第106話、零陵、桂陽、攻め
文字数 9,830文字
早速、劉備は、伊籍に
馬良はやがて城へ来た。雪を置いたように眉の白い人であった。馬氏の五常、
劉備は、彼にたずねた。
「――
「
味方の誰にも異論はなかった。
劉備は自信を持って事を進めることにした。
建安十三年の冬、彼の部下一万五千は、南四郡の征途に上った。
趙雲は後陣につく。
もちろん劉備、孔明はその中軍にあった。
この時も、関羽は留守をいいつかり、あとに残って、荊州の守りを命ぜられた。
劉備の軍来る! ――の報は、たちまち
零陵の太守
を、相談した。
父の顔色には
劉延は、そういって父に一万騎を乞い、その
玄軍一万五千は、すでにこの辺まで殺到した。
乱軍の中へ馬を出し、
すると、彼の前に、一輛の四輪車が、
孔明の四輪車は、たちまち、ぐわらぐわらッと一廻転した。後ろを見せて、逃げだしたのである。進むにも退くにも、それは大勢の
車は渦巻く味方をかき分けて深く逃げこみ、やがて柵門の中へ駈け入ってしまった。
邢道栄はあきらめない。大波を割るように、鉞の下に、敵兵を
と、雷のようにかかって来た。
趙雲はすぐ彼を縛りあげて、本陣へ引っ立てた。
劉備は、ひと目見て、
傍らで劉備は聞いていたが、彼の口うらの軽々しいのを察して、
と、重ねていった。
孔明はなお、そのことばに
即座に、その縄を解いて、彼は
命びろいをして、
と、劉延は防ぎにかかった。しかし昼間の合戦で、劉備軍の当るべからざる手並を見ているので、正防法によらず、奇防策を採った。
陣中の柵内には、旗ばかり立てて、兵はみなほかに
劉延、
寄手の兵は、隊を崩して、どっと逃げ退く。
勝ちに乗って、劉延、
――だが、案外、逃げた兵数は薄いのに気がついた。いくら追っても、それだけの兵で、後続も側面もなく、いわゆる軍の厚みがない。
劉延は、
と、取って返した。その帰り途である。
と、道の
あわてふためいて、彼らは自陣へ逃げこもうとした。すると、その火はもうあらかた消されていたが、その
と、思わぬ一軍が、自分たちの陣中から現れたのみか、狼狽して逃げ戻ろうとした
夜の白々明けには、孔明の四輪車の前に、劉延の父劉度もまた、降伏を誓いに出ていた。
劉備、孔明は
前の太守劉度は、そのまま郡守としてここに置き、子の延は軍に加えて、さらに、桂陽(湖南省・榔県)へ進んだ。
桂陽へ攻め寄せる日。
と、希望した。
先に手を挙げたのは趙子龍であった。孔明は、
孔明が、迷っている劉備へそういった。ところが、張飛は
孔明は、仕方なく前のことばを撤回した。そして、
趙雲が「先」という字の
と趙雲はよろこび勇んだが、張飛は甚だよろこばない。なおまだくずぐず云っていたが、
と、劉備に叱られて、ようやく陣列へすがたを退いた。
趙雲は、手勢三千を申し受けた。孔明から、
と念を押されて、
と、豪語した。
このことばを誓紙として、趙雲子龍は、一挙に桂陽城奪取に馳せ向った。
桂陽城には、世に聞えた二人の勇将がいた。ひとりは
太守の
と、強硬に突っ張っていたのは前に掲げた鮑龍、陳応の二将であった。
非常な自信である。
太守趙範も、やむなく抗戦ときめた。陳応は四千騎をひっさげて、城外に陣を
と、強烈な抗戦意志を示した。
寄手は近づいた。
両軍接戦となるや、趙雲子龍は馬おどらせて、敵将
といった。
陳応はあざ笑って、
と、からかった。
この陳応という者は、
だが、趙雲に向っては、その大道具も
馬と馬を駈け合わせて戦うこと十数合。もう陳応は逃げ出していた。
と、投げ返した。
陳応の馬が、
「およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいい。汝らのたのむ兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちょうど今日のおれと貴様との闘いみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ戻って、よく太守
