第135話、二人の老将

文字数 10,092文字

 瓦口関にまで逃げた張郃(ちょうこう)は、悲鳴をあげ、曹洪に救援をもとめた。

 曹洪はこの()らせをうけると、烈火の如く怒って、


「わが命を用いず、なまじ自信をもって戦をして、要害を奪われたのだ。今はわれに救援に送る兵なし、すべからく逆襲して、もとの本陣を奪取すべし」


 と、峻烈な命を返してよこした。

 曹洪の怒りを聞いて、張郃の驚き、(おそ)れはひと通りでなく、新たに計をたてて、まず残兵を集めて二手に分け、瓦口関の前に伏せ、本陣はなおも退却と見せかければ、張飛必ず追いくるに違いなし、そのとき一せいに打って出で、敵の退路を遮断すれば、挽回(ばんかい)端緒(たんしょ)を得べしとなした。


「ものども、ぬかるなッ」

 と、厳命して、自ら一隊を率い、敵前に進み出た。

 これを見た蜀の大将雷同、馬を飛ばして来て張郃にうってかかった。

 御参(ござん)なれ、と二、三合うち合った上、予定の如く張郃は逃げにかかった。雷同は猛って、逃がさじと追ってくる様子に、張郃ひそかに喜び、ころもよしと合図をすると、魏の伏勢一度に起って、雷同の退路を断った。

(はか)られたかっ」

 と、気づいて、馬をかえそうとするところを、張郃はにわかに追いかかって雷同を斬ってしまった。

 このさまを見ていた張飛は、怒髪(どはつ)天をつき、馬を走らせて張郃に迫った。張郃は味をしめ、張飛としばしわたり合っては、逃げて誘おうとしたが、今度はこの計略もきかず、追ってこない。やむなく、張郃は戻りかえって刃を合わせては、一間でも二間でも引込もうと骨を折ったが、張飛は限度をこえて深追いせず、そのうち馬首をめぐらして本陣に帰ってしまった。

 引上げた張飛は、早速魏延を呼びよせ、

「張郃め、まんまと計りおって、雷同の勢い立って深入りしたを、伏兵をもってあざむき殺してしまった。いま一戦を交えて、雷同の仇を討とうとしたが、敵に(はかりごと)のあるを見て引返した。敵の計には計を以てせねばならぬと考えるが」


「して、そのお考えは」
「うむ、われは一軍を率いて、明日、また正面より張郃にいどむ、汝は精兵をすぐり、敵の伏兵が、われの深入りを機会に、わが退路を断たんとするとき、山間に伏せて急に兵を二手に分け、敵の伏兵にあたり、一手は車輛に()し草を山と積んで小路をふさぎ、これに火をつけよ。張郃を(とりこ)にして必ず雷同が仇を討ってみせる」

 魏延は配下の精鋭をすぐって、配備についた。

 翌日。

 張飛は堂々と軍を進めて魏軍の正面を攻めた。

 張郃はこれを見て、こりずにまたやって来おったかとばかり、みずから馬を進め、交戦十合ほどにして、きょうも、逃げの手をつかった。しかるに、来まいと思った張飛は、兵と一緒になって追ってくる様子である。張郃はひそかに喜んで、伏兵の配陣よろしき地勢まで逃げた。

 ここは山の腰のあたり、路は一筋、退路を断てば、敵の首筋を握ったと同然の地の利である。

「よし」と、思わず息をはずませ、馬首をめぐらし、追い寄せきた張飛の軍めがけて、一度に逆襲の形をとった。


 雷同を討って、全軍気をよくしている矢先である。きょう目ざすは張飛だ。張郃(ちょうこう)の下知は、水ももらさず行きわたって、見事にみえる。

 本軍と意気を合わせ、伏兵もたちまち左右から起って、張飛の後ろをさえぎろうとしたが、なんぞはからん、目の前に立ちふさがったのは蜀の兵であった。逆に虚をつかれた張郃の兵は、たちまち乱れ、さんざんに打ち破られ(つい)え、谷の中に追い込まれてしまった。

