を抜いた。しかし(やじり)はふかく頭蓋の中に止まって、矢柄だけしか抜けてこなかったくらいなので、とたんに、彼の巨躯は、鞍の上から真っ逆さまに落ちていた。

「賊将の張宝は劉備玄徳が、射止めたるぞ。黄匪の大方張角の弟、地公将軍張宝を討ち取ったり」


 劉備の大音声がきこえると、四方の山沢、みな鼓を鳴らし、奔激の渓流、(こぞ)って(とき)をあげ、草木みな兵と()ったかと思われた。劉備の兵は、一斉に衝いて出で、あわてふためく張宝の部下をみなごろしにした。

 山谷の奥からも、同時に黒煙濛々(もうもう)とたち昇った。張飛と関羽の手勢が、本拠の(とりで)に、火をかけたものらしい。

 上流から流れてくる渓水は、みるまに紅の奔流と化した。山吠え、谷叫び、火は山火事となって、三日三晩燃えとおした。

 首()る数一万余、黒焦げとなった賊兵の死骸幾千幾万なるを知らない。殲滅戦の続けらるること七日余り、劉備は、赫々たる武勲を負って朱雋(しゅしゅん)の本営へ引揚げた。

 朱雋は、劉備を見ると、

「やあ、貴殿は実に運がいい。(いくさ)にも、運不運があるものでな」
 朱雋(しゅしゅん)は実に複雑な表情をした。

 何とかして欲しいという気持ちがあって送り出したが、まさか、こんなあっさり、やってのけるとは思っていなかった。

「ははあ、そうですか」

 劉備は、なんの感情にも動かされないで、軽く笑った。

 朱雋は、さらにいう。


「山谷の賊は、ふくろの鼠としやすいが、私が引き受けている野陣の敵兵は、押せばどこまでも、逃げられるので弱るよ」


 引きつった笑いを見せた。
「ごもっともです」

 それにも、劉備はただ、笑ってみせたのみであった。

 然るところ、ここに、先陣から伝令が来て、一つの異変を告げた。


「曠野の陣後にあたっていた賊将張宝の兄弟張梁(ちょうりょう)が、張宝すでに討たれたと聞いて、にわかに大兵をひきまとめ、陽城へたて籠ったようです」

 とのことだった。

 朱雋は、聞くと、


「城に逃げ込んだか、長引いて、城攻めが冬にかかっては、雪に凍え、食糧の運輸も、困難になる。ことに都聞(みやこきこ)えもおもしろくない。すぐに攻めおとさなければ」

 総攻撃の令を下した。

 大軍は陽城を囲み、攻めること急であった。しかし、賊城は要害堅固をきわめ、城内には多年積んだ食物が豊富なので、一月余も費やしたが、城壁の一角も奪れなかった。


「困った。困った」


 朱雋は本営で時折ため息をもらしたが、劉備は聞えぬ顔をしていた。

 よせばいいに、そんな時、張飛が朱雋へいった。


「将軍。野戦では、押せば退()くしで、戦いにくいでしょうが、こんどは、敵も城の中ですから、袋の鼠を捕るようなものでしょう」


 朱雋は、むむむと、顔を赤らめた。

 そこへ遠方から使いが来て、新しい情報をもたらした。それはしかし朱雋の機嫌をよくさせるものではなかった。

 曲陽の方面には、朱雋と共に、討伐大将軍の任を負って下っていた董卓(とうたく)皇甫嵩(こうほすう)の両軍が、賊の大方張角の大兵と戦っていた。使いはその方面のことを知らせに来たものだった。

 董卓と皇甫嵩のほうは、朱雋のいういわゆる武運がよかったのか、七度戦って七度勝つといった按配であった。ところへまた、黄賊の総帥張角が、陣中で病没したため、総攻撃に出て、一挙に賊軍を潰滅させ、降人を収めること十五万、辻に()くるところの賊首何千、さらに、張角を()けた(つか)をあばいてその首級を洛陽へ(のぼ)せ、

(戦果かくの如し)と、報告した。

 大賢良師張角と称していた首魁(しゅかい)こそ、天下に満つる乱賊の首体である。張宝は先に討たれたりといっても、その弟にすぎず、張梁なおありといっても、これもその一肢体でしかない。

 朝廷の御感(ぎょかん)は斜めならず、

(征賊第一勲)

 として、皇甫嵩(こうほすう)車騎将軍(しゃきしょうぐん)に任じ、益州(えきしゅう)(ぼく)に封ぜられ、そのほか恩賞の令を受けた者がたくさんある。わけても、陣中常に赤い甲冑を着て通った武騎校尉曹操(そうそう)も、功によって、済南(さいなん)(山東省・黄河南岸)の(しょう)に封じられたとのことであった。

 自分が逆境の中に、他人の栄達を聞いて、共によろこびを感じるほど、朱雋(しゅしゅん)は寛容でない。彼はなお、焦心(あせ)りだして、


「一刻もはやく、この城を攻め陥し、汝らも、朝廷の恩賞にあずかり、封土へ帰って、栄達の日を楽しまずや」

 と、幕僚をはげました。

 もちろん、劉備らも、協力を惜しまなかった。攻撃に次ぐ攻撃をもって、城壁に当り、さしも頑強な賊軍をして、眠るまもない防戦に疲れさせた。

 城内の賊の中に、厳政(げんせい)という男があった。これは方針をかえる時だとさとったので、ひそかに朱雋に内通しておき、賊将張梁の首を斬って、

「願わくば、悔悟(かいご)の兵らに、王威の恩浴を垂れたまえ」

 と、軍門に降ってきた。

 陽城はあっけなく落ち、陽城を(おと)した勢いで、

「さらに、奴らを狩りつくせ」

 と、朱雋の軍六万は、宛城(えんじょう)(湖北省・荊門県附近)へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫仲(そんちゅう)韓忠(かんちゅう)趙弘(ちょうこう)の三賊将がたて籠っていた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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