第135話、二人の老将
文字数 10,092文字
瓦口関にまで逃げた
曹洪はこの
と、峻烈な命を返してよこした。
曹洪の怒りを聞いて、張郃の驚き、
と、厳命して、自ら一隊を率い、敵前に進み出た。
これを見た蜀の大将雷同、馬を飛ばして来て張郃にうってかかった。
と、気づいて、馬をかえそうとするところを、張郃はにわかに追いかかって雷同を斬ってしまった。
このさまを見ていた張飛は、
引上げた張飛は、早速魏延を呼びよせ、
「張郃め、まんまと計りおって、雷同の勢い立って深入りしたを、伏兵をもってあざむき殺してしまった。いま一戦を交えて、雷同の仇を討とうとしたが、敵に
魏延は配下の精鋭をすぐって、配備についた。
翌日。
張飛は堂々と軍を進めて魏軍の正面を攻めた。
張郃はこれを見て、こりずにまたやって来おったかとばかり、みずから馬を進め、交戦十合ほどにして、きょうも、逃げの手をつかった。しかるに、来まいと思った張飛は、兵と一緒になって追ってくる様子である。張郃はひそかに喜んで、伏兵の配陣よろしき地勢まで逃げた。
ここは山の腰のあたり、路は一筋、退路を断てば、敵の首筋を握ったと同然の地の利である。
「よし」と、思わず息をはずませ、馬首をめぐらし、追い寄せきた張飛の軍めがけて、一度に逆襲の形をとった。
雷同を討って、全軍気をよくしている矢先である。きょう目ざすは張飛だ。
本軍と意気を合わせ、伏兵もたちまち左右から起って、張飛の後ろをさえぎろうとしたが、なんぞはからん、目の前に立ちふさがったのは蜀の兵であった。逆に虚をつかれた張郃の兵は、たちまち乱れ、さんざんに打ち破られ
その上に、柴の車をもって細道をふさぎ、一斉にこれに火をかけたので、火焔は天に
この一戦は、終始張飛の圧倒的な優勢裡にすすめられて、残り少ない敗残の手兵をあつめ、張郃は、命からがら
魏延を率いて、ここまで追いつめた張飛は、一気にこの関も破るべく、数日にわたって攻めたが、さすが、名ある瓦口関である。要害は堅固で、また地勢
張飛は正面攻撃をあきらめ、二十里後方に
ある日。
山道からふと見ると、百姓らしい男や女が幾人か、背に荷を負い、
張飛はこれを見て、魏延を側に招き、馬上に鞭をあげて、
と、確信にあふれた言葉。
魏延は直ぐには、この意味が解し得ない様子で、遥かに山上に姿を消してゆく人影を見送るばかりであった。
と張飛は命じた。
間もなく、兵は六名ほどの百姓を連れてきた。若い者も、老人もまじっていて、いずれも何かおびえた顔を土につけた。
張飛は、静かに、つとめて優しく、
と、訊ねた。
年のいった百姓は、代表の格で幾分たじろぎながら、
大きくうなずきながら、張飛は再び質問を発した。
「いや、それ程ではございません。梓潼山の小路は、瓦口関の背後に通じております」
老人の答えは、思ったよりはっきりしていた。この答えに、張飛はいかばかり喜んだか知れなかった。百姓たちを本陣に連れて帰り、それぞれ褒美を与え、酒をふるまってねぎらった。
張飛は魏延を呼び寄せ、
と、全軍に下知し、張飛は、よりすぐりの兵をつれ、魏延と瓦口関に勝利の再会を約して、左右に別れて発足した。
瓦口関に構えて一息ついていた張郃は、幾度かの敵襲も、堅固な関の救いに小揺るぎもなく、事なくすんだが、さて援軍が来なければ、此処から一歩も動きがとれない。ひたすら援軍を待つばかりであった。
しかし、待てど、暮せど、友軍の来そうな気配が見えない。
日の経つにつれて、追々と心細くなってくるのを、どうすることもできない。物見を四方に立て、一刻も早く援軍来る報を得ようと