 その上に、柴の車をもって細道をふさぎ、一斉にこれに火をかけたので、火焔は天に(ちゅう)し、草木に燃えうつって、黒煙は土をおおい、張郃の兵は山中を逃げまどったが、森林地帯ではあり、思うに任せず、遂に一人も残らず焼死してしまった。

 この一戦は、終始張飛の圧倒的な優勢裡にすすめられて、残り少ない敗残の手兵をあつめ、張郃は、命からがら瓦口関(がこうかん)にのがれ、よじ登って、あたふたと門を閉じて、ここを死守すべく厳重に守った。

 魏延を率いて、ここまで追いつめた張飛は、一気にこの関も破るべく、数日にわたって攻めたが、さすが、名ある瓦口関である。要害は堅固で、また地勢嶮岨(けんそ)を極めて、揺ぎもしない。

 張飛は正面攻撃をあきらめ、二十里後方に退(しりぞ)いて、陣を構え、みずから手兵数十騎を選び伴い、山路の偵察を行った。

 ある日。

 山道からふと見ると、百姓らしい男や女が幾人か、背に荷を負い、藤蔓(ふじづる)にしがみつき、あるいは(かずら)にとびついたりして、山を越えてゆく姿が張飛の眼にとまった。

 張飛はこれを見て、魏延を側に招き、馬上に鞭をあげて、

「魏延、あれを見たか。瓦口関を破る策は、あの百姓たちが教えてくれるに違いない。それよりほかに破り得ることは不可能だ」

 と、確信にあふれた言葉。

 魏延は直ぐには、この意味が解し得ない様子で、遥かに山上に姿を消してゆく人影を見送るばかりであった。


「誰か、直ちにあの百姓を追いかけ、驚かさぬようにして、ここへ連れてこい」

 と張飛は命じた。

 間もなく、兵は六名ほどの百姓を連れてきた。若い者も、老人もまじっていて、いずれも何かおびえた顔を土につけた。

 張飛は、静かに、つとめて優しく、

「お前たちは、どうして、こんな嶮しい山路をたどって、この山を越えようとしているのか」


 と、訊ねた。

 年のいった百姓は、代表の格で幾分たじろぎながら、


「はい、わたくしたちは、みんな漢中のものでございますが、いま、故郷へ帰ろうと此処まで参りますと、なんでも、本道には激しい合戦があると聞きましたために、蒼渓(そうけい)をすぎて、梓潼山(しどうざん)檜釿川(かいきんせん)から漢中へ出ようと相談致しまして、この山へかかった訳でございます」
 と答えた。
「うむ」

 大きくうなずきながら、張飛は再び質問を発した。


「この路は、瓦口関とよほど離れているか」


「いや、それ程ではございません。梓潼山の小路は、瓦口関の背後に通じております」

 老人の答えは、思ったよりはっきりしていた。この答えに、張飛はいかばかり喜んだか知れなかった。百姓たちを本陣に連れて帰り、それぞれ褒美を与え、酒をふるまってねぎらった。

 張飛は魏延を呼び寄せ、

「早速に兵を率い、瓦口関正面に攻めかかれ、われは、あの百姓を案内とし、精兵五百あまりをひきつれ、小路を走って敵が背後に廻り、一気に張郃の軍の残余を潰滅(かいめつ)せしめよう」


 と、全軍に下知し、張飛は、よりすぐりの兵をつれ、魏延と瓦口関に勝利の再会を約して、左右に別れて発足した。



 瓦口関に構えて一息ついていた張郃は、幾度かの敵襲も、堅固な関の救いに小揺るぎもなく、事なくすんだが、さて援軍が来なければ、此処から一歩も動きがとれない。ひたすら援軍を待つばかりであった。

