第106話、零陵、桂陽、攻め

文字数 9,830文字

 荊州(けいしゅう)襄陽(じょうよう)、南郡三ヵ所の城を一挙に収めて、一躍、持たぬ国から持てる国へと、その面目を一新しかけてきた機運を迎えて、劉備は、


「ここでよい気になってはならぬ――」
 と、大いに自分を(つつし)んだ。

(りょう)先生」


「何ですか」


「労せずして取った物は、また去ることも(やす)しとか。三ヵ所の城は、先生の計一つで、余りにやすやすとわが手に落ちたが、それだけに長久の策を思わねばならんと考えるが」

「ごもっとものお言葉でありますが、決して然らずです。三ヵ所の城が一挙にお手に入ったのも、実にわが君が多年の辛苦から生れたもので、やすやすと転げこんで来たのではありません」


「でも、一戦も交えず、一兵も損せずに、この中央にわが所を得たのは、余りに好運すぎる」


「ご謙遜です。みな君の御徳(おんとく)と、積年の労苦がここに結集したものです。はやい話が、君にその積徳とご努力が過去になかったら、この孔明ひとりでも、今日、お味方の内にはいなかったでしょう」

「では先生、どうかさらに、劉備が労苦をかさね、徳を積んでゆく長久の計をさずけて欲しい」


「人です。すべては人にあります。領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」

「荊、襄の地に、なお遺賢(いけん)がいるだろうか」


襄陽(じょうよう)宜城(ぎじょう)の人で、馬良(ばりょう)(あざな)季常(きじょう)という、この者の兄弟五人は、みな才名高く、馬氏の五常と世間からいわれていますが、中で馬良はもっとも逸材で、その弟の馬謖(ばしょく)も軍書を明らかに究め、万夫不当の武人です」

「召したら来るだろうか」


「幕賓の伊籍(いせき)は親しいと聞いております。伊籍から迎えさせては如何です」


「そうしよう」


 早速、劉備は、伊籍に(はか)って、迎えの使いをやった。

 馬良はやがて城へ来た。雪を置いたように眉の白い人であった。馬氏の五常、白眉(はくび)を良しと、世間に評があった。

 劉備は、彼にたずねた。

「御身はこの地方の国情には詳しかろう。わしは近頃、三城を占めて、ここに君臨したものだが、この先の計は、どうしたが最も良いか」


「やはり劉琦君(りゅうきくん)をお立てになることでしょう。ご病体ですからこの荊州の城に置かれて、旧臣をよび迎え、また都へ表を上せて、琦君を荊州の刺史(しし)に封じてはどうでしょうか。人心はみな、あなたのご仁徳と公明なご処置に随喜して(なつ)きます。――それを持って、あなたは南の四郡を伐り取ったがよろしいかと思われます」

「その四郡の現状は」


「――武陵(ぶりょう)には太守金旋(きんせん)があり、長沙(ちょうさ)には韓玄(かんげん)、桂陽には趙範(ちょうはん)零陵(れいりょう)には劉度(りゅうど)などが、おのおの地盤を占めております。この地方は総じて、魚米の運輸よろしく、地も中原に似て、肥沃(ひよく)です。もって長久を計るに足りましょう」


「それへ攻め入るには」

湘江(しょうこう)の西、零陵(れいりょう)湖南省(こなんしょう)・零陵)から手をつけるのが順序でしょう。次に桂陽、武陵と取って、長沙(ちょうさ)へ進攻するのが自然かと思います。要するに、兵の進路は流れる水です。水の行くところ、自然の兵路といえるでしょう」


 味方の誰にも異論はなかった。

 劉備は自信を持って事を進めることにした。



 建安十三年の冬、彼の部下一万五千は、南四郡の征途に上った。

 趙雲は後陣につく。

 もちろん劉備、孔明はその中軍にあった。

 この時も、関羽は留守をいいつかり、あとに残って、荊州の守りを命ぜられた。

 劉備の軍来る! ――の報は、たちまち零陵(れいりょう)震駭(しんがい)せしめた。戦革(せんかく)の世紀にあっては、どこの一郡一国であろうと、この世紀の外に安眠をむさぼっていることはできなかったのである。