と陳応は
太守の趙範は、
と、陳応を罵倒し、すぐに、趙雲子龍へ、降参を申し入れた。
趙雲は満足して、この従順な降将へ、
趙範は、途方もなく喜悦して、
と、兄弟の盃を乞い、なお生れ年をたずねたりした。
生れた年月を繰ってみると、趙雲のほうが四ヵ月ほど早く生れている。趙範は額をたたいて、
と、もう独りぎめに決めて、嬉しいずくめに包まれたような顔して帰った。
次の日、書簡が来た。
実に美辞麗句で埋っている。
そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する予定であったから、部下五十余騎を引率して、城内へ向った。
許都、襄陽、
と命じた。
四民に対して、政令を示すことだった。これは、一城市を占領すると、例外なく行われることである。
終ると、趙範は、自ら迎えて、彼を招宴の席に導いた。
そこで降参の城将が、この後の従順を誓う。
趙子龍は大いに酔った。
後堂へ請じて、また
だいぶ酩酊して、
と、趙雲が振り向いてみると、雪のような
「お呼び遊ばしましたか」と、趙範へいった。
趙範はうなずいて、
と、席へ
趙雲は改まって、
と、その美貌に、眼を醒ましたように、趙範をかえりみて訊ねた。
と、趙範はにやにや紹介した。
すると、趙子龍は、
と、失礼を詫びた。
趙範は、傍らからその美人へ向って、お酌をせいとか、そこの隣りへ坐れとか、しきりに世話を焼きだしたが、趙雲が、「無用、無用」と、手を振って遠慮ばかりするので、せっかくの美人もつまらなそうに、立ち去ってしまった。
趙雲は、その後で、趙範を
聞くと、趙雲は、眼をいからして、いきなり拳をふりあげ、
ぐわんと、趙範の横顔を、なぐりつけた。
趙範は、顔をかかえて、わっと、転がりながら、
と、
趙雲は起ち上がって、
と、もう一つ蹴とばした。
と、さらに、趙範をぎゅうぎゅう踏みつけて、ぷいと、そこを出てしまった。
趙範は起き上がって、うろうろしていたが、やがて
と、肩で息してみせた。
しめし合わせて、二人は城外へ出て行った。
一隊の兵に、美酒財宝を持たせ、やがて趙子龍の陣所へ訪れた。そして地上に拝伏して、
と、額を叩いて詫び入った。
趙雲は、彼らの背後に殺気だった兵がいることから、
といって、使いの二人にも、大杯をすすめた。
陳応、鮑龍のふたりは、「わが事成る」と、すっかり油断してしまったらしい。趙雲のもてなしに乗って泥のように酔ってしまった。
趙雲は、頃をはかって、至極簡単に二人の首を斬り落した。そして彼の部下らにも酒を振舞い、引出物を与えなどしておいて、
と、首を示して説いた。
五百の部下は、降伏して、たちまち趙雲の手勢に加わることを約した。趙雲はその夜のうちに、この五百名を先頭に立たせ、後から千余騎の本軍をひきいて、桂陽の城へ押し
城主趙範は、使いにやった
と、味方の五百人へ訊ねた。
すると、その後から、趙雲以下、千余の軍勢がなだれこんで来たので、仰天したが、もう間に合わなかった。
趙雲は何の苦もなく、趙範を生捕りとし、城旗を蹴落して、新たに劉備の旗をひるがえし、
と、事の次第を、遥かなる劉備、孔明のところへ早馬した。
日を経て、劉備は入城した。孔明は直ちに、
趙範は、哀訴して、
孔明はまた趙雲に向って、
と、訊いてみた。
趙雲はそれに答えた。
「私も美人は嫌いではありません。ですが、わが君が、この荊州を領せられても、まだ日は浅いということでした。新占領治下の民心は決してまだ安らかではありません。しかるにその
趙雲の言葉に、劉備も孔明も、黙然うなずいた
とはいえ、趙範に落ち度があるともいえないので、そのまま、桂陽の城主に据え置いた。
趙範は、しばらく、城主でいたが、趙雲の名声が上がるにつれ、
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