 しかし、待てど、暮せど、友軍の来そうな気配が見えない。

 日の経つにつれて、追々と心細くなってくるのを、どうすることもできない。物見を四方に立て、一刻も早く援軍来る報を得ようと(あせ)っている矢先。

「只今、関の正面に軍馬らしきもの近づいて参りました」と、物見の報告である。

「何、友軍か?」

「しかとは分りませんが、魏延の兵とおぼえます」


「何っ!」


 張郃は顔色を変えたが、魏延の軍、いかに攻めようとも、また過日の悔いを再び味わうのみ、と努めて平然と、


「敵であれば、厳重に関を固めよ、そして、一部の兵はわれとともに来れ、堅塁を(たて)に、なおも一撃を加えてくれよう」


 と、魏延の兵と一戦を交えようと、みずからも関を下って攻めかえそうとした。

 その時、瓦口関の背後、八方から火の手があがり、たちまち燃えひろがる様子。

 その煙の中を使者が駆け来って張郃に報告するには、

「いずこの兵か分りませんが、突如火を放ち、背後から攻めてきて、関の兵は残念ながら乱れたっております」

 張郃は馬首をかえして、瓦口関に戻り、敵はと見れば、旗をすすめて馬上にあるは、まぎれもない張飛の姿である。

 彼は色を失った。

 闘志はとうになくなっている。逃げることだけが彼のすべてであった。

 関の横を通じている小路をめがけ、馬を走らせたが、歩いて通るのもやっとの道であり、岩石が多く、馬は(ひづめ)を痛め、脚をすべらせ、思うようには動けない。もどかしくも鞭をあげて逃げる。

 そこを逃しはせじと、張飛はひたむきに追いかけてくる。

 これまで、と、馬を乗り捨て、張郃は転ぶように、木の根にすがり、岩にかじりつき、生きた心地もなく、すり傷だらけになって逃げに逃げた。

 やっと、追手をのがれてあたりを見ると、自分とともに助かったものは、情けなくも十四、五人、すごすごと南鄭(なんてい)にたどりついた時は、われながら、哀れな姿であった。

 曹洪は張郃の敗戦を聞き、火の如く怒って、

「われ再三、出ることなかれと命じたるに、汝は、わしを侮辱し、無用なる戦をなし、あまつさえ敗戦を繰り返し、貴重なる兵三万を失い、しかもなお汝のみ生きて帰るとは言語道断である。引出して首を刎ね、この罪を謝さしめん」

 という。

 曹洪の怒りを聞いて、行軍司馬の官にあった太原陽興(たいげんようこう)の出身で郭淮(かくわい)(あざな)伯済(はくせい)と称していた者が曹洪を諫めて、

「三軍は得やすく、一将は求め難し、と古人のことばにもございます。張郃がこの度の罪は、まことに許しがたいものがありましょうけれど、しかし、魏王が前から愛されていた大将でございます。しばらく一命を助けられ、もう一度、ご寛大な心から、五千余騎を彼に与え、葭萌関(かぼうかん)を攻めさせられたならば、蜀の軍勢は、この重要な関を守り固めるため、ことごとく引返して参るに違いありません。さすれば、漢中はおのずから平安になるでありましょう」

 曹洪はこの言を容れ、張郃の一命を助け、五千の兵を分ち与えて、蜀の葭萌関の攻撃を命じた。


 郭淮(かくわい)の進言に面目をとどめた張郃(ちょうこう)は、この一戦にすべての汚名を払拭(ふっしょく)せんものと、意気も新たに、五千余騎を従えて、葭萌関(かぼうかん)に馬を進めた。

 この関を守るは、蜀の孟達、霍峻(かくしゅん)の両大将であった。

 張郃軍あらためて攻めきたるの報を得て、軍議を開いた。

 霍峻の説は、

「天然の要害にある葭萌関を、わざわざ出でて戦うは愚である。関をたのんでよく守るが良策と思う」

 であった。

 孟達はこれに反し、敵の来攻を待つは戦略の()である、すべからく関を出でて、即決進撃をはばむべしと称して退かなかった。

 いく度かの議は()らされた結果、ついに孟達の議をとり、蜀兵は葭萌関を出陣して、張郃の軍と戦闘を交えた。孟達もみずから張郃にいどんだが、これはさんざんに敗れてしまった。