 零陵の太守劉度(りゅうど)は、嫡子(ちゃくし)劉延(りゅうえん)をよんで、


「いかに劉備を防ぐか」

 を、相談した。

 父の顔色には(おび)えが見えている。劉延は切歯して、

「関羽、張飛などの名がものものしく鳴り響いていますが、わが家中にも、邢道栄(けいどうえい)があるではありませんか」
 と、励ました。

邢道栄(けいどうえい)ならそれに当り得るだろうか」


「彼ならば、関羽、張飛の首を取るのも、さしたる難事ではありますまい。つねに重さ六十斤の大鉞(おおまさかり)を自由に使うという無双な豪傑ですし、胸中の武芸もまた、いにしえの廉頗(れんぱ)李牧(りぼく)に優るとも劣るものではありません。日頃から豪勇の士を何のために養っておかれるのですか」

 劉延は、そういって父に一万騎を乞い、その邢道栄(けいどうえい)を先陣に立てて、城外三十里に陣取った。

 玄軍一万五千は、すでにこの辺まで殺到した。漠々(ばくばく)の戦塵はここに揚り、刻一刻、その領域は(おか)された。


「反国の賊、流離の暴軍、なにゆえ、わが境を侵すか」


 乱軍の中へ馬を出し、邢道栄(けいどうえい)は大音に云って迫った。有名なる彼の大鉞(おおまさかり)は、すでに鮮血に塗られていた。

 すると、彼の前に、一輛の四輪車が、(ほこり)をあげて押し出されて来た。見ればその上に、年まだ二十八、九としか思われぬ端麗な人物が、悠然と乗っている。――何かしらぎょッとしたものを受けたらしく、邢道栄が悍馬(かんば)の脚を不意に止めると、車上の人は、

「それへ来たのは、(まさかり)をよく振るとかいう零陵の小人か。われはこれ南陽の諸葛亮(しょかつりょう)孔明である。聞きも及ばずや、さきに曹操が百万の軍勢も、この孔明が少しばかりの計を用うるや、たちまち生きて帰る者はひとりもない有様であった。汝ら、湖南の草民ずれが、何するものぞ。すみやかに降参して、民の難を少なくし、身の生命(いのち)をひろえ」
「わははは。聞き及ぶ孔明とかいう小利巧者は貴様だったか。青二才の分際で、戦場に四輪車を用うるなどという容態振りからして嘔吐(へど)が出る。赤壁で曹操を破ったものは、呉の周瑜(しゅうゆ)の智とその兵力だ。小賢(こざか)しい、われこそ、片腹いたい」

 (わめ)き返すやいな、大鉞を頭上にふりかぶり、悍馬の足を、ぱっと躍らせてきた。

 孔明の四輪車は、たちまち、ぐわらぐわらッと一廻転した。後ろを見せて、逃げだしたのである。進むにも退くにも、それは大勢の力者(りきしゃ)が押し、そして無数の刀槍でまわりを守り固めて行く。

「待てッ」

 邢道栄(けいどうえい)は、追いかけた。

 車は渦巻く味方をかき分けて深く逃げこみ、やがて柵門の中へ駈け入ってしまった。


「孔明孔明。首をおいて行け」


 邢道栄はあきらめない。大波を割るように、鉞の下に、敵兵を睥睨(へいげい)し、いつか柵門もこえて、なお彼方此方、四輪車の行方をさがしていた。すると、山の腰に黄旗を群れ立てて、じっとしていた一部隊が、むくむくと此方へうごいてきた。その真先に馬を躍らしてきた一人の大将は、偉大な(ほこ)を横たえて、


「劉皇叔のもとに、人ありと知られたる、燕人張飛とは、すなわちわが事。おのれは果報者だぞ、おれの手にかかるとは」

 と、雷のようにかかって来た。


「何をっ。――この(まさかり)が目に見えぬか」


 邢道栄(けいどうえい)は、自信満々、大きな表情をしてそれを迎えたが、一丈八尺の大矛と、六十斤の(まさかり)では得物において互角だったが、力量にかけて邢道栄(けいどうえい)は張飛に及ばぬこと遠かった。


「かなわん」
 と、見きりをつけて、逃げ出した。ところが、その先へ迫って、また一名の強敵が、彼の道へ立ちふさがった。

「常山の趙雲(ちょううん)子龍とはそれがしなり。道栄っ、無用の(まさかり)を地に捨てよ」


 邢道栄(けいどうえい)は、武器を捨て、馬を下りた。

 趙雲はすぐ彼を縛りあげて、本陣へ引っ立てた。

 劉備は、ひと目見て、


「斬れ」
 と、いったが、孔明はそれを止めて、邢道栄(けいどうえい)にこう告げた。

「どうだ、汝の手で、劉延(りゅうえん)を生捕ってくれば、助命はもちろん、重く用いてつかわすが」


「いと易いこと。この縄目を解いて、それがしを放ち帰して下さるならば――」


「しかし、どういう方法で、劉延を生捕るか」


「夜を待って、こよい劉延の陣へ攻め入り給え。それがし内より内応して、かならず劉延を擒人(とりこ)としてみせます。劉延が捕われれば、その父なる太守劉度(りゅうど)も、ご陣門に降ってくるにきまっておる」