「只今、関の正面に軍馬らしきもの近づいて参りました」と、物見の報告である。
「しかとは分りませんが、魏延の兵とおぼえます」
張郃は顔色を変えたが、魏延の軍、いかに攻めようとも、また過日の悔いを再び味わうのみ、と努めて平然と、
と、魏延の兵と一戦を交えようと、みずからも関を下って攻めかえそうとした。
その時、瓦口関の背後、八方から火の手があがり、たちまち燃えひろがる様子。
その煙の中を使者が駆け来って張郃に報告するには、
「いずこの兵か分りませんが、突如火を放ち、背後から攻めてきて、関の兵は残念ながら乱れたっております」
張郃は馬首をかえして、瓦口関に戻り、敵はと見れば、旗をすすめて馬上にあるは、まぎれもない張飛の姿である。
彼は色を失った。
闘志はとうになくなっている。逃げることだけが彼のすべてであった。
関の横を通じている小路をめがけ、馬を走らせたが、歩いて通るのもやっとの道であり、岩石が多く、馬は
そこを逃しはせじと、張飛はひたむきに追いかけてくる。
これまで、と、馬を乗り捨て、張郃は転ぶように、木の根にすがり、岩にかじりつき、生きた心地もなく、すり傷だらけになって逃げに逃げた。
やっと、追手をのがれてあたりを見ると、自分とともに助かったものは、情けなくも十四、五人、すごすごと
曹洪は張郃の敗戦を聞き、火の如く怒って、
という。
曹洪の怒りを聞いて、行軍司馬の官にあった
曹洪はこの言を容れ、張郃の一命を助け、五千の兵を分ち与えて、蜀の葭萌関の攻撃を命じた。
この関を守るは、蜀の孟達、
張郃軍あらためて攻めきたるの報を得て、軍議を開いた。
霍峻の説は、
であった。
孟達はこれに反し、敵の来攻を待つは戦略の
いく度かの議は
孟達が逃げ戻ってきたのを見て、霍峻は驚き、成都に向って救いの早馬を送った。
劉備はこれを聞き、孔明を呼んで、策を議した。
孔明は全軍の大将を集めて、
と口を切った。
これに対し、法正が立って、
と、説をのべた。
この言葉の終るか終らぬうち、激しく気色ばんだ老将の一人が立ち、声も荒々しく、
と、一気にいった。
一座の
孔明は、ゆっくりとうなずき、
と、いってのけた。
黄忠は怒りに燃え、白髪さかしまに立てて、
頑とした孔明の返事に、黄忠は
黄忠のこの意気を眺め、覇気をみとめて孔明は、
黄忠はいたく喜び、
と、覚悟のほどを申しのべた。
終始、孔明と黄忠の論をうかがっていた劉備は、老将の言葉にいたく満足して、黄忠の進発を許した。
黄忠、厳顔の二将は、兵を率いて葭萌関に到着した。これを見た孟達、霍峻は年老いた将の救援軍を大いに笑い、
「孔明は人を見る明がない。こんな老人は、戦争に出なくとも間もなく死んでしまうものを」
と、
黄忠、厳顔は、二人の旗を山上に立て、敵にその名を知らしめた。そして黄忠がひそかに厳顔にいうには、
と、誓いも堅く、兵を揃えて出馬した。
この
黄忠大いに怒り、
と罵り返し、馬をすすめて張郃にあたった。張郃も
曹洪は、この度もまた張郃が敗れたと知って、いそぎ罪を
と諫めて、曹洪をして、夏侯惇の
張郃は、新手の勢を見て大いに喜び、諸将を集めて軍議を開き、
といえば、韓浩が口を開き、
覚悟のほどを
韓浩は、夏侯尚とともに新手の兵を率い、陣を構えて敵を待った。
黄忠は毎日、あたりの地理を調査しつつあった。きょうも、地勢を調べに歩いていると、厳顔が思い出したように、
と申し出で、天蕩山攻略についての計を、つぶさに黄忠に語った。
厳顔は黄忠と攻略手段を打合せ、一軍を率いていずこかに進発して行った。