 孟達が逃げ戻ってきたのを見て、霍峻は驚き、成都に向って救いの早馬を送った。

 劉備はこれを聞き、孔明を呼んで、策を議した。

 孔明は全軍の大将を集めて、

「只今、葭萌関から急使があった。一刻も早く誰か閬中(ろうちゅう)に馳せ、張飛にこの旨を告げ知らせ、張飛の軍を葭萌関に回らせては如何」

 と口を切った。

 これに対し、法正が立って、

「お説ではありますが、私の思いますに、張飛はいま瓦口関に兵をとどめ、閬中をすべて守っています。閬中はもちろん大切なところです。もし張飛を召しかえされると、必ず何か変事が起るに違いありません。閬中は只今のまま厳しく守らせ、誰かほかの大将をして葭萌関の危機を救援せしめ、張郃を防がるるが良かろうと思います」

 と、説をのべた。


「それはわかってはいるが、張郃は張飛のため敗れたりといえ魏の名将、尋常の男ではない。私の思うには、張飛でなくては彼と太刀打ちできるものはありますまい」

 この言葉の終るか終らぬうち、激しく気色ばんだ老将の一人が立ち、声も荒々しく、


「軍師、貴殿は何ゆえあって人を(あくた)の如く軽んじられるのか、我ら、不才とは申せ、命あらば断じて()きて戦い、張郃の首を斬って参る覚悟があります。お言葉、非常に残念です」


 と、一気にいった。

 一座の()は、思わず彼に集まった。老将は即ち、黄忠であった。

 孔明は、ゆっくりとうなずき、


「あなたのお言葉、まことに勇壮です。しかしながら、あなたは年すでに老い、とても張郃の相手にはなりますまい」

 と、いってのけた。

 黄忠は怒りに燃え、白髪さかしまに立てて、

「それがし、年老いたりとは申せ、臂力(ひりょく)いまだ衰えは見せぬ。三本の弓一度に引き得べく、身は千斤の力をもっています。どうして老いたりと称してお用いにならぬのですか」

「いや、貴殿はすでに七十に近いのです。誰が老いていないと申せようか」


 頑とした孔明の返事に、黄忠は(ごう)をにやし、つかつかと堂を下って、長刀を手にとり、これを水車の如く右に左に、上に下に、いと鮮やかに振り廻し、つづいて壁に掛けてあった強弓二張をはずし、一息にこれを折って見せた。

 黄忠のこの意気を眺め、覇気をみとめて孔明は、

「よろしい、では貴殿を救援に差し向けましょう。しかし、必ず副将をつれてゆくことを命じます」


 黄忠はいたく喜び、


「かたじけなし。厳顔はそれがしと共に、年老いています。共に参って、必ず敵を破り、万一あやまちあれば、老将二名、いのちに未練はありません。白髪の首を奉りましょう」


 と、覚悟のほどを申しのべた。

 終始、孔明と黄忠の論をうかがっていた劉備は、老将の言葉にいたく満足して、黄忠の進発を許した。



 黄忠、厳顔の二将は、兵を率いて葭萌関に到着した。これを見た孟達、霍峻は年老いた将の救援軍を大いに笑い、

「孔明は人を見る明がない。こんな老人は、戦争に出なくとも間もなく死んでしまうものを」

 と、(あざけ)って関守の印を渡した。

 黄忠、厳顔は、二人の旗を山上に立て、敵にその名を知らしめた。そして黄忠がひそかに厳顔にいうには、


「諸所での噂を聞きましたかな、いずこでも、われら二人の老年を嘲笑しておりますぞ。ひとつ力を合せて、大なる功をあげ、奴らを驚かせてくれよう」

 と、誓いも堅く、兵を揃えて出馬した。

 この(さま)を見て張郃も馬を出し、黄忠の陣に向って叫んだ。


「汝、その年まで生をむさぼり、なお恥をも知らず、陣前に出て戦わんとするか、笑止、笑止!」

 黄忠大いに怒り、


「汝、わが年の老いたるを笑うといえども、手の中の刃は、いまだ年をとらぬ。わが利刃(りじん)を試みてから広言を吐け」

 と罵り返し、馬をすすめて張郃にあたった。張郃も(やり)をひねって、戦うこと約二十余合、すると突如、張郃勢の背後から、厳顔の兵が小路を迂回して現れ、挟撃したため張郃勢は一度に崩れ、(とき)の声に追われながら、遂に八、九十里退却してしまった。