 傍らで劉備は聞いていたが、彼の口うらの軽々しいのを察して、


詐言(さげん)はおのずから色にあらわれる。軍師、こんな者を用いるのは無用である。早く首を()ねられよ」

 と、重ねていった。

 孔明はなお、そのことばに(そむ)いて、顔を横に振りながら、

「いやいや、私が観るに、邢道栄(けいどうえい)の言に嘘はないようです。人物にも観どころがある。有能はこれを惜しみ、努めてこれを生かすことが、真の大将たるものの任です。よろしく彼の計にしたがい、今夜のことを決行しましょう」

 即座に、その縄を解いて、彼は邢道栄(けいどうえい)を放してやった。

 命びろいをして、邢道栄(けいどうえい)は味方の陣へ逃げ帰り、すぐ劉延の前へ出て、


「今夜が決戦の分れ目に相成ろう」
 と、仔細を告げた。
「すわ、油断ならじ」

 と、劉延は防ぎにかかった。しかし昼間の合戦で、劉備軍の当るべからざる手並を見ているので、正防法によらず、奇防策を採った。

 陣中の柵内には、旗ばかり立てて、兵はみなほかに埋伏(まいふく)していた。そして夜も二更の頃になると果たして、一団の軍勢が、手に手に炬火(たいまつ)をもち、喊声(かんせい)をあげ、近づくやいな陣屋陣屋などへ火をかけた。

「来たぞ。引っ包め」


 劉延、邢道栄(けいどうえい)の兵は、あらぬ方角から二手に分れて殺到し、押し包んでこれを殲滅にかかった。

 寄手の兵は、隊を崩して、どっと逃げ退く。

 勝ちに乗って、劉延、邢道栄(けいどうえい)は、それを追い(まく)り、追い捲りて、十里の余も駈けた。

 ――だが、案外、逃げた兵数は薄いのに気がついた。いくら追っても、それだけの兵で、後続も側面もなく、いわゆる軍の厚みがない。


「深入りすな」


 劉延は、邢道栄(けいどうえい)を呼びとめた。そして、


「陣屋の火も消さねばならん。これだけ勝てば、まず充分。この辺で引揚げよう」

 

 と、取って返した。その帰り途である。


「道栄道栄。どこをまごついているのだ。張飛ならこれにおるぞ」


 と、道の(かたわ)らから殺出(さつしゅつ)してきた人影がある。それへつづく一隊は、逃げた敵とは全然士気を異にして、破竹のごとく、劉延、邢道栄(けいどうえい)の軍を中断して、不意をついた。


「や、や。さては敵にも、何か計があったか」


 あわてふためいて、彼らは自陣へ逃げこもうとした。すると、その火はもうあらかた消されていたが、その余燼(よじん)の内から、


「趙雲子龍。これにて、汝らの帰るを待てり」


 と、思わぬ一軍が、自分たちの陣中から現れたのみか、狼狽して逃げ戻ろうとした邢道栄(けいどうえい)は、ついにここで趙雲子龍の槍にかけられ、無残な死をとげてしまった。劉延も、生捕られた。