居残った黄忠は、夏侯尚の軍が寄せてきたと聞いて、陣容を整えてこれを待つと、魏の軍中より、
と槍をかまえて打ってかかった。
黄忠が刀をまわし、立ち出でれば、夏侯尚は彼が背後へ、背後へとまわらんとする。
情勢不利と見て、黄忠は折を
彼の誘導作戦である。
夏侯尚は追いまくって、黄忠の陣を奪取した。
次の日も、同じような戦が行われて、またも二十里ほど進み、夏侯尚の意気は当るべからざるものがある。韓浩も気勢をあげ、これにつづき、先に奪いとった黄忠の陣に着くと、すぐ
張郃は、この二将がいい気になって前進するのが危なく思われるので、
と注意したが、
と、張郃の恥入って顔
次の日も、敵は二十里退去した。
こうして、次々と敗走した形で、とうとう葭萌関に逃げ込んだまま、今度はどうしても出てこなくなった。
夏侯尚は、関前に陣を構えた。
この様子を見た孟達は、大事
と、平然たる答えである。
しかし、
劉封の兵が葭萌関に着くと聞いて、黄忠はいぶかり、
と、問うた。
劉封は答えて、
黄忠は笑って、
といい、全軍に戦闘準備を命じていそがした。
その夜半。
黄忠はみずから五千余騎を従え、直ちに門を開いて攻撃の火蓋を切った。
この時、魏の軍勢は、ここ数日敵は静まりかえっていることとて、すっかり心をゆるめ、ことごとく眠っていたので、思いもかけぬ
夏侯尚も、韓浩も、ともに乗馬さえ見当らず、辛うじて徒歩で逃げて、一夜のうちに、せっかく取った陣のうち、三ヵ所まで奪取され、死傷の数もおびただしく生じた。
黄忠は、敵の遺棄していった、兵粮、兵器等を孟達に運搬を命じ、息もつかずなお猛攻を続けた。劉封は、
と、みずから真ッ先に立って
五千の精兵、真に飛ぶが如く、追撃に追撃である。勢いにのった鋭さは乱れ立った魏の勢のよく及ぶところではない。
一ヵ所といえど、よく
漢水に入って、我に還った張郃は、ふと気づいて、夏侯尚、韓浩に、
と尋ねた。
夏侯尚は答えて、
と、張郃、韓浩とともに天蕩山に至り、夏侯徳に会見し、
と敗戦のさまを語れば、夏侯徳はうなずき、
といえば、張郃は案じ、
その言葉の終るか終らぬうち、突如として、鼓の音響き、
「黄忠の軍が攻めてきたぞ」
口々に叫び合う声もする。
夏侯徳は、悠然と笑って、
張郃は
韓浩には、折角のこの言葉も無駄であった。
と、いえば、夏侯徳は
韓浩は武者振いして三千余騎を従え、山を下って行った。
一方、黄忠は、ひたむきに馬を進めて、止るところを知らず、日もすでに西山に没し、天蕩山の
といった。
劉封のいさめを、黄忠はあざ笑って云った。
まっしぐらに上り、鼓を打たせ、喊をつくって勢いをあげた。
韓浩はこれをむかえ、坂路の途中に防ぎ、みずから馬を出して黄忠に挑みかかったが、かえって黄忠の水車の如く廻す刀にかかり、一刀にして斬り伏せられた。
夏侯尚は、韓浩斬らるの報を聞いて急に兵を率いて、黄忠の軍に迫れば、山上より
そのうちより一団の軍勢が討って出た。陣中にあった夏侯徳、大いに驚き、手兵に下知して消火につとめていた。これを見た厳顔は、刀をまわして討ってかかり、夏侯徳を斬って伏せた。
かくするうち、諸所より上がった火焔は、みるみるうち、峰を焦し、谷に満ち、凄絶限りがなかった。
計の順調に運びたるを見て、黄忠、厳顔は心を合せ、前後より攻め立てた。張郃、夏侯尚は防ぐことができず、ことに夏侯徳、韓浩が討たれたのを見て力を失い、天蕩山を捨ててわれ先にと逃げ、夏侯淵のいる定軍山に落ちていった。
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