 曹洪は、この度もまた張郃が敗れたと知って、いそぎ罪を(ただ)さんと怒ったが、郭淮が、

「只今罪を問われるならば、張郃はきっと蜀の軍門に下ってしまうでしょう。かくては取り返しのつかぬこととなります。別に大将を派遣され、張郃を助け、ともに敵をふせぐことが上策と考えます」

 と諫めて、曹洪をして、夏侯惇の(おい)にあたる夏侯尚に、韓玄(かんげん)の弟の韓浩(かんこう)()え、五千余騎を与えて、張郃援助の軍として差向けさせた。

 張郃は、新手の勢を見て大いに喜び、諸将を集めて軍議を開き、

「黄忠、年老いたりといえども、思慮深く、勇気もあり、その上厳顔も必死に協力しているので、軽々しくは戦えません」


 といえば、韓浩が口を開き、


「われ長沙にある折、よく黄忠が人となりに接していた。彼は、魏延(ぎえん)と心を合せ、わが兄を殺した憎い奴、今日、ここに会うたは天の御心、必ず仇を報ぜずにはおられません」

 覚悟のほどを眉間(みけん)にあふれさせた。

 韓浩は、夏侯尚とともに新手の兵を率い、陣を構えて敵を待った。

 黄忠は毎日、あたりの地理を調査しつつあった。きょうも、地勢を調べに歩いていると、厳顔が思い出したように、

「この近くに天蕩山(てんとうざん)と申す山があります。そこは曹操が兵粮(ひょうろう)を貯えて、遠大な計をめぐらした所です。もしこの山を攻め取ったならば、魏軍は粮食(りょうしょく)補給の路を断たれ、すべて漢中にとどまることができなくなる筈です」

 と申し出で、天蕩山攻略についての計を、つぶさに黄忠に語った。



 厳顔は黄忠と攻略手段を打合せ、一軍を率いていずこかに進発して行った。

 居残った黄忠は、夏侯尚の軍が寄せてきたと聞いて、陣容を整えてこれを待つと、魏の軍中より、韓浩(かんこう)先頭に立ち現れ、

「黄忠いずこにありや!」

 と槍をかまえて打ってかかった。

 黄忠が刀をまわし、立ち出でれば、夏侯尚は彼が背後へ、背後へとまわらんとする。

 情勢不利と見て、黄忠は折を(はか)っては逃げ、立ち直っては戦い、また逃げして二十里あまり退がった。

 彼の誘導作戦である。

 夏侯尚は追いまくって、黄忠の陣を奪取した。

 次の日も、同じような戦が行われて、またも二十里ほど進み、夏侯尚の意気は当るべからざるものがある。韓浩も気勢をあげ、これにつづき、先に奪いとった黄忠の陣に着くと、すぐ張郃(ちょうこう)を呼び、跡の陣屋を守るよう頼んで、なおも進もうとした。

 張郃は、この二将がいい気になって前進するのが危なく思われるので、

「黄忠ほどの剛の者が、やすやすと二日にわたって負けているのは解せない。必ず彼に何かの計があるに違いない。軽々と深追いせぬ方がよろしいと思うが」

 と注意したが、夏侯尚(かこうしょう)はかえって怒り、


「汝がごとき、臆病者は、敵をおそれるばかりゆえ、宕渠山(とうきょざん)の陣を破られ、数多(あまた)の人馬を失い、見苦しき恥をさらすのだ。黙って、我らが武功を見物していればよろしいわい」