 夜の白々明けには、孔明の四輪車の前に、劉延の父劉度もまた、降伏を誓いに出ていた。



 劉備、孔明は(くつわ)をならべて、零陵(れいりょう)へ入城した。

 前の太守劉度は、そのまま郡守としてここに置き、子の延は軍に加えて、さらに、桂陽(湖南省・榔県)へ進んだ。

 桂陽へ攻め寄せる日。


「たれがまず先陣するか」
 と、劉備が諸将を見わたした。
「それがしが!」
 と、張雲が手を挙げたとたんにすぐ、張飛もおどり出て、
「願わくは此方を!」

 と、希望した。

 先に手を挙げたのは趙子龍であった。孔明は、

「趙雲の答えが少し早かった。早いほうに命ぜられては」


 孔明が、迷っている劉備へそういった。ところが、張飛は()かない。


「返事の早いか遅いかで決めるなど、前例がありません。何故、てまえをお用いなされぬか」


「争うな」


 孔明は、仕方なく前のことばを撤回した。そして、


「さらば、(くじ)をひけ」
 と、(くじ)をひかせた。

 趙雲が「先」という字の(くじ)に当った。張飛の引いたのは「後」である。

「冥加、冥加」


 と趙雲はよろこび勇んだが、張飛は甚だよろこばない。なおまだくずぐず云っていたが、


「未練というものだぞ」

 と、劉備に叱られて、ようやく陣列へすがたを退いた。

 趙雲は、手勢三千を申し受けた。孔明から、

「それで足りるか」


 と念を押されて、


「もし敗戦したら軍罰をこうむりましょう」

 と、豪語した。

 このことばを誓紙として、趙雲子龍は、一挙に桂陽城奪取に馳せ向った。


 桂陽城には、世に聞えた二人の勇将がいた。ひとりは鮑龍(ほうりゅう)といい、よく虎を手擒(てどり)にするといわれ、もう一名は陳応(ちんおう)と称して、いわゆる(ちから)(やま)を抜くの猛者(もさ)だった。

「いま、劉備の軍を見てからでは、もう防塁を築くことも、強馬精兵を作る日のいとまもない。しかず、早く降参して、せめて旧領の安泰を(すが)ろうではないか」

 太守の趙範(ちょうはん)は、すこぶる弱気だった。それを叱咤して、


「かいなきことを(のたも)うな。藩中に人なきものならいざ知らず――」


 と、強硬に突っ張っていたのは前に掲げた鮑龍、陳応の二将であった。


「敵の劉備玄徳は、天子の皇叔なりなどと僭称していますが、事実は辺土の小民、その生い立ちは履売りの子に過ぎません。――関羽、張飛、また不逞の暴勇のみ、何を恐れて、桂城の誇りを、自ら彼らの足もとへ放擲(ほうてき)なさろうとしますか」

「でも、これへ向って来ると聞く趙雲子龍は、かつて当陽の長坂坡(ちょうはんは)で、曹軍百万の中を駈け破った勇者ではないか」


「その趙雲と、この陳応と、いずれが真の勇者であるか、とくと見届けてから降参しても遅くはありますまい」


 非常な自信である。

 太守趙範も、やむなく抗戦ときめた。陳応は四千騎をひっさげて、城外に陣を(ひら)き、


「破れるものなら破ってみよ」

 と、強烈な抗戦意志を示した。

 寄手は近づいた。

 両軍接戦となるや、趙雲子龍は馬おどらせて、敵将陳応(ちんおう)に呼びかけ、

「劉皇叔。さきに世を去り給いし劉表の公子琦君(きくん)をたすけて、ここに安民の兵馬をすすめ給う。(ほこ)を投げ、城門をひらいて迎えよ」

 といった。

 陳応はあざ笑って、

「われわれが主と仰ぐは、曹丞相よりほかはない。汝らはなぜ許都(きょと)へ行って、丞相のお(くつ)でも揃えないか」

 と、からかった。

 この陳応という者は、飛叉(ひしゃ)と称する武器を良く使う。二(また)の大鎌槍とでもいうような凄い打ち物である。

 だが、趙雲に向っては、その大道具も児戯(じぎ)に見えた。

 馬と馬を駈け合わせて戦うこと十数合。もう陳応は逃げ出していた。

「口ほどでもないやつ」
 と、追いかけると、陳応は、何をっと(おめ)いて、飛叉(ひしゃ)を投げつけた。趙雲は、それを片手に受けて、
「返すぞ」

 と、投げ返した。

 陳応の馬が、竿(さお)立ちになった。趙雲は猿臂(えんぴ)をのばして、その襟がみを引っつかみ、陣中へ持ち帰って訓戒を与えた。

「およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいい。汝らのたのむ兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちょうど今日のおれと貴様との闘いみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ戻って、よく太守趙範(ちょうはん)にも告げるがいい。何も求めて滅亡するにはあたるまい」