 と、張郃の恥入って顔(あか)らめるを、小気味よげに見送りながら前進してしまった。

 次の日も、敵は二十里退去した。

 こうして、次々と敗走した形で、とうとう葭萌関に逃げ込んだまま、今度はどうしても出てこなくなった。

 夏侯尚は、関前に陣を構えた。

 この様子を見た孟達は、大事出来(しゅったい)とばかり、劉備のもとに早馬を飛ばし、黄忠が一戦ごとに負け、五ヵ所もの陣を敵に奪われたと告げた。劉備も驚いて孔明にこの由を告げると、

「お驚きになることはありますまい。これは黄忠が驕兵(きょうへい)の計に違いありません」


 と、平然たる答えである。

 しかし、趙雲(ちょううん)らも、孔明の言を信じられず、劉備の不安もあって、ひそかに劉封(りゅうほう)に一軍をつけて黄忠救援におもむかしめた。

 劉封の兵が葭萌関に着くと聞いて、黄忠はいぶかり、


「なにゆえに、兵を伴ってここに来たか」

 と、問うた。

 劉封は答えて、

「わが父、将軍の苦戦を知り、わたくしに援軍の命が下ったのです」


 黄忠は笑って、


「これは、わしが驕兵の計じゃ。今宵の一戦に、見事敵を叩きのめすであろう。五ヵ所の陣を捨てたは、暫時敵にこれを貸し与え、つとめて兵粮などを貯えさせ、数日間の敗を一日にして取り戻さんためだ。よく見物してゆくがよい」

 といい、全軍に戦闘準備を命じていそがした。

 その夜半。

 黄忠はみずから五千余騎を従え、直ちに門を開いて攻撃の火蓋を切った。

 この時、魏の軍勢は、ここ数日敵は静まりかえっていることとて、すっかり心をゆるめ、ことごとく眠っていたので、思いもかけぬ(とき)の声とともに、五千余騎の攻撃をくらい、武器のありかも分らず奪い合い、馬を乗り違えるなど、大混乱を起し、みじめにも黄忠の軍に踏みにじられてしまった。

 夏侯尚も、韓浩も、ともに乗馬さえ見当らず、辛うじて徒歩で逃げて、一夜のうちに、せっかく取った陣のうち、三ヵ所まで奪取され、死傷の数もおびただしく生じた。

 黄忠は、敵の遺棄していった、兵粮、兵器等を孟達に運搬を命じ、息もつかずなお猛攻を続けた。劉封は、


「配下の兵は、大変に疲れた模様に見受けられます。しばらく、ここで休息を与えられたらいかがです」
 と進言したが、黄忠は首を振り、
「古より、虎穴に入らずんば虎児を得ずといわれている。身を捨ててこそ、手柄も高名もあがる。息ついてはならぬ。者ども進めッ」

 と、みずから真ッ先に立って鼓舞(こぶ)した。

 五千の精兵、真に飛ぶが如く、追撃に追撃である。勢いにのった鋭さは乱れ立った魏の勢のよく及ぶところではない。

 一ヵ所といえど、よく(ささ)える地点もなく、ひたすらな敗走は、自軍の兵の動きにもおびえる始末で、遂に漢水の辺りまで退却のやむなきに至った。

 漢水に入って、我に還った張郃は、ふと気づいて、夏侯尚、韓浩に、

天蕩山(てんとうざん)は、味方の兵粮を貯蔵しあるところ、米倉山(べいそうざん)に続き、みなこれ漢中の軍が生命とたのむところである。万一、かの山に敵手が廻っては一大事である。漢中はたちまちにして破れるは必定だが、さて心配なことだ」

 と尋ねた。

 夏侯尚は答えて、

「米倉山には、わが叔父の夏侯淵が大軍を率いて陣取り、定軍山(ていぐんざん)に続いておりますから、少しもご心配はいらぬと思う。また、天蕩山には、わが兄の、夏侯徳が大分前からおる筈、われわれも参って一緒になり、あすこを守ったがよかろうと思う」