 と陳応は野鼠(やそ)のように城へ逃げ帰った。

 太守の趙範は、


「それ見たことか」

 と、陳応を罵倒し、すぐに、趙雲子龍へ、降参を申し入れた。

 趙雲は満足して、この従順な降将へ、上賓(じょうひん)の礼を与え、さらに酒など出してもてなした。

 趙範は、途方もなく喜悦して、

「将軍とてまえとは、同じ趙氏ですな。同姓であるからには、先祖はきっと一家の者だったにちがいない。どうか長く一族の好誼(よしみ)をむすんで下さい」


 と、兄弟の盃を乞い、なお生れ年をたずねたりした。

 生れた年月を繰ってみると、趙雲のほうが四ヵ月ほど早く生れている。趙範は額をたたいて、


「じゃあ、貴方が兄だ」


 と、もう独りぎめに決めて、嬉しいずくめに包まれたような顔して帰った。

 次の日、書簡が来た。

 実に美辞麗句で埋っている。

 そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する予定であったから、部下五十余騎を引率して、城内へ向った。

 許都、襄陽、呉市(ごし)などから較べれば、比較にならないほど規模の小さい地方の一城市だが、それでもこの日は、郡中の百姓みな香をたいて辻に出迎え、商戸や邸門はすべて道を掃いていた。城に入ると、趙雲はすぐ、


「四門に札を()げい」

 と命じた。

 四民に対して、政令を示すことだった。これは、一城市を占領すると、例外なく行われることである。

 終ると、趙範は、自ら迎えて、彼を招宴の席に導いた。

 そこで降参の城将が、この後の従順を誓う。

 趙子龍は大いに酔った。

「席をかえましょう。興もあらたまりますから」


 後堂へ請じて、また佳肴芳盞(かこうほうさん)をならべた。後堂の客は、家庭の客である。下へもおかないもてなしとはこの事だった。

 だいぶ酩酊して、


「そろそろ帰る」
 と、趙雲が云い出した頃である。まあまあと引き止めているところへ、ぷーんと異薫(いくん)が流れて来た。
「おや?」

 と、趙雲が振り向いてみると、雪のような素絹(そけん)をまとった美人が楚々と入ってきて、

「お呼び遊ばしましたか」と、趙範へいった。

 趙範はうなずいて、

「ああ。こちらは、子龍将軍でいらっしゃる。しかもわが家と同じ趙姓だ。おちかづきをねがって、何かとおもてなしするがいい」

 と、席へ()らせ趙雲に酌をさせた。

 趙雲は改まって、

「こちらはどなたですか」


 と、その美貌に、眼を醒ましたように、趙範をかえりみて訊ねた。


「私の(あによめ)です」


 と、趙範はにやにや紹介した。

 すると、趙子龍は、(かたち)をあらためて、ことばも丁寧に、


「それは知らなかった。召使いと思うて、つい」

 と、失礼を詫びた。

 趙範は、傍らからその美人へ向って、お酌をせいとか、そこの隣りへ坐れとか、しきりに世話を焼きだしたが、趙雲が、「無用、無用」と、手を振って遠慮ばかりするので、せっかくの美人もつまらなそうに、立ち去ってしまった。

 趙雲は、その後で、趙範を(とが)めた。

「何だって(あによめ)ともあるお方を、侍婢かなんぞのように、軽々しく、客席へ出されるのか」


「いや、――実は、彼女はまだ若いのですが、てまえの兄にあたる良人に死別(わか)れ、(やもめ)となってから三年になります。もうしかるべき(むこ)をとったらどうだと思うのですが、なかなかふさわしい相手がいなくて」

 趙範は前のめりになって、
「いかがでしょう。将軍」

「なにがだ」


「ねがわくは(あによめ)を妻として将軍の室に入れて下さらんか」

 聞くと、趙雲は、眼をいからして、いきなり拳をふりあげ、


不埓者(ふらちもの)っ」


 ぐわんと、趙範の横顔を、なぐりつけた。

 趙範は、顔をかかえて、わっと、転がりながら、


「何をするのだ。無態な」

 と、(わめ)いた。

 趙雲は起ち上がって、

「無態もくそもあるか。汝のような者を蛆虫(うじむし)というのだ」


 と、もう一つ蹴とばした。


「蛆虫とな。け、けしからんことを。――慇懃(いんぎん)に、かくの如く、礼を厚うしているそれがしに、蛆虫とは」
「人倫の道を知らぬやつは蛆虫にちがいなかろう。嫂をもって、客席へ(はべ)らすさえ、言語道断だ。それをなお、此方の妻にすすめるとは女衒(ぜげん)にも劣る畜生根性。――貴様の背骨はよほど曲がっているな」