 と、張郃、韓浩とともに天蕩山に至り、夏侯徳に会見し、


「……黄忠、驕兵の計を用い、われを関の前におびき寄せ、勢いにのって逆襲し来り、終夜追われたため、兵粮、武具を捨ててこれまで逃げて参った」


 と敗戦のさまを語れば、夏侯徳はうなずき、


「よろしい。全山に十万の兵あれば、汝これを分けて、再び押し寄せ、その陣屋を奪取したがよかろう」


 といえば、張郃は案じ、


「いや、攻めてはならぬ、ただあくまでも、此処を守って、敵の行動を看視するがよろしいと思う」


 その言葉の終るか終らぬうち、突如として、鼓の音響き、(とき)の声が遠く近く聞えだして、陣中は騒然となった。

「黄忠の軍が攻めてきたぞ」

 口々に叫び合う声もする。

 夏侯徳は、悠然と笑って、



「黄忠、ここに攻め寄せてくるとは兵法を知らざるも甚だしい。勢いにのった蛮勇(ばんゆう)のみ……」

 

 張郃は(いまし)めて、


「いや、さに非ず、必ず(あなど)り給うな、黄忠は、智勇ともに備わった武将ですぞ」

「なんの、蜀軍は遠路を戦いつづけ、終夜軍を進めて疲労甚だしい筈である。それを、軽々しくなお進めて、この重地に攻め入るなどは、兵法を知らざるも甚だしいと思う」


 張郃(ちょうこう)はなおも、


「早計に、そう決められるは如何かと思われる。必ず敵に大なる計ありと見て、この陣を固め、必ず守勢を持して、出撃せぬが良策と存ずる」

 韓浩には、折角のこの言葉も無駄であった。


「われに、三千余騎を与え給え、これより突きすすみ、老将が首をひっさげて帰りましょう」


 と、いえば、夏侯徳は健気(けなげ)なりと喜んで、兵を与えた。

 韓浩は武者振いして三千余騎を従え、山を下って行った。

 一方、黄忠は、ひたむきに馬を進めて、止るところを知らず、日もすでに西山に没し、天蕩山の(けん)は、いよいよはげしく前をはばむばかりである。劉封(りゅうほう)はこの情勢を見て、黄忠に向い、

「日もすでに暮れ落ち、軍勢の疲労もますますつのるばかりです。長追いは無用かと思いますれば、このあたりにて、一応軍を留めては如何ですか」

 といった。

 劉封のいさめを、黄忠はあざ笑って云った。

「昔、哲人は時に(したが)って動き、智者は機を見て発す。今、天われを助け、不思議の功を与え給う、受けざるは、これ天に逆らうものぞ」

 まっしぐらに上り、鼓を打たせ、喊をつくって勢いをあげた。

 韓浩はこれをむかえ、坂路の途中に防ぎ、みずから馬を出して黄忠に挑みかかったが、かえって黄忠の水車の如く廻す刀にかかり、一刀にして斬り伏せられた。

 夏侯尚は、韓浩斬らるの報を聞いて急に兵を率いて、黄忠の軍に迫れば、山上より(にわか)の喊の声、天地を砕くが如く聞え、陣所陣所とおぼしきところより、火の手があがった。

 そのうちより一団の軍勢が討って出た。陣中にあった夏侯徳、大いに驚き、手兵に下知して消火につとめていた。これを見た厳顔は、刀をまわして討ってかかり、夏侯徳を斬って伏せた。

 かくするうち、諸所より上がった火焔は、みるみるうち、峰を焦し、谷に満ち、凄絶限りがなかった。

 計の順調に運びたるを見て、黄忠、厳顔は心を合せ、前後より攻め立てた。張郃、夏侯尚は防ぐことができず、ことに夏侯徳、韓浩が討たれたのを見て力を失い、天蕩山を捨ててわれ先にと逃げ、夏侯淵のいる定軍山に落ちていった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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