 と、さらに、趙範をぎゅうぎゅう踏みつけて、ぷいと、そこを出てしまった。

 趙範は起き上がって、うろうろしていたが、やがて陳応(ちんおう)鮑龍(ほうりゅう)を呼んで、

「いまいましい趙雲めが、何処へ行ったか」

 と、肩で息してみせた。


「ここを出るや、馬に飛び乗って城外へ馳けて行きました」
 と、告げた。そして、
「こうなったら徹底的に勝敗で事を決めるしかありますまい。われわれ両名は、(いつわ)って、これから子龍の陣へ行き、彼をなだめておりますから、太守には夜陰を待って、急に襲撃して下さい。さすれば、われわれ両名が、陣の中から呼応して彼奴の首を掻き取ってみせます」

 しめし合わせて、二人は城外へ出て行った。

 一隊の兵に、美酒財宝を持たせ、やがて趙子龍の陣所へ訪れた。そして地上に拝伏して、


「どうか、主人の無礼は、幾重にもおゆるし下さい。まったく悪気で申しあげたわけではないと云っておりますから」

 と、額を叩いて詫び入った。

 趙雲は、彼らの背後に殺気だった兵がいることから、詐術(さじゅつ)であることを看破していたが、わざと面をやわらげ、土産の酒壺を開かせて、

「きょうは、せっかくの所を、酔い損ねてしまった。大いに酔い直そう」

 といって、使いの二人にも、大杯をすすめた。

 陳応、鮑龍のふたりは、「わが事成る」と、すっかり油断してしまったらしい。趙雲のもてなしに乗って泥のように酔ってしまった。

 趙雲は、頃をはかって、至極簡単に二人の首を斬り落した。そして彼の部下らにも酒を振舞い、引出物を与えなどしておいて、

「此方の手勢について働けばよし、さもなくば、陳応、鮑龍のようにするがどうだ」

 と、首を示して説いた。

 五百の部下は、降伏して、たちまち趙雲の手勢に加わることを約した。趙雲はその夜のうちに、この五百名を先頭に立たせ、後から千余騎の本軍をひきいて、桂陽の城へ押し()せた。

 城主趙範は、使いにやった鮑龍(ほうりゅう)陳応(ちんおう)が帰って来たものとばかり信じていた。門を開けて、

「首尾はどうだった?」

 と、味方の五百人へ訊ねた。

 すると、その後から、趙雲以下、千余の軍勢がなだれこんで来たので、仰天したが、もう間に合わなかった。

 趙雲は何の苦もなく、趙範を生捕りとし、城旗を蹴落して、新たに劉備の旗をひるがえし、

「桂陽の占領はなり終んぬ」

 と、事の次第を、遥かなる劉備、孔明のところへ早馬した。

 日を経て、劉備は入城した。孔明は直ちに、虜将(りょしょう)趙範を趙雲にひかせて、階下に引きすえ、一応、その口述を聞いた。

 趙範は、哀訴して、

「もともとてまえは本心から降参してご麾下(きか)に加わることを光栄としていたのです。ところが、てまえの(あによめ)を子龍将軍に献じようと申したのが、なぜか将軍の怒りにふれて、再度城を攻撃され、それがしまで、このような縄目にかけられた次第でして、何ゆえの罪科をもってこんな目に遭うのか諒解に苦しみます」

 孔明はまた趙雲に向って、


「美人といえば、愛さぬ人はないのに、御身はなぜ怒ったのか」

 と、訊いてみた。

 趙雲はそれに答えた。

「私も美人は嫌いではありません。ですが、わが君が、この荊州を領せられても、まだ日は浅いということでした。新占領治下の民心は決してまだ安らかではありません。しかるにその翼臣(よくしん)たるそれがし(はい)が、美人にうつつを抜かし、いち早く(おご)りを示し人民の範たることを打ち忘れ、政治(まつりごと)を怠りなどしていたら、せっかく、わが君の大業もここに挫折するやも知れません。すくなくも、ここに民望をつなぎ得ることはできません。――以上の諸点を考えては、いくら好きな美人であろうとそれがしの(こころ)をとらえるには足りません」


 趙雲の言葉に、劉備も孔明も、黙然うなずいた

 とはいえ、趙範に落ち度があるともいえないので、そのまま、桂陽の城主に据え置いた。

 趙範は、しばらく、城主でいたが、趙雲の名声が上がるにつれ、女衒(ぜげん)だ芋虫だと、陰口をたたかれ、いたたまれなくなったか、出奔した。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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